Ⅱ-Ⅱ 平倉桃矢



 *四月八日 月曜日 学生寮



 頭の上で鳴り続ける目覚まし時計に起こされる。

 眠い目を擦りながら時間を確認すれば、デジタル時計は午前七時ちょうどを表示していた。

「うん、時間ぴったりです」

 一安心して、ベッドから起き上がる。

 今日は週の始まり月曜日。

「顔を洗って、着替えて……あまり食欲はないので、ひとまず朝食はやめておきましょう」

 ようやく染み付いてきた生活習慣通り、早速行動を始める。

 朝起きるのもそんなに辛くなくなってきた……気がする。

 先週と比べたらいい傾向だ。

「さて、今日も一日頑張りましょうっ」

 自分自身にそう言い聞かせ、思い切り背伸びをした。



 *四月八日 月曜日 並木道



「まだまだ満開ですねぇ……」

 今日も見事に咲いている桜を見上げながら、僕は思わず声を漏らす。

 嬉しいことに、風に揺られる桜の見頃は、まだ続きそうだ。

「そういえば……あの猫さん、最近見ませんね……」

 また降りられなくなっていないか……なんとなく探してみるけれど、その姿を見つけることはできなかった。

 この辺りで飼われている子なのだろうか。

 前回は撫でる寸前でいなくなってしまってので、次回会うことができたら、ぜひ触れさせていただきたい……!

