第24話 忘れてた……。

 シグルーンからの、王都行きという提案。

 娘たちの才能を伸ばすため。

 その力を、正しく導くため。


 頭では分かっている。

 分かっているんだが、どうにも決断をくだすことができない。


 俺は、そんな心のモヤモヤを振り払うように、ミーシャを連れて少し深めの森へ来ていた。

 気分転換と、それから、ミーシャの実戦訓練を兼ねて、だ。


「いいか、ミーシャ。チーフ・ガーディアンの一番大事な仕事は、危険を未然に察知することだ。目を閉じて、耳と、鼻と、肌で、森の声を聴いてみろ。風の音、木の葉の擦れる音、土の匂い……その中に、いつもと違う『違和感』を探すんだ」


「にゃ! やってみるにゃ!」


 ミーシャは元気よく返事をすると、ぴんと立てた猫耳をぴくぴくと動かし、真剣な顔で意識を集中させ始めた。

 シグルーンの指導の賜物か、こいつは自分の能力に自信を持ち始めて、日に日にその鋭さを増している。

 その成長を見るのは、素直に嬉しい。


 だが、同時に焦りも感じる。

 俺は、この子の才能を、どこまで伸ばしてやれるんだろうか。

 俺の知っていることなんて、もうほとんど教えちまった。


 そんなことを考えていた、その時だった。


「……ん?」


 ミーシャが、くんくん、と小さく鼻を鳴らし、突然ぴたりと立ち止まった。

 さっきまでの真剣な表情とは違う。

 野生動物が獲物を見つけた時のような、鋭い緊張がその小さな体に走っていた。


「パパ、変な匂いがするにゃ……」


「変な匂い?」


「うん。血の匂い……。すごく薄いけど、こっちの方からだにゃ」


 ミーシャが指さすのは、森のさらに奥深く。

 俺は神経を集中させて気配を探るが、何も感じ取れない。

 だが、この子の能力は、種族的な違いもあるだろうが、もう俺の索敵範囲を遥かに超えている。


 最近、この森も物騒になったな。

 これもクータルの影響か……?

 そんな嫌な考えが、頭をよぎった。


「……よし、行くか。だが、慎重に行くぞ。俺から絶対に離れるな」


「にゃ!」


 俺たちは音を殺し、気配を消して、匂いの元へと向かった。

 一体、この森の奥で何が起きているんだ……?


◇◇◇


 森の奥に進むにつれて、血の匂いは徐々に濃くなっていった。

 そして、獣の荒々しい咆哮と、甲高い魔法の詠唱音が、風に乗って聞こえてくる。

 戦闘だ。


 俺はミーシャに「待て」と合図し、一人でそっと茂みの影から戦場を覗き見た。


「――なっ!?」


 思わず息を呑む。

 そこにいたのは、この辺りの森の主とも言われる、大型の魔獣『フォレスト・グリズリー』だった。

 小山のような巨体、鋼鉄の硬度を持つ爪。Cランク冒険者が束になっても敵わねえ、Bランク相当の化け物だ。


 そして、その化け物とたった一人で対峙しているのは、ローブをまとった一人の若い女性だった。

 その足からは血が流れ、明らかに消耗している。

 まずい、このままじゃジリ貧だ。


「くっ……食らいなさい! 『ファイアボール』!」


 彼女は杖を構え、必死の形相で叫んだ。

 その手から放たれた炎の玉が、グリズリーに向かって飛んでいく。


 だが。


 ボスッ。


 あまりにも、情けない音。

 炎の玉は、グリズリーの分厚い毛皮に当たった瞬間、あっけなくかき消された。


「そ、そんな……!?」


 絶望が、彼女の顔に浮かぶ。

 どうやら、戦闘専門の魔法使いじゃないらしい。


 怒り狂ったグリズリーが、体勢を崩した彼女に、その巨大な爪を振り下ろす。


 ――もう、見て見ぬふりはできねえ!


