第4話 奈落のサンクチュアリ
シャドウ・クロウラーを退けてからさらに数日が経過した。
僕の隠れ家は以前にも増して手狭になっていた。
壁際には解体したモンスターの素材が山と積まれ、乾燥させた肉や仕分けされた骨、瓶詰めにされた毒腺などが燐光苔の光に不気味に照らし出されている。
それらは僕の復讐計画が着実に歩を進めている証ではあったが、同時にこの狭い空間そのものが僕の膨れ上がる憎悪と計画を閉じ込める檻のように感じられ始めていた。
湿気と腐臭、そして僕自身の魔力が混じり合った空気は重く淀み、息をするだけで思考が鈍るようだった。
このままではいずれ活動の限界が来ることは明らかだった。
何より僕の切り札である『怨嗟草』の成長がこの狭い空間では頭打ちになりつつあった。
僕の憎悪を養分として育つこの禍々しい植物は、より広大な大地とより濃密な魔力を求めてその黒い葉を震わせているように見えた。
まるで僕自身の魂がもっと暗くもっと広い場所へ行けと叫んでいるかのようだった。
僕の復讐心はこんな岩の裂け目に収まるほど小さくはなかった。
「もっと……もっとだ。
こんな場所で満足している場合じゃない」
僕は隠れ家の外、迷宮の闇へと放った斥候人形「ミミツキ」に意識を集中させる。
僕の視界と聴覚はゆっくりと通路を進む泥の獣と完全に同化していた。
ミミツキを通して伝わってくるのはどこまでも続くかのような岩と闇、そして時折すれ違うモンスターたちの蠢きだけ。
この階層の主要な通路はあらかた探索し尽くしてしまった。
もっと奥へ、もっと深くへ。
誰も足を踏み入れたことのない忘れ去られた領域へ。
ミミツキは何度か有望そうな横穴を見つけたが、そのほとんどは行き止まりか、あるいは僕では手に負えないであろう巨大なモンスターの巣へと繋がっていた。
一度などは洞窟の奥で眠る巨大なミノタウロスの姿を垣間見てしまい、息を殺して後退りしたこともあった。
だがそうした経験もまた、僕にこの迷宮の危険度と新たな拠点に求められる安全性の基準を教えてくれた。
その時だった。
ミミツキの視界の隅にほんの僅かな違和感が映り込んだ。
それは他の壁とは明らかに異質な人工的な直線で構成された壁面だった。
苔と土に覆われほとんど自然と同化してはいたが、斥候として鍛えられた僕の目――ミミツキの目はその不自然さを見逃さなかった。
まるで自然という名の分厚い化粧の下に隠された古代の素顔を暴いたかのように。
近づいてみるとそれは巨大な石造りの扉のようだった。
表面には風化してほとんど読み取れないが、天を仰ぐ獣や複雑な幾何学模様のレリーフが刻まれている。
数百年、いや千年以上の時を経て完全に迷宮の一部と化している。
当然開く気配など微塵もない。
だがミミツキがさらに周囲を探索すると、その巨大な扉の足元、瓦礫に紛れるようにして獣一匹がやっと通れるほどの小さな穴を見つけた。
中からは淀んだ、しかし僕の隠れ家とは比べ物にならないほど濃密な魔力を帯びた空気が微かに流れ出してきている。
――見つけた。
僕は直感した。
この先だ。
この先に僕が求める場所がある。
僕はすぐさま行動を開始した。
ノロイちゃんを先導させ、僕自身もミミツキがマッピングした安全なルートを辿ってその場所へと向かう。
道中何度かモンスターと遭遇したがもはや僕の敵ではなかった。
『足止め蔓』で動きを封じ、十分に時間を稼いでからノロイちゃんの一撃で沈める。
その戦法は既に完成の域に達していた。
数時間後、僕はついにその巨大な石扉の前にたどり着いた。
