Ⅴ-Ⅵ 綾織黎明



 *四月二七日 土曜日 学生寮



 寝返りをうったところで、僕の意識がゆっくりと戻ってくる。

 瞼が重い。

 どうやら、あのまま……寝てしまったみたいだ。

 時刻は朝五時よりも少しだけ前だった。

 首を真横に動かし、隣のベッドを見るけれど……。

 かけ布団がぺたんとしていて……そこに先輩の姿は無かった。

 昨夜から帰って来ていないようだ。

 制服のまま寝てしまったことを思い出し、後悔しながら身体を起こせば、カチャリとドッグタグが音を立てた。

 おじいちゃんから貰った大切な物なのに……。

 今は……それが先輩を苦しめているものだと知ってしまった。

 おじいちゃんはきっと、僕達と平等に接していたはずだ。

 だけど……先輩にとっては、僕は邪魔者でしかなくて……。

 例えばそれは、兄弟関係に似ているのかもしれない。

 親の愛情を一身に受けていた兄は……病気がちな弟が産まれたことで、その愛情を全て奪われてしまったと思い込んでしまっている。

 居場所を奪われたと……僕を恨んでいるんだ。

 そして、おじいちゃんから言われた……僕の面倒を見て欲しいという言葉……。

 それが先輩にとって、呪いのようにまとわりついている。

「…………」

 僕は制服を脱ぎ、私服に着替える。

 まだシャワーも浴びていないけれど、これ以上この部屋にいたくなった。

 ……もしも先輩が戻ってきてしまったら、顔を合わせるのが辛いから。

 身支度を済ませて、四つの『猫童話シリーズ』のキーホルダーが付いたカバンを持ち、部屋のドアを開く。

 シミ一つないカーペットが轢かれた、照明の落とされた廊下。

 土曜日のせいか、朝から部活のトレーニングをしている人の姿もない。

 特に行くところはないけれど……。

 それでも今は……一刻も早くこの部屋から離れたかった。

「あれー? 宮守くんじゃない」

「!」

 ひとまず学生寮から出ようと、一歩踏み出した矢先。

 見知った人から声をかけられた。

「土曜日だっていうのに、朝早いんだねえ」

「宮村先輩……」

「うん。宮村でーす……って、どったの? こんな朝早くからお出かけ?」

 先輩はいつもの制服姿や、ホストのような私服姿とは違う……黒い薄手のロングTシャツに、スウェットのズボンといったラフな格好だった。

 意外とこんな格好もするんだなと、頭の片隅で思う。

「えっと……」

 朝ということもあってか、宮村先輩の声のトーンは抑え目だ。

 しかし行く先も目的も考えていなかった僕は、先輩の問いに上手く答えることができない。

 宮村先輩は不思議そうに僕の顔を覗き込む。

「目……腫れてるよ。もしかして綾織先輩と喧嘩でもした?」

「…………」

「わ。ビンゴ?」

 いつもなら慌てて否定するであろう僕が何も言わなかったため、先輩は少し驚いた様子で目を丸くした。

「いやー……でも、あの綾織先輩と喧嘩できる時点で凄いっていうか……ま、いいや」

 先輩は咳払いをすると、少し屈んで僕に目線を合わせてくれる。

 長い黒髪が、サラリと揺れた。

「……ね。ボクの部屋来る? ルームメイト、外泊してて誰もいないからさ。お茶位出すよ」

 そう言って優しく微笑む姿に、僕は縋りたかったのかもしれない。

 気が付けば、俯くように頷いていた。



 *



「はい。ようこそ、ボクの部屋へ」

 僕の生活する部屋よりも更に奥に進んだ角部屋が、宮村先輩の部屋だった。

 カーテンやベッドカバー、カーペットまでがシックな色でまとめられている。

 部屋にある備品こそほとんど同じものの、インテリアや内装を一切変えていないデフォルト状態の僕の部屋とは大違いな、オシャレな部屋だった。

 間接照明だけ点いているせいか、高級感が出ている気がした。

 室内はお香のような優しい……宮村先輩の香りで満ちていた。

 先輩は奥に入るよう指示すると、僕を一人掛けのソファに座らせる。

「同じ、一階の部屋だったんですね」

「そうだよ。別に上級生だから上層階、みたいな決まりはないからね。完全にランダムだよ。あ、ルームメイトは基本的に同学年だけど」

 先輩は電気ケトルでお湯を沸かすと、二人分の紅茶を入れてくれる。

「砂糖とミルク、いる?」

 その言葉に首を振ると、先輩にある……個人で持ち込んだであろう丸型のガラステーブルに紅茶セットを並べた。

「はい、召し上がれ」

「……ありがとう、ございます」

 僕は真っ白なティーカップから、温かな紅茶を一口飲んだ。

「苺……」

 甘みはないのだけれど、苺の匂いが鼻から抜ける。

「そ。ボクの好きなフレーバーティーの新作でね。これは昨日買ったばかりの、ストロベリーティー。美味しい?」

「はい……とても」

「それは良かった」

 宮村先輩は満足そうに笑うと、僕の向かい側のソファに座った。

 先輩は僕に話しかけることなく、僅かに開いたカーテンの外を見ながら優雅に紅茶を飲んでいる。

 なんてサマになるんだろう……先輩の整った横顔を見ながら、そんなことを思う。

 紅茶一杯を飲むのにかかった時間は一〇分程だろうか。

 その時間は、僕に落ち着く時間を十分に与えてくれた。

「ごちそうさまでした」

「うん。お粗末様でした。どう? 少しは落ち着いた?」

「はい。おかげさまで」

 空になったカップを、ソーサラーに戻す。

 温まった身体に、ほっと息を吐く。

「あんまり詳しい話は訊くつもりないけど……綾織先輩とキミが喧嘩するなんて意外だなぁ」

「……そう、ですね。えっと……あの……」

「いいよ。無理に話さないで。宮守くんが辛い思いしているのは……伝わってくるから」

「宮村先輩……」

 先輩は音を立てずにソファから立ち上がると、僕のすぐ目の前でしゃがみ込み、そして膝の上にあった僕の手にそっと触れる。