「何、一人でブツブツ言ってんだ?」

「え……? あ! と、桃矢先輩……!?」

 振り返れば、そこに一人で歩く桃矢先輩の姿があった。

「よっ。無事に帰れたようだな」

「ご心配をおかけしまして……え、先輩どうしてここに……」

「俺のうち、あっちだから」

 そう言って先輩は学生寮を背に南側を指差す。

 学校と同じく、駅西口にあるそこには二〇階位の大きなマンションが建っていた。

 確かにあそこから通うなら途中から同じ道になりそうだ。

「凄い……! タワマンってやつですね!」

「まあ……ギリギリ……」

 先輩は何故か複雑そうな顔を浮かべた。

 何か言おうとして、しかしすぐに違う話題へと変える。

「あ、そうだ。次会ったらオマエに連絡先、訊こうと思ってたんだ」

「連絡先……?」

「そ。ケータイ番号、教えてくれよ」

「ケータイ……」

 ……しまった。

 ほとんどの学生が持っていると言われている携帯電話を用意するのをすっかり失念していた。

 まさかこんなにも順調に知り合いが増え、連絡先を聞かれることになるなんて夢にも思っていなかったのだ。

「ご、ごめんなさい……桃矢先輩……」

「ん?」

「えっと僕……ケータイ、持ってなくて……」

「へえ、今どき珍しいな」

「そ、そうですよね……」

 どう言い訳をしようか、頭を回転させる。

 しかし先輩から返ってきたのは、思いもよらない返事だった。

「ま、この学園……考えが古風な家もあるから。オマエんちもそうなんだろうな」

「あ……」

 先輩はそれ以上深く訊いてくることはなかった。

 また気を使ってくれたみたいだ。

「せんぱ……」

「いいよなー。ケータイに縛られない自由な生活。うちはまったく逆。友達より母親からの連絡の方が多いんだぜ? すげー過保護でウザイ」

「とても大切にされているんですね……あ」

 そこで、この前、小鳥遊くん達と話していたことを思い出す。

「もしかして桃矢先輩も、どこぞの貴族のご子息なのでは……!?」

「俺? いや、俺はびっくりするほど庶民。母子家庭だし。オマエと同じ、高校からの編入生だし」

 庶民はあんな凄いマンションに住めないんじゃ……と思ったが、それよりも気になる単語があった。

「先輩も編入生なんですか!?」

「そ。まあ、オマエと違って勉強で入ってきたわけじゃないけどな」

 どういう意味か尋ねようとしたその時、後ろから軽いクラクションの音がした。

 振り返れば、車高の低い真っ赤なスポーツカーがゆっくりと近付いてくるのが見えた。

 跳ね馬のエンブレム……たぶん有名なイタリア製の車だろう。

 車についてはあまり詳しくないけれど、よく道路を走っている大衆車ではなさそうだ。

「とーやくーん!」

 車の窓が開き、そこから女の人が顔を出す。

 その人は道路の端に車を停車させると、こちらへと歩いて来た。

「げ……」

 先輩はあからさまに嫌そうな顔をして立ち止まる。

「良かったぁ……追いついて」

 まるで芸能人のような大きなサングラスを外すと、そこから桃矢先輩と瓜二つの顔が現れた。

 昨日似ていると思った田端さんにプラスして、目元までそっくりだ。

 身体のラインが分かる、タイトなグレーのニットに、白いエーラインのフェミニンな花柄を基調としたスカートがとてもよく似合っている。

「桃矢先輩の、お姉さんですか?」

「……母親」

「へ!?」

 まさかの返答に、思わず声が大きくなる。

 だってどう見ても二〇代にしか……。

「あら? とーや君のお友達?」

「あ、あの……後輩の宮守四季です……! 桃矢先輩には、いつもお世話になっております……!」

「あら、後輩さんなのね。はじめまして、とーやくんのお母さんの、平倉由衣子ゆいこです」

 そう言って、先輩のお母さんはふんわりとした微笑みで笑う。

 すっごく綺麗な人だ……。

「何の用だよ……」

 先輩はあくまで素っ気なく対応する。

「もうっ、とーや君ったら」

 まるで小さな子のように顔を膨らませる。

 そして、少し大きめのバッグから包まれたものを取り出し、桃矢先輩に手渡した。

「お弁当忘れていったでしょ」

「あ……」

「お母さん……朝頑張って、一生懸命作ったのに、悲しいわ……忘れていくなんて……」

 先輩そっくりの大きな猫目に涙が溜まる。

 しかしすぐに笑顔になり、両手の親指と人差し指でハートマークを作った。

「お弁当忘れていった罰として、ご飯の上に桜でんぶでハート形を作っておきました」

「!?」

「と、いうことで。お母さんは、これでお家に帰りまーす」

 いつの間にか先輩のお母さんは車に乗り込んでいた。

「ま、待ちやがれっ!」

「いってらっしゃーい。お勉強頑張ってねー!」

 大きなエンジン音を残し、車は発車してしまった。

「くっそー……逃げられた……」

 先輩はくやしそうに地団駄を踏むが……。

 微笑ましい光景だった。

「優しそうな、お母さんですね」

「……過保護っつーか、過干渉っつーか」

「とても大切にされているじゃないですか。お弁当も作ってくれるなんて」

「……どうだかな」

「あ」

 学校から予鈴の音が聞こえる。

 いつの間にか、辺りに学生の姿はいなくなっていた。

「しまった、走るぞ、宮守!」

「は、はい!」

 僕達は桜の花びらが舞う並木道を、正門へ向かって駆け抜けた。



 *四月八日 月曜日 教室


 

「おはよー四季くん。また走ってきたのー?」

 自分の席に着くと、すぐに小鳥遊くんが話しかけてくれる。

「は、はい……寝坊はしなかったのですが……ちょっと色々ありまして……」

「朝から色々なんて、ラノベの主人公みたい」

 興味を持ってくれた浅倉くんがそう言って少し微笑む。

「ラノベって何?」

「陽キャは黙ってて」

「ヒドッ!」

 小鳥遊くんの質問を、浅倉くんは一言で撃退してしまった。

「あー……響くんと漫才してたらお腹空いたー」

 糸の切れた操り人形のように、そのまま机の上に倒れ込む。

「意味分かんない」

「今朝、何も食べてないのー」

「それ、俺のせいじゃないじゃん」

「体調が悪いのですか?」

「ううん。今日の午後は健康診断でしょ?」

「え、そうでしたっけ」

 慌ててタブレットを見れば、確かにスケジュールに、健康診断の予定が入っていた。

 しまった、言われるまですっかり忘れていた。

「最近、甘い物食べ過ぎちゃっててさー。だから最後の悪足掻きしてるわけー」

「女子か」

「だってだってー。最近、恋人にも触り心地が良くなったって言われるしー」

「はい。自虐の皮を被ったマウントでした、解散」

 浅倉くんはそう言うとすぐにスマホを取り出してその画面に視線を落とした。

 そんな他愛のない会話をしていると、担任の先生が教室に入って来る。

 僕は慌てて荷物の整理を終わらせ、自分の席に座った。

 


