第26話 明との講和、大陸からの撤退

文禄二年(1593年)。朝鮮半島での戦いは泥沼化し、明の大軍が参戦したことで、秀吉の目論見は大きく狂い始めていた。陸上での進軍は停滞し、海上からの補給は朝鮮水軍の妨害によって常に危機に瀕していた。戦線の膠着と兵の疲弊は甚だしく、和平交渉の機運が高まっていた。秀吉の心には、小一郎秀長が生前、あれほどまでに危惧していた「無益な争い」が、現実のものとして重くのしかかっていた。


「小一郎…お前が申した通り、海を渡る戦は、これほどまでに難儀なものだったとは…」


秀吉は、日ごとに増える戦死者の報告と、補給の滞りによる兵糧不足の訴えに、深い疲労を感じていた。小一郎が残した未来の地理図や、海上補給線の脆弱性に関する記述が、今になって真実味を帯びて秀吉の脳裏に蘇る。彼は、弟の警告を無視したことへの後悔の念を、強く抱き始めていたのだ。


明との講和交渉は、史実通り、困難を極めた。明側は日本の撤兵を強く求め、秀吉は自身の体面と権威を保ちたいと固執した。しかし、戦の継続がもたらすであろう損害を、秀吉は小一郎の残した未来の知識から漠然とだが予見していた。小一郎は、書物の中で、遠征が長期化した場合に発生する莫大な戦費と、それに伴う国内の経済的混乱、そして人々の疲弊について、遠回しに示唆していたのだ。


秀吉は、家臣たちと連日軍議を開いたが、誰もが自身の意図を汲み取ろうとするばかりで、真に戦局を打開する策を提示する者はいなかった。その中で、秀吉の脳裏には、小一郎が常に冷静に、そして客観的に状況を分析し、最適な解を導き出していた姿が蘇った。


「もし、小一郎が生きていれば…」


この時、秀吉は初めて、弟の死が自分にとって、どれほど大きな損失であったかを痛感した。小一郎の存在が、彼の暴走を唯一食い止める「抑止力」だったのだ。


結局、明との講和交渉は、互いの思惑が絡み合い、最終的な決着には至らなかった。しかし、この講和交渉の期間中に、秀吉は多くの兵を引き上げ、朝鮮半島からの撤退を本格化させることになる。これは、史実では一度目の朝鮮出兵(文禄の役)の一時的な停戦期間にあたる。


秀吉は、小一郎の遺志が自分に語りかけているかのように感じていた。「これ以上の無益な犠牲は出すな」と。その思いが、彼に大陸からの完全撤退を命じるという、史実よりもわずかにだが早い判断をさせることになる。彼は、全軍撤退を命じ、兵を日本へ引き揚げ始めた。これは、史実で慶長の役へと繋がる再出兵を、秀吉が完全に断念するわけではないが、その規模や目的を大きく見直すきっかけとなった。


小一郎の死は、秀吉の行動を完全に変えることはできなかった。しかし、彼の遺志と残された知識は、秀吉の心の奥底に「平和」という楔を打ち込み、彼の行く末に、わずかながらも影響を与え続けたことは確かだった。文禄の役は、小一郎というブレーキを失った秀吉の暴走の一端であったが、弟の影は、その暴走に微かな揺らぎを与え、後の歴史の歯車を、ごくわずかだが、異なる方向へと動かし始めていた。

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