死生観
OROCHI@PLEC
死とは
死とは何なのか。
ある人は言った。
「死とは絶望である」と。
別の人は言った。
「死とは救いである」と。
どちらも正しく、どちらも間違っている。
死とは無である。
それ以上でもそれ以下でもない。
死を迎えた生命の心臓は鼓動を止め、脳は考えるのをやめ、人格というものは消え去る。
自己という意思は脳によって作られたものである。
だから、死には無しか残らない。
それゆえに、自分という存在が無に帰すのを恐れる人は死を絶望と評し、無に帰すのを望む人は死を救いであると表現するのだ。
よく、死後の世界という言葉を聞く。
その様なものは存在しないだろう。
死とは無であるからだ。
少なくともこうは言える。
人間が思う死後の世界は存在しないと。
罪を犯したら地獄へ行き、善を行ったら天国へ行く。
何が罪で何が善なのか。
人殺し。そんなものは世界からみたら罪ですらない。
同族を殺す。自然という世界ではそれですらも日常である。
人助け。そんなものは自然という世界からみたら善でさえない。
誰かを救う。それは、人類の存続という点では有利に働くかもしれないが、世界には何の影響も及ぼさない。
罪や善といったものは人間が決めたものなのである。
そういうものは、自然では何の意味もなさない。
それらは人間の都合の良いように作られたものであり、死という無の前では無意味である。
結局、天国や地獄といった死後の世界も、死を恐れる人間が作り上げた理想である。
死後の世界があるとしたら、そこには全ての生命の成れの果てが集まる、何もない無の空間だろう。
死の後には無しか残らず、死後の世界だとしてもそれもまた無だからだ。
生命は、無から有へとなり、子どもから大人になり、大人から子どもになり、そして有から無になる。
死とは無である。
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