第四十話【同期ノ頁】

新刊が出るたびに、つい自動で更新される電子書籍。

けれども、あれは本当に“中身”だけが更新されているのでしょうか。

……記憶も、思考も、死さえも、書き換えられることがあるのです。


さて今宵、私が読み語るのは……

決して更新してはならぬ、“同期される死”にまつわる一冊。


どうかページを開くその指を、今一度、疑って――













 最初に異変に気づいたのは、通勤電車の中だった。


 スマートフォンで読みかけの電子書籍を開いた時、内容がまるで違うものに“書き換わって”いた。

 

 昨日までは、明治期の随筆集の復刻版だったはず。

 

 けれど今表示されているのは、妙に現代的な文体で書かれた短編で、

 


 しかも――

 主人公の名前が、俺と同じ。

 設定も、俺の住む場所も、職業も、すべて一致していた。



 偶然かと思い読み進めると、ページの中の“俺”が、今日これから起こすはずの行動が逐一描かれている。


 電車で寝過ごす。

 駅のホームで転びかける。

 コンビニで同僚と鉢合わせる――



 全部、現実と一致する。



 背中に薄ら寒い汗が浮いた。


 次のページには、まだ起きていない“未来の俺”が描かれていた。




 《午後七時三十四分、会社からの帰り道、交差点で信号を無視したトラックに撥ねられる》




 その瞬間、指が勝手に動き、ページを更新してしまった。


 内容が変わる――




 《午後七時三十五分、駅のホームから突き落とされる》




 ページを戻そうとしても、前の記述には戻れない。更新履歴も、どこにも残っていない。



 そして、その日以降…



 俺が電子書籍を開くたび、「次の死に方」が上書きされていくようになった。


 更新するたびに、俺の未来が塗り替えられていく。

 避けても避けても、文章が追ってくる。

 読まなければいい。ページを開かなければいい。



 でも――



 スマートフォンが、勝手に開くようになったのだ。




 “更新は自動で行われます”




 という通知とともに…



 何とかスマートフォンの設定を確認し、アプリの自動更新を切ろうとした。


 だが、その電子書籍アプリには「アンインストール」も「設定変更」も表示されていない。


 まるで、元々スマホに備わっていた機能のように、深く根を下ろしている。


 同僚に相談してみようとした。けれど、話そうとするたびに喉が詰まり、言葉が出ない。


 口が――閉じてしまうのだ。

 喋る意志はあるのに、声帯が動かない。

 代わりに、スマホの画面が勝手に点き、文章が表示される。




 《このことを話そうとしたが、声は出なかった》




 まるで俺の「今」が、リアルタイムで記述されていくようだった。

 これは、ただの予言ではない。

 俺の“記録”が、“書かれて”いるのだ。


 しかも、それは“誰か”が書いている文体ではない。

 読めば読むほど、それが俺自身の筆致であると分かってくる。

 日記のように、自己認識の断片のように。


 いつからだろう。

 ページに記される内容が、“死”だけではなくなってきたのは。




 《彼は、今日も自分が誰なのかを思い出せなかった》




 《彼は、昨日までの記憶が曖昧になってきていることに気づかないふりをした》




 画面が切り替わる。ページが開かれる。

 現実とフィクションの境が曖昧になっていく。

 

 否、もしかすると――


 境など、最初からなかったのかもしれない。


 俺が“俺”だと思っていた記憶さえ、この本に“書かれていた”だけなのではないか?

 そう気づいた瞬間、スマホのロック画面が更新された。

 背景には、白地の画面にただ一文だけ。




 《午後十一時、彼は自らログを同期する》


 


 その瞬間、手が――勝手に、端末をタップした。




 画面が切り替わる。ページが開かれる。

 まるで自分の意思ではないのに、「ログイン」と「同期」のボタンが、指先を誘導するように押されていく。




 《ログが更新されました》

 《同期が完了しました》




 淡々と表示される文字列。次の瞬間、視界の端が揺れた。

 いや、違う。俺の“視界”そのものが書き換えられたのだ。

 天井の色が、部屋のレイアウトが、写真立ての中の顔が――微妙に、違っている。


 どこがどう変わったのかを言葉にできない。

 だが、確実に「以前」とは違う。

 まるで“誰か別の男”としてのログが、上書きされたように。


 俺は本当に、俺だったのか?

 昨日の“俺”と、今日の“俺”は、同一の存在と言えるのか?


 スマートフォンが震えた。通知ではない。アプリそのものが、勝手に開いていく。

 そこに映るのは、まだ見ぬ「明日の記録」。




 《彼は午前零時、何も知らずに目を覚ます》




 《彼はその朝、自分の名前を“違うもの”だと思い込む》




 《彼は午後、自分が“読者”だったことすら忘れてしまう》




 ――読者?


 そうだ。

 この本は、俺が読んでいたはずだ。

 なのにいつの間にか、「俺」が“読まれて”いた。

 この電子書籍は、本を読むものではなく、“読み取る”存在なのだ。


 人格を、記憶を、未来を。

 全てを“同期”し、“上書き”し、“再生”する。


 俺は震える手で、スマートフォンの電源を切ろうとした。だが――切れない。

 画面が消えることはなく、代わりに次のページが表示された。




 《これより先は、有料会員限定の記録となります》

 《購読契約は自動で更新されます》




 笑い声が聞こえた…

 

 自分のものではない、スマホの中から漏れる、誰かの笑い声。

 それはきっと、最初にこの書を読み、そして“更新されてしまった”何者かの。




 《あなたの情報は正常に同期されました》




 画面が暗転する。

 次の瞬間、俺は――“俺ではない何か”として、目を覚ました。














電子書籍は、どこにいても読める便利な存在です。

しかし、その“どこにいても”という特性こそが、

誰かの意図しないところで“読み書きされる”危うさを孕んでいるのかもしれません。


紙の本のように、閉じれば沈黙するわけではない。

アップデート、クラウド、同期――それらはすべて、

記録が「死なない」ための仕組みであると同時に、

記録が「いつでも蘇る」ことを可能にする、危うい仕掛けでもあるのです。


それではまた、零時の店でお待ちしています――





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