第5話 ハーレムの子供2
それから、男は2日と空けずに見舞いにやってきた。
一月が過ぎた頃にはニーシャも男も、互いのことに随分と詳しくなっていた。
男はウァーシエといって、ソウトウの息子。つまり支配種の中でもかなり高位の者だという。
あまりハーレムには出入りしないが、過去に二人子供をもうけていて、今はそれぞれ官軍の職に就いているのだそうだ。
支配種のことはよく分からないが、ウァーシエに心地よさを感じるのは、二人の子供の父親であるからなのかもしれない……。
ニーシャはウァーシエに心を開き、まるで故郷にいた時のように気安く話をするようになった。
そんなニーシャにウァーシエも、長らく忘れたいた愛しさを感じ始める。
医療棟を出てからも、ウァーシエはニーシャのもとを訪れ、出会いから半年ほど経った頃には二人は夜を共にする仲になった。
ニーシャにウァーシエの影が見え始めた頃から、他の支配種達は無闇にニーシャに手を出すことは無くなり、不快な環境には変わりはないが、ようやく希望を見出すことができた。
ある晩ウァーシエが言った。
「ニーシャはここから出たいか。」
「ええもちろん。」
ニーシャの返事は素っ気ないものだった。
確かにこんな場所に居たくはない。だが、ウァーシエが居るならば耐えられないわけではないから。
だがウァーシエから、その方法があると聞いた時、心臓が跳ね上がる思いだった。
不思議なことに、それは完全な歓喜ではなく、期待の中に一握りの不安が含まれていた。
外に出る事が故郷に帰るという事ならば、それはとても寂しいことだから。
「どうすればいいの。」
そう尋ねる事に勇気がいるなんて、半年前のニーシャには想像もつかない事だ。
どうか、農村に帰れと言わないで欲しい。
自ら不幸になる事を期待しているような、滑稽極まりない自分自身が居る。その自覚すらないまま、ニーシャは黙ってウァーシエの答えを待った。
そしてウァーシエが言う方法とは、ニーシャが子供を産むというものだった。
支配種の子供を産み、妃として外で暮らすのだという。
「どうだろう……。」と、ニーシャの顔色を伺うようにウァーシエは尋ねた。
この提案の何を拒めば良いのだろう。
今のニーシャにとってウァーシエと子を成すなんて、なんてことはない。むしろ望んでいると言っても良い。
ニーシャはウァーシエに飛びつき、しがみつくように首に腕を回して、しばしの間喜びを噛み締めた。
それから間も無く、ニーシャは孕った。
ウァーシエも喜び、一層ニーシャを労り、他の者の手が届かないよう、まだ腹が膨らむ前から医療棟へと移した。
子が生まれるまでの間、ウァーシエはニーシャのために食べ物や服などたくさんのものを用意した。
今まで最低限のものしか持っていなかったニーシャにとって、十分すぎるほどに物が溢れているというのは、少々困惑してしまう。
ウァーシエの贈り物の中には、嗜好品もあって、中でも紅は支配層の中でも滅多に手にすることができない代物だったらしい。
子供に鉱物の毒気が及ばないように、ウァーシエが妹君に頼んで草花から作らせたそうだ。
とても鮮やかな色も気に入ったし、何よりウァーシエの兄妹が作った代物を与えられたことが誇らしく、改めて愛されていることを自覚した。
そんな幸福の絶頂の中、ニーシャは出産した。
生まれた子は、ニーシャに似てやや褐色帯びた肌と、父親譲りの黒髪の、瞳の色はアクアマリンのように澄んだ空色だ。
これでこの子と共に、ここを出てウァーシエの側で暮らせる。産まれてきた愛しい希望、その木漏れ日のように心地よい体温を胸に抱き、ニーシャは幸福を噛み締めていた。
だが希望とは儚く雲のように掴みようの無いものだ。
産まれた子供を見たウァーシエは一言。
「土地の者……。」
そして
「でも大丈夫。私の子だから外の世界でも高い地位をあげよう。この子に苦労はさせない、約束する。」
狼狽しながら言葉を搾り出すように言った。
ニーシャには、なぜウァーシエが困惑しているのか分からない。
「何故そんな事を言うの。三人で暮らすのでしょ。」
それから、あぁ……ここの外という意味かと加えると、ウァーシエは居ても立っても居られない様子でニーシャの手を握り、跪いた。
「すまないニーシャ。生まれた子が土地の者では、君をここから出すことはできない。そしてその子も本来ならここで暮らすことになる。だが私の子だ、私よりも下級の者にいいようにはさせない。だからいずれここを出て外界で暮らすんだ。」
ここから出ることはできない。
子供が土地の者だから……。
何故。
聞き取った言葉が理解できない。
だって約束したじゃない……。
「だからニーシャ私達は共には暮らせない。」
はっきりと、ニーシャの希望は砕け散った。
叶わない可能性があるのなら、何故期待ばかりさせたのか……。
気持ちははっきりと言葉になっているのに、声に出すことがでかない。
ニーシャがただ呆然としていると、ウァーシエは跪いたまま一層頭を下げて、自分の子供が支配種でない事など想像もしていなかったのだと、浅はかだったと懺悔した。
怒りも悲しみも絶望も、一気に押し寄せてしまうと何から表に出せばいいのか分からない。
ウァーシエの言葉にニーシャは何も返せないまま、どれだけの時間が過ぎたのかも分からない。
いつウァーシエが去ったのかも分からない。
いつから子供が泣いていたのかも分からない。
今はっきり分かるのは、
落胆と怒り、そしてあんなに愛しかった子が憎くて仕方がないということ……。
「お前はいつか自由になるのか……」
泣きじゃくる子供を見つめながら、ニーシャは呟いた。
憎い。目障りだ。そしてニーシャは子供に手を伸ばし、そっと持ち上げた。
憎いこの子を、大切に育てなくてはならない、支配種の子供だから。
口約束など叶うわけがない。どうせ、この子もここで生きていくしかないのだ。
なら、支配種が気にいるように、大切に育てなくてはならない……。
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