第15話

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香里奈ちゃんと俊とご飯を終えて、帰ってきた。

 香里奈ちゃんのモデルになってから、俊はご飯をたくさん食べるようになった。香里奈ちゃんの好みの関係で。

 悔しそうにそう言っていた表情を、良く覚えている。



「ただいま」

「ただいま、おかえり」

 俺は言った。

「おかえり」

 俊はそう、返してくれた。



「お風呂できてるよ」

「ありがとう。賢吾、先でいいよ?」

「もう入った」

「相変わらず、なんでも先回りする」

「癖なんだ」

「だね。じゃ、いただきます」

「はい、行ってらっしゃい」



 俊はお風呂へ消えた。

 この家は、本当は、3階建てだ。地下がある。

 そして、地下には、3階からしか行けない。

 そのように、造らせた。


 地下に向かう。

 

 記憶の研究は2階で行い、それ以外は、ここですることにしている。

 気分を変えるためだ。

 そうじゃないと、正気を保っていられる気がしない。


 俺は、内臓を見つめる。

 培養ポッドに入った。人間を構成する、全ての臓器を見る。

 丸一人の、人間が、創れる臓器を、見る。

 俺はそう思いながら、眼鏡を外す。

 俺はレーシックをしているので、本当は眼鏡をかけなくても生活できる。ブルーライトカットには、お世話になっているけれど。


 全ては、愛花と俊のためだ。

 眼鏡は、顔の印象を隠してくれる。長い前髪と、眼鏡があれば、尚更効果がある。


 可能な限り、今は俊は俺のクローンだと勘違いされていた方が都合が良い。

 愛花が起きるまでは。


 俺は恵が送ってくれた、俊の健康データを確認する。

 そして、俊に送った時計に連動しているバイタルも確認する。


 若干、心拍数が上がっている。

 この時間、何があったっけ。


 ああ、そうか。俊が香里奈ちゃんの家に着いた時だ。


 良かった。


 俊が予定通り、香里奈ちゃんのことを好きになってくれて。


 香里奈ちゃんが家が近いという理由で、学校の届け物をしてくれた時は、時代錯誤だなんて考えたりもしたが、今はいくら感謝しても足りない。

 勘が鋭そうなのは、少し、厄介だけど。純粋な生き物が真理に近い、とはこういうことなのだろうか?


 俺は忘れていたが、俊は、絵画教室で香里奈ちゃんに会っていたと言う。

 俊は香里奈ちゃんの絵が気に入っていたようで、幼い時に貰ったメモ帳の絵を、まだとっていたようだ。


 俺は、俊の理解者になれるのは、凪咲ちゃんだと思っていたが、考えを改めた。

 

 だから、2年生のクラスで、香里奈ちゃんを同じクラスにしてもらった。


 香里奈ちゃんだけじゃない。凪咲ちゃんも、あとは、素行に問題が無い子を集めてもらった。高橋龍二の事件が起きた時は、話が違うとも思ったが、俊の様子から、俊が喧嘩を売ったことも理解ができたので、これ以上、言及するのは止めた。


 俊が俺のことを、父親とは異なる感情で好いてくれていることには、随分前から気付いていた。


 高橋健司くんには、本当に悪いことをしたとは思っている。

 高橋健司くんの方が、よっぽど綺麗な顔をしているが、目元が俺に似ている。

 名前が似てるのも、悪かったんだと思う。


 そんな彼が、俊を若干目の敵にしているのを、聡い俊が気付かない訳がない。クローンへの反発に慣れている俊が、あの程度の嫌悪感で、あそこまでの行動を起こすコストを掛ける訳がない。本来だったら。


 そのことに、俊が気付いているのか。……多分、気が付いているんだろう。

 俊はロマンティストだが、それ以上にリアリストで、己の限界に、哀しいくらい自覚的だった。


 だから、俺と結ばれることがないことも、俊は分かっていた。

 愛花が起きていたら、こんなに酷くはならなかったと思うし、俊がもう少し愚かだったら、勢いに任せて、俺に思いを伝えられたかも知れない。


 だが、俊は、それをするには、大人過ぎたし、愛花のことも、俺のことも愛し過ぎていた。

 

