第6話 妻としての仕事


 真衣が志明と夫婦になってから、数日が経過した。

 

 結婚をしたといっても相手は『霊』なので、そのまま貸本屋の二階に一人で住んでいる。

 食事の用意や洗濯なども自分の分だけをすればよいため、一人暮らしと何ら変わりはない。

 

 夫の志明はというと、真衣に用事があるときだけ、どこからともなく姿を現す。

 一度、着替え中に志明がふらりとやって来て、「真衣、すまない!」とすぐに姿を消したことがあった。


 その時は着物の帯を解いただけの状態で、彼に素肌を見られたわけでもない。

 真衣は大して気にしなかったが、それ以降、志明は一階の貸本屋にしか現れなくなった。

 

 そこに真衣が居なければ、まずは下から声をかける。

 許可を得て、ようやく二階へやって来るのだ。

 その紳士然とした志明の態度には、育ちの良さを感じた。

 


 ◇◇◇



 この日、二人は志明の仕事場にいた。

 大きな座卓の前に座りペンを構えた真衣は、志明が口を開くのを待っている。


「……『○○まるまるは、○○まるまる侯爵の派閥へ入る決意を固めた。悠長に構えている時間はない。こうしている間にも、状況は刻一刻と変化している。』」


 全神経を集中し、一言一句書き漏らさぬよう素早くペンを走らせる真衣の表情は真剣そのもの。

 少しでも借金を返済すべく、志明の執筆活動に貢献しなければならない。

 

 ちなみに、執筆の手伝いを始めた初日に、真衣は彼が『作家志明』であることをあっさりと認めた。

 趣味で執筆活動をしている素人が、有名作家を詐称して模倣しているだけではないと感じたことが一番の理由だ。

 

 偽者であれば、こんな面白い作品は書けない。もし書けるのであれば、詐称する必要はない。

 自分の名で、堂々と作品を発表すればいいのだから。

 散々疑い頑なに信じなかった過去の自分の態度を謝罪したところ、志明は「信じてもらえて良かった」とにこやかに笑っていた。


 志明の口述は、まだまだ続いている。

 よくこんなに文章が思い浮かぶものだと、感心してしまう。

 しばらくして、ようやく言葉が途切れた。集中が切れ手も疲れた真衣は、そのまま机に突っ伏したのだった。


「……あの、志明さん。また、名の決まっていない登場人物が増えたのですか?」


 今日だけでも名の無い人物がすでに数名登場済みで、実は主役の名もまだ『仮』のままだったりする。

 代筆している真衣は、頭がごちゃごちゃになってきた。

 

 趣味で創作活動をしていた学校の後輩は、まず主要な登場人物の名や細かい設定・起承転結あらすじなどを決め紙に書き出す。

 それから、それを基に物語を書き始めていたと記憶している。


 しかし、志明にはそんなものは一切存在しない。

 彼の頭の中には物語の設計図があるようで、いきなりそれを文章化するのだ。

 そして、推敲しながら何度も加筆・修正を加えていくという手法を取っているとのこと。


「私は、いつもこんなふうに書いているのだ。登場人物たちが勝手に動くから、それを文章化するだけで手一杯になる。私にとっては彼らの動きを止めないよう物語を進めていくことが一番重要で、人名・国名などは後から考えればいいからな」


「でも、『○○』ばかりじゃ後から見直したときに誰が誰かわからなくなりますし、国名だって『○○王国』や『○○帝国』ばかりなのも……」


「まったく問題はない。真衣が気になるのなら適当に名付けてくれて構わないし、そのほうが私も名を考えずに済んで有り難い。では、続きを言っていくぞ。『「○○様、皇家から使いが……」』」


「あっ、ちょっと待ってください!!」


 どうやら、真衣と志明では頭の出来が違うらしい。

 自分の残念な頭を恨めしく思いつつ、ペンを持ち直し再び作業に戻る。

 

 今日の志明は、すこぶる調子がいいようだ。

 波に乗れば志明はいくらでも文章が思い浮かび、真衣は彼の声を聞き取りひたすらペンを走らせることになる。


 反対に、行き詰まったときは一日中停滞することも。

 そんな時は、未読の志明本を読みながら静かに待つことにしている。

 好きな本をたくさん読むことができる待ち時間も、真衣にとっては至福の時間なのだ。

 

 今回執筆代行をして、志明ほどの人気作家でも生みの苦しみがあることを真衣は初めて知った。

 苦しみを経て生まれる作品を、これまで以上に大切に読み進めようと心に誓う。

 同時に、生み出してくれた志明へ改めて感謝の念を抱いたのだった。



 ◇



 夕刻近くになり、本日の作業は終了となった。

 薄暗くなりかけている空を眺めながら、真衣は店までの道程をのんびりと歩いていく。


「真衣のおかげで、かなり作業が捗った。これなら、予定より早く版元へ持ち込めるかもしれないな」


「でも、その前にこちらが先なのですよね?」


 真衣が指をさしたのは、自分が手に持っている風呂敷包み。

 中には、志明の未発表作品が入っている。

 今日は、新作の執筆代行とは別に、志明が書き上げていた別作品の音読もしていた。


「『自分が声に出して読む』のと『他人に読んでもらう』のとでは、受ける印象がまったく違った。十分推敲をしたと思っていたが、修正点もあったし……」


「では、持ち込むのはまだ止めておきますか?」


「いや、明日持って行くことにしよう。いつまでも推敲をしていたらキリがないし、真衣に版元の場所や店主を紹介しないといけないからな」


「わかりました」


 ついに、志明の代理人としての初仕事が始まる。

 今から緊張している真衣に、志明は「店主は見た目が強面こわもてのおじさんだけど、良い人だぞ」と笑う。

 それでも、妻である自分に粗相があれば、夫である志明の評判にもかかわってくる。

 

 真衣は、改めて気を引き締めたのだった。



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