 *四月八日 月曜日 昼



 お昼休みのチャイムが鳴ってすぐ、パンを買うために学食へ向かう。

 小鳥遊くんは恋人と一緒にお昼、浅倉くんはお腹が空いてないから教室に残ると言っていたため、今日は僕一人で学食へとやって来た。

 学食にはたくさんの人がいるのだが、部屋全体が広いため、あまり混んでいるようには見えない。

 壁一面がガラス張りになっている上、天井が高いため部屋全体がとても明るかった。

 パンの売り場へ向かう途中、窓の外側にある座席が目に入る。

 昼間はテラス席も開放されているようだ。

 暖かな陽射しの下でピクニックのように食事をするのもとても楽しそうだ。

「あれ、宮守じゃん」

「桃矢先輩!」

 まるで本物のパン屋さんのように陳列されたパンを選んでいると、後ろから桃矢先輩が話しかけてくれた。

 今朝お母さんに渡されたお弁当を持っている。

「お疲れ様です。テストどうでした?」

「オマエ、昨日勉強しないで一緒に遊んでた俺にそれを訊くのか?」

「あ……」

 確かに失言だった。

「いつも学食なのか?」

「はい。朝昼晩とお世話になっています。あ、朝は来たことないですけど……今日のお昼はパンです」

「クラスのヤツと?」

「いえ。仲良くしていただいてる友人はいるのですが、お昼はバラバラなんです」

「なら、一緒に食べるか? 俺らも似たようなもんだからさ。あっちでみんな座ってるぜ」

 先輩が指差した先……学食の一角に見知った面々が座っていた。

 部活の先輩達が勢揃いだ。

「ご、ご一緒していいんですか……!?」

「もちろん。じゃあ、パン買ったら来いよ。待ってる」

 桃矢先輩はそう言って笑うと、部活メンバーの待つ先へと歩いて行く。

 僕はサンドイッチと野菜ジュースをトレーに入れると、急いでカードで会計を終わらせた。

 


 *



「四季くん、いらっしゃい」

 学食の隅にある大きめの円卓に、先輩達は座っていた。

 すぐ隣にある大きな窓。

 中庭の噴水を見るには特等席だった。

 他にもカウンター席やリフェクトリーテーブルのような席が、バランスよく配置されている。

 学校の施設全てに有名デザイナーが関わっているだけあり、どこを切り取ってもカタログに載せられるくらいオシャレな空間だった。

「さて、面子も揃ったことだし。いただきまーす」

 恭次先輩は両手を合わせると、カルボナーラを器用にフォークで巻いて食べ始める。

 食べ方がとても綺麗だと感じた。

「とーやのお弁当かーわいー」

「うわ、ハートじゃん!」

「……これ以上見たら金取るからな」

 二人に揶揄われる桃矢先輩は、目で牽制する。

 先輩のお弁当を少し覗けば、色とりどりの野菜がバランス良く詰められていてとても美味しそうだ。

 お母さんが一生懸命作ってくれたことがすぐに分かる。

「いただきます」

 僕も野菜と生ハムが入ったサンドイッチの包装を開き、一口食べる。

 酸味の少ない手作りのマヨネーズがレタスにとても合う。

 そこに挟まれた生ハムがパンにちょうどいい塩気を足していて、全然飽きの来ない味だ。

「オマエそれだけ?」

 桃矢先輩が心配そうに僕を見る。

「あ、はい……昔から食が細くて……」

「燃費がいいんだねえ……それに比べて、これ見てみ」

 上品にハンカチで口を拭いながら、恭次先輩は綾織先輩の前に並んだ昼食を指差す。

 そこには大盛りのラーメンと、菓子パンそしてコーラが、所狭しとトレーの上に並べられていた。

「わ。すごい……」

「…………」

 僕の感想が気に障ったのか、怪訝な目でこちらを見る。

「コラコラ、あーや。後輩を睨まない」

 恭次先輩が手を伸ばして、綾織先輩からの目線を遮ってくれた。

「……あの、羨ましいです。いっぱい食べるのはいいことだと思います!」

「そーかよ」

 食べる手を休めず、綾織先輩は素っ気なく答える。

「あ……でも、綾織先輩が皆さんと一緒に食事をするの、意外な感じですね……」

 ぽつりと漏れた感想に、恭次先輩はうんうんと頷く。

「鋭いねえ、四季くん! でもその考えは逆なんだなー。あーやが僕達の食事場所に来てるんじゃなくて、僕達があーやの近くで食べてるだけなのだよ。見ての通り、あーやの周りって誰も寄ってこないから場所取りに便利なんだよね」

「チッ……」

 綾織先輩は自分が利用されていることに小さく舌打ちするが、再び食事に戻る。

 豪快に沢山食べる姿が、僕と真逆で格好いいと思う。

 その時、テーブルが小刻みに揺れた。

「誰か、ケータイ鳴っているよ?」

「あ……オレだ」

 孔洋先輩は、伏せられた携帯電話を手に取り耳に当てる。

 透明なケースから、何かのロゴのステッカーがたくさん貼られているのが見えた。

「もしもーし。今、学校なんだがー?」

 遠野先輩が電話に出る中、恭次先輩と桃矢先輩が小さく会話を始める。

「誰からだ?」

「さあ、オヤジさんじゃない?」

「ああ、あの住職の……」

「家がお寺だってのに、ロックに目覚めちゃうなんて不運だよねえ」

 うんうんと恭次先輩が頷いていると、突然遠野先輩が立ち上がった。

「はぁ!? プリン買ってこいだぁ!? んなくだらないことで電話してくんじゃねーよ! え? 何? 『パティスリーウエノ』……? 行くわけねーだろ! つーか、てめえ……自分の立場考えろっ!」

