第16話

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 愛花は意外と俺を気に入れってくれたのか、一ヶ月を過ぎても別れを切り出さなかった。俺はこの頃には、愛花と離れられなくなっていた。愛花は俺の家庭環境を聞いても、引くどころか、笑っていた。心底、楽しそうに。


「いいよいいよ! 愛花、心中もしてみたかったの! それとも、結婚でもする? あ、日本って、同性婚ってダメなんだっけ? あれ? どこならいいんだっけ? 知ってる?」


愛花は、俺なんかの常識なんて全く通じなかった。

俺のコンプレックスなんて、大したことはないんだと、そう思わせてくれた。


愛花。大切で、残虐な愛花。


愛花は、大学には行かずに、そのまま研究職に就いた。愛花は、帰国子女で向こうで大卒相当の資格を持っていたそうだ。


愛花との連絡は途絶えた。

何度、連絡しても、出てくれない。


そこで初めて、僕は、愛花のことを何も知らないことに気が付いた。


 愛花は、自分のことを殆ど話さなかった。

 僕は、僕の話ばかりするか、愛花が連れて行ってくれる別世界に夢中だった。


 僕は、捨てられたことを悟った。


 同じ大学の川西に聞いた。

「教える訳ないじゃん」

 そう言われた。それも、そうだと思ってしまった。

 僕たちは、愛花を通じて一緒にいただけで、別に仲が良かったわけではないし、僕自身も、川西に嫉妬していたという罪悪感もあったと思う。


 何も言わない僕に、川西は怪訝な顔をした。

「教えろって、言わないの?」

「教えないんだろ?」

「その程度なんだ?」

「いや。愛花が僕を必要としてくれないなら、僕が愛花の側に居られる道理はないだろ」


「は?」


 川西は、心の底から不快そうな声を出した。


「その、すまない。川西が僕のこと、嫌いなことは知ってたけど。愛花と川西の関係に、その、嫉妬、してたんだと、思う。川西は華やかだし。その、これからも、愛花を頼む」


 それだけ言って、去ろうとしたが、引き留められた。


「それ、本気で言ってんの?」

「あ、ああ」


 僕はあまりの気迫に圧倒していたが、川西が怖くて答えてしまった。


「……愛花、の、愛花は」

「うん?」

「……愛花の現状を伝えるくらいなら、してやってもいいけど?」

「それって!」

「本当に平良って怖い。お昼でいい? お互い、食べる相手なんていないでしょ?」


「いる訳ないな」

 僕たちは笑った。爪弾き者は僕だけだと思っていたが、そうでもなかったようだ。



 それから、恵とよく絡むようになった。

 元々、優しい人だったんだと思う。

 俺は空気が読めないところがあるから、その度に助けてもらった。

 川西は俺に、よく言った。


「生きるのが下手すぎる!」


 あんなに嫌っていた相手にも、ここまで出来るなんて、本当にいい人なんだと思った。

なんとか、愛花と同じ就職先に就けた。

 俺は急いで、愛花を探した。

 でも、どれだけデータベースを漁っても、愛花の情報がなかった。


 俺は焦った。

 もしかして、転職したんだろうか。新しい職場はどこだろうか。

 そんなことばかり考えながら、仕事をしていた。


 結果だけは出していたので、文句を直接言う人はいなかった。

 高校、大学より、マシなんだなと感じた。


 偶然、同じ部署に配属された恵と、愛花のことを話した。

 愛花のことだから、この就職先も嘘の可能性があった。愛花はそういう人だった。



 俺が愛花に再会したのは、偶然だった。

 恵がお偉い方の集まる会議で、見た目が綺麗なため、毎回お茶汲みをさせられており、あまつさえ、セクハラをされたと言うので、代わりに俺が行くことにした。


 その、会議に、いた。

 俺は声を掛けたいのを、必死に耐えた。

 会議が終わるまで、会議室の前で待っていた。


 この扉の先に、愛花がいる。

 その事実だけで、俺の胸は高鳴った。


扉が開いた。

怪訝な顔をされた。

僕は考えた。恵なら、どうするだろうか。



「お疲れ様です」

「……君は?」

「お初にお目にかかります。イノベーション科、第一部、研究職の平良賢吾と申します」


 僕は一生渡さないと思っていた名刺を渡した。


「ああ、あの」


 僕の所属は所謂、花形と言われる部署だった。

「そんな君がなぜ、お茶汲みなんてしてるんだ?」


 普段の僕なら、ここで帰っていた、気がする。


「皆さんに御目通りが叶うのが、このタイミングしかなかったので」


 笑え。愛花なら、そうする。愛花は笑顔で相手を制す。


「ほう」

「私の研究成果は、皆様の耳にも入っているかと思います」

「若造が」

「若造が有能なのは、誉なことではないでしょうか。皆さんのお役に立てます」



「あはははははは! あはっ! いいね! いいよ! 最高! 最っ高!」



 愛花は大笑いしていた。

 僕は、愛花が笑ってくれただけで、この行動を肯定することが出来た。


「君! 面白いね!」


 愛花は僕を連れ出した。

 