実物を見るとその威圧感はミミツキの視界を通して見るよりも遥かに凄まじい。
古代の、今はもう忘れ去られた文明の遺跡だろうか。
神々を祀る神殿かあるいは王族の墓所か。
いずれにせよ、これほど巨大な建造物を必要とした者たちがかつてこの地下に存在していたのだ。
問題はミミツキが見つけた穴だ。
中を窺うと内部は漆黒の闇に包まれていて何も見えない。
しかし僕の肌が、空気が、危険な何かの存在を告げていた。
ただのモンスターではない、もっと原始的で精神に直接干渉してくるような質の悪い気配。
僕はシャドウ・クロウラーの死骸から採取しておいた種を一つポーチから取り出した。
《深淵茸(しんえんだけ)。
周囲の光と音を吸収する性質を持つ菌類。
高密度で繁殖した場所は完全な無音・無光の空間となる》
僕はその種を穴の入り口に植えスキルを発動させた。
種は瞬く間に菌糸を伸ばし、黒くビロードのような質感のキノコを無数に発生させる。
キノコは僕の隠れ家を照らしていた燐光苔の光すらも吸い込み、穴の周囲だけがまるで空間ごと抉り取られたかのように絶対的な闇と静寂に包まれた。
準備は整った。
僕はミミツキを先行させ、自分もその闇の中へと足を踏み入れる。
穴の内部は狭い通路になっていた。
そして通路の壁や天井には無数の何かが蠢いている。
ミミツキの魔力感知がその正体を僕に伝えてきた。
『グルーム・ウィーバー』。
幻覚を見せる霧を発生させ獲物が精神的に消耗したところを襲う蜘蛛に似たモンスターだ。
彼らは視覚や聴覚ではなく、獲物の放つ恐怖や絶望といった負の感情を感知する。
深淵茸の結界は彼らの幻覚の霧からも僕を守ってくれていたが、僕自身が恐怖を感じてしまえば奴らは一斉に襲いかかってくるだろう。
甘く花の蜜のような香りが鼻腔をくすぐる。
幻覚の霧だ。
『――ジン、すまなかった! 俺が悪かったんだ!』
不意に脳内にアレクの声が響いた。
それは懺悔に満ちた悲痛な声だった。
『そうよ、ジンさん。
私たちは間違っていました。
どうか戻ってきてくださいな』
セラの涙に濡れたような声が続く。
『あんたの力が必要なのよ! 戻ってきてくれたら何でもするわ!』
リリアの必死な声。
くだらない。
あまりにも稚拙な幻覚だ。
あいつらが僕に謝る? 僕を必要とする? あり得ない。
僕をゴミのように捨てたあの時の、あの冷え切った目を僕が忘れるとでも思ったのか。
僕はアレクたちの顔を思い浮かべた。
本物の、僕を嘲笑っていたあの顔を。
僕をゴミのように捨てたあの最後の瞬間を。
恐怖など感じている暇はなかった。
僕の心を支配しているのはただ一つ、彼らへの燃え盛るような復讐心だけだ。
僕の感情はグルーム・ウィーバーが好むような怯えきった獲物のそれではない。
もっと冷たく硬くそして鋭利な捕食者のそれに近い。
グルーム・ウィーバーの群れの真下を僕は息を殺して通り抜ける。
奴らは僕の存在に気づかない。
僕が放つ感情は彼らの餌となる「恐怖」とはあまりにも質が違いすぎたのだ。
長い通路を抜けた先で僕は息を呑んだ。
そこに広がっていたのは信じられないほど広大な巨大な地下空洞だった。
広さは王都の大聖堂が丸ごと入ってしまうほどだろうか。
天井は遥か高くそこには燐光苔とは違う星々のように瞬く巨大な魔力結晶がいくつも埋まっており、まるで夜空のようにこの広間全体を青白く照らしていた。
その光は地底湖の静かな水面に反射し無数の光の柱となって幻想的に揺らめいている。
中央には鏡のように静かな水を湛えた地底湖。