「ミーシャ、陽動を頼む! 右から回り込んで、奴の注意を引け!」


「にゃっ!」


 俺は茂みから飛び出すと同時に叫んだ。


 ミーシャは一瞬もためらわず、風のように戦場を駆け抜けていく。


「グルアアアッ!?」


 突如現れた俺たちに、グリズリーが戸惑いの声を上げる。

 その隙に、俺は魔獣の正面に立ち、剣を構えた。


「嬢ちゃん、無事か!」


「あ、あなたは……!?」


 驚く女性に構わず、俺はグリズリーの注意を完全に自分へと引きつける。

 ミーシャが、その俊敏さを活かして魔獣の死角を駆け回り、石を投げては攪乱する。

 チーフ・ガーディアン、見事な仕事ぶりだ。


「こっちだ、化け物!」


 俺が挑発すると、怒り狂ったグリズリーが、その巨体に似合わぬ突進を仕掛けてきた。

 それを紙一重でかわし、がら空きになった脇腹に、剣を叩き込む!


 だが、硬え!

 刃が通らねえ。

 さすがは森の主か。


 ミーシャが反対側から石を投げて注意を引いてくれているが、それも長くは持たねえ。

 こいつを倒すには、一撃で急所を貫くしかない。

 目か、あるいは喉元か……!


 俺は一度大きく距離を取ると、わざと大振りな隙を見せる。

 案の定、好機と見たグリズリーが、必殺の爪を振り下ろしてきた。

 風を切り裂く、死の一撃。


 ――狙い通りだ!


 俺は振り下ろされる腕の内側に潜り込む。

 そして、がら空きになった喉元めがけて、剣の切っ先を、体重の全てを乗せて、深く、深く突き立てた。


「――終わりだ」


 断末魔の叫びを上げる間もなく、巨体はどしん、と地響きを立てて崩れ落ちる。


◇◇◇


「助かりました……。本当に、ありがとうございます……」


 俺は彼女に駆け寄り、手早く足の傷に応急処置を施す。


「あの……あなた方は、一体……?」


 彼女は、俺と、その隣で心配そうに傷口を覗き込むミーシャの顔を、不安そうに、そして不思議そうに見つめている。


 まあ、いきなり現れて化け物を倒したんだ。

 無理もねえか。


「俺はダンスタン。見ての通り、しがないCランクの冒険者だ。こいつは娘のミーシャ」


「Cランク……? あんなに強かったのに……?」


 彼女は信じられない、といった顔で俺を見つめる。


 俺は「ま、まぐれだよ、まぐれ」と適当に誤魔化し、話を逸らした。


「あんたこそ、なんでこんな森の奥に? 足も怪我してるみてえだし」


「わ、私はリーネと言います。このウィッカーデイルの出身で……先日まで王都の『王立ヴァルヘイム魔法学園』で、農学魔法を学んでいて、故郷の森の調査をしていたら、あの魔物に……」


 王立ヴァルヘイム魔法学園。


 その単語を聞いた瞬間、俺は、これを運命だと感じた。

 シグルーンが言っていた、あの学園の卒業生が、今、目の前にいる。


「リーネ。あんたに、相談したいことがあるんだ」


 俺は娘たちのこと、その規格外の才能のこと、そして、王都の学園に行くべきか、ここで静かに暮らすべきか、父親として迷っていることを、正直に打ち明けた。


「王都の学園なんて聞くと、貴族ばっかりで、厳しい場所ってイメージがあるんだが。あんたみたいなのが行って、大変じゃなかったか?」


 俺の問いかけに、リーネは一瞬、驚いたように目を瞬かせた。

 それから、本当に楽しかった日々を思い出すように、目を輝かせて微笑んだ。


「いえ、そんなことないですよ。もちろん、最初は不安でしたけど……すぐに、そんな気持ちは吹き飛びました」


 彼女は、少し興奮したように言葉を続ける。


「自分の知らないことばかりで、毎日が本当に発見の連続だったんです。私が専門にしていた農学魔法も、ただ作物を育てるだけじゃない。土のこと、天気のこと、植物がどうやって生きているのか……学べば学ぶほど、世界の仕組みが分かっていくようで、夢中になりました」


 その横顔は、戦闘で怯えていた少女のそれとは、まるで別人だった。


「それに、何より、友達がたくさんできました。辺境出身の私を馬鹿にする人なんていなくて、みんな、それぞれの夢に向かって必死で。専門はバラバラでも、夜になったら寮の食堂に集まって、お互いの研究について夜通し語り合ったり……」


