月の浜の妖怪伝承 地蔵の恩返し〜夜船百足

【地蔵の恩返し】


 享保の頃、⚫︎郡のなにがしという家では主君が大の刀好きで、新しい刀を手にすると必ず試し切りをした。


 試し切りには罪人の死体が使われたが、これはいつでも手に入るものではなく、奉公人たちは月の浜に流れ着いた水死体を拾ってきてこの死体を工面していた。


 ある時、いつものようにために試し切りに使う死体を海に探しに行った奉公人だったが、一つの死体も流れ着いていない。


 明日も見つからなければもはやこの身を差し出す他ない、と思いながら帰ろうとしたところ、浜辺にお地蔵様が流れ着いているのに気づいた。


 信心深かった奉公人は捨ておけず、お地蔵様を引き上げると、綺麗に磨いて担ぎ上げ、近くの街の寺に運び住職に預けた。


 住職は大変素晴らしい心がけである、何か功徳があるだろうと言う。ならば主君に渡す死体が欲しいと思ったところ、家に戻ったところで空からぼとぼととたくさんの死体が降ってきた。


 この死体がどれも肉厚で試し切りにもってこいだったので、主君は大いに喜び、奉公人は褒美を賜ったという。


 しかし、さてその死体をそこらに捨ててこようとしたところ死体がすべて砕けたお地蔵様に変わったので、ああ、お地蔵様の恩返しだ、と奉公人はさらに信心を深めたという。


 この時のお地蔵様の体を積み上げて祀った塚はためし塚と呼ばれ、現在も月の浜駅からすぐのところに佇んでいる。




【泥梨布袋】


 明治まで月の浜にはよく水死体が漂流した。


 それらは共有財産であるとされ、近隣のものが自由に持ち帰ることが許されたが、その中には決して持ち帰ってはいけない死体もあったと言う。



 その死体は老若男女は当然、時には犬であったり海鳥であったりと様々な生き物の姿で流れ着いてくる。


 その共通点として、表面が漆を塗ったように真っ黒に変色しており、腹が大きく膨れ、首がない、などの特徴が挙げられるが、もっとも印象的なのは必ず「袋」を携えている点だろう。


 この袋の中には、おそらくその死体のものであろう生首がいくつもいっぱいに入っているが、どの首も鼻も目も口もない、ヘラで粘土をならしたように平らなのっぺらぼうで、中心に小さな丸い穴が空いている。この穴は非常に均整の取れた円形で、淵はひんやりと冷たいという。


 平賀源内が月の浜に訪れた際、この類の死体を集めさせ測ったところ、袋の中から出てきた生首の顔に空いた穴は、いずれもちょうど1寸であった。


 この穴を少しでも覗くと気がふれる、一時的に財産や知恵を与えられるが必ず破滅する、などと言われ、その外見や携えた袋から「泥梨布袋(ないりのほてい)」と呼ばれた。


 ある時、赤作という漁師が偶然海で泥梨布袋に出くわした。その時は羽の三つある奇形のカラスの姿で、例に漏れず首から上がなく袋を携えていた。


 かねてより穴の中がどうなっているのか気になっていた赤作は、早速袋の中身を取り出してみる。嘴も目も鼻もないカラスののっぺりした、茄子のような生首がぎっしり詰まっている。その一つを取って、赤作は穴を恐る恐る覗いてみた。


 すると穴の中には壁に布がかけられ、手回し式の何かの機会と、何人もの人々がいる部屋が見えた。兄弟だろうか?仲の良さそうな髭面の二人組が機械の回し車を持って回すと、布に光が当てられ、電車が映るのが見えた。