 と、すごい剣幕叫ぶと先輩は電話を切った。

「こらこらこーよう。ダメだよ。パパに向かって、そんな口の利き方しちゃ」

 恭次先輩は遠野先輩を落ち着かせ、座るように促す。

「は? オヤジ?」

「パパからの電話じゃないの?」

「ちげーよ! つーか、プリン買ってくるように頼んでくるオヤジってなんだよ! オレ、オヤジとそんな仲良くねーっての!」

「そんじゃ、誰からよ?」

「え……? えっと……同居人……?」

「そういえばこーようって一人暮らしだったっけ。実家、近いのに」

「ああ……まあ。家にいるとオヤジが煩いから、母さんに頼んで、一人暮らしさせてもらってるっていうか……」

「一人暮らし……同居人……。導き出される結論は……はい、四季くん!」

 顎に手を当てて考え込んでいた恭次先輩から、突然話を振られる。

「え!? えっと……あ、もしかして……恋人ですか?」

 思い付いたことを口にして、遠野先輩へ顔を向ける。

「へっ!? 恋び……!? え、ええと……あー……ま、まあな……っ!」

 遠野先輩はあちこち目線を飛ばしながら、最後は上擦った声で肯定する。

「ほら、オレってバンドやってるし、カッコいいじゃん? だからモテて困ってんだよ! つーわけで、恋人の一人や二人いても……まあ、おかしくないっていうか……?」

「バンドマンって、ダメ人間多いのに何故かモテるもんねぇ。こーようがそれに当てはまるかは置いといて」

「偏見が凄いな……」

「でもさー恋人に対してあの言い方ひどくない? プリンくらい買ってあげればいいのに」

 恭次先輩は食後のコーヒーを口にしながら、遠野先輩を見る。

「い、いいんだよ。アイツ、いっつも甘いものばっか食ってるんだからさ……」

「女の子ってそういうものでしょ」

「女の……あーいや……そりゃそうなんだけどさ……」

 遠野先輩の声がどんどん小さくなっていく。

 その時、綾織先輩が立ち上がり、空になった器を乗せたトレーを持ち上げた。

「っせーな……静かに食事できねーのかよ」

「え、もう食べ終わったの?」

 綾織先輩は二人前プラス菓子パンををすっかり平らげたようで、一人で片付けに行ってしまう。

「……お邪魔だったでしょうか?」

「いーのいーの。本当に嫌なら、自分から別のとこ行くよ。あーやってそういう人だから」

「確かにそうだな」

 恭次先輩の言葉に桃矢先輩は笑う。

 いつの間にか、午後の健康診断が始まる時間が迫っていることに気が付いた。

 僕は食べる速度を上げ、早めにクラスに戻ることにした。



 *四月八日 月曜日 放課後


 