「綾織先輩ってさ、特に難しい人だよね。何考えてるかさっぱり分からないもん」

「そうですね……色々と、理由を言ってくれないことが多くて……」

 これ以上言ったら、ただの愚痴になってしまう。

 けれど……話を聞いてくれる宮村先輩の優しさについ甘えてしまっていた。

 宮村先輩はそれに気付いているようで……。

 立ち上がり、僕の身体をそっと自分に引き寄せた。

「っ」

 先輩の匂いが近くなる。

 座ったまま、抱き締められている状態だと……ようやく頭が理解した。

「せんぱ……っ」

「人の心臓の音を聞くと、安心するらしいよ」

 そう言った先輩の声も、心音も……直接耳の中に入ってくる。

 薄手の服のせいで、先輩の身体の凹凸がダイレクトに伝わる。

 ドキドキと、僕の心臓の音が大きくなっていくのを感じた。

「ふふ。宮守くんの方が心臓の音の方が……大きいんじゃない?」

 すぐ頭の上でクスクスと笑う先輩の声がする。

「それは……」

「宮守くんって、人肌に触れ慣れてなさそうだもんね」

 先輩の予測に、僕は小さく頷く。

「可愛いね。もっとワガママ言っていいんだよ。ちょっと頑張れば綾織先輩とだって、きっと上手くいくと思うな」

「そうでしょうか……」

「もちろん。宮守くんは頭がいいから、きっと――――すぐに使いこなせる」

「え……?」

 途中から繋がらなくなった先輩の言葉に、僕は思考を巡らせる。

「あの……一体どういう……」

「うん。それじゃあ手始めに――――人の心を読む『魔法道具』マジックアイテムでも売ってあげようか」

「!?」

 反射的に顔を上げると、先輩は長い指で僕の両頬をそっと包み込んだ。

 二人の顔が、息が届く距離まで近付く。

「訊いたよ、宮守くん。キミが、より強力な『魔法道具』マジックアイテムを欲しがっているってこと」

「!」

 今までの空気が一変し、ヒヤリとした汗が背中を伝ったのが分かった。

 宮村先輩の氷のような目の中に、僕が捉えられている。

 まさか、宮村先輩が……『魔法道具』マジックアイテムを売っていた犯人だったなんて……。

「…………っ」

 口をパクパクと開く僕に変わり、先輩は言葉を続ける。

「ああ……訊いた、じゃないか。読んだっていう方が正しいかな、びっくりしたよ。キミが『魔法道具』マジックアイテムを欲しがっているなんて。意外と好戦的なんだねぇ」

「浅倉くんの……お兄さんの記憶を読んだのですか?」

「そうだよ」

 宮村先輩の口から、あっさりと回答が出てくる。

「昨日の夜、浅倉……あ、兄の方ね。記憶を読んだんだけど……キミがより強力な『魔法道具』マジックアイテムを欲しがってるって知ってね。どうやって接触しようか考えてたところに、ちょうどキミが現れたってわけ。しかも綾織先輩もいないじゃない? ついに天がボクに味方したんだと思ったよ」

「先輩の魔法は……記憶を読むだけなんですよね……?」

「うん、しかも読めるのは一日前位までで、しかも無音。昔の無声映画を早く送りで見る感じかなぁ。だから話の詳細は本人から直接訊いたものとその記憶を照合するしかない。役に立たないってことはないけど、まあすごく便利ってワケでもない中途半端な魔法だよ」

「だったら……」

 どうして成瀬川先輩や駒込さんの記憶に一部欠損していた部分があったのだろう。

 先輩が記憶を読むだけの魔法しか使えないのだとしたら、記憶操作の魔法を使用した魔法使いはまた別にいるということだろうか。

 宮村先輩は『死者の楽園』エリュシオンの魔法使いから疑いの目が向けられなかった。

 もしも記憶操作の魔法まで使えるのなら、真っ先に疑われるはずだ。

 先輩がそれを隠しているのだとしたら、話は繋がるけれど……。

 先輩は小さく鼻歌を歌いながら、僕の頬から両手を離し、クローゼットの前まで移動する。

 そして、備え付けられた背の低いタンスの引き出しを引く。

 そこからジュエリーケースのような物を取り出すと、再び僕の前に戻ってきた。

 三〇センチ程の正方形の箱の中に、指輪やネックレス……ブレスレットが所狭しと並べられている。

 先輩はそこから、アクアマリンのような透明な宝石の付いた指輪を取り出した。 

「これね、記憶の改竄……つまり、上書きができる『魔法道具』マジックアイテム

「!」

「どうやって成瀬川の記憶を消したのかが気になっているんでしょ? ボクもこのチートアイテムを使ったんだ。昨日、浅倉兄も他の人の記憶を消してたでしょ? 原理は同じ。ボクの魔法は記憶を読むことだから、要は機能拡張アイテムみたいなものだね。同じ属性の魔法を強化した方が、直感的に使いやすいんだよ。便利だよねぇ」

 先輩は成瀬川先輩の記憶に関するトリックもすんなりと話してくれた。

 そうか……うっかりしていた。

 確かにより強力な『魔法道具』マジックアイテムを持っている先輩なら、自分の魔法を強化して使用することなんて簡単にできるだろう。

「本当は、自分の魔法自体を強化して、記憶も全部読みたかったんだけどね。そういう『魔法道具』マジックアイテムもあるし。でもそうすると代償デメリットが……ね。正規品の『魔法道具』マジックアイテムと違って、ボクが扱う『魔法道具』マジックアイテムは、自分の魔法を変換するものだから。元の魔法の力……魔力って言えば分かる? それが少ないと何もできないんだよ。魔法を効率的使うためと、記憶の改竄をすることを優先的にしないといけないことから、記憶を読むことへの強化じゃなくて、記憶改竄の方に魔力を振ったわけ」

 宮村先輩は全ての種明かしを話し終えると、再び僕と目を合わせた。

「で。宮守くん。ボクが辿り着いた結論なんだけど……キミが更に強力な力を欲しがってるなんて、どうも思えないんだよねぇ。しかもこれは簡単に市場に出回らせてイケナイものだから、売り渡す人間はちゃんと選ばないとダメなんだ」