 赤作は興奮しながら、穴をさらに凝視した。二人が回し車を回すと、布に映し出された電車がまるでその場にあるかのように動き出した。


 驚いた部屋の中の人々が席を立つが、電車はどんどん迫ってきて、とうとう部屋の中にいた人間を全員轢き殺してしまった。


 二人の男がゲラゲラと笑うと、その姿に重なるように紙のように厚みのない面長な男が姿を現した。


 赤作はそれを他のものにも見せようとしたが、いつのまにか舌が取れてしまっていた。舌は砂浜を蠢きながら「泡ぞ放(ひ)り吹くあぶくの痕」と唱えた。


 赤作はたまらなく嬉しくなって、その言葉を皆に伝えたと言う。


 これを面白がった赤作の両親は赤作の腹を生きたまま裂いて殺し、内蔵を乾かして薬を作ったところ飛ぶように売れたので製薬会社を建てて大いに栄えたが、6年後に薬害によって従業員もろとも全ての内臓を吐いて死んでしまった。


 しばらくは薬品工場の廃墟が野晒しのまま残ったが、カラー写真の台頭とともに薄れて消えてしまったそうだ。そのあたりは今はただ砂浜が広がっているだけだが、時折、「泡ぞ放り吹くあぶくの痕」と聞こえるそうだ。




【油瞽女】


 月の浜のあたりは一番近い村に行くにも半日歩き、だだっ広い砂浜が広がっているが、昔はその辺りも大いに栄えて漁師たちが村を作って暮らしていた。


 今のような様子になったのには大変悲しい由来がある。


 その昔、月の浜には油瞽女(あぶらごぜ)という女の化け物が出た。


 身の丈三十間ほどで海に浮かび上がり、盲目で三味線をかき鳴らし、全身が油に濡れている。油瞽女はよく災害などを予言したため、これが出た次の日に漁に出るものはいなかった。


 ある時、中国から訪れた老亀という仙人がこの油瞽女に惚れ、海中でまぐわい子まで成したが、生まれた子たちは皆大きく、半人半獣のような姿だったので他の漁師たちに殺されてしまった。


 すると、悲しんだ油瞽女が黒い泥のような涙を流し、その中から死者が溢れてきて、太陽を引き摺り下ろしたので、あたりはみんな燃えてしまった。


 油瞽女はそのことを酷く恥じて、己の心臓を取り出して老亀に渡すと、自らは天に昇って太陽になった。


 老亀は油瞽女を思いながら心臓を煮て食ったので、殺された子どもたちは犬、蛇、娘となって老亀の腹から生まれ直した。


 この時の痛みで老亀は気が触れ、牛馬とまぐわうようになったそうだ。


 さて、生まれ直した子らは、犬は海面を泳いで行き、蛇は海の底に潜って行った。娘は老亀をしばらく看病していたが、露吉の気が触れて死んでからは浜に流れ着く水死者を弔うようになった。




【夜船百足】


 この話の中で海に潜って行ったとされる「蛇」のその後は描かれないが、月の浜近海に出ると言う「夜船百足」と言う妖怪がこの蛇であるとする伝承がある。


 夜船百足はムカデとは言うものの全身を鱗と鰭に覆われた蛇とも魚ともつかない生き物で、その身の丈は頭から尾まで歩いて数日かかると言われるほどである。


 一説にはこの夜船百足は毒を持ち、これを吹きかけられるとどんな強者も瞬く間に死んでしまうとして、大変に恐れられた。


 その一方で夜船百足が現れると雷が止む、夜船百足に気に入られたものは三度まで頭を射抜かれても死ぬことがないなどとも言われ、信仰の対象にもなっていた。


 そんな夜船百足だが、最も特徴的なのは化けることだろう。狸や狐が化けると言う話はどこにでもあるし、犬や猫も化けるが、巨大な海獣が化けると言うのはどうもその姿と不釣り合いに思える。曰く、この妖怪は猫に化けるのだと言う。


 ある時、夜の海で猫が溺れているのを見て、漁師が助けてやろうと抱き上げたところ、体がどこまでも伸びて行って一向に足が水面から出てこない。


 恐ろしくなって海に投げ出すと、猫は大蛇のようなものになって波に消えて行ったとのだそうだ。


 以来漁師は毎年大漁に恵まれたのだが、釣った魚は大変美味であるものの皆奇形で、鰭が十も二十もあったと言う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る