「それじゃあ、行くよ」

 西日が差し込む教室。

 各自が部活や家に向かう為、荷物をまとめる中、僕達三人組は机を取り囲むように向かい合っていた。

 小鳥遊くんのかけ声と共に、僕と浅倉くんは両手に持った紙を裏返しのまま机の上に置く。

「せーのっ」

 そして三人一気にそれを表側に返した。

「えー……四季くん一六二センチ、響くん一六五センチ……あ、ボクと一緒だねえ」

「体重は七キロも違うけどね」

「ど……どうせボクは丸いですよっ! じゃなくて、響くんが細すぎるの! 細身に見える四季くんだって五二キロあるのに、四八キロって、完全に女子じゃん!」

「だ、誰が女子……っ」

 浅倉くんが顔を赤くしたところで、小鳥遊くんの携帯電話に着信が入る。

「あ……電話だ。もしもしサラ? 今? 教室にいるよー」

 小鳥遊くんはほとんどノータイムでそれに出ると、片手で器用に荷物をまとめはじめた。

「オッケー! それじゃあ、これから玄関行くねー……ということで、玄関で恋人が待ってるので帰りまーす。二人共、また明日ね」

 小鳥遊くんはそう言ってカバンを肩にかける。

「あ……僕も、部活へ行かなければ……」

 教室の壁に付いている時計を見上げれば、思ったよりも時間が進んでいることに気が付く。

「え? 四季くん、部活入ったの?」

「そうなんです。あの、恭次……東郷先輩に誘われた例の部活です」

「マジ? よく入る気になったねえ。東郷先輩以外、誰がメンバーなのかハッキリ知らな――――あ」

 そこで小鳥遊くんの動きが止まる。

「――――もしかして、一緒に学食にいたメンバーが……」

「あ、小鳥遊くんも学食へいらしていたのですね。そうです、一緒に食事をとっていたのが、部活の先輩達になります」

「マジ……まさかとは思ったけど……」

「なんかヤバい人でもいたの?」

 カバンに荷物を詰めながら、浅倉くんも話に入ってくる。

「……平倉桃矢、遠野孔洋……そんで、綾織黎明」

「!」

「まあ、ある意味有名人だねぇ。一時、話題になった人達ばっかりというか……。あの癖が強いメンバー、よく集めたなぁ。あーあ、駒込のヤツ……先越されてるじゃん……」

「駒込……?」

 というと、昨日田端さんと一緒にいたイケメンさんのことだろうか。

「あーっ! ヤバい! サラのこと待たせてるんだった! それじゃあボクは行くね! 二人共バイバーイ!」

「あ、はい。さようなら!」

 小鳥遊くんは一息でそう言うと、教室から駆け出して行った。

「うるさ……。じゃあ、俺も帰るから」

「はい! また明日」

「ん」

 浅倉くんは軽く手を振ると、小鳥遊くんに続き教室を出ていった。

「さて」

 僕も部室へ行かないと。

 今日から桃矢先輩と調査に行くんだった。

 


