第25話 文禄の役の推移、静かなる影響
天正二十年(1592年)四月、秀吉は、ついに朝鮮半島への大遠征、文禄の役を開始した。約16万の大軍が海を渡り、瞬く間に朝鮮の首都・漢城(ソウル)を陥落させた。その快進撃は、日本の戦国武士たちの武威を天下に示すものだった。しかし、この戦いの裏には、小一郎秀長が生前、秀吉に訴え続けた平和への願いと、彼の残した知識が、ごくわずかだが、史実とは異なる影響を与えていた。
秀吉は、破竹の勢いで進む日本軍の報告に高揚感を覚えていた。だが、その心の奥底には、常に小一郎の顔がちらついていた。
「小一郎…お前は、この戦が…無益だと申したのか?」
秀吉は、遠征に際し、小一郎が残した書物や図面をこっそりと持ち込んでいた。そこには、未来の地理学の知識に基づく朝鮮半島の詳細な地形図や、この時代の日本にはない補給線維持の重要性に関する記述があった。小一郎は、生前、言葉では直接朝鮮出兵を止められなかったものの、兄が少しでも合理的な判断を下せるよう、間接的なヒントを遺していたのだ。
例えば、秀吉は史実においても、補給の重要性を認識していたが、この物語においては、小一郎の知識が加わったことで、その認識はさらに徹底された。初期の快進撃は、小一郎が残した地図と、彼が間接的に秀吉に教え込んだ「兵站は軍の命綱」という概念が、ある程度機能した結果でもあった。秀吉は、小一郎が語った「効率」や「持続可能性」という言葉を思い出し、むやみな焦土作戦を避け、占領地の治安維持にも力を入れるよう命じた。
しかし、戦況は次第に泥沼化していく。朝鮮側の抵抗は激しく、明の援軍が到着すると、戦線は膠着状態に陥った。特に、李舜臣率いる朝鮮水軍の活躍は、日本の海上補給線を脅かし、陸上での優位性を失わせる要因となった。小一郎は、生前、日本の水軍が世界的に見て未熟であること、そして海上補給が最も脆弱な点となることを、遠回しに示唆していた。秀吉は、その言葉を今になって痛感していた。
「陸戦では我々が優位に立てても、海を制されれば…」
秀吉は、小一郎が残した海図と、彼が語った「制海権」という言葉の意味を、身をもって理解し始めていた。史実では、日本軍は水軍の劣勢により補給に苦しみ、戦線維持が困難となるが、この物語の秀吉は、小一郎の警告をより深く認識していたため、史実よりも早く水軍の重要性を悟り、対策を講じ始める。具体的には、補給船の護衛体制を強化したり、より大型の輸送船の開発を命じたりする動きを見せた。
それでも、戦は長期化し、兵士たちの疲弊は甚だしかった。秀吉の心には、小一郎が危惧した通りの「無益な争い」になっているのではないかという疑念が、日々膨らんでいった。小一郎の死は、秀吉の行動を完全に変えることはできなかった。しかし、彼の遺志と残された知識は、秀吉の思考に影響を与え、史実よりもわずかにだが、この遠征の推移に変化をもたらしていた。
小一郎の願いは、兄の過ちを完全に止めることではなかったかもしれない。しかし、その死が、秀吉の心の奥底に「平和」という楔を打ち込み、彼の行く末に、わずかながらも影響を与え続けたことは確かだった。
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