 資料室に連れて行かれた。

 扉が閉まると同時に、鍵が掛かる音がした。


「見つかっちゃった」


 愛花の顔が近い。


「まさか、ここまで来てくれるなんて!」

「え? え?」

「ん? どうしたの? 賢吾」

「ぼ、僕、僕の、こと、覚え、て、るの?」

「当たり前じゃん! 賢吾、かなり可愛かったし」

「愛花っ!」


 僕は、愛花を抱き締めていた。

「相変わらず、甘えただなぁ」


 愛花は、僕を撫でてくれた。


「愛花、僕、頑張ったんだ。ここまで、愛花に、また、会いたくて」

「うんうん」

「愛花、愛花、また、側に居させてくれる?」

「はは! ここで恨み言も言わないなんて。悪い大人に引っかかるよ?」

「僕は大人だし、愛花になら引っ掛かりたいよ」


「……本当に、可愛いなぁ」


 愛花はキスしてくれた。

 僕は、それが嬉しかった。


「また、よろしくね?」

「本当に?」

「うん! あ、一人称は?」

「俺?」

「よく出来ました!」


 愛花はまた、俺と付き合ってくれた。俺は実績と愛花のお気に入りという理由で、愛花の所属する部署に移動になった。


 そこで、行われていいたのが、クローン研究だった。

 クローンの法律が出来た時、俺は小学生だったので、なんとなく、大人が騒いでいる記憶があった。


 自分とは遠い話だったのに、いきなり研究チームになるなんて、思ってもいなかった。

 愛花は笑っていた。まことしやかに囁かれている噂で、この機関がクローン研究を行っているのは有名らしかった。

 それを目当てに就職する人も多いらしい。クローン反対の過激派対策で、公にはしていないらしい。僕は愛花に会いたかっただけなので、そんなことは気にしていなかった。



「多分、ここで、クローン研究に興味ないのは、賢吾だけだよ?」



 そう笑う愛花は綺麗だった。


俺は愛花と同じ部署になった日にプロポーズした。

 愛花は困った顔をしていた。

 それはそうだ。束縛を愛花は一番嫌う。

 この時、俺は本気で愛花と結婚したかったのかも、本当は分からない。


 言わずにはいられなかった。

 何かで繋ぎ止めていないと、不安で仕方なかった。

 前なら耐えられたが、あの資料室で抱き締めてくれた瞬間から、もう、俺は愛花を諦められなくなってしまった。


「……本気?」


 愛花が言葉を貯めるのは、初めて見た。


「なんでもする。愛花が俺を選んでくれるなら、何でも出来るから」


 今思えば、懇願に近かった。

 愛花は困っていた。

 そして、迷いながら、言葉を紡いだ。


「お父様に会ってくれる?」

「お父さん?」

「うん。それ見て、大丈夫なら、いいよ」

「ああ!」

「でも、愛花の家に来たら、もう、賢吾、戻れないよ?」

「戻れない?」

「うん。賢吾って、優しいじゃん。だから、愛花としては、ここでお別れがベストだと思うの。その、愛花、思ったより、賢吾のこと、気に入ってたみたい」

「意味が分からない。断りたいなら、はっきり言ってくれ。愛花らしくないよ」

「う、うう〜ん。何だろ。地獄って分かってるのに、賢吾を誘うのはなぁ、って思ってきちゃったの」

「君は本当に愛花?」

「うん」

「そんな高校の時とか」

「あ〜。今も本質は変わってないよ。つい最近まで、賢吾をどうお父様に紹介するかだけ考えてたし。でも、賢吾が、あんまり、健気だから。変な気になっちゃった」

「紹介してほしいよ」

「……分かった。その、うん」



その日、愛花の家に行った。

 お手伝いさんが沢山いた。そんな気はしていたが、愛花はお金持ちだった。

 身分違いということだろうか。それなら、今の俺は一応、世間体だけはいいし、癪だけど、生まれも悪くはないはずだ。


 22歳だった。若気の至りも、あったとは思う。

 でも、何度でも、俺は同じ選択をする。


 ベッドに横になっていた老人は管だらけだった。

 愛花も22歳だ。愛花の父親にしては、その、随分年上に思えた。


 老人は目玉だけを俺に向けた。

 そして、笑った。


「賢吾、近くに行って」

「う、うん」


 耳が遠いのかもしれない。俺は、老人の耳元でまた、同じことを言った。


「次は、お前なのか」


 はっきり、そう言った。


「え?」


 老人は笑う。嘲笑う。明らかな悪意を感じた。


「愛花、もう話したのか?」

「……ううん。まだだよ」

「賢吾、言わなきゃいけないことがあるの」


 俺は覚悟を決めた。老人の鋭い目つきや、この屋敷の様子から見て、どう見ても、そっち系統なのではとは考えていた。


 日本では小指を要求されると聞いたことがあるが、果たして、ロシアはどうなんだろう。

 できれば、指は勘弁してほしい。医者で指がないのは不利だ。僕は愛花を形上では、養う訳だし。愛花は気まぐれだから、いつ、この仕事に飽きるか分からない。その時は、手に職だ。この機関を辞めた時に、他の病院に転職するにしても、実生活においても、指があった方が良い。


 海外では、日本の医師免許は使えないんだったっけ?