「…………」

「ごめんね。立場上、なかなか人を信用することができなくて。――――でも」

 宮村先輩はくるりと僕に背を向けると、ひと仕事終えたように大きく背伸びをした。

「ボク自身はボクを信用してるから……だから、宮守くんが信頼できる人間だと……納得できたら売ってあげようと思う」

「え……」

 言葉の意図を聞き返そうとした僕の、視界が揺れた。

「あ、そろそろ効いてきたかな? ダメだよ、宮守くん……落ち込んでいる時って、優しい言葉をかけてくれた人をコロッと信用しちゃうものだから」

 僕はこめかみに手を当て、必死で意識を保とうとするが……しかし、下がってくる瞼に抗うことができない。

 先輩の声が、遠くなっていく感覚。

 どうしてこんなに眠い――――。

「!」

 力が抜け、ソファに倒れ込んだところで、丸いガラステーブルに置かれたティーカップが目に入る。

 そうか、紅茶……。

 さっきの紅茶に、何かが入っていたのだ……。

 きっと、睡眠薬のような何かが……。

「おやすみ、宮守くん」

 あまり危険な薬物でないといいのだけれど……。

 離れていく意識の中でそんなことを考えていると、先輩の手が僕の髪の毛をそっと撫でた気がした。



 *四月二七日 土曜日 倉庫



「!」

 突然覚醒した意識。

 強制的に眠らされていたわりには、やけにスッキリと目を覚ました。

 薄暗い照明と、僅かにカビを含んだ湿気の匂い。

 視線だけで辺りを見回せば、そこはどこかの……業務倉庫のようだ。

 コンクリート壁で覆われているせいか、室内はひんやりとしている。

 どうやら冷たいコンクリートの床に、投げ捨てられている。

 ドラマなどで良くある、誘拐の場面が頭に思い浮かんだ。

 次に目に入ったのは、事務用の片袖机だ。

 椅子が僅かに引かれて斜めを向いていることと、湯気の出ている飲み物が置かれていることから、直前まで誰かがここにいたことに間違いはないだろう。

 パソコンのモニターが点けっぱなしになっていて、暗がりの倉庫で不気味な光源になっている。

 その上方。

 天井近くの僅かに開いた小さな窓から、オレンジ色の光が見えた。

 朝焼け……ではないだろう。

 つまり今は夕方……先輩の部屋に行ったのは朝五時前だから、もう一二時間程経過していることになる。

 現状を何となく理解したところで、今度は身体に力を入れる……が。

「あれ……?」

 身体が思うように動かない。

 しかし、筋肉が弛緩している……というわけではないようだけど……。

 首を頑張って動かし、自分の身体がどうなっているのか確認しようと試みる。

 両手は後ろ手を結束バンドによって拘束されていた。

 細いバンドが手首に食い込んでいて、鈍い痛みを起こしている。

 今度は足に視線を移す。

 足首がガムテープでぐるぐると巻かれていた。

 ああ、本当に誘拐事件のようだ。

 どこか他人事のように思うのは、まだ薬が抜けていないせいだろうか。

「やあ。起きたみたいだね」

 背後から、錆びついたドアが開かれる音と、今一番聞きたくなかった声が聞こえた。

 携帯電話を手に持ちながら、宮村先輩が歩いてくるのが見える。

 黒いシャツに、黒いジーンズ。

 ホストのような……いつもの宮村先輩の私服姿だった。

 先輩は後ろポケットに携帯電話を入れると、僕の目の前にしゃがみ込んだ。

 そして長い指で、僕の前髪にそっと触れる。

「気分はどう?」

「……最悪です」

「あはは! キミ、意外とそういうこと言えるんだ?」

 先輩は一瞬きょとんとした顔をするが、すぐに声を上げて笑った。

「ここ……どこなんですか?」

「うちの組……じゃなくて、会社で、借りてる倉庫だよ」

 先輩は立ち上がると、今度は事務机用の椅子に移動する。

 携帯電話を机の上に置き、くるくると回る椅子で遊びながら、飲みかけのカップに手を伸ばす。

「学生寮に置いておくにはリスクが高かったから、知り合いにお願いしてここまで運んで貰ったんだ。寮から車に乗せるのが一番大変だったよー。朝早く……しかも今日が土曜日で良かった」

 やっぱり今日はラッキーな日だなぁと続ける。

「……僕の記憶、読んだんですか?」

「ああ、それ。やっぱり気になる?」

 先輩は勿体ぶるようにカップに口付ける。

「時間はたくさんあったからね、どうせなら強化型の『魔法道具』マジックアイテムも使って、音声付きのクリアな映像でじっくり読ませてもらおう……と思ったんだけどねー。残念ながら途中で魔力切れ。代償デメリットもあるし、おかげで中途半端な情報になっちゃったよ。回復したらまた読ませてね」

 先輩は椅子から僕を見下ろしながら、長い足を組み直す。

「……どうして、浅倉くんのお兄さんを仲介人にさせたんですか?」

「ん? ああ、うちの……ええと。から、借金してるからだよ。利子がとんでもないことになっていてさ、一般の仕事じゃ到底返すことができない金額になってたみたいだったら。それならボクが使ってあげようかなって。自分で言うのもなんだけど、そんな危険なアルバイトじゃないでしょ。まあ、いざとなったら尻尾切りになる駒なんだけど」

 借金……。

 お兄さんが言っていた、お金が必要だという言葉が……ここに繋がるのか。

「この『魔法道具』マジックアイテムは……どこから手に入れているんですか?」

『魔法道具』マジックアイテムの優秀な製作者がいてね。その人が作った物を選別して、撥ねられた不適合品を安く横流ししてもらっているんだ」

「今、学生達が欲しがっているのは……訳あり品ってことでしょうか」

「その通り。所謂合格品は、別のところに流れてるよ」

「…………」

 やはり、僕が思った通りだ。

 その強力な武器が行き着く果て……それはきっと、更に物騒な場所だろう。

 とても嫌な予感がする。

「ああ、安心して。ボクが持っている『魔法道具』マジックアイテムは、巷で流行っているのとは違う……暴発の危険性が極めて低い物だから。もちろん、合格品よりはクオリティが落ちるけど。学生達に流れてるのがDランクだとしたら、ボクが取り扱っているのはAからBランクってところかな」

「…………」

「それにしてもキミ、この状態で色々訊いてくるなんて、意外と肝が座ってるんだねえ。なんだかキミのコト、気に入ってきたよ」

 そう言って宮村先輩はクスクスと笑う。

 だんだんと手足が痺れてきた。

 僕はそれ以上余計なことを言われないように、先輩を見上げる。

「これから……どうするんですか?」

「どうしようかなぁ。ボクが犯人だって、バレてるんでしょ? それじゃあ一番に疑われるのはボクになっちゃうよね。この場所はバレる心配はないと思うけど……でも相手は、強さ不明の綾織先輩かー」

「…………」

 昨日のことから、綾織先輩は宮村先輩がこの件に関わってるということは知っているのだろう。

 宮村先輩は中途半端と言っていたが、その割には、重要な部分はしっかりと読まれているようだ。

 どこの部分が読まれたのかは分からないが……僕のせいで情報が漏れてしまった……それだけは確かなのだ。

「っ」

 今更後悔したってもう遅い。

 この場所がどこなのかは分からない。

 宮村先輩のことだ……きっと簡単に見つかる場所ではないのだろう。

 僕はどうなってもいい……でも、これ以上先輩達の情報を漏らすわけにはいかない……!