 俊が自暴自棄を止めてくれるなら、俺をどうしてくれても良かったが、俊は根っからの悪人という訳ではなかった。悪人は、人を傷つけて、あんな顔はしない。


だから、俺と関係を持ってしまったら、今度こそ、俊は取り返しのつかないことになると考えた。


 だから、俺以外に、好きな人を作ってもらうことにした。


 最初は、俊の周りを、出来るだけ、俊の好みの人間で埋めた。


 正直、同い年くらいが良かったが、俊は年上好きみたいだし、大学生くらいまでは許容した。



 だが、それでも上手くいかなかった。藁にも縋る気持ちで、凪咲ちゃんのことを思い出し、立野さんに相談した。だが、上手くいかなかった。


 そんな中、香里奈ちゃんが現れた。


 本来の俊の好みでいえば、香里奈ちゃんは。

 思い出補正もあっただろうし、香里奈ちゃんは綺麗なモノを見た時に、無意識に、芸術品のように扱う癖がある。

 そして、それは性的興奮を伴わない趣向らしい。俊は俊に狂わされない人間を無意識下で求めていたんだと思う。対等な関係と言ってもいいかも知れない。


 凪咲ちゃんはクローンだが、やはりお嬢様で世間知らずな一面があり、善良過ぎた。

 高橋健司くんはスペックが、全て俊に劣っている。


 友情でも、恋愛でも、何でもいいから、分かり合える存在が、俊には必要だった。


 香里奈ちゃんの過去には、驚いたが、確かに、女の子であの才能と性格では大変だろう。昔ほどではないと思いたいが。恵も大学で苦労していた。本当に、莫迦だと思う。


 今、恵はクローン関係の第一人者として、表舞台に出ている。俺より余程、華やかな場所が似合う。高校の頃、華やかな二人に嫉妬したが、所詮、俺にはこういうのが似合いだと思った。


 恵が送ってくれた愛花の情報も確認する。

 大丈夫だ。愛花の状態は安定している。

 だけど、愛花は起きてくれない。


 今、起きてもらっても、俺には何もできないが。


 記憶の研究。愛花のために、俺たち家族のためにしている。

 愛花の辛い記憶を消すために、俺はこんな研究をしている。

 記憶は、人間を構成する重要な要素だ。

 俺だって、出来ることなら、そんなものに手を出したくない。


 人間は、利己的で、どうしようもない存在だ。


 記憶を好きに出来るなんてなれば、必ず、悪用される。

 そして、その被害は、計り知れない。

 たくさんの人間を救うかも知れないが、同時に、たくさんの人に甚大な被害をもたらすだろう。


 そして、俺は、多分、それができてしまう。

 もう少しで、それが出来る。

 もう、人体実験は終わっている。

 

 もう少しで、愛花の記憶を消せる。

 愛花の忌々しい記憶。




 ピピピピピピピピピピピピ。




 沈みかけた思考は、無機質な機械音で、現実に戻された。

 俊が風呂から出た音だ。




 俺は3階―見かけ上の2階―へ向かう。

 ああ、そうだと、扉は開けておくよう設定しておく。

 何もしないとオートロックになってしまうからだ。

 




 ドライヤーの音が聞こえる。

 俊はモデルになってから、髪の毛のケアも頑張るようになった。

 俊の金髪も勿論、綺麗だったが、どうしても髪は痛む。とりあえず口コミが良いシャンプーなどを買って渡したが、反応は微妙だった。

 また、無駄遣いして、と言う俊は、それでも一応使ってくれていたので、安心した。



 俺は、冷蔵庫から麦茶を取り出して、コップに注ぐ。あ、もう、あまり入ってないな。俺は適当なコップに、残りの麦茶を注ぐ。全体の半分にも満たない、中途半端な量になった。

