第5話 村瀬愛梨




「へー。美月たちが言ってた新しくできたバーって、ここだったんだ。てか、マスター超イケメンじゃん」


ふふっと笑いながら肘をつく愛梨に、マスターはいつもの調子でにこにこと微笑み、「ありがとう」と返した。


愛梨が「ニンファーのメンバーには聞かれたくない話だから」と言うので、lotus flowerからBloomに場所を変えた。


 


「ねぇ、悠から聞いたんだけどさ。マスターって、前ホストやってたってほんと?」


 


私は水色のカクテルに乗ったシャーベットをスプーンでつつきながら、ニヤリと笑ってそう聞いた。


マスターは少しだけムッとしたような顔になって、「そうだけど?」と拗ねたような声で答える。


 


「こっちに来たとき、できる仕事っていったらそれくらいしかなかったんだよね」


「え、嫌だったの?」


「あんまり楽しくはなかったかな」


 


……意外。

マスターって口うまいし、人と話すのも好きそうなのに。絶対ホスト向きって感じなのに。


 


「女の子と話すの、嫌だったの?」


「いや、そういうわけじゃないけど……。うーん、まあ、それもひとつかな。喋れる子を選べないってのは、ちょっとキツかったかも」


「わー、ひどい。じゃあここでは喋りたくない人とは喋ってないんだ? 好きなお客さんにだけ、贔屓してるってことでしょ?」


「そうだよ? でもその中でも――美咲ちゃんと喋ってるのが、一番楽しいかな」


 


マスターはそう言ってふっと目を細め、私を見た。

うぐっ、と言葉が詰まり、思わず視線をそらす。


 


……いや、絶対ホスト楽しかったでしょ。

悠が言ってた。マスターはあっという間に人気になったって。

どうせこうやって、女の子落として楽しんでたんだ。


 


「マスターって絶対腹黒でしょ」


「心外だな……俺は純粋だよ?」


「そんな悪趣味な笑い方する人に、純粋なんて言葉似合わないから!」


 


そんな軽口を叩きながら、私は愛梨を横目でチラリと見る。

そろそろ……聞いてもいい頃かな。


 


「ねぇ、愛梨。さっきの話だけど――」


「うん……。あ、マスター、今から話すことは、悠くんとかには内緒ね?」


「もちろん。お客さんのプライバシーは守るよ」


「ならよかった……。実はね――ブレティラの副トップの、宮瀬くんに一目惚れしちゃって……!」


 


きゃーっ、と顔を両手で隠す愛梨。

私は苦笑しながら「一目惚れなんだ」と呟いた。


 


「っていうか、愛梨って彼氏いなかったっけ……?」


たしか、美月たちと初めて会ったとき、愛梨が「彼氏とデート」って言ってたような……。


 


「いたけど! 好きな人できたからって、もう別れちゃった! 一昨日!

この前、ブレティラの幹部と会う機会があってさ。そのとき彼もいて……一瞬で落ちちゃったの!」


 


さっぱりした愛梨の性格に、私は「そっか」と頷くしかない。


 


「その男、そんなにカッコいいの?」


マスターが興味ありげに私を見る。


「うーん……まあ、確かに。顔は綺麗系っていうか……かっこいいかも」


 


って――はっ!


「えっ、美咲、宮瀬くんに会ったことあるの!?」


「あ、いや、会ったってほどじゃないんだけど。ほら、私って噂好きでしょ? 前に幹部が集まるって情報を手に入れて、友達と遠くから見に行ったことがあって……」


「えっ、わざわざ見に行ったの!?……ほんとそういうとこマメなんだね、美咲って」


「う、うん……。で、愛梨は宮瀬に彼女がいるか知りたいんだよね?」


「そうなの! ていうか、私も少し喋っただけだから、彼のこと全然知らないんだけど……せめて彼女がいるかどうかだけでも!」


 「うーん……今のところ、そういう噂は聞かないよ? いないんじゃないかな」


実際、女の子と一緒にいるとこなんて見たことない。


 


「ほんとに? 美咲も“いない”って聞いてるの?」


「う、うん。あくまで噂だけどね。……でも、ブレティラの副トップに恋したとか、美月たちに知られたら怒られるんじゃない?」


「だからこうして、美咲に頼ってるんじゃん〜!」


 


う〜っと泣きそうな顔で、愛梨が私の膝に倒れ込んでくる。

そして顔だけ起こして、マスターを見る。


 


「ねぇマスターって、ホストだったんだよね?」


「うん、そうだけど」


「じゃあさ、ホストの力で! モテる技、なんか教えてよ〜!」


「愛梨、それ逆だよ。ホストは女の子相手にする仕事だから、モテる技っていうより“モテさせる”側でしょ? ね、マスター?」


私が笑いながら言うと、マスターは珍しく少し真面目な顔で考え込む。


「……マスター?」


「あ、うん。俺は無理だけど――前にいた店の店長がね。キャバも経営しててさ。

そこのナンバーワンの穣なら、男を落とすテクとか詳しいかも」


「男を手玉に取る……って、それもう恋愛っていうか狩猟じゃん……」


 

呆れた私とは対照的に、愛梨は目をキラキラさせて身を乗り出す。


「すごいっ! ねぇマスター、その店長に連絡してよ!」


「今、電話してみる」


 

マスターはスマホを取り出して、奥の部屋へ。

少しして戻ってくると、にこっと微笑んで言った。


「話ついたよ」


「やったー!!」


 


ナンバーワンのキャバ嬢か……。

一体どんな人なんだろうと、私もちょっとだけワクワクしていたその時――


 


ブーブーブーッ……


 


ん……???


 


「美咲、スマホ鳴ってるよ」


「う、うん……電話だ」


 


慌ててスマホを手に取り、私はBloomの外へ出た。




表示された番号を見た瞬間、嫌な予感が胸をよぎり、顔から血の気が引いていく。


「……もしもし」


『あ、サナエちゃん? 木崎だけど、覚えてる?』


「……覚えてますけど。なんの用ですか?」


『いやさ、ちょっと頼みたいことがあってさ。知り合いが“人気ナンバーワンのキャバ嬢”を探してるんだよ。サナエちゃん、行ってくれない?』


――嘘でしょ。


予想外の展開に、頭を抱える。

まさか…マスターが前にいたホストクラブの店長って、木崎さんだったのか。


「私、もうキャバ嬢じゃないんですけど……!」


『いやあ、うちの店、今ちょっと人手不足でさ~。女の子出せないのよ。でも透には世話になったし……あ、透ってさ、今回紹介して欲しいって言ってる知り合いね。サナエちゃん、夜の仕事辞めたんでしょ? じゃあ夜ヒマでしょ?』


勝手な理屈を並べてくる木崎さんに、頭が痛くなる。

そうだ……。以前、とあるキャバ嬢の親から「娘の素行を調べてほしい」と依頼されて、一週間だけ店に潜入したことがあったっけ。

その時の設定は「22歳・昼はOLのサナエ☆」――。


「ていうか、私1週間しかいなかったし!そんなのナンバーワンキャバ嬢とか紹介しないでよ」


『いやいや、体入(体験入店)で1日200万売り上げた“伝説の女”だよ? 若く見えるし、顔も可愛いし、トークも上手くて、今でも語り草だよ〜』


「勝手なこと言わないでよ。あの時ってナンバー持ってた他の女の子全員インフルで休んでただけじゃん! しかも、給料一銭ももらえなかったし!」


『それは君が帰り際にキャスト全員の個人情報資料、盗もうとしたからだろ?』


……ぐう。


確かにそうだ。

あの時、ここまで稼げるなら続けてもいいかなと思った矢先に、盗みがバレて即クビになったんだった。


まあ、情報は全部持ち帰れたけど。


『あの件、まだ警察に出してもいいんだよ? たしか名前も住所も嘘だったしね?』


「う……わ、わかりましたよ」


『よしよし。じゃあサナエちゃんのこと、ちゃんと紹介しとくから。よろしくね〜』


木崎さんは一方的にそう言って、電話を切った。


「……なんなの、もう……」


その場に立ち尽くしていた私は、ズルズルとしゃがみ込み、頭を抱えた。








「初めまして〜。木崎さんから紹介されて来ました、サナエです☆」


黒のドレスを着て、営業スマイルを決める。慣れないヒールが足に馴染まず、内心では既に帰りたさ全開だ。


『んじゃ、そういうことだから。サナエ、よろしくな』


マスターのスマホから聞こえるスピーカー越しの木崎さんの声。私のときと同じように、一方的に通話を切る。


「……なにしてるの? 美咲」


愛梨がきょとんと首をかしげる。その素朴な視線が、ぐさぐさと心に刺さる。


「美咲ちゃん、キャバ嬢だったの?」


今度はマスターからも、いつもの柔らかい笑みではなく、少し訝しげな目で見られて――思わず声を荒げた。


「違うよっ! 前にちょっと……興味本位でキャバクラで働いてみただけ! ほんとにちょっとだけで、すぐに辞めたの!」


もちろん、“盗みがバレてクビになった”なんてことは言わないでおく。


「でもでも、さっきの木崎さんって人、“伝説のナンバーワンキャバ嬢”とか言ってたよ?」


「一週間だけなのにすごい売上だったって」


「それは…たまたま運が良かっただけ。偶然その時来た社長さんが、すごく気に入ってくれて……高いお酒、いっぱい入れてくれただけ」


本当にただの偶然。でも、妙に説得力を持って伝説になってしまっているのがまた厄介だ。


「じゃあさっ、美咲流の“男を落とすテク”教えてよ!」


「テ、テクって……そんなの、持ってないよ……」


思わず引きつった笑みを浮かべる。


「美咲、彼氏いたことあるの?」


「えっ……? あ、う、うん。一応、いたにはいたけど……」


記憶の奥を引っ張り出してみたけれど、あまり思い出したくないことばかりだった。


「じゃあ決まりだよぉ! 美咲は頭いいし、伝説のキャバ嬢で、恋愛経験も豊富でしょ!? 宮瀬くんにアタックするの、手伝ってよ!」


「え、いや、えっと……」


いつの間にか“経験豊富”という設定まで付け足されている。

絶対、恋愛経験値は愛梨の方が上のはずなのに――なんでこうなった。


……でもまあ、今回の目的は「ニンファーでの信頼を得ること」。

ここで愛梨のお願いを断るわけにはいかない。


私は、キラキラした目でこちらを見てくる愛梨に、ため息まじりにうなずいた。


「じゃ、じゃあ……とりあえず、宮瀬って人、探しに行こっか」






「はい、完成っと」


にっこり笑って、メイクを仕上げた愛梨の顔を覗き込む。美人で肌が綺麗だから、化粧のしがいがある。……楽しい。


「ホントに別人みたいだな。すげぇ」


変装後の愛梨を見て、マスターが感心したように呟く。


私は「ふふん」と自慢げに笑った。


「これで、よっぽどのことがなければニンファーってバレないよ」


「ありがとう、美咲」


黒髪ロングにメガネをかけた愛梨が立ち上がる。その姿は、いつもの明るい愛梨とはまるで別人だった。


「ここに、宮瀬くんが来るの?」


「うん。噂によると、向こうの廃工場にブレティラのアジトがあるらしくて、幹部連中はよくこの道を通るんだって」


朝。私たち3人は、ブレティラのアジト付近にある公園に来ていた。マスターの高そうなネックレスが、朝日を受けてキラリと光る。


「てかさ、なんでマスターも来たの?」


「だって、なんか面白そうじゃん? それに美咲ちゃんの“テク”も見たいし」


「だ、だから、テクなんてないってば……!」


この人と喋ってると、ペースが狂う。そもそも、太陽の下にいるのが似合わなすぎるんだよな…。


今日は土曜日。情報では、副トップの宮瀬修一が朝10時ごろにこの道を通るはず。


……それにしても。


「美咲? どうかした?」


私がじっと道の向かいにあるコンビニを見つめていると、愛梨が首をかしげた。


「あ、ううん。なんでもない」


コンビニの窓から、雑誌を立ち読みしている黒い帽子の人物が見えた。さっき、こっちをじっと見ていた気がするけど……。


――ま、目立ってたから、気になっただけかも。


「それでさ。その男がこの道を通ったら、どうするつもり?」


マスターの問いに、私はニヤッと笑って、『通話中』と表示されたスマホを掲げた。


『おい』


「え、誰!?」


『誰じゃねえよ。……なんでお前ら、俺の番号知ってんだよ』


苛立ちの混じった声が響く。


「この声……昨日の……」


「菊池くん、まだ着かないの?」


『今向かってるっつーの』


しばらくすると、ブオーッと大きなエンジン音と共に、公園の前に黒い単車が止まった。今日は特攻服でなく、白のTシャツにライダースジャケットを着ている。


彼はバイクから降りると、私をじろりと睨みつける。


「てめぇ……」


「おはよう♪」


「み、美咲、どういうこと……?」


「ちょっと作戦があってね。菊池くんにも、ここに来てもらうように連絡しといたの」


そう言って笑顔を向け、菊池くんの肩に手を置いた瞬間、ぶわっと殺気のような空気が走る。


慌てて手を離す。こ、怖い……。


「……私、あんたが悠くんに言ったこと、まだ許してないからね」


愛梨がじとっと睨むと、菊池くんは「ふん」とそっぽを向いた。


「ま、まあまあ」


副トップと接点を作るには、ブレティラに信用されている菊池くんから紹介してもらうのが一番手っ取り早い。

もちろん海人に頼むって手もあるけど、彼が疑われて追い出されるようなことになったら大変だ。


「ねぇ、菊池くん。私たちを、副トップの宮瀬くんに紹介してくれない?」


「……本気で言ってんのか?」


「本気本気。設定はね――私たちは三人兄妹で、菊池くんのいとこ。名前はサトル、アイカ、ミナミ。今月ここに引っ越してきて、近くに住んでるから、ブレティラの幹部に挨拶しておきたい……って感じで」


「お前ら、何する気だよ。ブレティラに潜入して、戦争でも起こすつもりか?」


「そんな物騒なことしないってば! ブレティラの損になるようなことはしない、って約束するから。お願い!」


手を合わせて、上目遣いで見つめる。菊池くんは「う……」と唸り、目を細めて――諦めたようにため息をついた。


――よしっ!


内心でガッツポーズ。菊池くんの歴代彼女の情報から、彼の好みは把握済み。茶髪でちょっとヤンチャ系、ぱっちり二重で甘めの顔が好き。


でも、完全に作り替えると不自然だから、骨格や髪型はあえてあまり変えない。メイクだけで魅せる。それがプロ。


「……これが、ナンバーワンキャバ嬢の“モテテク”ってやつ?」


「こっわ……」


ヒソヒソと話す愛梨とマスターの声に、思わず顔が赤くなる。


「も、もう! そろそろ時間だし! 菊池くん、よろしくね?」


「……くっそ、こんなのバレたら、殺されるだけじゃすまねぇぞ……」


「その時は、私が責任もって匿ってあげるから」


「なんの責任だよ……」


苦い顔を浮かべた菊池くんの背を押し、私たちは公園を出る。


ちょうどそのとき――ブレティラの幹部たちが、ぞろぞろとこちらへ歩いてくるのが見えた。





「……太刀川さん、宮瀬さん。お疲れ様っす。ボスと誠也さんも、ご無沙汰してます」


「あ〜? 博之? お前、こんなとこで何してんの?」


銀色の髪を揺らしながら、男がゆらりと首を傾けた。


――白蛇の総長、平野真紘(ひらのまひろ)。


左から順に、白蛇総長・平野真紘、黒龍総長・森川誠也(もりかわせいや)、ブレティラのトップ・太刀川颯斗(たちかわはやと)、そして副トップ・宮瀬修一。


……蒼々たるメンツに、思わず喉を鳴らしそうになる。


朝の陽に照らされながら、太刀川は怠そうに目を細め、ゆっくりと菊池くん、そして私たちに視線を移す。


その目が合った瞬間、蛇に睨まれたみたいに、背筋がひやりと凍った。


……怖い。


何もしてないのに、立ってるだけで罪を問われてるような気分になる。これが“トップ”の威圧感か。


菊池くんも緊張してるのがわかる。顔を引きつらせながら、私たちを指差した。


「朝からすんません。ちょっと、こいつら紹介したくて」


「はぁ? 誰だよこいつら」


「……俺のいとこっす。今月からこの辺に越してきたんで、挨拶させようと思って」


「よろしくねっ」


「よろしく〜」


……緊張してるの、私と菊池くんだけ?


隣で愛梨とマスターが緩い笑顔を浮かべてるのを見て、冷や汗が増す。


いや、敵対してるチームの幹部たちを前に、なんでそんな笑顔出るの? 逆に怖いんだけど!


「へぇ。肝、座ってんじゃん。さすが博之の親族だな」


平野が面白そうに笑い、肩の力が少し抜ける。


愛梨とマスターの“天然感”が、逆に功を奏したのかもしれない。今のところ、掴みは悪くない……!


(よし、この調子で少しずつ接点を作って――)


「せっかくですし、これからご飯でも——」


「宮瀬くん!」


えっ……?


私が言い終える前に、愛梨が前へ一歩飛び出た。


は? え、えええ!??


彼女は一直線に宮瀬くんの前へ行き、その手を、ぎゅっと握った。


「おわっ……な、なんだお前」


「私……宮瀬くんに一目惚れしちゃったの!」


まっすぐな瞳で、愛梨が言った。


「お願い、宮瀬くんっ! 私と、デートして!!」


――時が止まった。


「は、はぁ!?」


まず反応したのは、菊池くん。目をひん剥いて二度見してる。


私は固まったまま、声すら出ない。


宮瀬くんも、ぽかんと口を開け、愛梨の顔を訝しげに見つめていた。


空気が凍りつく。


一拍、二拍……。


「だめ……かな?」


愛梨が潤んだ目で、もう一度尋ねた、その瞬間。


「――クフッ……ハハッ、ハハハッ!」


不意に、太刀川が笑い出した。


「ハハッハハハッ、なんだよ菊池ッ、こいつ、おもしれぇな!」


肩を揺らしながら、涙を浮かべて笑ってる。さっきまでの緊張感はどこへやら。


「笑ってんじゃねぇよ」


横で宮瀬が苦い顔をする。


それでも太刀川は笑いながら言った。


「いいじゃねぇかシュウ。こんな美人が惚れたっつってんだ。デートの一つや二つ、付き合ってやれよ」


「……チッ、なんなんだよマジで」


そう言いながらも、宮瀬は手を振り払うことなく、愛梨の様子をじっと見ていた。


そして、愛梨の顔がパァッと輝く。


***


「……なんだったんだろう、私の徹夜作戦……」


Bloomに戻ってきた私は、テーブルに突っ伏して頭を抱える。


目の前に、マスターがアイスティーを置いてくれた。


「まあまあ、よかったじゃん。結局、愛梨ちゃんは宮瀬くんと知り合えたんだし。それに何より、面白かったし」


「あの状況面白かったって思ってるの、マスターだけだよ……!」



愛梨と宮瀬くんはそのまま、ふたりでショッピングモールに行くことになったのだ。


私は菊池くんと別れ、マスターとBloomに帰ってきた。



「それで? これで終わり?」


「……ううん。まだ」


マスターの問いに首を振る。一応、愛梨の願いは“宮瀬くんを口説き落とす”ことだ。


私はこっそり、愛梨とつないでいた通話をスピーカーに切り替え、マスターにも聞こえるようにする。


『……じゃあじゃあ、次はこのお店行こっ!』


『おい待てよ……って、ここ、ランジェリーの店じゃねぇか!!』


……うん、それなりにうまくいってる。たぶん。


「愛梨、そんなとこ連れてっちゃだめだよ。とりあえずお昼だし、どこかでランチにしたら? その近くにいい感じのイタリアンレストランがあるよ」


『宮瀬く〜ん、やっぱりそこのイタリアン行こう〜っ!』


『は、はぁ!? 自由かよ……』


……う、うん。やっぱりちょっと不安かもしれない。


***


『お前……アイカって言ったか?』


『え? うん、そうだよ〜』


『菊池のいとこって、マジ?』


『うん。なんで?』


『いや……別に』


会話は一見、穏やかに流れている。でも、少しだけ——ほんの少しだけ、噛み合っていない気がした。


とはいえ、大きなトラブルもなく、夕方を迎える。


「これで無事終了……かな」


そう思った、その時だった。


『なあ、ちょっと行きたいところがあるんだ』


宮瀬くんがそう言って、愛梨をショッピングモールの外へ連れ出す。


——ディナー?


