第16話 答え合わせ
「ありがとう」
手渡しでお茶を受け取った志明は、美しい所作で一口飲むと「ふう」と息を吐いた。
「真衣が淹れたお茶を、一度飲んでみたかった。ようやく願いが叶ったな」
志明はにこりと微笑む。
じっと様子を観察をしていた真衣は、「はあ…」と大きなため息を吐いた。
「湯呑も持てますし、飲んだお茶も漏れていません。志明さんは、本当に生きているのですね」
「君が理解しやすいように行動で示していたのに、真衣は全然気付いてくれないのだからな」
本当に真衣は鈍感なんだな…と呆れたまなざしを向けてくる志明から、そっと目を逸らす。
たしかに自分は鈍感だったけれど、今回の件に関しては私は何も悪くないです!と、真衣は心の中だけで叫んでみた。
「何か複雑な事情があるようですが、これも間違いなく重要機密。いや、国家機密ですよね? それを、私が知って良かったのか……」
「前にも言ったが、真衣にだけは真実を知ってもらいたい。でも、君が嫌なら───」
「もう、ここまできたら『乗りかかった船』ですよ! 何があったのか、最後まできっちりと話を聞かせてもらいます!!」
腹をくくり、真衣は堂々と宣言をする。
目を細めて眺めていた志明は、順を追って説明を始めた。
◇◇◇
皇族としてこの世に生を受けた『志明』こと『和泉宮正志』は、体の弱い子供だった。
「環境の良い静かな場所で、療養を」との主治医からの勧めで、都を離れ地方で静養していた正志は、静かな遊び=読書を何よりも好んだ。
その趣味が高じ、自分で物語を創作するまでになる。
十八歳になったことを機に都へ戻った正志には、書生が付けられることになった。
彼は正志の一つ年上の十九歳。
ずっと地方に居たため都に友人も知人もいない孫を心配した、親代わりである祖父の気遣いだった。
二人は背格好や顔の作りがよく似ていたため、皇族である正志の影武者のような意味合いもあったのだろう。
都へ戻った正志だったが、他の皇族や華族たちとの交流の場へ出ることがだんだんと苦痛に感じるようになっていた。
幼い頃から一人静かに暮らしてきた彼にとって、大勢の人前に出ることは苦手だ。
そこで、正志は考えた。自分とよく似た容姿を持つ書生と立場を入れ替わってみるのはどうかと。
思い付きは、少々のいたずら心から。周囲に気づかれたら、そこで止めるつもりだった。
ところが、誰も気づかない。
結局、その後も他の貴族たちとの交流の場を半分は彼に任せ、自身は従者として彼らのやり取りを傍で観察することにした。
このときの経験をもとに執筆した『華族物語』で、その後、正志は『作家志明』として活動していくことになる。
正志に見合い話が持ち上がったのは、その一年後。
相手は、一歳年下の侯爵家令嬢だった。
皇族に生まれた以上は最低限の務めは果たさなければならないと、正志は婚約を了承する。……が、相手は派手な生活を好む、彼とは真逆の性格の持ち主だった。
本はほとんど読まず、日々買い物や茶会・舞踏会に明け暮れる許婚とはまったく反りが合わない。
しかし、これも義務だと彼は我慢し耐えていた。
そんなある日、風邪をひいた正志の代わりに、急遽書生が許婚の相手を務めることになる。
これを契機に、許婚同伴行事も半分を書生が担うこととなったが、これが後の悲劇を生む。
「俺が命を狙われたことは真衣にも話したが、実行犯はその場ですぐに捕らえられる。その後の捜査で、主犯たちが明らかになった」
「『主犯
「……俺の許婚と、書生だったのだ」
「!?」
衝撃の事実に、真衣は言葉が出なかった。
「どちらが計画を立てたのかはわからない。取り調べでは、お互いが相手のせいにしていたからな」
「志明さんは、それを見ていたのですね……」
「どうして俺の命を狙ったのか、その理由が知りたかった」
志明が貸本屋に姿を見せないことがあったのは、捜査の進捗状況を確認しに行っていたため。
実行犯は、侯爵家で裏の仕事を担う男だった。
彼は暗殺対象者が皇族の正志とは知らなかったと主張し、わかっていたらこんな仕事は引き受けなかったと弁明する。
事実、その日正志に扮した書生と許婚は舞踏会に出席しており、庶民の恰好をして一人街を歩いていた志明を正志と見破れる者は誰一人いなかった……入れ替わりを知る、主犯の二人以外は。
許婚として振る舞っているうちに二人は親密になり、ある野望を抱く。
正志を街中で強盗に遭遇したと見せかけて秘密裏に暗殺すれば、入れ替わったまま結婚できると考えたのだ。
正志が身元不明のまま庶民用の墓地に埋葬されてしまえば、証拠は残らない。
屋敷をこっそり抜け出しているため行き先はわからず、正志本人が行方不明でも表向きは影武者が存在しており、婚約は継続される。
そんな彼らの企みを阻止し、正志の命を救ったのは、他でもない家族の愛情だった。
「俺一人だけが……いつまでも子供だったのだ」
「…………」
ぽつりと呟いた志明の顔が苦しげに見えて、真衣は胸がギュッと苦しくなる。
慰めの言葉も見つからないまま、ただ黙って彼の手を握りしめた。
「祖父……おじいさまは、度々屋敷を抜け出す俺のために、こっそり護衛をつけてくれていた。だから、街で襲われたときも彼らが屋敷まで運んでくれたし、犯人をすぐに捕らえることができた。それに───」
普段は経済学や政治学などの本しか読まない祖父の私室には、志明の本がすべて揃っていた。
兄は生死をさまよっている弟のために、何よりも好物のワインを
信心深い姉は、嫁ぎ先の家業の合間をぬって何度も聖堂に足を運び、祈りを捧げていた。
正志が気付いていなかっただけで、家族は彼のことを大切に想っていたのだ。
「刺されたときは死ぬほど痛かったし、二人に裏切られたとわかったときは辛かった。でも、自分は家族から愛されていたと確認できたことは良かったと思う。それに……君にも出会えた」
真衣の手を握り返した志明は、穏やかな微笑みを浮かべた。
仕事場で真衣と別れた正志が目を開けたとき、目に飛び込んできたのは三人の人物……彼の名を呼び続けていたのは、あの世からの使者ではなく家族だった。
どうにか一命をとりとめた正志は、自身の希望を伝える。「このまま『和泉宮正志』は死んだことにして、これからは『志明(堀田誠司)』として生きていきたい」と。
実行犯、そして主犯の二人は極刑を科せられることが決まっていた。
しかし、事実をすべて公表すれば世間へ与える衝撃が大きすぎる。
国の上層部は、秘密裏に事態を収束させることにした。
通例であれば侯爵家は爵位を返上。家を取り潰されてもおかしくはなかった。
存続を許す代わりに、口裏を合わせることに同意させる。
こうして、正志と許婚の悲恋物語が作り上げられ、真実は闇に葬りさられたのだった。
「まるで、志明さんの華族物語に登場するようなお話ですね……」
「『事実は小説よりも奇なり』とは、よく言ったものだな」
座敷で食事をしながら、真衣と志明は苦笑いを浮かべる。
話の途中で空腹に耐えきれなくなった真衣のお腹が騒ぎ出し、一旦中断して夕食を食べることになった。
霊のときは食事が必要なかった志明だが、人に戻った現在はもちろんお腹もすく……というわけで、有り合わせの食材で簡単な夕食が二人分出来上がる。
少々量が物足りなさそうな志明の皿へ、自分の分を少し分けてあげた真衣だった。
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