 その時、机の上に置かれた宮村先輩の携帯電話が震えた。

 どうやら着信のようだ。

 先輩は煩わしそうに携帯電話を手に取り、チラリと相手を確認すると耳に当てる。

「もしもし、どうしたの。今日は休日だから極力電話かけないでって言ったでしょ。…………え? トラブルで損失が出た?」

 宮村先輩の目付きが突如、鋭いものに変わる。

 それはいつもの先輩の表情とは、似ても似つかない厳しいものだった。

「いくら? ……はあ? バッカじゃないの? あんだけ言ったのにさ……ったく、ちゃんと処理しといてよ。その金額……キミの臓器を売るだけじゃ到底足りない金額だってこと、分かってるよね?」

 一点を見つめながら淡々と会話する宮村先輩に……恐怖を感じる。

 たぶん……聞いてはいけない会話なのだろう。

 先輩は小さく舌打ちすると、携帯電話の画面に触れて会話を終了させた。

「ホント……バカばっかで嫌になっちゃう」

 先輩はおもむろに机の上に転がっていた電子タバコを手に取ると、ボタンを押し、口に咥える。

「……煙草、吸うんですね」

「え……? あ、やば。つい癖で吸っちゃった。まあ、宮守くんの前ならいっか。もね、たまには息抜きしないと」

 先輩は椅子に腰かけたまま、どこか遠くを見るようにボーッとしている。

 その横顔は、いつもよりもずっと大人っぽく見えた。

「いいこと思いついちゃった。綾織先輩って、『エデンの園』ガーデンオブエデンの関係者なんでしょ? キミと引き換えに、『エデンの園』ガーデンオブエデンの情報を教えてもらおうかな」

「……僕なんかに、人質の価値はないと思います」

 昨日の綾織先輩の姿が頭を過ぎる。

 先輩にとって僕なんか、いなくなっても……いや、むしろいない方がいい存在なのだから……。

「またまたー。宮守くんって、自分のことになるとやけにネガティブだよねぇ」

 宮村先輩はそう言って、椅子の上から僕を舐めるように見つめる。

 その姿は学校にいる時とは違い、妖艶な雰囲気を纏っていた。

「ここ数日、キミ達の様子を見てるだけでも分かるけどなぁ。キミが綾織先輩にとって特別な存在だってこと」

「……そんなことないですよ。先輩が本当に大切に思っているのは、僕のおじいちゃんだけです。そして僕は……そのおじいちゃんを奪った……憎むべき人間ですから」

 特別……と言っても、育ての親であるおじいちゃんに頼まれているからだ。

 本当は嫌いな僕になんか関わりたくもないだろう。

 だって、僕自身に何の価値もないのだから。

 きっと……いなくなって清々しているに決まっている。

「あはは。あんなに仲良しなのに? 宮守くんさ、それはちょっと疑い過ぎじゃない?」

 宮村先輩はうーん……と、少し考えた素振りをすると。

 悪戯を思い付いた子供のように、無邪気に笑った。

「ああそうだ。そんなに綾織先輩のこと信じられないならさ……」

 ガタリと音がして、宮村先輩は椅子からぴょんと立ち上がる。

 そして再び僕の前にしゃがみ込んだと思ったら……すぐ目の前に煙草の火が現れる。

 僕は反射的にそれから逃げるように顔を反らす。

「ちょっと痛い思いしてみるとか? 王子様ってさ、お姫様のピンチに助けに来てくれるものじゃない?」

 そう言った宮村先輩の顔はいつものように笑っているのに……目は笑っていなかった。

 その瞳は何の感情も宿していない。

 普段の調子から、荒事とは無縁の人だと思っていたのに……。

 拒絶の言葉を出そうにも、恐怖で声が出ない。

 冗談を言っているようには聞こえなかった。

「さっきの電話、聞いてたよね? ボクが関わってる仕事で損失が出ちゃってさー。困ってたんだけど……キミなら臓器でも身体でも、十分売れそうだね。キミに人質としての価値がないのなら……ボクの役に立ってもらおうかな」

 淡々と話す先輩の言葉一つ一つが、僕の心と身体を抉っていく。

 会話の流れで、先輩がどんなものに関わっているのか、何となく想像が付いてしまったのだ。

「や、やめてくださ……」

 ようやく出た声は掠れていて……。

 宮村先輩の嗜虐心を煽るものにしかならなかったようだ。

「んー……身体の次に、臓器の方が長く使えるよね。キミ、可愛い顔してるから、高い値段がつきそう。知り合いにね、キミみたいな子、好きな人がいるからさ。ああ、せっかくだし、その前にボクが色々教えてあげようか……になるように」

 悪意の感じられないその態度に、鳥肌が立つ。

 今更になって綾織先輩が言っていた、宮村先輩に近付くなという警告が頭を過った。

 先輩の手が僕の方へと伸びてくる。

「……っ!」

 しかし、全身を拘束されているこの状況では、抵抗することは何もできない。

 これから起こるであろう恐怖に、ギュッと目を閉じた――――その時だった。

 僅かに開かれた天井近くの窓から、カラスの鳴き声が聞こえた気がした。

 反射的にその窓を見上げる。

「!」

 まさか……。

 いや、でも……。

「どうしたの?」

 宮村先輩は、不思議そうに僕の目線を追う。

 しかし窓の外は紫色の空が広がっているだけだ。

 良く考えれば、カラスの鳴き声なんて珍しいものじゃない。

 どうして松本副会長さんのカラスだと思ったんだろう。

 カラスなんてその辺りにいくらでもいるのに……。

 淡い期待を抱いた自分に、思わず自嘲する。

 そんなこと……あるわけないのに……。

「っ」

 そう……。

 何もかも諦めかけた時だった。

「え、何……!?」

 先輩の焦った声と、大きな爆発音のような音が、僕の耳に飛び込んできた。

 爆音と共に……二〇メートルほど先にあった、外へと通じる倉庫の扉が、ええと……ものすごい勢いで吹き飛んだ……?

