第2話 ドラゴン娘、クータルの誕生

 パチ、と薪がはぜる音。

 暖炉の温もりに包まれて、俺は椅子に座ったままうたた寝していたらしい。


 そんな静かな時間を、音が引き裂いた。


 ピキッ。


 乾いた、ガラスが割れるような音。

 冒険者として染みついた本能が、俺の意識を強制的に覚醒させる。

 がばりと身を起こし、音のした方――暖炉の前の巨大な卵を睨みつけた。


 ……なんだ?


 見間違いじゃない。

 さっきまで滑らかだったはずの卵の表面に、くっきりと一本の亀裂が走っている。


 まずい。


 そう思った瞬間にはもう遅い。

 亀裂はまるで生き物みたいに、目の前でパキパキと割れていく。


 ピキキッ、パキィン!


 まずい、まずい、まずい!

 亀裂の隙間から、信じられないほど眩しい光が漏れ出してきた。

 部屋が昼間みたいに明るくなる。

 やべえ、何が出てくる!?


 俺は咄嗟に腰を落とし、壁に立てかけてあった剣の柄を握りしめる。

 中から出てくるのが、凶暴な魔物だったらどうする?

 俺一人で太刀打ちできる相手なのか?

 心臓が警鐘みたいにドクドクとやかましい。


 光は、もう限界まで輝きを増していた。


 パリンッ!


 甲高い音と一緒に、卵の殻が砕け散った。

 光の奔流が部屋中を飲み込んで、俺は思わず腕で顔を覆う。


 視界が真っ白だ。

 何も見えん!


 どれくらいの時間が経ったのか。

 光がゆっくりと収まっていく気配がして、俺は恐る恐る腕の隙間から、光の中心を覗き見た。


 そこにいたのは。


「…………は?」


 思わず、間抜けな声が出た。

 牙も、爪も、鱗もない。

 俺が覚悟していた凶暴な魔物の姿は、どこにもなかった。


 暖炉の光に照らされて、そこにちょこんと座っていたのは。


 一人の、小さな赤ん坊だった。


 透き通るような銀色の髪。

 滑らかな肌。

 そして、ゆっくりと開かれたその瞳は、まるで磨き抜かれたルビーのような、深い赤色をしていた。

 非現実的なまでに、美しい赤ん坊だ。

 俺は剣を握りしめたまま、完全に言葉を失っていた。


◇◇◇


 赤ん坊は、きょとんとした顔で、じっと俺のことを見つめている。

 なんだ?

 生まれたばかりのはずだよな?

 なのに、その赤い瞳には、まるでこっちの考えを見透かすような、不思議な知性の光が宿っているように見えた。


 沈黙。

 パチパチ、と薪のはぜる音だけが響く。


 やがて、赤ん坊の小さな唇が、ふっと綻んだ。

 にぱっと、花が咲くような笑顔。

 そして、小さな手を俺に向かって、おずおずと伸ばしてくる。


 その、小さな唇が、ゆっくりと動いた。


「ぱぱ!」


 辿々しく、しかし、はっきりと。

 その一言は、俺の頭を撃ち抜いた。


 ぱぱ?

 今、こいつ、パパって言ったのか?

 俺のことか?


 頭が真っ白になって、思考が完全に停止する。

 俺の、42年間の孤独な人生。

 他人と深く関わることを避け、ただ死んだように生きてきただけの、空っぽな日々。

 その全てが、たった一言で、根底からひっくり返されたような、とんでもない衝撃だった。


◇◇◇


「ふぎゃあああ! おぎゃー!」


 俺が固まっていると、突然、赤ん坊が火がついたように泣き出した。

 その声に、俺はハッと我に返る。


「お、おい! 泣くな! なんで泣くんだ!?」


 どうすりゃいいんだ!?

 赤ん坊なんて、どう扱っていいのか見当もつかねえ!

 腹でも減ったのか?

 寒いのか?

 俺は完全にパニックに陥りながらも、必死に頭を働かせる。


 そうだ、サバイバルだ。

 これも一種のサバイバルだと思えばいい。


 まず、着るもんだ。

 裸じゃ風邪をひく。

 俺はクローゼットから一番古いシャツを引っ張り出すと、ナイフで適当な大きさに切り裂いて、即席のおくるみを作った。


 ……これでいいのか?

