外伝① ご主人様、ボタンをお止めしましょうか?

 王宮にて最も堅物と評される女性がいる。

 その名は、アーシュラ・グレヴァイン。

 伝統主義を貫く重鎮であり、議席の中でも発言力は随一。


「ロリィタ文化? なんということだ。

 我々ドラゴン族は、機能美と威厳のトーガを着てこそ、誇り高き存在なのだ」


 彼女は会議の場でそう言い切った。

 姫君たちの名も文化も、“情緒に流されすぎた一過性の現象”と切り捨てた。


 誰もが知っている。

 アーシュラは“可愛い”というものに、まったく免疫がない。


 ***


 その日。

 彼女は早く帰宅し、自邸の廊下を歩いていた。


 と、ふと開いた扉の隙間から――


「ひゃっ……フリルの裾、広がる……!」

「袖口のレースが、触るたびにゾクゾクする……」

「ちょっと、リボン曲がってるってば……やだ、笑わないでよ!」


 若いお手伝いの竜娘たちが、こっそりメイド風ロリィタを着て騒いでいた。


 アーシュラはその場で扉を開け放つ。


「なにをしているッ!」


「ひゃあああっ!」


 3人のメイドたちは跳び上がった。


「まさか……あなたたちがこんな――はしたない――可愛いだけの――っ」


 アーシュラは憤慨しながら、つい手にしていた黒のメイドドレスをぎゅっと掴む。

 その布の手触りは、思ったよりも、ずっと柔らかかった。


「……没収よ! これはわたくしが預かるわ!」


 バタンと音を立てて自室の扉が閉まった。


 ***


「……なんなのよ、これ……」


 静かな自室で、アーシュラはドレスを膝に広げる。


(フリル……スカートの広がり……なぜこんなに精緻に……)


 手が勝手に動き出す。

 ゆっくりと、袖を通し、身頃に腕を通し――

 背中のボタンが届かない。


「っ、ま、まあ……どうせ、見せるものでは……」


 鏡に映る自分の姿。

 完璧ではない。

 けれど――可愛かった。


 その瞬間――


「……ご主人様、ボタンをお止めしましょうか?」


「――ッ!!」


 鏡の後ろから現れたのは、さっきのメイドたち。

 ニヤニヤ、キラキラ、うるうるの目でこちらを見ている。


「ま、待って、これは違――」


「ふふ、ご主人様の“腰砕け”伝説、始まっちゃいますねぇ」


「ボタン、三つ目で仕留めるわよ」


「だめよ、五つ目まで取っておかないと……ねえ、ご主人様?」


 アーシュラの顔が真っ赤に染まる。


「……っ、好きにしなさい!」


 それは、可愛さの革命がひとりの大臣を落とした瞬間だった。


 翌日から、グレヴァイン邸では“黒のロリィタに身を包んだ主従関係”が

 ひそかに定着し始めたという。

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