 目眩く展開していく光景に、頭が追いつかない。

 僕と宮村先輩がいた位置からは大分離れていたため、ケガは無かったけれど……。

「ごほ……っ」

 それでも巻き上がる埃や塵が、風に乗ってこちらへと降り注ぐ。

 思わず目を瞑り、その流れが止まるのを待つ。

 しばらくして薄らと目を開けば、その砂埃の中に人影が見えた。

 こちらへ向かって、誰かがゆっくりと近付いてくる足音が聞こえる。

「うっそ……綾織先輩……?」

「!」

 その光景を疑うように、宮村先輩の目が見開かれる。

 それは僕も同じだった。

「……こんなところに居やがったのか」

 そう言葉にする綾織先輩は、さっき電話をしていた宮村先輩以上に怒り心頭なのが分かった。

「ど、どうしてここが……」

「人を探す方法なんて、魔法使いにはいくらでもあんだよ。クソ……この時代、ケータイすら持ってないヤツを探すのは骨が折れたぜ」

「あ……はは。まさかあのタイミングで来るなんて……。本当に王子様みたいだねぇ……」

「あ? 何言ってんだ。テメエの負けだ。さっさとソイツを解放しろ」

「ああ……そうか。浅倉弟くんのせいで、綾織先輩には全部バレてるんだっけ。えー……それは難しいなぁ。さっきちょうど、宮守くんのいい使い道が決まったんだもの」

「使い道……?」

 宮村先輩の言い方に、綾織先輩の眉毛がピクリと動く。

「なるほど。相変わらず……悪どい商売してるらしいな」

「うん、まぁそういう家業だからね。否定はできないかな。ってことで、このまま見逃してくれると嬉しいんだけど」

「できると思うのか?」

「宮守くんもセットじゃ無理っぽいね。じゃあカレは諦めるから、ボクだけなんとかお願い」

「二度と悪さをしないって、土下座するならな」

「悪さなんてそんな。みんな、強くなりたいんだから、それを応援してあげただけなの」

「話になんねえな。一連の事件の目的はなんだ?」

「んー……みんなが魔法の力を平等に使えたらいいよねっていう平和的考えで、商売してただけだよ。ああ、ちなみに、ボクは仲介してただけ。作ったのはまた別の人だから」

「使ったら暴発するような道具を使ってか? アメリカかよ。みんなが拳銃を持てるようになって、平和になったか?」

「なるわけないよ。人間は愚かだからね。みんな自分の力を誇示したいのさ。ね……これは実験でもあるんだよ。裏ではもっと巨額のお金が動いてる」

「……目的は金か」

「みんなが喜んで、ボクにはお金も手に入る。ウィンウィンじゃない?」

「結果が平和じゃねーんだよ。とっとと手を引け」

「それはできないなあ。だってボク、悪いことしてるって思ってないもの」

「そんじゃ、力で白黒つけるしかね-な。サイコパス野郎」

「そっか。キミも魔法使いだったんだっけ。そんな好戦的ってことは、攻撃魔法系なんだ?」

「さあ。どうだろうな」

「……すごい自信。とりあえず、ボクの立場が悪くなるのは困るからね。いいよ、相手してあげる。ボクが勝ったら、宮守くんを貰う――――ねっ!」

 宮村先輩がポケットから銀色に光る指輪を取り出す。

「綾織先輩さ、『エデンの園』ガーデンオブエデンの関係者ってだけでしょ? それなら別に怖くないもん」

 宮村先輩が指輪を手のひらでギュッと握る。

 その瞬間、巨大な氷柱が数本現れた。

 小鳥遊くんがこの前出したものとは二回り以上大きい。

「あ、ちなみこれはイリーナ・マグナスの造った正規品を改造してもらった特別なヤツ。だから、自分の魔力は消費しないんだ。やっぱり威力が全然違うよね。元値は高いけど!」