 彼女はそこで一度言葉を切り、俺の隣で不思議そうに話を聞いているミーシャの頭を優しく撫でた。


「ウィッカーデイルの森しか知らなかった私にとって、その全部が新鮮で、キラキラして見えたんです。世界はこんなに広くて、面白いんだって、学園が、そこにいた友達が、教えてくれました」


 その、一点の曇りもない言葉。

 学園での充実した日々を物語る、晴れやかな笑顔。


 俺の心にあった最後の迷いが、完全に晴れ渡っていくのを感じた。


 そうだ。

 そうだよな。

 あいつらの世界を、この小さな村に閉じ込めちゃいけねえ。

 ピヒラが、ミーシャが、そしてクータルが、もっと広い世界で、たくさんの友達と笑い合っている姿が、目に浮かぶようだった。


「……そうか。ありがとうな、リーネ。あんたのおかげで、腹が決まった」


「え?」


「いや、こっちの話だ。さあ、立てるか? 街まで送っていくぜ」


 俺はリーネに肩を貸し、娘たちの待つ我が家へと、今度こそ晴れやかな気持ちで帰った。


◇◇◇


 その夜。

 俺は、ピヒラとクータル、ミーシャ、そしてシグルーンも集めて、緊急家族会議を開いた。


「……お前たち、ちょっといいか」


 俺がいつもより少しだけ真面目な声で切り出すと、三人の娘たちの視線が、一斉に俺に集まった。

 俺は一度、ごくりと唾を飲み込むと、一人一人の顔を順番に見ながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「三ヶ月だけ、王都の学校に、行ってみないか?」


 しん、と食卓が静まり返る。

 娘たちは、俺の言葉の意味を測りかねているようだった。


 俺は言葉を続ける。


「お前たちには、すごい力がある。ピヒラの料理や医療の才能も、ミーシャの誰よりも早く危険を察知する力も、クータルの……まあ、全部だ。その力を、この村だけで終わらせちまうのは、もったいない。もっと広い世界で、色々なものを見て、勉強して、その力を正しく使えるようになってほしい。パパは、そう思うんだ」


 俺の真摯な言葉に、最初に反応したのは、やはりクータルだった。


「おうと! おうとって、おしろのこと!? くー、いく! おひめさまになるの!」


 ……王都(おうと)とお城(しろ)を勘違いしてるみてえだが、まあいい。

 キラキラした瞳で、満面の笑みを浮かべている。

 うーん、姫には……なれない……だろうなぁ……。


 次に、ピヒラが力強く頷いた。


「私も行きたいです」


 彼女は、まっすぐに俺の目を見て言った。


「パパが怪我をした時、私、本当に怖かった……。だから、もっと薬草とか、医療の勉強がしたい。みんなを守れる知識がほしいんです。それに、もっと美味しい料理も作れるようになりたい。王都には、私の知らない食材や、薬草、そして料理の方法が、きっとたくさんあると思うから。もっともっと、勉強して、みんなを笑顔にしたいし、守れるようになりたいんです」


 その純粋な動機。俺たち家族を想う、ひたむきな気持ち。

 それだけで、十分すぎるほどだった。


 最後に、ミーシャがおずおずと口を開いた。

 その小さな手は、テーブルの下でぎゅっと握りしめられている。


「し、知らないところ……やっぱり、ちょっと怖い、にゃ。でも、あたし、もっと強くなりたいにゃ! パパやみんなを守れる、立派なガーディアンになりたいにゃ! それに……みんなと一緒なら、きっと大丈夫だから! あたしも、行くにゃ! ……リーネちゃんも楽しいって言ってたしにゃ」


 ああ、こいつも本当に強くなった。


 家族全員の意志が、一つになった瞬間だった。

 よし、と俺が頷きかけた、その時。


「……でも、パパ」


 ピヒラが、ふと、心配そうな顔で呟いた。


「畑は、どうするんですか? ギュンターさんとの約束も……」


 お、おう。

 忘れてた……。


――――――――――――――――――

【★あとがき★】


 なかなかコメント返しができておらず、すみません。

 皆さんからいただいていたコメントのお陰で小説を書けております。

 誤字、小説としての間違いなど指摘いただけるのも非常に助かります!


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