そしてその湖を取り囲むように豊かな黒土がどこまでも広がっている。
空気は澄み渡り濃密な魔力が満ち満ちていた。
まるで世界が生まれた瞬間の空気がここにだけ封じ込められているかのようだった。
「……サンクチュアリだ」
僕だけの聖域。
ここは古代の神殿かあるいは何らかの巨大な施設の跡地なのだろう。
人工的に作られた階段や崩れた柱がかつての繁栄を物語っていた。
そして永い年月を経て迷宮に閉ざされた結果、独自の生態系と比類なき魔力溜まりが形成されたのだ。
僕は震える足でその聖域へと一歩を踏み出した。
まず初めにしたことは『怨嗟草』を植えることだ。
地底湖のほとり、最も魔力が濃く最も土が肥えた場所を選び僕は大事に抱えてきた苗を植え付けた。
そしてスキルを発動させる。
「育て。
僕の憎しみと共に。
この聖域の魔力を全て吸い上げて天に届くほどの絶望となれ」
僕の魔力と憎悪、そしてこの地に満ちる膨大な魔力を吸い上げ、怨嗟草は目に見える速さで成長を始めた。
その黒い茎はみるみるうちに太くなり複雑な模様を描きながら天へと伸びていく。
葉はまるで夜の闇を切り取ったかのように深く艶やかな黒色をしていた。
ここはこの草を育てるためだけに存在するかのような完璧な環境だった。
次に僕は新たな人形の制作に取り掛かる。
シャドウ・クロウラーの麻痺毒を持つ爪、グレイブ・ラットの硬い骨、そしてこの聖域で見つけた高純度の魔力結晶。
ありったけの素材を練り込み僕は新しい役割を持つ人形を作り上げていく。
一体は鳥の形をした斥候人形。
ミミツキよりも遥かに速く広範囲を偵察するための僕の『翼』。
名は「ヤミガラス」。
その目には遠くの光景を捉えるための水晶を埋め込み翼には音を立てずに滑空するための特殊な粘菌を塗り込めた。
粘土をこね骨で骨格を作り砕いた魔石を混ぜ込む。
そして最後に僕の魔力を注ぎ込みながらその役割を、その名前を、静かに囁きかける。
「お前はヤミガラス。
僕の翼となりこの奈落の全てを見渡せ」と。
もう一体は亀のような重厚な甲羅を持つ防御型の人形。
この聖域の入り口を守らせるための不動の『盾』。
名は「ガンテツ」。
その甲羅には砕いた魔力結晶を幾重にも重ねあらゆる物理攻撃を跳ね返すことを意図した。
一体また一体と僕の忠実な僕(しもべ)たちが生み出されていく。
ノロイちゃんが「剣」、ミミツキが「眼」、ヤミガラスが「翼」、そしてガンテツが「盾」。
僕の手足となり僕の復讐を成し遂げるための完璧な軍団。
僕は地底湖のほとりに立ち広大な僕だけの王国を見渡した。
天井では星々(魔力結晶)が瞬き僕の憎しみを糧に怨嗟草が静かに成長している。
傍らには僕の命令を待つ無口な人形たち。
あの小さな隠れ家でただ生き延びるためだけだった日々は終わった。
ここではもっと大きなことができる。
もっと多くの人形をもっと強力な毒をもっと深い絶望を生み出すことができる。
アレク。
リリア。
セラ。
お前たちは今頃地上で英雄として何不自由なく暮らしているのだろうか。
酒場で武勇伝を語り民衆の歓声を浴び僕のことなどとうの昔に忘れてしまったのだろう。
いいさ。
今はまだそれでいい。
僕がこの奈落の底でお前たちを絶望させるための力を静かに、確実に蓄えていることなど知る由もないのだから。
僕は闇の中で心の底から満足気に笑みを浮かべていた。
復讐の舞台は整った。
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