「へえ。アイツのねえ……」

 綾織先輩の声に、好奇心が混ざる。

「あの人すごいよね。昔『エデンの園』ガーデンオブエデンにいたことがあったんだって」

「そうらしいな」

「え、これも知ってるの?」

「少なくとも、テメエよりはな」

「何その言い方ー!」

 宮村先輩が口を尖らせた後、その氷柱が綾織先輩に向かって飛んでいく。

「せんぱ……っ」

 僕の声が倉庫に響く。

 しかし綾織先輩は一歩も動くこと無く……先輩の元に届く直前に氷柱が砕け散った。

 夕日に照らされた細かな氷がキラキラと辺りに散らばり、そして空気中で溶けていく。

「うっそ……」

 宮村先輩の目が大きく見開かれる。

「すごいすごい! 綾織先輩……! こんなに強かったの!?」

 命かけで戦ってるわりには、宮村先輩の声は楽しそうだった。

 綾織先輩は、宮村先輩の力量を測るような戦い方をしているようみたいだ。

 宮村先輩が次々に出す『魔法道具』マジックアイテムを、興味深く観察しているように見える。

「おい、奇術師。次はどんな魔法が飛び出すんだ?」

 煽るような先輩のセリフに、宮村先輩の目がキラキラと輝く。

「次はね……」

 宮村先輩は、次にポケットから真紅の宝石が付いたペンダントを取り出すが……しかし、何も起こらない。

 僕は目を凝らして辺りを見回す。

「! 綾織先輩! 足元ですっ!」

「!」

 僕の声に反応して、先輩はすぐにその場から離れた。

 しかしそのせいで、先輩と僕の距離が一気に遠くなる。

 先輩が立っていたところが赤く光り、小さな爆発音が辺りに反響した。

「あれー? これ実質、二体一じゃん。それは……ズルいよね」

 宮村先輩が長い髪をかき揚げ、再びペンダントを掲げる。

「孫!」

 その声と共に、僕の身体が強い力で飛ばされる。

 綾織先輩の魔法が僕を爆発から守ってくれたのだと、瞬時に理解する。

 しかし。

 僕が飛ばされたその先には壁がある。

 両手両足を拘束されている僕は、上手く受け身を取ることができない。

 僕は次に来る衝撃に備え、強く目を閉じた。

「っ」

 しかし、僕が当たったのは……壁のような固いものじゃ無くて……。

「……ったく。遠慮なくこっち狙うとは、マジでいい性格してるな」

 すぐ耳元で聞こえる。

 それは、綾織先輩でも宮村先輩でもない声だった。

「え……か、神田さん……!?」

 まさかの人物の登場に、思わず声を上げる。

「よっ。大丈夫か?」

「は、はい……」

 神田さんは、抱き止めていた僕の身体をそっと地面に下ろしてくれる。

 その流れで腕と足の拘束を解いてくれた。

 縛られた跡が残っている手にそっと触れる。

「赤くなってんな……後でちゃんと手当てするんだぞ」

「あ、はい……えっと……あの、どうしてここに……」

「まあ……積もる話は後でゆっくり聞かせてやる」

 神田さんはそう言いながら、何かを思い出したのか……笑いを堪えているようだ。

「?」 

「とにかく……だ。今、オレは魔法が使えないが……イリーナから、有用な『魔法道具』マジックアイテムを借りてきた。こっちは純正品。暴発することないから、安心しな」

 そして神田さんは右手に付けた黒いブレスレットを高く上げた。

「綾織! こっちはもう大丈夫だ。宮守は守ってやるから、安心して戦え!」

 神田さんの言葉に、綾織先輩は何か文句を言いたげに小さく舌打ちすると、今度こそまっすぐに宮村先輩と向かい合った。

 宮村先輩はこちらを見て、眉を顰める。

「ちょっとちょっと……神田鷲介まで……どうして……」

「おい、よそ見すんなよ」

「っ!?」

 綾織先輩の不機嫌な声と共に、宮村先輩が持っていたペンダントが粉々に粉砕された。

「な……っ」

 粉々になったガラスの破片が夕日に照らされて、まるでダイヤモンドダストのように空中で輝く。

「オレがもう少し力入れてたら、腕ごと吹っ飛んでたな」

「何そのワケ分かんない魔法……! っていうか……一介の魔法使いに、コレが壊せるはずは……! だってこれはイリーナ・マグナスの『魔法道具』マジックアイテムで……っ」

「一介じゃねえからだよ」

 綾織先輩はそういうと、気怠そうに腕を組んだ。

 この戦いに飽きてきたと、表情がそう語っていた。

「そろそろこっちもネタバラシしてやるか……」

 綾織先輩は三つ編みを持ち上げ、少し顔を横に向ける。

「!」

 普段は三つ編みによって隠されている部分……。

 そこから現れたのは、痣のような模様。

 小さな文様が組み合わさり、魔法陣の形を使っている……『聖痕』。

 ……僕には見覚えがあるものだった。

「そ、それ……」

 宮村先輩の声が震える。

「そのクソみたいな脳みそでも理解できたか? もうやる意味ないって」

 綾織先輩が宮村先輩を睨み付ける。

「…………」

 深く息を吸い込んで、そして。

「うん、もうやめる」

 拍子抜けするほどあっさりと、宮村先輩は両手を頭の上に上げた。

 宮村先輩は一瞬にして戦意喪失してしまったようだ。

「すごいなあ。本物見るの初めてだ。ね。もっと良く見せてよ、『聖痕』ってヤツ」

「イヤだね」

 綾織先輩は三つ編みを持っていた手を離すと、とっととそれを隠してしまう。

 その様子を見て、宮村先輩は再び眉毛を下げて笑った。

「ボクさ、実はイリーナ・マグナスのことだって半信半疑だったんだ。だから『エデンの園』ガーデンオブエデンなんて都市伝説だと思っていたよ」

「ああ。都市伝説だ。とっとと忘れて寝な」

「またまたー。『聖痕』見せておいてそれは無いんじゃない? ねえ、『エデンの園』ガーデンオブエデンって強さによって序列が付いてるんでしょ? 綾織先輩は第何位になるの?」

 冷たくあしらう綾織先輩に、宮村先輩の好奇心がまとわりつく。

「誰が教えるか」

 綾織先輩はフンとそっぽを向くと、ゴミを払うように手を叩いた。

「うん、分かったよ。今回はボクの負け。改造した『魔法道具』マジックアイテムの売り先は全部リストにまとめてあるから、責任を持って回収しまーす。それでいい?」

「その製作者にはどう伝える気だ?」

「別に。製作者ともかく、それを管理してる人には好きにしていいって言われてるから、ただ単に手を引くだけだよ」

 宮村先輩そう言って肩を竦める。

「あーあ。ちょっとしたお小遣い稼ぎのつもりだけだったのになぁ。ボクが売ってたのは、威力もそんなにない、玩具みたいなもの。検査で弾かれたおこぼれをもらったから、それでもいいって人達に譲っただけなのに」

「……で? 検査を通過したヤツはどこに流れてる?」

「えー。あー……そこまで首突っ込んじゃう?」

「テメエ、この期に及んで胡麻化すんじゃねえよ。事と次第によっては、大変なことになるだろうが」

「うーん。詳しくはボクも知らないよ? まあ、そういうこわーい武器が流れ着く場所って、大体決まってるよねって話で」

「…………」

 綾織先輩は歯を食いしばり、そして小さく舌打ちをする。

「……くっそ面倒なことになりそうだな」

「そこはボク、関係ないよ? オトナの世界にはね、首を突っ込まないようにしてるの。そこの線引き大事」

「テメエだって十分関わってるだろ。家業のおかけで反社共と繋がりがあるんだ。だから、仲介料とかふざけたことやってもお咎めなしなんだろうが」

「そんなこと言われてもなぁ。ボクにとってはそれが普通っていうか……。あーでも、『死者の楽園』エリュシオンはクビかなあ……残念。ボス達、相当ご立腹らしいから」

 宮村先輩はこれから待ち受ける未来を想像して辟易としているようだ。

「綾織先輩さぁ。なんでそんなにすごい力があるのに、大人しくしてるの? もっとさ、自分の力を誇示したいって思わない? ボクの周りにはそんな人達ばっかりなんだけど……ボクだってそう思うよ。力さえあれば……って」

