第41話 大丈夫だよ。クー、学校やめたから。

 ケティルの件は、まだ取り調べがつづいているようで、よくわからない。


 いまは、この平和な日常を噛み締めよう……と思っていたのだが。


 俺が朝食の準備を終え、食卓に温かいスープとパンを並べた頃、娘たちが眠い目をこすりながらぞろぞろと起きてきた。


「おはよう、パパ」とピヒラ

「おはようなのにゃ!」


「おう、おはよう。顔を洗ったら、さっさと制服に着替えてこい。もうすぐ出発の時間だぞ」


 ピヒラとミーシャは「はーい」「にゃーい」と元気よく返事をすると、洗面所へと向かう。

 その後、制服に着替えて戻って来る。


 だが、一人だけ。

 クータルだけが、まだ寝間着のまま、ソファにちょこんと座って、足をぷらぷらさせている。


「あれ、クータル。どうしたんだ? なんで制服に着替えてないんだ?」


 俺が不思議に思って声をかけると、クータルは、さも当然といった顔で、にぱっと笑って答えた。


「大丈夫だよ。クー、学校やめたから」


「…………は?」


 思わず、手に持っていたパンを落としそうになる。


「が、学校をやめるって……ど、どういうことだクータル!? 誰かにいじめられたのか!? それとも、何か嫌なことでもあったのか!?」


 俺は完全にパニックに陥り、その小さな肩を掴んで問い詰める。

 ミーシャの一件が解決したばかりだというのに、今度はクータルか?

 王都のガキどもは、うちの娘に何か恨みでもあるのか?


