第3話 小雨の登校
「ひなちゃんひなちゃん」
祖母に呼び止められて、小さな孫娘はランドセルで重い上半身を半分だけ振り向かせた。
優し気に微笑む老女は傘立てからピンク色の短い傘を引き抜いて少女に差し出す。
「今日雨降るみたいやから。傘無しで外歩けへんで」
「ええーー」
少女は靴を履こうと腰を落ち着けた状態から動かない。
その背にあるライトパープルのランドセルには同じ色の袋が引っかかっていた。
中には母親に買ってもらったレインコートがある。
「いらんもん! 手ふさがるし、あぶないし」
「あかんあかん。傘持たんと、雨ん中歩いたらあかんて。持っていきなさい」
「ううーー!」
「なんで傘いやなん? ずっとこれお気に入りやったやんなあ?」
「んううううーー!!」
首ごと上半身を大きく振って拒絶を示す孫娘。
それでバタバタとランドセルと少女を叩く見慣れない袋を見て、祖母はようやくその本心に気づいた。
「ああ、カッパ! 紫の、
「……うん」
「ほな、カッパ着て、傘も差したらええわ」
老女は改めて傘を差しだす。
少女は傘を見て、それから祖母を見る。
その目には大好きな祖母がわからずやだったことへの怒りはもうなく、漠然とした疑問と不信、不安があった。
「レインコート着て、傘も差すん? 変やない?」
「だいじょぶだいじょぶ。ひなちゃんたち越してきて短いから知らんやろうけどな、この辺で雨の日に傘差さん方が変やねんで」
「そうなん?」
「そうそう。だから傘、持ってかなあかんで」
「そうやないとおばあちゃん、ひなちゃんのこと外出してあげられへんわ」
外はすでに弱弱しい小雨が降り始めていた。
レインコートを着た少女は玄関から覗く老女の視線に促されるまま、傘も広げて学校へ向かう。
河川敷まで来ると、同じく学校へ向かう子供たちを何人も見かけた。
自分のようにレインコートも併用している子も何人かいたことで、少女はひとまず安心した。
小粒の雨が滴るグレーの空の下を彼女は歩く。
その隣を、不意に大きな影が勢いよく通り過ぎた。
「わっ」
大人だ。
真っ黒なスポーツウェアに身を包んだ、ランニングに励む中年の男が二人。少女の横を並んで走り抜けたのだった。
もちろん、傘は差していない。
ぽつぽつと傘を叩く小気味良い小雨の音を、たったったっと軽快な足音がわずかに上書きして、すぐに遠ざかっていく……。
その背をなんとなく見ていると。
左側の男が並走していた右隣の男を、突然肩で突き飛ばした。
「あっ」
なだらかな坂を跳ねるように転がり落ちる男。
川沿いの平坦な道まで来て、その体はようやく止まる。
だが彼は動かない。
ぐったりと体を曲げて、石のように静かに雨に打たれていた。
「わ、えっと……」
「人が落ちたぞ! おい、おーい! 大丈夫かー!」
後ろにいた別の大人が坂を下って男に駆け寄っていく。
何人かの大人がそれに続いて、倒れた男を心配して囲い込んだ。
みんな傘を持っていたので、すぐに男の姿は隠れて見えなくなる。
周りにいた子供たちは少女と同じように、思わず立ち止まって、遠巻きにどよめきながらその様子を見守る。
少女はふと、河川敷の道を見渡した。
街並みを覆う曇り空まで見える開けた視界の中、突き飛ばした方の男はどこにもいなかった。
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