「くっだらね。そんなことして何になるんだよ?」

「なんでもなれるじゃない。それこそ……独裁者にでも、英雄にでも」

「それをして、大成功したヤツが歴史上一人でもいたか?」

「それは……考え方次第かなあ」

「オレは、猿山にんげんの大将になる気はねーんだよ」

「…………なるほどね。色々と参考になったよ」

「土下座する気になったか?」

「土下座はしないけど、この件に関わるのはやめるよ」

 そう言って宮村先輩はニッコリと笑い、再びポケットから電子煙草を取り出し、口に咥えた。

「いいもの見せてもらったよ。まさか綾織先輩が『エデンの園』ガーデンオブエデンとはねえ。ボクとしてはぜひお友達になりたいんだけど」

「寝言は寝て言え」

 綾織先輩は冷たくそう言い放つと、神田さんに視線を送った。

 神田さんは僕の肩をポンと叩く。

「帰るってよ」

「え……は、はい……!」

 神田さんの後に付いていく僕の姿を目線で追いながら……。

 宮村先輩は携帯電話を取り出した。

 そして何度か画面を操作した後、気だるそうに耳に当てた。

「あ、もしもしー? 南雲なぐもさんですか? 実は、例のアレを売っていたのがボクだってバレちゃいまして。あー……はい。それは問題ないです。でももうボクはこの件には関われなくて……はい。ええと……一応、朝霞あさかくんにも伝えといてもらえますか。お役に立てなくてすみません。ああ、でも聞いてください――――面白いことが色々分かりました」


 

 *四月二七日 土曜日 帰り道



 倉庫から外に出ると、眩しい夕日に思わず目を細めた。

 辺りは似たようなコンクリートの建物が並んでいて、どうやら工場地帯の一角らしい。

 土曜日のためか、並んでいるトラックが動き出す気配はない。

 あのまま誰も助けが来なかったと思うと、ゾッとする。

「あの……」

 小さく声を出せば、二つの大きな影が立ち止まった。

「助けに来てくださって……ありがとうございました」

 深々と頭を下げると、頭の上に大きな手が乗せられ、わしゃわしゃと撫でられた。

 それが神田さんのものだとすぐに分かる。

「多少ケガしちまったみたいだが……とにかく無事で良かったな」

 その優しい言葉に、目頭が熱くなる。

 僕なんかのために……わざわざ助けに来てくれるなんて……。

 そこで、はたと気付く。

「あ……でも、どうして神田さんが……」

「オレもそう思うぜ」

 神田さんは、眉間に皺を寄せる綾織先輩の方をチラチラと見ながら、やはり笑いを堪えている。

「この綾織が、エベレスト並みに高いプライド捨てて、オレに助けを求めてきたんだぜ? オレが今、魔法を使えない状態だってことすら忘れて」

「っ」

 ついに綾織先輩は無言で神田さんの胸ぐらを掴んだ。

 しかし神田さんも綾織先輩の扱いに慣れてきたのか、気にすることなく言葉を続ける。

「そんな怒んなよ。魔法使えなくても、役に立ったろ?」

 神田さんの笑顔に、綾織先輩はフイと視線を背け……そして掴んだ手を離す。

 そして。

「…………助かった」

「声ちっさ」

 綾織先輩は神田さんによって完全にペースを乱されているようだった。

「ほら、宮守にも何か言うことあるんだろ?」

「…………」

 今度は僕と綾織先輩が向かい合う番だった。

 間に色々あったとはいえ、昨日の気まずさはまだ継続している。

 夕方のひんやりとした風が、先輩の長い前髪を揺らした。

「あの……っ」

 沈黙に耐えられなくなったのは僕の方だった。

「助けに来てくださって……ありがとうございました。その上、先輩が前……忠告してくださったのに、宮村先輩に気を許してしまって……」

「……いや。オレが犯人の名前隠してたのも悪かった……から、な……」

「え……」

「っ! んだよ……っ!」

 いつもの綾織先輩らしからぬ挙動に、僕も戸惑ってしまう。

 しかし先輩は小さく咳払いをすると、再び辿々しく言葉を紡いでいく。

「じ……爺さんに、言われてたから……っていうのは、きっかけで……。まあ、テメエといるのも……そんなに居心地悪くなかった……っつーか……。嫌だったら……きっと、一緒になんかいなかった……から……」

「先輩……」

「それと……昨日……八つ当たりしちまったのは……。正直……腹、減ってて……イラついてたっつーか……」

「あ」

 そこで僕は、いつも先輩が人の三倍ご飯を食べる人だということを思い出す。

 しかも昨日は……夕飯を食べずに学生寮に戻ってきたんだっけ。

「ふ……あはは……!」

「な……っ! テメエ……笑うな!」

「す、すみません……っ! だって面白くって……」

「クッソ……」

 まだお腹を抱えて笑う僕に、先輩はバツが悪そうにそっぽを向く。

「もう大丈夫そうだな」

 神田さんは僕達を見て、満足そうに笑った。

「さて、オレはこれで帰る。オマエ達は二人で仲良く帰れよ」

 そう言って片手を上げる。

「あの……何かお礼をさせてください」

「いらねーよ。面白いもん、見せてもらったからな」

 神田さんは綾織先輩を見る。

「あの綾織サマが、こんなにタジタジになるなんて……やっぱ宮守は凄いな」

 そう言って、眩しそうに目を細めた。

「あ……」

 その時、僕達の目の前に真っ黒なカラスが一羽、降り立った。

 綾織先輩がシッシッと軽く手を振り払うと、カラスは空高く飛び上がって行く。

「副会長さんも、協力してくれたんですね……」

「テメエがいなくなった時の手かかりが、何一つ無かったからな。東郷弟ボンクラ呼び出して、学生寮の入り口の防犯カメラを確認したが、テメエが出て行った様子は無かった。となると、学生寮のどこかの部屋にいるか……その部屋から直接外に連れ出されたか、だ」

「え……それをどうやって調べたんですか?」

「オレは犯人を知っていたからな。目星はすぐに付いた。寮にある宮村の部屋を蹴破ったんだよ」

「そ、それはなかなかワイルドですね……」

「部屋の中には誰もいなかったが、部屋の中にテメエの……コレが落ちてた」

「!」

 先輩はポケットから『猫童話シリーズ』のキーホルダーの一つである『ニャンデレラ』を取り出した。

「一つだけチェーンが緩んで外れてたみたいだな。ベッドの下にカバンが隠してあったが……コイツのおかげで、テメエがそこにいたことがすぐに分かった」

 僕はそれを受け取ると、両手で包み込み、胸元へと持ってくる。

 まさか、僕を探すヒントになってくれるなんて……。

「で。今度はテメエが連れて行かれた場所だ。次は寮の周りを取り囲んでいる防犯カメラ調べた。すぐに、怪しいワゴン車が寮付近に停車していたのが映っていたのを見つけた。その車に連れ込まれるテメエの姿もな」