 だが、クータルは俺の剣幕にも動じず、ただ、ふるふると小さく首を横に振るだけだった。


「ちがうよ。嫌なことはないよ」


「じゃあ、なんで……」


「やめるから、やめるの」


 それだけ言うと、彼女はぷいっとそっぽを向いて、リビングのソファにちょこんと座り込んでしまった。

 理由を言う気はないらしい。

 その小さな背中からは「てこでも動かん」という、鋼鉄の意志が感じられた。


 まずい。

 これは、本格的な登校拒否、いや、『登校ストライキ』だ。


◇◇◇


 結局、クータルはその後、何を言っても「やだ」「いかない」の一点張り。

 困り果てた俺は、ひとまず彼女を休ませることにして、自分だけ学園へ『出勤』することにした。


「クー、じゃあ、行ってくるからな」


 その時だった。


「クーもいく!」


 ソファでふてくされていたはずのクータルが、タタタッと駆け寄ってきて、俺のズボンの裾をぎゅっと掴んだ。


「いや、お前は休んでていいんだぞ?」


「やだ! パパといくの!」


 そして、彼女は家の隅に置いてあった、あるものを指さした。

 ウィッカーデイルで、まだ赤ん坊だった彼女を運ぶために俺が手作りした、あの懐かしい『背負い籠』だ。


 クータルは、その籠に、よいしょ、と自ら入ろうと試みる。


「んー……んしょ……」


 だが、もう、その小さな体は、あの頃とは違う。

 お前は大きくなったんだ。


「あれ……? はいんない……」


 お尻が籠に完全につっかえてしまい、どう頑張っても収まらない。

 それでも諦めきれないのか、角度を変えたり、足を無理やり折りたたんだりして、籠と四苦八苦の格闘を繰り広げている。


 その、あまりにもコミカルで、どうしようもなく愛おしい姿に、俺は思わず吹き出してしまった。

 さっきまでの深刻な悩みが、馬鹿みたいに思えてくる。


「はは、もう無理だろ、クータル。お前、大きくなったんだから」


「むー……」


 頬をぷうっと膨らませる娘の頭を、俺は優しく撫でてやった。


◇◇◇


 結局、俺はクータルの小さな手をつなぎ、二人で王立学園へと向かうことになった。

 まあ、たまにはこんな日もいいか。


 俺が『特別顧問』として上級生の授業に立ち会っている間、クータルは訓練場の隅っこで、ちょこんと体育座りをして大人しく見学していた。

 その、小さな銀髪の塊は、殺伐としがちな訓練場において、異質な、だが圧倒的な癒やしオーラを放っていたらしい。


 休憩時間になると、生徒たちが次から次へとクータルの元へ集まってくる。


「クータルちゃん、これ、お母様が焼いてくれたクッキーよ。どうぞ」

「僕の家の果樹園で採れた、とっておきの果物だ! 食べてくれ!」


 すっかり人気者じゃねえか。

 クータルは、もらったお菓子をもぐもぐと頬張りながら、満更でもない顔をしている。


 そんな和やかな光景を、俺は少し離れた場所から、目を細めて眺めていた。

 ふと、視線を転じると、訓練場の、そのまた隅の方。

 誰とも交わらず、一人で黙々と剣の素振りをしている生徒がいた。


 ソルヴァだった。


 その背中は、まだどこか寂しそうで、痛々しかった。


 その時だった。

 クータルが、そんなソルヴァの姿に気づいた。

 彼女は、生徒にもらったばかりのクッキーを、その小さな両手で大事そうに握りしめると、てちてち、と覚束ない足取りで、ソルヴァの元へと駆け寄っていく。


 そして、その無防備な背中に向かって、精一杯の声を張り上げた。


「おねーちゃん、どーじょ!」


 突然の声に、ソルヴァの肩がびくりと震える。

 振り返った彼女の顔には、驚きと、戸惑いの色が浮かんでいた。

 だが、目の前で差し出されたクッキーと、その一点の曇りもない、太陽のような笑顔を前にして、拒絶することなどできるはずもなかった。


「……ありがとう、ございます」


 ソルヴァは、消え入りそうな声でそう言うと、おずおずとクッキーを受け取った。

 その、凍てついていたかのような表情が、ほんの、ほんのわずかだけ。

 和らいだように、俺には見えた。


「おい、見たか……?」

「あのソルヴァ様が……笑った……?」


 遠巻きに見ていた生徒たちが、信じられないものを見たかのように、ひそひそと囁き合っているのが聞こえた。


◇◇◇


 その日の帰り道。

 俺は、隣を歩くクータルに、もう一度、尋ねてみることにした。


「なあ、クータル。朝の話だけどな」


「ん?」


「本当は、どうして学校に行きたくなかったんだ? パパにだけ、こっそり教えてくれよ」


 俺の言葉に、クータルはぴたりと足を止めた。

 そして、俺の顔を、じっと、真剣な瞳で見上げてくる。


 その小さな唇から紡がれたのは、俺がまったく予想もしていなかった、あまりにも健気で、切実な言葉だった。


「さいきん、ぱぱとずっとはなれてて、つまらなかったの」


 ぽつり、と彼女は言った。


 ああ……。

 そうだな。

 そうだった。


 ウィッカーデイルにいた頃は、何をするにも一緒だった。

 俺が日銭を稼ぎに行く時も、あの手作りの背負い籠に入れて、いつも背中にその温もりを感じていた。


 この王都に来て、クータルが立派に成長している、そのことばかりに気を取られて……一番大事なことを見落としていたんだ。


 俺が「父親」として過ごす時間が、この子と「一緒」にいる時間が、以前よりもずっと、短くなっていたことに。


 寂しいに、決まってるよな。

 俺は、なんて馬鹿な父親なんだ。


 俺が何か言葉を返そうとする前に、クータルは、さらに言葉を続けた。

 小さな胸を、精一杯に張って。


「パパ、すぐあぶないことしそうだから、クーが、ちゃんとみててあげないとだもん! だから、ずぅっといっしょ」


 その、あまりにも健気な愛情。

 俺は、その言葉に、胸の奥を強く、強く打ち抜かれた。


 迷惑ばかりかけて、寂しい思いをさせて、俺はなんてダメな父親なんだ。

 そんな自己嫌悪と、それ以上に込み上げてくる、どうしようもない愛おしさ。


 もう、こらえきれなかった。


 俺は、その場にしゃがみ込むと、その小さな体を、壊れ物を扱うように、だが力いっぱい、抱きしめた。


「そうか。そうだったのか……。すまねえ、クータル。心配、かけたな。寂しい思いをさせて、本当に、すまなかった」


 俺の腕の中で、クータルは「うん」と、こくりと頷いた。


「ありがとうな。パパ、もう大丈夫だから。お前がいてくれたら、パパは、最強だからな」


 俺の偽らざる本心。

 それを聞いたクータルは、俺の胸に顔を埋めたまま、くすぐったそうに、そして最高に嬉しそうに笑うのだった。


――――――――――――――――――

【★あとがき★】


皆様のおかげで★100達成できました。

ありがとうございました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る