2.

 暗闇の中。機械音声だけが、聞こえた気がした。


『機体通信、途絶。コックピット・ブロック、脱出シーケンス、完了。制御切替まで、三十秒』


 やられた。敵機遭遇から、五分もしないまま。


 何も見えない。何も、聞こえない。もはや自分の呼吸すらも。

 手は、動いているようだった。左胸に、当ててみる。パイロットスーツの感触はあれど、鼓動は感じない。


 死んだのか。意識と感覚だけになって、あるいは魂だけになってしまったのか。何もできないまま。

 国のためにも、家族のためにも。

 同僚や先輩、あの艦の皆には、もう、会えないのか。


『パイロット生体情報、確認。心拍数、血中酸素濃度、血圧、許容範囲内。健康状態に問題なし。パイロットの生存を確認』

 声が、聞こえた。機械音声。


『お疲れ様です。状況の通達を行います。現在、貴官は作戦領域内にて、コックピット・ブロックのみで漂流中。これより、各種艦艇、および通信可能限界距離までの各種電波帯域に対し、救難信号を発します。身辺と、備品の状況確認をお願いします。ご安心下さい。大丈夫。必ず、助けは来ます』

 

 光。モニタの一部だけが、輝きを取り戻す。

 何かの娯楽番組だろう。コメディアンが走り回ったり、転んで歩いたりしている。


 生きている。反射的に、脱出レバーを引いていたんだ。

 ほっとした反面、これからずっと、この密室に閉じ込められるのかとも思った。その怖気おぞけは、じわじわと昇ってきた。


 ここで、死ぬまで、生きなければならない。


 名前を、呟いていた。涙が溢れていた。

 真空の中、揺蕩たゆたう水滴。それを検知したパイロットスーツの制御装置が、自動的に涙の粒を吸い取っていく。

 駄目だ。泣いたり、叫んだりしては。備蓄された空気を無駄に使ってしまう。この真空状態の中で唯一許された、呼吸可能な空間。

 使い切ったら、その先にあるのは、緩やかな窒息死。


 そんなの、いやだ。


 モニタを切った。

 暗闇の中、いくつかのLEDとLCDが、ぼんやりと光っている。

 星空を上から眺めているようだった。


 眠ろう。

 そうやって、待っていればいい。生き延びることも。死ぬことも。

 死ぬにしても、夢を見ながらなら、きっと穏やかにそれを、迎えられるはずだ。


 ねえ。それできっと。きみとまた、会えるんだよね。



『救難信号に対する応答を検知。繰り返します。救難信号に対する応答を検知』


 聞こえた。誰かの声。機械音声。夢が、醒めていく。

 届いた。救難信号。


 助かる。


『本アナウンス終了後、五秒後に、通話を開始します。双方の音声については、プライバシー保護のため、自動的にボイスチェンジャーによる音声変換を行います。これより通話を開始します。貴官の無事をお祈りします』


 国の人。どこかの物資輸送会社。どこでもいい。

 ここから、出してくれ。それだけ。それだけでいい。


 通信が、開いた。変換された声。


「こちら、連合軍中尉。エイブラハム。貴官の救難信号を検知した。応答願う」


「連合?」


 敵。


 声に、出てしまっていた。

 口を抑えようとしたが、ヘルメットのバイザーがあった。それに手があたって、はじめてそれに気付いた。

 それぐらい、頭が。


「音声検知。貴官の生存を確認。意思疎通のため、使用言語の確認を願う。使用言語の通知。あるいは、アルファベットを順に発声願う。本官の発言が不明な場合、ヘルメットを叩くなりで、反応願う」


 どうしよう。でも、いやだ。死にたくない。空気がなくなって、溺れるようになんて。絶対に。


「英語です。アメリカ英語、イギリス英語、あるいは、他のでも」


 すがるように、口から言葉が出ていた。でも、頭の中にはずっと、戸惑いと躊躇ためらいが、せめぎ合っている。


「確認した。あらためて、こちら、連合軍中尉。エイブラハム。貴官の救難信号を検知した。確認事項あり。順に、貴官の現在の健康状態。怪我や、物資の不足などがあれば、提示願う。次に、貴官の所属について提示願う。黙秘権はあるが、その場合、救助困難となる場合あり。ご承知願う」


「健康状態、問題ありません。非常食、空気備蓄についても、三日分あることを、確認しています」


 ここまでは、ここまではいい。

 どうする。でも、まずは。


「本官、スターリング。共栄圏解放軍、新任少尉です。現在、貴官、および貴官所属の勢力とは、敵対関係にある認識です」


 言ってしまった。

 ここから、どうすればいい。


「返答を確認。可能であれば、深呼吸、三回。貴官の用意が出来次第、話を進める。よろしいか」


 言われたとおりにした。三回。でも、腹の中に、肺の中に、空気が入っていかない。

 降伏。投降。あるいは、死。どれだ。どうすればいい。


「お願いします」

 腹を括れないまま、返答をしてしまった。



「こちら、貴官の所属するであろう艦隊の撤退を確認している。そのうえで、本官より、貴官の投降を要望する。貴官の身の安全については、本官が責任を持つ。繰り返す。本官より、貴官の投降を要望する。返答まで、五分待つ。よく、考えてくれ」


 奥歯が、軋んだ。瞼も、同じぐらい。


 でも、やっぱり。死にたくない。



「投降、します。救助を、お願いいたします」


 震えていた。でも、言ってしまった。


 ごめん。そっちには、行けない。だって、生きて会いたいから。


「承知した。貴官の決心について、感謝を申し上げる。これより貴官の救助に向かう。繰り返す。これより貴官の救助に向かう。もう大丈夫だ。気を楽にしてくれ。眠っても大丈夫だ」


 そうやって、通信が切れた。


 力が、抜けていった。

 敗残の兵。捕虜となって、生き延びた。国の威信とか、矜持とか、忘れてしまった。

 この暗闇と、密閉された、死だけが先にある空間から逃れたかった。たった、それだけのために。


 振動が伝わった。それと、慣性。動いている。運ばれている。

 束の間だけだろうけれど、目を、瞑った。


 夢で会えるなら、そうしたかった。


(つづく)

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