 まさか自分が学生寮の強固なセキュリティによって、助けられる日が来るなんて夢にも思わなかった。

「あとはその車が移動する先と、アイツの親が経営に携わっている会社を調べた。で、いくつかの場所を選別して、ようやくここに辿り着いたわけだ。……ここが一番大変だったがな」

 綾織先輩はチラリと神田さんを見る。

「自分の足だけで人探しするなんて、限度があるからな。コイツと松本に頼んだ。で、手分けして探してる途中に、カラスがテメエを見つけたと連絡が来た。……今日が土曜日で良かったな」

 そうか……松本副会長は貧血の代償デメリットがあるから、近くに人がいる時じゃないと、魔法を使うことができないんだ。

 確か休日なら誰かと一緒にいるから、大丈夫だと言っていたんだっけ。

 でも代償デメリットの貧血が酷いと言っていたのに……それなのに探してくれるなんて……。

 松本副会長さんにも、あのカラスさんにもお礼を言わなければ……。

「あの……ここは一体どこなんでしょうか」

「街外れにある工場地帯だな。駅から車で三〇分位か」

「そんなにかかる場所なんですか……!」

 綾織先輩も神田さんも……自分の足で色々な場所を必死で探してくれたのだ。

 本当に……申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「先輩達はどうやって来たのですか?」

「タクシー」

 二人の声が重なる。

 少し嫌そうな顔をする綾織先輩を見ながら、神田さんはまた笑い始める。

「二人とも別の場所にいたから、松本ってヤツが指定したこの場所で落ち合う予定だったんだが……綾織がフライングしたんだよ」

「フライング?」

「よっぽど早く助けに行きたかったんだな」

「……おい、それ以上喋んな」

「はいはい」

 そう言うと神田さんは、僕達に携帯電話の画面を見せた。

「帰りのタクシーも呼んどいたぞ。ちょうどこの辺走ってるヤツ捕まえられたから、あと五分位で来るそうだ」

「ああ」

「つーことで。オレはちょっとその辺のコンビニ寄ってから帰るから。二人で先帰っててくれ。もう喧嘩すんなよ」

「テメ……っ! 余計なこと……!」

 そうこうしている間に、遠くからタクシーが走ってくる姿が見えた。

「じゃあな」

「あの……っ! 本当にありがとうございました!」

 神田さんは右手を上げ、僕と綾織先輩に背を向ける。

 僕達はその背中をしばらくの間、何も言わずに見送っていた。

「凄く、優しい人ですね……」

 僕の口から思わず感想が漏れる。

「……どうせオレはあんなにいいヤツじゃねーよ」

 綾織先輩から、まさかの言葉が聞こえた。

「あの……先輩」

「んだよ」

「もしかして……ヤキモチ焼いてます?」

「な……っ! 誰が焼くか!」

 慌てて歩き出す先輩に、僕も追いつこうと走り出す。

「先輩、待ってくださ……! うわ……っ」

 そして案の定……と言うべきか。

 足がもつれ、地面へと吸い寄せられる。

「バカ!」

 しかしすぐに先輩の魔法によって引っ張られ、地面との接触を免れた。

 斜めになったまま固まっている僕の手を取り、魔法を解く。

 そのまま倒れ込むように、綾織先輩の腕の中にすっぽりと収まってしまった。

 先輩は僕の手首に視線を落とす。

 両方の手首に、結束バンドで拘束されていた時の後が、赤く残ってしまっていた。

 先輩はそっとそれに触れ、長い指で傷痕をなぞる。

「……悪い。治癒の『魔法道具』マジックアイテム、貰っとくべきだった」

「い……いえ、こんなのすぐに治りますから……!」

 僕は自分の足で立ち上がり、強く首を振る。

 昨日からまでの綾織先輩とは違い、どこかトゲが取れたような感じのため……なんだか会話がむず痒い。

「えっと……宮村先輩、大丈夫でしょうか。何だか、危ないことに足を突っ込んでいる気がします」

 触れられた手首が熱を持ってしまいそうになったため、慌てて話題を逸らす。

「アイツが蒔いた種だ。自分でなんとかするだろ」

「そう……ですね」

 余計な心配だと怒られてしまいそうだけれど……。

 僕は……宮村先輩が危険な目に遭って欲しくないと思う。

 きっと今、宮村先輩が立っている位置は……とても不安定な場所だと思うから……。

「行くぞ」

 僕が考え込むの止めさせるように、先輩は目の前に停車していたタクシーの後部座席乗り込む。

 僕も慌ててその後を追った。

 もう目的地を告げていたのか、タクシーはゆっくりと発車する。

「……凄く、疲れましたね」

「ああ……」

 二人の間に沈黙が訪れる。

 流れて行く景色を見ていると、先輩が何か言いたげにこちらを見た。

「……四季」

「っ!? は、はい……っ!?」

 初めて……ではないけれど、突然名前を呼ばれて、つい大きな声で返事をしてしまう。

「昨日……は、悪かった……」

 先輩はまっすぐに僕を見ようとしながら、小さな声で謝ってくれた。

 そんな、滅多に見れない先輩の弱々しい姿を見て、僕は――――。

「い……嫌です!」

 と、啖呵を切った。

「……は?」

 予想だにしない僕の返信に、先輩の動きが停止する。

「えっと……あ。そんな簡単に許してなんか、あげないです……っ! あんなこと言われて、僕……今まで生きてきた中で、一番悲しかったんですから……っ」

「ぐ……っ」

 僕の言葉一つ一つが先輩に突き刺さっているくのが見える。

「あの……そのお詫びということで、明日は一日……僕に付き合ってください。美味しいもの、いっぱい食べに行きましょう。イライラしないように」

 先輩は顔を真っ赤にしながら、パクパクと口を開き……。

「…………ああ」

 そして、本当に少しだけ……目を細めて笑った。

 先輩の返事を聞いて安心したのか、僕の身体から力が抜けて行くのを感じた。

「おい、大丈夫か?」

「はい……あの……安心したら気が抜けてしまいまして……」

 睡眠薬のせいでたくさん寝たはずなのに……おかしいな。

 先輩と仲直りしたことで、緊張感から解き放たれたからかもしれない。

 寄りかかった先に、先輩の肩が当たる感覚がした。

 車の心地いい揺れの中、僕はいつの間にか目を閉じていた。

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