38、真夜中の礼拝堂
楽長は鍵束をローブのポケットに突っ込むと、カンテラを手に暗い廊下へ出た。
特別宿舎棟から礼拝堂までの道は、楽長と一緒に歩いたおかげで、あっという間だった。さして広くもない敷地内で迷ったことは、恥ずかしいので秘密にしておこう。
楽長が鍵を開けて礼拝堂に入る。うしろから続いた僕の鼻先を、埃とカビがまざったような、古臭いにおいがかすめた。楽長が手にしたカンテラの光の中に、礼拝用の長椅子が浮かび上がる。その表面は埃に覆われ、白っぽく見えた。
「地下聖堂に続く扉って?」
尋ねた僕の声が壁に跳ね返り、小ホールの舞台に立ったみたいに響く。
「祭壇画のうしろだ」
楽長はまっすぐ、突き当りの壇上へ歩みを進めた。礼拝堂内部は、外部から予想していた通り八角形の空間だった。前方の三辺が三段ほど高い段になっており、中央に祭壇が置かれていた。向かって左手には講壇が、右の端には小さなポジティフオルガンが見える。
「開いてる!」
僕より一歩早く、三連になった祭壇画のうしろをのぞいた楽長が、カンテラを持った右手で暗闇を示した。
黒ずんだ金属の扉は半開きになっていた。かんぬきにぶら下がった南京錠は開けられている。カンテラの弱々しい灯りの中に、下へ続く階段がぼんやりと浮かび上がっていた。
「行こう!」
迷わず足を踏み出した僕のスカーフを、うしろから楽長がつかんだ。
「おい待て。聖獣も召喚せずに突っ込む気か?」
「寮母なんか僕が素手でぶん殴ってやる!」
右のこぶしを振り回す僕の頭を、楽長は鷲掴みにした。
「命を無駄にするのはやめろ」
「だって眷属は頻繁に姿を変えられないんでしょ? なのに僕やリタに化けて、力が弱っているはずだよ!」
「眷属の力が弱まっていても、黒炎の魔鳥を呼び出すことはできるんじゃないか? お前の言う通り、眠らされた聖女たちの嘆きの歌が魔鳥を召喚しているなら」
今まで魔鳥が出現したとき、すぐ近くに寮母の姿が見えたことはない。もちろん学園敷地内にいたことは確実だが、寮母が弱っているからといって油断は禁物か。
しぶしぶうなずいた僕の顔を、楽長がのぞきこんだ。
「ノエル、お前の望みはリタを救うことであって、眷属を倒すことじゃないだろ? 眷属の討伐は、聖騎士隊に任せればよい」
「もちろんリタを救いたいけど、僕たちを騙して引き離した眷属も許せない!」
「復讐心に呑まれるな」
楽長がカンテラで僕の顔を照らしたので、僕はまぶしさに目を細めた。
「いいか、ノエル。聖獣は心の清らかな者を愛する。つねに聖獣の愛に
ユニコーン本人がちっとも清らかじゃないのに理不尽だ!
頬をふくらませた僕に背を向けて、楽長は祭壇画のうしろから出て行ってしまう。仕方なく追いかけると、彼は壇上から降りて、壁掛け燭台にカンテラを近づけて火を灯しているところだった。
「お前のユニコーンを、黒炎の魔鳥に対抗できるくらい強くするには、負の感情を持たずに歌うことだ」
全ての燭台に明かりがつき、礼拝堂の内部をやわらかく照らし出した。闇が払われて初めて、僕は天井がモザイク画で埋め尽くされていることに気が付いた。ロウソクの炎を反射して、埋め込まれた金色の粒がキラキラと輝いている。
「僕は、憎しみのためじゃなくて、愛のために戦う」
色鮮やかな古代の絵画を見上げながら、僕は誓った。
「その言葉を忘れるなよ?」
楽長はポジティフオルガンの蓋を開けた。
「自分の声を愛して歌えるんだな?」
あれ? 僕はリタへの愛をこめて歌うと言ったつもりなんだけど――
鼻白んだ僕に背を向けたまま、オルガンの椅子に腰かけた楽長が言葉を続ける。
「お前はその声を本当に愛さなきゃだめだ。男らしさとか、女っぽいとか、よく分かんねえことに囚われていたら、ユニコーンが真に覚醒することはないぞ」
「うっ」
「できないならお前を地下聖堂に案内するわけにはいかない。犠牲者を増やすつもりはないからな」
「できます!」
間髪入れずに答えた僕を振り返って、楽長は覚悟を問うように、じっと見つめた。
「違う自分になろうとして歌うな」
気迫に呑まれて、僕はこくんとうなずいた。闇のメロディに打ち勝つには、本当の意味で聖なるメロディを奏でる必要があるんだ。僕の歌声に、欠片でも負の感情がまざっていては、いけないんだ。
きっと、黒炎の魔鳥は眠らされた聖女たちの苦しみから力を得ている。人間の負の感情が媒介になって出現する魔獣たちと同じように。
心の底からこの声を愛し、受け入れて歌わなければ。単に美しい声を響かせるだけでは意味がないのだ。
「僕のユニコーンが黒炎の魔鳥を倒す!」
「それなら試させてもらおう。音楽は魂を裸にする。嘘はつけんからな」
楽長はポジティフオルガンのストップをいくつか引き出した。
聞き慣れた前奏が流れ出し、僕の背筋に緊張が走る。ここでユニコーンを最高潮に覚醒させられなければ、僕は地下聖堂へ行くことも、黒炎の魔鳥と戦うことも許してはもらえないだろう。いや、楽長を殴って地下へ降りたって意味がないのだ。ユニコーンを強くしなければ。黒炎の魔鳥を倒せるように!
僕は目を閉じて、深く息を吸い込んだ。
「来たれ、未知なる光よ」
最初の一節を歌った瞬間、自分でも驚くほど澄んだ声が礼拝堂を満たした。天井のモザイク画に反響し、まるで聖堂全体が共鳴しているかのようだ。
楽長も驚いて手を止めた。
「ノエル、ようやく自分の才能を信じられたようだな」
迷いがなくなったのは確かだ。僕は今のままで充分に男らしい――少なくとも楽長に比べれば。そう思った途端、霧が晴れるかのように雑念が消え失せた。すると同時に、これまで学んできた声楽の技術が一点に収束し、明確な像を結んだのだ。
「才能は信じる者がいて初めて開花するからな」
にやりと笑って、楽長はまたポジティフオルガンに向き直った。
「その調子で続けたまえ」
楽長が一小節前から弾き始め、僕は波に乗るみたいに続きから歌い出す。
「無限の
いまだ目覚めぬ命よ」
楽長が僕のために書いてくれた旋律が、八角形の礼拝堂に凛と響いた。
─ * ─
次回はいよいよ地下に降ります!
そこに待つものとは?
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