 *四月八日 月曜日 部室



「はーい! それじゃあ行くよ?」

 僕が部室へ入ると、桃矢先輩と恭次先輩が二人してA四用紙を高く上げている姿があった。

 様々な場所に配置されているオカルトグッズの人形が、窓から入った風のせいで少しだけ不気味に揺れている。

「せーのっ!」

 そして、荷物置きとして用意されている机の上に、それを表側にしてバシッと置いた。

 あれ、なんだかデジャヴを感じる。

「うっそだろ!? ついに越された!?」

 桃矢先輩が恭次先輩の紙を何度も見返している。

 僕はそっと後ろからそれを覗き込む。

 平倉桃矢……一七七センチ、六二キロ。

 東郷恭次……一七八センチ、六八キロ。

 一センチだけ恭次先輩の方が大きい。

「まあ、オマエんち……父親も兄貴もデカいもんな……」

「甘いな。僕はそいつらをも見下ろすくらい背が伸びる予定だから。……あ、四季くん、お疲れ様」

「お、お疲れ様です!」

「お疲れ。あ、そこに荷物置いていいぞ。堅苦しい挨拶とか規律とか全然ないから。テキトーに座っててくれ」

「そうそう。ワイワイルンルン遊ぼうね」

「はい……!」

 僕は荷物を指定された机の上に置くと、先輩達の近くへ寄る。

「ちなみに四季くんは身体測定どうだった?」

「僕は、一六二センチです……」

 素直にそう答えると……。

「四季くん可愛いーっ!」

 と、恭次先輩に抱き着かれてしまった。

「あ、でも四季くん、身長の割に足のサイズ結構大きいね?」

 僕に抱き着いたまま、視線を靴に落とす。

「そ、そうでしょうか?」

「僕と同じくらいある……きっとすぐに大きくなるよ」

 そう言って子供をあやすように頭を撫でてくれた。

「ちーっす」

 遅れて遠野先輩もやって来た。

 まるで軽音部のように、肩に弦楽器のケースを担いでいる。

「やあやあ、こーよう。お疲れ様」

 恭次先輩は親しげに肩を掴む。

 そして、自分の目線と孔洋先輩の頭部を何度か見て。

「うーん。見たところ、一六九センチってトコかな」

「一七〇だ!」

 恭次先輩の言わんとしてることをすぐに理解した遠野先輩は、机の上に健康診断の結果用紙をパシっと叩きつけた。

 遠野孔洋……一七〇センチ、六〇キロ。

「このデカブツ共め……」

 恨めしそうに歯を噛み締める。

「そーいえば一番のデカブツが来てないねえ。まあ、あーやのことだから、気が向かないと来ないもん……」

 恭次先輩が言いかけたところで、部室の扉が再度開く。

 入って来たのは、噂の綾織先輩だった。

「えー! ここのところ連続で来てる! 珍しい!」

「あ?」

 綾織先輩は注目されていることに対し、不機嫌そうに片眉を上げる。

「ねー、あーや。健康診断の結果の紙見せてー」

「は? 誰が見せるかよ」

「いいじゃん、減るもんじゃないし」

「そういう問題じゃねーんだよ」

 綾織先輩が荷物置きになっている机の上に、カバンを投げるように置く。

 その瞬間、カバンから半分飛び出ていた紙がひらりと宙に舞い、床へ落ちた。

 すかさずそれを恭次先輩が拾い上げる。

「はい、あーやの個人情報ゲット」

「おい!」

 恭次先輩はその声に臆することなく机の上に広げた。

 綾織黎明……一八四センチ、七四キロ。

「でかっ」

「ふん」

「なんだよ、別に見られても平気なんじゃん。ドヤ顔してるし」

 恭次先輩はもうその紙に興味が無くなったのか、投げるように綾織先輩へ返した。

 綾織先輩はそれをカバンにしまうと、窓際にある端の席へ移動し、何かの文庫本を読み始める。

 これで部活のメンバーが全員揃った。

「これじゃ、何部か分かんねーな」

 各々好きなことをしているのを見て、桃矢先輩が苦笑する。

「初めからそう言う約束で入ったわけだし」

 遠野先輩がケースからベースを出すと、弦の調整を始めた。

「それじゃあ、僕も放課後のティーでも飲もうかな……ん? とーや、ケータイ揺れてるよ」

 恭次先輩は置きっぱなしになっていた携帯電話を桃矢先輩に渡した。

「サンキュ……ん?」

「どしたの?」

「いや、メッセージが来てた」

「カノジョ?」

「違う。いない」

 恭次先輩の疑問を即座に否定する。

 今度は遠野先輩が口を挟んだ。

「はは。カレシだろ」

「遠野、痛いのとスッゲー痛いのどっちがいい?」

「ごめんなさい」

 ニッコリ笑う桃矢先輩を見て、遠野先輩は青ざめた顔をして謝った。

「桃香からか……」

「!」

 平倉先輩の呟きに、遠野先輩が勢い良く立ち上がった。

「も、桃香って……あの例のイトコのか!?」

「そーだよ。おまえの大好きな、モデルの田端桃香」

 平倉先輩がニヤリと口角をつり上げ、遠野先輩に画面を見せつけた。

「よ、用件は……!?」

「なんでオマエに教えないといけないんだよ」

「だ、だってさ……っ。き、気になるじゃんか……!」

「こーようって、結構ミーハーだよねえ」

「バカ野郎! 男は誰だって美人が好きだ!」

「ま、否定はしない」

 恭次先輩はネックレスの先端についた水晶を磨きながら、話半分に返事をする。

「それに関しては残念だったな。桃香、好きなヤツいるぜ」

「!? なん……だと……」

 遠野先輩の目から光が失われていく。

「恭次! さっそく黒魔術の準備だ!」

「オーライ」

「オーライじゃねえよ……」

 ため息混じりに、平倉先輩はケータイに目を落とす。

