第9話 明るい未来、不穏な動き
この日、貸本屋に来ていたのは、真衣の学校時代からの友人の
真衣が女給の仕事を辞めて伯母の店を継いだと聞き、わざわざ様子を見に来てくれたのだ。
真衣は、借金返済のために志明と(契約)結婚をしたことを友人には話していない。
友人たちへ結婚したと報告をすれば、相手を紹介してと言われるのは火を見るよりも明らか。
正直に借金返済のために結婚をしたと報告をすれば、要らぬ心配をかける。
おそらく、年の離れた男性と無理やり結婚させられたと勘違いをされるだけ。
しかし実際は、推し作家の創作の手助けができ、なおかつ、伯母の貸本屋も再開することができた。
だから、今の真衣はとても幸せなのだけれど。
◇
真衣は、貸本屋の座敷で恵美の恋愛相談を聞いていた。
学校時代も、よく友人たちの相談にのっていた。
真衣はいつも聞き役で、友人たちがアレコレと相談を持ちかけてくる。
それは、学校を卒業した今でも変わらない。
変わったのは───
「ねえ……恵美、彼もあなたのことが好きみたいだから、思い切って告白してみたら?」
───真衣は、つい提案をしてしまった。
恵美は、以前の真衣と同じように、別の茶房で女給の仕事をしている。その店の常連客へ、ずっと片思いをしていた。
長年付き合いのある恵美にも、真衣は霊視できることを秘密にしている。
そんな真衣に、恵美の守護霊がいろいろと訴えかけてきた。
彼も恵美が好きなのだと。だから、手を貸してほしいと。
どうやら守護霊は、思い悩む恵美を見るに見兼ねたらしい。
真衣は学校時代と同様に、話を聞くだけで意見はせず静かに見守ろうと思っていたのに。
まさか、
霊視で、占い師のようなことができるなど想像もしていなかった。
ただ、二人の話を同時に聞かなければならない真衣は、ものすごく大変だったけれど……
自分の気持ちを告げようと提案した真衣に半信半疑の恵美だったが、迷った末に行動を起こす。
そして結果は……晴れて、二人は付き合うこととなった。
真衣としては
しかし、物語にはまだ続きがあった。
この話は、その後尾ひれがついた状態で、噂話としてあっという間に友人たちへ広まっていく。
『真衣に恋愛相談をすれば、的確な助言がもらえる』『恋愛が成就する』と、他の友人や『友人の友人』も貸本屋へやって来るようになったのだ。
こうして真衣の店は、これまでの常連客だけでなく、恋愛相談に訪れる若い女性たちからも支持されていくことになる。
◆◆◆
その頃、『茶寮むらくも』には閑古鳥が鳴いていた。
数年前、耕一は時流に乗り
ここは、もともと父が営んでいたお茶屋があり、併設で母が『口寄せ(霊媒)』をしていた場所。
大通り沿いということもあり、耕一が店を継いだあともそれなりに繁盛をしていた。
茶寮への変更に際し、姉の君江は「流行りものはすぐに廃る。堅実に今の商売を続けたほうが良い」と何度も説得を試みたが、耕一が頑として聞き入れなかった。
開店すると流行りもの好きの客が殺到し、大繫盛となる。
人手が足らなくなり、止む無く学校を卒業し職を求めていた姪の真衣へ声をかけた。
住み込みで働かせ、家でも女中のように扱う。
それでも、真衣は文句ひとつ言わず、黙々と働いていた。
君江が亡くなり、真衣へ債務を押し付けた。
自分の娘が身売りされるなど、父として許せるわけがない。
ようやく厄介者と縁も切れ、清々した……はずだった。
真衣が店を辞め出て行ってから、徐々に客足が落ちていた。
近所に、新たな茶寮が開店した影響も大きい。
他の女給の話によると、真衣の不在の理由を尋ねる客が多かったとのこと。
辞めたと聞いた客たちは残念がり、次第に店から足が遠退いていることがわかった。
真衣との会話を楽しみにしていた老齢の常連客は、「真衣ちゃんが居ないのなら、この店に来る必要はない」と言い切ったほど。
耕一は知らなかったが、真衣はどんな客に対しても真摯に向き合っていた。
ソーダ水を頼むか躊躇していた客には、「口に入れるとシュワシュワとした飲み心地で、喉越しが大変良いです」とお薦めするなど、しっかりと客の心を掴む接客をしていたのだ。
◇
客のまばらな店内を眺めながら、店の奥で耕一はため息をつく。
このままでは人件費が払えないと、大勢いた女給を解雇したばかり。
代わりに、学校を卒業後も花嫁修業と称して家で怠惰な生活をしていた娘の鈴代を店で働かせることにしたが、まったく役に立たない。
逆に、接客態度が悪いことで客を怒らせる始末だった。
「今日も、相変わらず客は少ないですね」
裏口から店に入って来たのは、長男の明夫だった。
彼は最初から店を継ぐ気はなく、卒業後は新聞社に勤めている。
会社近くにアパートを借り一人暮らしをしている、気ままな独身者だ。
「おまえのところで、うちの店の記事を書いて載せてくれないか?」
新聞で取り上げてもらえば、客も戻ってくるだろう。
そんな耕一の浅はかな考えを、明夫は一笑に伏す。
「個人的な記事を、載せられるわけがありません。誰か有名人がお忍びで訪れたとかなら、可能性もあると思いますが……」
社会的な事件や事故の記事と、大衆が興味をひく有名人の噂話。
新聞社では、その両方を扱っていた。
「はあ……あの時、姉さんの相続人を鈴代にしておけば、こんなことにはならなかったのに」
「まだ、そんなことを言っているのですか。今さら後悔したところで、何もかわりませんよ」
あの時の父の判断が間違っていたとは、明夫は思っていない。
借金の形となった真衣は、通常ならば身売りをされていたのだから。
たまたま相手が金銭に頓着しないほどの大金持ちだったのか、よほど真衣に惚れこんだのか。
いずれにせよ、鈴代では代わりにはなれなかったと明夫は思っている。
実の妹ながら、あの気の強い性格では相手に受け入れられなかっただろう、と。
「それで、真衣の夫…債権者がどんな人物かわかったのか?」
「名前は、
明夫が、手帳のメモ書きを読み上げる。
「最低でもひと回り以上は年上で、真衣を後妻に迎えたのだと思っていたが。親からの遺産を受け継いだ、金持ちの坊ちゃんなのか……どちらにせよ、真衣は上手いことやったものだな」
「そういえば、真衣が伯母さまの貸本屋を再開しました。なかなか繁盛しているようですよ」
「……兄さん、それって本当なの?」
いきなり会話に割り込んできたのは鈴代だった。
「盗み聞きとは、あまり感心しないな」
「鈴代! おまえ、また仕事を放棄してきたのか!」
「全然客が来ないのに、ボーっと立っているだけじゃ疲れるわ。私は休憩をしにきたの」
「おまえは、疲れるほど働いていないだろうが!」
さっさと椅子に座り込んだ鈴代を、険しい顔で睨む耕一。
不毛な言い争いが始まる前に、用事の済んだ明夫は退散することにした。
「先輩が特大ネタを仕入れてきて、記者総出でこれから裏取りをするところなんです。というわけで、当分の間家にもここにも顔を出せませんので、あしからず」
伝えたいことだけを伝えると、明夫は表から出て行く。
今から向かうのは、とある場所。
他社に気づかれぬよう、慎重に事を進めなければならない。
裏さえ取れれば、数日後にはある人物の顔が一面を大きく飾ることになるだろう。
その紙面を頭に思い浮かべながら、明夫は路面電車に乗り込んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます