第3話 lotus flower
『……サキ〜、最近コスモスんとこの西地区がざわついてる気がすんだけど、なにかわかる?』
「ああ…。それだと、多分下の方の内輪揉めかも。最近、コスモスの幹部の情報が全く入ってこないんだけど、それは下の人達も同じみたい。統制がつかなくなってる。もしかして、幹部の連中もう灰狼町にいないかもね」
『なるほどね〜。その荒れてるやつらの詳細ってわかる?』
「うん。今チームと名前の一覧送る」
『さんきゅー。……まあ今んとこ、こっちに脅威はないっぽいな。助かったわ、今度飯奢るな』
「はーい」
電話を切って、ふっと息を吐く。
依頼された情報をまとめてから、モニターに目を戻す。監視カメラの映像を切り替え、Bloom周辺の映像に切り替えてみる。
「あ、マスター……」
ちょうどコンビニから出てくるマスターの姿が見えた。今は17時。開店準備の時間だろう。
店の中までは映らないが、周辺の動きは押さえておきたい。
録画ボタンを押し、PCをスリープにする。
テーブルの上に置いていた名刺に、ちらと目を落とす。
lotus flower
会員制の高級クラブ――夜の街でも少し特別な場所だ。行ったことはないが、名前だけは知っていた。
まさか、ここがニンファーのアジトだったとは。
営業時間は18時から。そろそろ時間だ。
立ち上がって、ジャケットを羽織る。
歩きながら、昨日ミツキたちに言われたことを反芻する。
――私がニンファーに入る?
冗談かと思ったけど、彼らの顔は真剣だった。
私にとっては、渡りに船。
潜入して、“5人目”の情報を引き出したら、さっと抜ければいい。
……そう思ってはいるけど。
(でも、もし全部バレてたら? クラブに着いた瞬間、捕まって――拷問とか……)
そんな映画みたいな妄想が頭をよぎって、顔が青くなる。
念のため、すぐに逃げられるように準備はしてあるけど、心臓の音は静まらない。
そうして考えているうちに、目的の場所に着いた。
lotus flower
「いらっしゃいませ。会員証はお持ちですか?」
店に入るなり、黒いスーツ姿の男に声をかけられた。
「あ、えっと……」
慌ててカバンの中を探り、昨日渡された名刺を取り出す。
軽く苦笑いしながら、それを差し出した。
「一応、招待されてきたんですけど〜」
「どなた様からのご紹介でしょうか?」
「ミ、ミツキさんとハナさん……それと、ユウさんから…」
男の表情が、ピクリと強張る。
「恐れ入りますが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「星那美咲です。美咲って言えば、たぶん通じると思います」
男は小さく頷き、無線機に手を当てると、短く何かを告げた。
しばらくして、深く一礼する。
「お待たせいたしました。ご案内いたします」
重厚な扉が静かに開かれ、中へと導かれる。
店内は静まり返っていた。
入ってすぐのテーブル席には誰の姿もなく、スタッフらしき人影すら見えない。
――これ、ほんとにクラブ……?
不安になりながら周囲を見回していると、奥の個室の扉が開いた。
「あ……」
「美咲。来てくれてありがとう」
「ユウ……」
「こっち。みんな揃ってるよ」
ユウに促されて、そのまま奥の個室に足を踏み入れる。
「あ、来た。この子ね?」
栗色の髪に猫目が印象的な、柔らかな雰囲気の女性が笑顔でこちらを見た。
アイリだ。
そして、
「ふーん、あなたが」
無表情でノートパソコンの前に座り、メガネ越しに鋭い視線を向けてくる女性……ミオウ。
「美咲ちゃん、昨日ぶり!」
「来てくれてありがとね」
ハナとミツキも、そこにいた。
部屋にいたのは、その4人だけだった。
5人目の姿は見当たらない。――やはり、そう簡単には姿を現さないか。
ユウが実は5人目って可能性もまだ消えてないけれど。
「はじめまして。星那美咲です」
「よろしくね」
「座って。あ、なんか飲む?」
ユウに促され、部屋の隅のソファに座る。
みんなモデルみたいに背が高くて、オーラがすごい。
思わず背筋が伸びて、心臓がバクバク鳴る。
「美咲ちゃん、緊張してる? あはは、大丈夫だよ。ミツキ以外は怖くないから」
「ちょっと、それどういう意味よ」
「ほら、怖いじゃん! あ、ユウ、いいよ私ジュース取ってくる」
ハナとミツキのやりとりに、少しだけ肩の力が抜ける。
――ああ、昨日と変わらない。この空気なら……少しだけ安心できる。
ハナがオレンジジュースを差し出してくれる。
「ありがとう……」
ぎこちなく受け取って、口をつける。
……変な味は、しない。
内心、睡眠薬でも入ってたらどうしようと疑っていた自分がちょっと恥ずかしい。
「それで美咲、ニンファーに入るって件だけど、どう?」
目の前に座ったユウが、あっさりと核心を突いてきた。
「えっと……」
少し戸惑いながらも、私は小さく頷く。
「そ、そんなすごいチームに入れてもらえるなんて、私なんかでいいのかなって……。逆に、いいのかなって思って」
「アイリとミオウはどう思う?」
「私は大歓迎だよ〜〜。こんな可愛い子! 最近ブレティラが超好戦的だから、今すぐにでも即戦力が欲しかったとこだしね。……でも、ミツキの蹴りをかわしたって本当?」
ほわっとした口調で、アイリがこちらをじっと見つめてくる。
――なるほど。新しいメンバー探してた理由は、それか。
「ほんとほんと!」
ハナが大げさなジェスチャーを交えながら頷いた。
「すごかったんだから。あんな動ける子、そうそういないよ」
「……私は別にいいけど。ちょっと調べさせて」
ミオウが少し眉をひそめて言い、じっとこちらを睨むように見てくる。
その視線に一瞬たじろぎそうになる。――彼女は、私のことをよく思っていないのかもしれない。
「ごめんね、美咲。一応こっちも、見ず知らずの人間を簡単には入れられないから。調べさせてもらうけど、許して?」
ユウが申し訳なさそうに笑う。
「あ、うん。それは全然」
構わないよ、と頷いた。
――昨日帰ってから、“星那美咲”という架空の身分を徹底的に仕立てた。
数人の協力者にも根回ししておいた。多少探られた程度でボロは出ないはず。
「じゃあ、正式に。今日から美咲はニンファーの一員ということで!」
ユウが満面の笑みで拍手する。
他のメンバーが、その様子をやや呆れたように見ていた。
「ユウ、テンション高っ」
「6人目探すの、けっこう苦戦してたもんね」
「お前らの条件が厳しすぎて、俺だって大変だったんだよ」
「……え、そんな感じだったのに、私で本当にいいの?」
「マジで美咲しかいないって。初めて話したとき、ビビッときたからな」
そう言って、ユウは立ち上がる。
「じゃ、話もまとまったし、俺はもう行くわ」
「うん、私もそろそろ帰ろ〜っと」
ハナが続いて立ち上がり、ミツキ、ミオウも無言で席を立つ。
あっという間に部屋から人がいなくなって、残ったのは私とアイリだけだった。
アイリはソファにごろりと寝転がって、ファッション雑誌をめくっていた。
「アイリさん」
呼びかけると、「んー?」と首だけこちらを向ける。
「ここのクラブって、お客さん来ないんですか? それとも今日はお休み?」
「んとね〜、lotus flowerは表向きはクラブってことになってるけど、実際は営業してないの。昔ミツキのパパが使ってたお店なんだけどね〜。今は、私たちのたまり場にしちゃってる感じ」
「へえ。ミツキの家ってお金持ちなんだ?」
「そうそう〜。お嬢様なの、あの子。私たちはその恩恵にあやかって、こうして好き勝手やらせてもらってるわけ」
ふむふむ。
アイリはふわぁ〜っと欠伸をして、目をこすった。
「皆帰っちゃったし、私もそろそろ帰ろっかな〜」
「私、もう少しここにいてもいい?」
「いいよ〜。帰りに入口にいる黒服に声掛けてってね。あっ、そうだ。明後日、ユウくんとブレティラの方に行くんだけど、ミツキたちは大学の授業で来れないの。美咲、一緒に来てくれる?」
「あ、うん!」
「ありがとっ! じゃあ、また明日ね〜」
「……あ、そういえばさ!」
アイリが立ち上がったタイミングで、私はふと思いついたように声をかけた。
「ユウも、ニンファーの一員なの?」
「ううん、違うよ。ニンファーは“女の子だけのチームがいい〜”ってなって、作ったから。……まあでも、ユウくんもメンバーって思ってくれてもいいかも。いろいろ、私たちのために動いてくれてるし」
「そっか。じゃあ、ニンファーって、私入れて5人?」
「うーん……もう一人いるんだけどね、ちょっと事情があって、まだ言えないの。ま、そのうち美咲にも紹介するよ」
「うん、会えるの楽しみにしてる。あっ、引き止めちゃってごめんね」
「ううん、大丈夫〜。じゃあねっ!」
再度手を振って、アイリが出ていく。
私は笑顔でそれを見送って、ふぅっと小さく息を吐いた。
――そう簡単には教えてくれないか。
あっさりニンファーに入れてくれたり、いろいろ話してくれたりするわりに、本名や大学名、5人目の存在のような核心には、誰も触れてこない。
当然かもしれないけれど、やっぱり、まだ私はまったく信用されていないんだ。
部屋にひとりになり、あらためて中を見回す。
lotus flowerに入って、この部屋に来るまでに何台か監視カメラがあったけれど、この部屋にはなさそうだ。
念のため、くまなく部屋の隅々を確認する。
そして、カバンから小さな盗聴器と精密ドライバーを取り出した。
壁のコンセントカバーを静かに外し、クリップ型の盗聴器を中に取り付ける。
FMラジオと受信機で周波数を確認しながら、音量を極限まで抑えて微調整する。
「……こんくらいかな」
バレないよう、カバーを元通りに固定する。少し強めに締めて、外れないようにしっかりと。
「これでよし」
これで私がいなくても、5人目の話が出れば、すぐにわかる。
物事が上手く行き過ぎて、逆に不安になる。
昨日、あそこで偶然マスターに声をかけられて、ミツキたちと再会して――追いかけてきたのは、正解だった。
でも――
「……」
あれは、偶然だったのだろうか。
マスターとユウが仲良さそうに話していたあの光景を思い出す。
「……もうちょっと、調べてみなきゃな」
*
「……」
瀬川悠、か――。
その名前を目で追いながら、書類を睨んでいたそのとき。
「あれ、美咲……?」
呼びかけられ、瞬時に書類を鞄へ滑り込ませる。
いちごフラッペのストローから口を離して、自然に振り返る。
「……悠? あれ? 仕事帰り?」
スーツ姿の彼を見て、驚いたふうに目を見開いた。
「うん。偶然だね。こんなとこで何してるの?」
「仕事帰りに、そこのカフェ寄ってたんだ〜」
「あ、それ、新作のやつ?」
「そうそう! ……もしかして、今からクラブ行くの?」
「いや、今日はそのまま帰るつもりだった。……そういえば、美咲って一人暮らしって言ってたよね? もしお腹空いてたら、ご飯でも行く?」
「うん! 行く行く!」
思わず声が弾んだ。期待していた誘いに、満面の笑顔で頷く。
*
「奢ってもらっちゃって、ありがと」
近くのレストランを出て、夜の道を並んで歩く。
家を教える気はないが、送ると言われて、適当な場所まで付き合うことにした。
「大したものじゃないし、一応年上だしね」
「ユウって童顔だから、話してると年上ってこと忘れちゃう」
「よく言われるよ。ちょっと気にしてるんだけどさ」
軽く笑って、流し目を寄越す。
その横顔が妙に色っぽくて、不覚にもドキリとしてしまう。
「す、スーツ姿もカッコよかったよ!」
「そう? だったら良かった」
「お仕事、大変?」
「まあね。男ばっかの職場だし、昼休みはくだらない話ばっかしてるよ。……あ、そうだ。うちの会社、いつも掃除のパートさんが来てくれるんだけど、今日はすごい若い女の子が来てさ。みんな色めき立ってたよ」
「え〜、それって下ネタ系? 男の人ってほんとすぐそういう話するよね〜」
掃除の若い女の子……その言葉に少しヒヤッとしながら、話の流れでじとっとした視線を送ると、悠が「いやいや」と首を振った。
「俺は話してないからね?」
「ほんと〜〜? てか、ユウはさ、ニンファーの誰かと付き合ってたりするの?」
何気なく聞いたその問いに、にこやかだった表情が一瞬だけ止まる。
――あれ、何かある?
しかし、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「バカ言うなよ。あいつらとは腐れ縁なの。中学から大学まで同じでね」
「へぇ〜、大学まで一緒なんて仲良しなんだね。あ、そういえば明日、アイリに“ブレティラのとこに一緒に来て”って言われたよ。ユウも行くって聞いた」
「ああ、それか。最近ニンファーが仕切ってるコンビニに強盗が入ってさ。それ調べたら、ブレティラの仕業だったってわかって。明日、その件で現場確認に行くんだけど……俺、喧嘩はからっきしでさ。美咲が一緒に来てくれると助かる」
「なるほどね……」
確かに、先週そんな事件があった。ガラの悪い連中が関わっていたと聞いている。行くからには、少し下調べしておいた方がいいかもしれない。
「……ねぇ、ユウはあの店、よく行くの?」
「あの店?」
「Bloom。マスターと仲良いんでしょ?」
核心の一歩手前。今日、偶然を装って探りに来た目的――その確認。
「ああ、透さんのことね」
ユウはそう言って、ふと空を見上げるように目線を上げた。
「“よく”ってほどじゃないけど、知り合いだよ。店の開店も手伝ったし」
「親戚、とか?」
「いや。透さんは、ミツキの父親がやってるホストクラブのキャストだったんだよ」
「えっ、あのマスターが? ……まあ、言われてみればホストっぽい見た目してるかも」
「でしょ。灰狼町にふらっと現れてホスト始めたら、見た目もあってすぐ人気になって。俺の耳にもすぐ届いた。どんな人か気になって会いに行って、仲良くなって……で、店を出したいって話になってさ」
「そうなんだ……」
マスターにそんな過去があったなんて知らなかった。
映像データ、過去に遡ってチェックしておくべきかも。
しばらく歩いていると、ユウが立ち止まって周囲を見渡す。
「この辺が、美咲の家?」
気づけば、ブレティラの縄張りのすぐ近くまで来てしまっていた。
「あ、うん。ここら辺で大丈夫。仕事帰りで疲れてるのに、送ってくれてありがとう」
「別にいいけど、もっと奥に行くとブレティラの連中がうろついてて危ないから、寄り道しないで帰りなよ。……じゃ、また明日」
「うんっ! ばいばい!」
手を振って別れ、背を向ける。
たたたっと走って、少し先にあるアパートの一室へ。
ドアを開け、声に張りを持たせて言った。
「――ただいまー」
「おかえりー…って、ばか!」
家の中からそんなノリツッコミが帰ってきて、あははっとその声の主を見返す。
「なによ。優しく出迎えてよ」
「何自分ちみてぇに他人の家に入って来てんだよ」
シャワーを浴びていたのか、上半身裸で髪を拭いている男がじとっとした目でこちらを見返す。
「あ、らっきーすけべ」
「馬鹿なこと言ってんな。襲うぞ」
「やれるもんならやってみな?」
軽口を叩きながら、玄関のドアを少し開けて外の様子を伺う。
悠は……いない。追いかけてきてはいないようだ。
「……おい、ニンファーに追われてんじゃないだろうな」
「追われてないよ。一応家入る前に別れたし」
「大丈夫かよ? てか今日仕事どうしたんだよ」
「今日は休み。悠っていうニンファーの仲間の会社に潜入して、フルネームも調べてきた」
「……まじかよ」
驚いている男を他所に、テーブル前に座り、悠の会社から奪ってきた資料を広げ、ノートパソコンを広げた。
『中学から大学まで同じでね』
悠は確かにそう言った。盗んできた会社の資料によると、悠の出身大学は『乙桐学院大学』。灰狼町の隣の町にあるここら辺では有名な私立大学だ。
「大学わかったらこっちのもん」
「大学にも潜入するのか?」
「ううん。ここまでわかれば、パソコンだけで調べられる」
大学の教員専用のサイトに不正アクセスし、学生の一覧を映し出す。
4人と同じ名前の人物が多数。健康診断の結果から、彼女らの体型と照らし合わせて…。
・須藤 美月
・織部 葉菜
・村瀬 愛梨
・鈴原 海桜
「……なるほどねー」
「わかったか?」
「うん」
「教えろよ」
「やだよ。あんたブレティラじゃん。50万くれたら教えくれてもいいよ?」
「なんだよ。偽の身分通してやってるだろ」
「それとこれとは別ー。まあ、本名わかったところであの人達なら何も問題ないと思うけど」
大事なのは、こっから。
盗聴器の受信機を耳につけながら、立ち上がる。今日は誰も来てないみたい。
5人目も、多分同じ大学。呼び名さえわかれば……きっと割り出せる。
「とりあえず、皆に信用されなくちゃな。……じゃあね、海人」
「……サキ、潜入するのは良いけど、気をつけろよ。ニンファーは女でそんな暴力的じゃねぇけどよ。さすがにバレたら…」
「わかってる。ヘマはしないようにするよ」
ひらひらと手を振って、私は海人の家を後にした。
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