でも、聞こえてくる街の音と雑踏の空気に、私は何か違和感を覚えた。


そして次に届いたのは、聞き覚えのある店名だった。


「……そのお店って……スペイン料理の、肉バル?」


肉バル『Feliz』。おしゃれで有名なそのレストラン。だが、私は思わず眉をひそめた。


一見、問題はなさそう。でも、どこかひっかかる。


そして、ふと頭をよぎった記憶と一致して、ゾッとした。



「……やばい。嵌められたかも」


「え?」


「愛梨! 今すぐそのお店出て!」


慌てて話しかけたが、返事がない。


電波が悪いのか、スマホが使えないのか――


「美咲ちゃん!?」


私は立ち上がり、すぐにBloomを飛び出した。







肉バル『Feliz』。ブレティラのバックにいる密売組織がよく利用している店だ。



『……よぉ菊池。今日の女。ツケちまっていいよな?』



そんな言葉が聞こえ、私は一層足を速めた。





「はぁ…はぁ……」



タクシーを拾って、なんとかその場所にたどり着く。店に入ると、数人の男に囲まれた愛梨が膝を落としていた。



「愛梨…!」



慌てて助けに行こうとするが、店員らしき外国人に阻まれる。


強引に捕まえようとしてくる彼らから逃れながら愛梨を見る。周りには何人か男達が倒れていて、愛梨が抵抗したように見えるが、彼女の様子がおかしい。


しゃがみこみ、床に手をついてフルフルと体を震わせている。吐こうとしているようで、片手を口の中に突っ込んでいる。


そんな彼女を、隣にいた宮瀬が蹴り飛ばした。



「……っ」



愛梨は倒れ込み、ゴホゴホっと咳をする。



そんな彼女の頭を引っ張りあげるように、宮瀬は彼女の髪を掴んで持ち上げた。



「マジであんた顔は綺麗だけど、マイペースで股緩そうだし、俺のタイプじゃないんだよ」


「あ、んた……」


「悪いけど、俺の事好きならその体売ってくんない? なぁ? 気持ちいいだろ?」



宮瀬が愛梨の頬に手を這わす。彼女は頬を真っ赤に染め、涎を垂らしていた。そのただならぬ様子に、ぐっと唇を噛む。



「愛梨…っ! もう! こいつら邪魔…っ!」



私を阻んでくる男達に何度パンチをしてもビクともしない。何とか捉えられないように逃げてはいるが、ガタイが大きくて、前に行けない。



「なんだよ新しい客か? 捕まえろ」



宮瀬がこちらに気づいて、笑いながらそう言う。


くそ…っ、このクズ…!!!



愛梨を囲んでいた男達がわらわらとこちらに来て、攻撃を躱すのも難しくなる。足を取られ転んでしまい、その隙に、男に馬乗りになられる。



「ぐう…っ」



口を抑えられて、床に押し付けられる。その時、ガンっと骨が割れるような鈍い音がして、私に乗っていた男が消えた。



「美咲ちゃん大丈夫?」


「ま、マスター…」



たった一蹴りで、ガタイのいい外国人の男を吹っ飛ばした彼は、私の手を掴んだ。



「なんでここが…」


「やばそうな様子だったから追いかけてきた」


「なんだてめぇは…」



男達が青筋を浮かべてマスターを見た。横を見ると、さっきの男が壁に打ち付けられて、血を流して倒れていた。



一応死んではいないようだけど…、ただの蹴りであんなになる? と背筋が少し冷たくなる。



マスターは襲ってくる男をみるみるうちに地面に伏せさせた。



つ、つよ…!?



細身の彼の異常な強さにぎょっとしながら、道が開けたので慌てて愛梨の元に行く。



宮瀬の手を振り払って、愛梨を抱き起こす。



「愛梨、大丈夫…!?」



心拍数が上がって、瞳孔が拡大している。この症状は恐らくコカインの類だろうけど、こんなに苦しそうな所を見ると、大量に飲まされたのか。


愛梨は再度、手を口に突っ込んで吐こうとする。私は背を撫で、それを手伝う。



――とりあえず、救急車。



「待てよ」



宮瀬がスマホを出そうとする私の腕を掴んだ。振り払い、きっと睨みつける。



「あんた…許さない」


「お前…今朝こいつと一緒にいた女だな?」


「……愛梨にこんなことして、ただですむと思ってんの?」


「愛梨……? こいつの名前はアイカじゃなかったのか?」



訝しげに首を傾げる宮瀬に、拳を構える。怒りに任せて彼を殴ろうとしたところで、私の前に誰かが立ち塞がった。



え……?



マスターかと思ったが、違う。黒い帽子にサングラスをしたその男は、私を庇うように立ち塞がり、ちらっとこちらを見た。その格好に見覚えがあり、はっと気づく。




――この人、朝コンビニからこっちを見てた…。




「あんたは愛梨を頼む」


「え…?」



男はそう言うと、宮瀬に向かって行く。宮瀬からの攻撃を優雅に躱し、彼を壁に追い込んだ。



「う…美咲…」



何が何だかわかんないけど、とりあえず愛梨を助けなきゃ。


救急車を呼び、吐いた愛梨を抱き起こし、店から出す。自販機で急いで水を買って、愛梨に飲ませた。



愛梨は水を飲むと、泣きそうな声で、「マサくん…」と呟いた。






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