 いや、やるしかねえ!


 不格好なおくるみで赤ん坊を包むと、少しだけ泣き声が小さくなった。


 次は飯だ。


 戸棚を漁るが、あるのは硬いパンと干し肉だけ。

 こんなもん、赤ん坊が食えるわけがねえ。

 ……そうだ、あれなら!


 俺は森で採取してきた木の実の袋を掴むと、すり鉢でゴリゴリとすり潰す。

 滋養があって、消化もいい。

 病人用の食事にもなる、栄養満点の木の実だ。

 ペースト状になったそいつを指先に少しだけつけて、おそるおそる赤ん坊の口元へ運ぶ。


 すると、ちゅぱ、と小さな口が俺の指に吸い付いた。

 そして、ものすごい勢いで木の実のペーストを食べ始めた。


 マジかよ、そんなに美味いのか?


 俺は夢中ですり潰しては与え、すり潰しては与えを繰り返す。

 あっという間に、小袋一つ分の木の実が赤ん坊の腹に収まってしまった。

 食欲も規格外かよ……。


 腹が満たされたのか、赤ん坊は満足そうに「あー」「うー」と声を漏らしている。

 その様子を見て、俺は床へ座り込んだ。

 たった数十分で、数日分の気力を使った気がする。


 それからの数日は、まさに戦争だった。

 こいつの成長速度は、どう考えても異常だ。

 数日も経たないうちに、普通に寝返りをうってみせた。

 おいおい、赤ん坊ってのはもっとこう、ゆっくり成長するもんじゃねえのか?


 やっぱり、こいつは普通の子じゃねえ。

 それはもう、嫌でも分かった。


 それでも、俺は必死に世話を焼き続けた。

 なんで、なんて理由は分からない。

 ただ、放っておけなかった。


 ある夜のことだ。


 窓から差し込む月明かりが、部屋を淡く照らしていた。

 赤ん坊は、その光に気づくと、きゃっきゃと嬉しそうに声をあげ、小さな手を伸ばして月を捕まえようとする。


 その姿を見ていたら、ふと、昔読んだ神話の一節を思い出した。

 確か、遥か北の国の神話に出てくる、月の女神の名前。


「……クータル」


 俺は、無意識にその名前を口にしていた。


「お前の名前は、クータルだ」


 初めて名前を呼ぶと、クータルは俺の方を振り向いて、これまでで一番の、最高の笑顔を向けた。

 その瞬間、俺の胸の奥に、じわりと温かい何かが広がっていくのを感じた。


◇◇◇


 クータルの世話で疲労困憊になりながらも、俺の心は不思議と満たされていた。

 一日の終わり、すやすやと寝息を立てるクータルの寝顔を眺めるのが、いつの間にか俺の習慣になっていた。

 がらんとして、ただ息を潜めるだけだったこの部屋に、生活の音が生まれた。温もりが生まれた。

 ……柄にもねえ。

 柄にもねえとは思うが、こいつを守ってやりたい、と本気で思ってしまっている自分がいた。


 だが、そんな感傷に浸っていられるのも今のうちだけだ。

 俺はふと、現実的な問題に引き戻される。


 ……金がない。


 戸棚に残っている食料は、あと数日分。

 クータルの異常な食欲を考えれば、もっと早く尽きるかもしれない。

 稼ぎに行かなければ、二人して飢え死にだ。


 しかし、どうやって?

 こんな生まれたばかりの赤ん坊を、一人この家に置いていけるわけがない。

 かといって、危険な薬草採取や討伐依頼に連れて行くなんて、もってのほかだ。


 俺は眠るクータルの顔を見つめながら、静かに頭を抱えた。


 どうすりゃいいんだ……。


 孤独を紛らわすための酒代を稼ぐのとはわけが違う。

 この小さな命を守り、育てていくための金。

 それは、俺がこれまで直面したことのない、あまりにも切実で、重い問題だった。


――――――――――――――――――

【★あとがき★】


「面白かった」

「続きが気になる」

「主人公の活躍が読みたい」


と思ったら


「作品へのフォロー」をお願いします!

「★の評価」も是非!

(面白かったら星3つ、つまらなかったら星1つ!)


★をいただけると、トップページの注目の作品に乗りやすくなりまして、読者様を増やせるチャンスになります!

よろしくお願いします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る