「昨日たまたまマスドで会ったんだよ。で、時間があったらまたお茶しようって誘いだ」

「マジで!? なんで呼んでくれなかったんだよー!」

「オマエどうせバイトだっただろ」

「まあ……そうだけど……でも! オレもあの田端桃香を間近で見たかったー! 美人が見たかったー!」

「へえ。美人が見たいってか」

 桃矢先輩は何か思いついたのか、口角を上げる。

「な、なんだよ、急に近づいたりして……」

「俺だって、桃香と並べるくらい美人だろ? 桃香より先に俺の方がスカウトされたんだぜ? 特別に近くで見せてやるよ」

「そういうことじゃねえんだよっ!」

 遠野先輩は天井に向かって思いを放つ。

「……っせーな。誰だよそれ」

 周りの騒ぎが気になったのか、綾織先輩が目線だけこちらに向けた。

「……あーやは興味無さそうだもんねぇ。最近、有名になってきたモデルでしょ? 芸能人とかあんまり興味ない僕でも、なんとなく噂は知ってるよ」

「そうなんだよ! すげえ、フワフワしてて可愛くてさ……!」

「フッ」

「鼻で笑うな!」

 遠野先輩にツッコミを入れられても気にせず、再び本に視線を戻す綾織先輩。

 恭次先輩の言う通り、やはり興味はないようだ。

 暖かな風が、綾織先輩の肩下まである三つ編みの先端を優しく揺らしていた。

「あ、とーや」

 恭次先輩が思い出したかのように、桃矢先輩へ話しかける。

「ん?」

「話は変わるけど、先週言ってた『何でも願いが叶う絵』の調査場所、ケータイに送っとくね」

「ああ。もう目星が付いたのか」

「僕、仕事早いから。それでね、金曜……うーん、できれば木曜日までに調査して欲しいかな。そうなると一日一箇所になりそうなんだけど、できる?」

 桃矢先輩は携帯電話を確認し、地図のアプリで学校からの距離を比較しているようだ。

「四箇所か……分かった。全部この辺だから、まあ大丈夫だろ。宮守も連れてっていいんだろ?」

「もちろん。先輩の格好いいトコロ見せたげて」

「とりあえずやったみる。……ということで宮守、今日から調査開始だ」

「はい! よろしくお願いします、桃矢先輩!」 

「いい返事。期待してるよ新人君」

「はい、恭次先輩!」

 僕が返事をすると、遠野先輩がジーっとこちらを凝視していることに気付いた。

 何か気に触ることを言ってしまっただろうか。

「どしたの、変な顔して」

 恭次先輩が先に尋ねてくれる。

「名前」

「え?」

「恭次先輩に、桃矢先輩……いつの間にフレンドリーになってんだ、オマエら」

「あ……」

 そっか……。

 昨日、遠野先輩と会わなかったから、そんな話にならなかったんだ。

「なあに、こーようちゃんー? 嫉妬ー?」

「ん……んなわけねーだろっ!」

「分かりやすいねえ……」

「それじゃあ、特別に教えてあげよう」

「え? やっぱり何かあったのか?」

「うん。実はね……」

「お、おう……」

 恭次先輩は、遠野先輩の耳元にグッと近付き……そして。

「……ヒ・ミ・ツ」

「恭次っ!」

 遠野先輩は恭次先輩を捕まえようとして失敗していた。

 しかしすぐにこちらを振り返り、僕の名前を叫ぶ。

「四季!」

「はい……っ!」

「オレも孔洋でいいからなっ! 恭次コイツに負けてると思うとなんかムカつく!」

「あ……分かりました、孔洋先輩……?」

「何その子供みたいな理由」

 恭次先輩は呆れたように首を傾げるが、孔洋先輩は勝ち誇った顔で笑った。

「おーい、宮守。早速、今日の調査場所行ってみようぜ」

 そう言うと桃矢先輩は僕のカバンを取ってくれる。

「は、はい! ありがとうございます」

 僕はそれを受け取ると、先輩の後ろへ移動する。

「オレもそろそろバイト行くかなー。結局練習できなかったし」

 孔洋先輩はベースをケースへしまうと荷物をまとめ始めた。

「ちょ……あーやはどこ行くの?」

 無言でカバンを持ち、その場を立ち去ろうとする綾織先輩に、恭次先輩が声をかける。

「帰る」

 一言そう告げると、教室を出て行ってしまった。

「全くもう、自分勝手なんだから」

「オマエがそれを言うか……?」

 孔洋先輩のツッコミが入ったところで、本日の学校での活動はお開きになった。



 *四月八日 月曜日 美術館



「着いたぞ」

 先輩に連れられてやって来たのは、その存在を知らなければ、見逃してしまいそうな小さな美術館だった。

 オフィスビルが立ち並ぶ一角に、ポツンと建っている。

 白いコンクリートでできた四角い建物で、奥には小さな子供が遊べそうな庭園もある。

 僕達の通う学校と同じ西口にあり、歩いて二〇分くらいの場所にひっそりと建っていた。

 小さな門の横に黒板のような立て看板が置いてあり、『ノース・アートミュージアム』と英語で書かれていた。

 近くにはスポーツで有名な楸原ひさぎはら高校があると、桃矢先輩は教えてくれた。

「平日だし、特にイベントもやってないから空いてるな。……やべ、閉館まであと三〇分しかねーじゃん。早めに行くぞ」

 営業時間の書かれた看板を見て、先輩が急いで中へ入る。

 自動ドアが静かに開き、受付のお姉さんが立ち上がり丁寧に挨拶をしてくれた。

 先輩の言う通り、今日は真ん中にあるイベントコーナーは準備中になっていたため、入館料はかからなかった。