 俺は、麦茶パックを取り出した。


「僕がやろうと思ったのに」

「いいよ。最後は俺だし」

「ダウト。そのコップ、僕のが量が多い」


俊は穏やかに笑ってくれる。

 俺も笑いながら、俊にコップを渡す。

 ただのガラスのコップも、俊が持つと、美しい何かになった。

「初恋ドロボーだってさ」

「ああ、香里奈ちゃん、気を遣ってくれたね」

「はは! 案外、立野の初恋は賢吾かもよ」

「凪咲ちゃんが? ないと思うが」

「いや、最初の方、賢吾の話しかしてなかったし」

「それは共通の話題が、俺しかないから」

「……ま、そういうことにしたいなら、そうしてあげるよ」


 俊は麦茶を一気飲みした。


「ご馳走様。賢吾、本当にタイミングいいよね。まるで、聞いてるみたい」


 そうだよ。


「大体、予測がつくから」

「はいはい、お偉い先生は違うねぇ」

「はぁ、明日も重労働だろ? 早く寝なさい」

「ね、同じポーズ取るの、結構キツイんだよね。筋肉、つけないと」

「筋肉量が増えるのは良いことだな」

「ね、ね。僕がムキムキになっちゃったら、どうする?」

「彫刻みたいで綺麗なんじゃないか」

「あははっ! 賢吾は、本当に、この見た目が好きだね!」


 同じような言葉を以前も言っていたが、表情が全然違っていた。本当に良かった。これも香里奈ちゃんたちのお陰だ。本当に、感謝を幾らしても足りない。


「歯は磨いたか?」

「磨いたよ。子供じゃないんだから」

「子供だよ。俺と、愛花の大切な」

「……は!」

「俺は、例え、俊がムキムキになっても、なんか、こう、物凄い見た目になっても、愛してるよ」


 その言葉に俊は面食らっていた。


「……そういうの、香里奈とかに言わないでよ」

「分かってるよ」

「あと、職場の人とかにもね」

「当たり前だろ。セクハラで問題になるわ」

「賢吾が愛してるって言っていいのは、愛花と僕だけだから」

「そうだな」

「ま、恵は許してやってもいいよ」

「絶対に気持ち悪がられるから、嫌だ。最悪、訴訟だ」

「いや、恵も賢吾のこと大好きじゃん。あ、彼女とどうなったかな? まだ、付き合ってるのと、別れてるの、賢吾はどっちに賭ける?」

「……あまり、そういう賭けは」

「じゃあ、結婚するか、しないかは?」

「……それなら、まぁ」

「じゃあ、いっせーの、ね」

「ああ」

「いっせーの」

「「結婚する」」


 俺たちは見つめあって、笑った。


「賭けになんないじゃん」

「いや、いいんじゃないか。結婚したら、俺の金で恵と3人でご飯でも行こう」

「恵に得しかないじゃん」

「行く場所は、俊が決めていいよ」

「ま、そういうことなら」

「ああ。……引き留めてすまない」

「ん。僕も話したかったから。おやすみ、賢吾」

「うん。おやすみ。いい夢を」






 数時間、作業をした。

 そろそろかと、俊の部屋へ向かう。

 扉を開ける。健やかな寝息が聞こえた。


 僕は持っていた注射器を、俊に刺した。俺は石橋を叩いて渡るタイプだった。

 起きないとは思うが、最善を尽くしたい。

 俺は、俊を担ぐ。少し増した重量感に、幸せが込み上げてくるようだった。

 また、香里奈ちゃんにはお礼をしないといけないな、と考えた。

 俊を地下室に連れて行く。診察の準備は出来ていた。

 服を脱がす。前は怖いくらい白かった肌に、血色感があり、安心した。


 目視で確認する。大丈夫だ。怪我はない。

 アザもなくなった腹。痕が残らなくて、本当に良かった。


 その後、一通りの診察をして、現段階で確認できる異常がないことを確信し、俺は安堵の溜息を吐いた。

 

 そして、笑う。俺は、恵さえ、心から信じることが出来ないんだ。

 高校からの同窓の、あんないい人ですら。

 そのことに、吐き気にも似た罪悪感を感じる。


 俺は俊に服を着せる。

 裸の俊に合わせた温度なので、俺には暑かった。額の汗を拭って、俊を背負う。


 スヤスヤと穏やかな表情の俊は、きっと香里奈ちゃんの夢でも見ているのだろう。

 そうだ、香里奈ちゃんが好きそうな美術館のチケットを渡してみるのはどうだろうか。香里奈ちゃんは同じ美術館に行くのも好きそうだし、俊もデートに行く口実ができるだろう。



 俺は、俊をベッドに戻した。



 もう少し、その寝顔が見ていたくなってしまって、椅子を引いて、座る。

 本当に、俺を諦めてくれて良かった。


 俊には若くて、才能があって、性格が若干キツくて、優しい子が合う。

 家が資産家なのも、良かった。

 俺に何かあった時に、俊の生存率が上がる。


 今は俺の影響力があるから何とか出来ているが、所詮、俺はただの駒だ。

 SNSに俊の写真が上がってしまった時は肝が冷えた。すぐに、対応してもらったから、何とかなったが。本当に、良かった。俺だって、可能なら、殺人はしたくない。


 そう考えた後に、笑ってしまった。


 俺は、こんなことをしているくせに、まだ、殺人を、していないと、心では思ってることに、気が付いた。そんな自分に吐き気を感じる。


 俺は、あの日から、全てを利用して、愛花と俊と生き残るって決めたんだ。






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