 イベントコーナーを囲うように、美術館を建てたオーナーが趣味で集めた展示品を一周見て回れるようになっている。

 奥には小さなカフェもあるようだが、残念ながらもう営業時間が過ぎてしまっていた。

「この中に、『当たり』があるかもしれない……ってことなんだが」

 僕は先輩に続いて、グレーの絨毯がひかれた美術館の中を歩いていく。

 中には僕達二人以外、誰の姿もないようだ。

 左右がコンクリートの壁面になっていて、その両側に古今東西様々な絵が展示されている。

 紫外線対策のためか、全ての外光が遮られていた。

 風景、人物画、抽象画……その全てがあまり有名ではない画家の作品のようで、教科書に載っているような物は見つからない。

 しかし色の塗り重ねや構図がとても美しいものばかりで、オーナーが作家の名前ではなく、自分が気に入ってものを展示しているのだということが何となく伝わって来た。

「…………」

 先輩はかけられた絵を一点一点じっと見つめて、そしてその作業が終わると再び歩き出す。

 全ての絵を見終わる頃には、閉館ギリギリの時間になっていた。

「ありがとうございました」

 受付のお姉さんが再び丁寧に頭を下げる。

 庭園はまだ開いているということで、僕達はそこにあるベンチで少し休むことにした。

 外はすっかり夕暮れになっていて、少しだけ冷たい風が吹いていた。

「どうでした?」

「…………」

 先輩からの返事はない。

「先輩……?」

 よく見れば、こめかみ部分を押さえながら軽く汗までかいていて、肩で息をしているようだ。

「大丈夫ですか!?」

「あ……悪い。少し疲れただけだ」

 先輩はそう言って笑うが、それでも少し顔色が悪い。

「飲み物、買ってきます」

 僕は先輩をベンチに残し、入り口近くにあった自動販売機まで走る。

 冷たいミネラルウォーターを購入し、すぐに先輩の元へ戻った。

「お水です」

「ああ、サンキュ」

 先輩はキャップを開けるとそれを一気に飲み干す。

 一息ついて、そして僕を見て笑った。

「……『目利き』するとたまにこうなるんだよ。今日は絵を一点ずつ見たからな……少し疲れたんだ」

「ならいいんですが……」

 僕はポケットに入ったハンカチを取り出し、先輩に渡す。

 先輩は少し驚いた表情をしたが、それを使ってそっと汗を拭った。

「宮守ってさ……」

「はい」

「めちゃくちゃ気遣いできるよな。つーか、常識人」

「ええ……っ!? そうですか? 初めて言われました」

「ほら、東郷ってさ……御曹司だからこそ、食べ方とか綺麗で、そういうとこちゃんと教育されてる感じがするけど、我儘だし口も悪いだろ?」

 桃矢先輩はうっすらと姿を表し始めた月を見ながら、思いを馳せるように笑う。

「遠野も同じ。東郷に比べたらアイツはまだ気配りできる方だけど、基本的に視野が狭い。ついでに、綾織先輩も……まあ、そういうのあえてしないタイプだよな」

「ええと……確かに皆さん、自分を曲げないというかまっすぐな方ですね」

「そ。そういうとこ。オマエのその謙虚さと素直さ、すごくいいと思う」

「あ、ありがとうございます……。でも、先輩も優しいですよ。僕なんかに気を遣ってくれますし」

「先輩が後輩の面倒見るのは当たり前だろ?」

「そ、そうなんでしょうか……。あの……でも、僕はすごく嬉しかったんです……あまり、こういう経験が無かったので……」

「まあ、編入生だもんな。勉強ばっかしてたのか?」

「そう……ですね。そんな感じです。だから、今……全てのことが新鮮で……楽しいんです。先輩とも、お知り合いになれて、凄く良かったです」

「……なんか、照れくさいな」

 そこで会話が途切れる。

 どこからか、桜の花びらが風に乗ってやって来て、そしてどこかへ飛んで行く。

「今日は帰るか。収穫は無しってことで、東郷に報告しとく」

「分かりました」

「これ、サンキュ。洗って返すな」

 桃矢先輩はハンカチを手に取り、少し照れたように笑った。

 

 

 *四月八日 月曜日 学生寮



「ただいま帰りましたー」

 途中まで桃矢先輩に送ってもらいつつ、僕は誰もいない部屋に帰ってくる。

 部屋の入り口に、洗われ、丁寧に畳まれた洗濯物が置いてあった。

 こんなことまでしてくれるなんて、本当に贅沢な生活だなぁ。

「んー……っ」

 僕は大きく背伸びして、ベッドに倒れ込む。

 たくさん歩いて疲れたけれど、桃矢先輩と少し仲良くなれた気がする。

 ずっとこんな日が続けばいいな……なんて。

 カーテンの隙間から月を見上げながら、そんなことを考える。

 それにしても、今日は月が綺麗だ。

 僕は窓を開き、そこから身を乗り出すように月を見上げる。

「ん……?」

 その時。

 窓の外から芝生を踏みつける、足音のような音がした。

 こんな場所を……誰かが歩くことなんかあるのだろうか。

 音の方へ目を凝らすと、遠くに人影が見えた。

「綾織、先輩……?」

 よく見えなかったけれど、その人影は確かに綾織先輩に見えた。

 しかし先輩は僕には気付かず、早歩きでどこかへと歩いて行ってしまう。

「まさか……これから、お出かけでしょうか……」

 時刻は門限をとっくに過ぎている。

 僕の頭に疑問が浮かぶが……。

 あまりの手がかりのなさに、それ以上推理が進展することは無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る