 あとで調べよう。きっと大学でも習ったんだろうが、僕は役に立たない情報はすぐに忘れてしまうところがあった。


「愛花ね、クローンなの」


 僕は黙った。


「く、ロー、ん?」


 意味もわからないのに、鸚鵡返しをしていた。

 く、ロー、ん。クローン。クローン? 僕が、研究してる? あの。あのクローン?


「はは、間抜けな顔」


 そう言う愛花の声に、いつもの覇気はなかった。

 その姿に、俺は言いようのない気持ちにさせられた。


「そう。イヴァンは遺伝子上の父親ね。日本じゃまだだけど、向こうでは大丈夫なの。ほら、同性婚の法律が外国で可決されたって話、聞いたことあるでしょ?」

「あ、ああ」

「それと同時にイヴァンと愛花のもう一人の父親? の真聡さんが結婚したの」

「あ、ああ?」

「賢吾、大丈夫?」


 俺は、ふらつく足を、必死に奮い立たせた。

 なんだ、なんだ、これ。僕は、ただ、愛花といたかっただけで。


 いや、僕はクローン研究の専門だ。むしろ、好都合なんじゃないか?

 愛花に何かあっても、専門家の僕なら、どうにか出来るかもしれない。


「そ、そっか。え、ええと、真聡さんは、その、挨拶させてもらえるの、かな?」


 絞り出した声は震えていた。


「ああ、できないよ」

「そ、そう」

「もう、死んじゃってるから」

「え……?」


 僕は呆然としたが、老人は90歳は超えてそうだった。

 確かに、配偶者の真聡さんが亡くなっていても、不自然ではなかった」


「その、ごめん」

「ううん。大丈夫だよ」

「その、真聡さんも、愛花のタキシード? 紋付袴? あ、ドレス? 白無垢? 姿を見たかったと思う」


 混乱のままに、僕は訳の分からないことを口走っていた。


「ははっ! 賢吾って、本当に、いい人だね!」

「あ、ありがとう?」

「……うん。真聡さんは、愛花のこと、嫌いだと思うから、そんなことはないと思うよ」

「え、そんな」

「あるよ。だって、真聡さんは、自殺したんだから」


「……は?」


「真聡さんは、自殺したの。イヴァンは日本の女の子、愛花さんに恋をして、無理矢理、自国に連れ去ったの、それで、生まれたのが、真聡さん。イヴァンが目を離した隙に、愛花さんは自殺しちゃって、気をつけてたんだけど、真聡さんも、ね」


 僕は、絶句した。愛花が何を言ってるか、分からない。言葉は、わかる。わかるはずだ。はずなのに、頭が理解することを拒否する。

「あ、因みに、愛花も、あるよ、イヴァンと肉体関係」

「……ぁ?」

「はは、あははっ! ごめんね。こんなので」


 愛花は諦めたように、笑った。

 

「話したの、本当に、賢吾だけだよ。信じてもらえないだろうけどさ。今なら、何も聞かなかったことにしてあげられる、よ。うん。その、全力で、そうするからさ。出てってよ」


 愛花は僕の背中を押した。その力はあまりにも弱々しくて。


「嫌だ! いや、嫌だ! 僕はクローンの専門家だぞ! 僕ほど、僕ほど、愛花に相応わしい人間はいないはずだ!」

「……賢吾に釣り合ってないのは、愛花の方だよ」

「そんな訳ない! 愛花は最高だ!」

「賢吾がそう思いたいだけだよ。こんなのに引っかかっちゃったことを認めたくないのは、分かるけどさ」

「違う! そんな訳ない! 僕はきちんと、愛花を愛せる! そんな異常者と一緒にするなッ!」

 老人はくぐもった声で何か言った。


「後悔するよ。必ず」

「しない! したとしたら、それはもう僕じゃないっ!」

「賢吾が愛花を求めるのは、親からの愛情不足だよ」

「そんっ」

「そうだよ。愛花が言うことが信じられない?」

「ま、愛花でも、ま、間違えることは」

「あるに決まってるよ。あ、愛花は不可謬だとでも言えば良かった? はは、ごめんね? ご期待に添えなくて」



 愛花は僕に上着を渡す。これを受け取ったら、愛花とは二度と会えない。そのことは、確信めいて分かってしまった。

 いつか、後悔するかもしれない。僕の頭の中でサイレンにも似た音が響いている。



 でも、僕には、愛花しかいないんだ。

「僕には、愛花だけだ」

「そんなことないよ。恵と大学から仲良くなったでしょ?」

「なんで、ここで恵が」

「世間的に、見れば、恵と偽装婚した方が、皆幸せになれるよ」

「なんだよ、なんだよ、それ!」

「はは、愛花が言えば、恵は聞いてくれるんじゃないかな? よくある話らしいよ」

「そんっ、そんなの、おかしいだろ! 僕が好きなのも、恵が好きなのも、愛花だろ!」




「そんなものだよ。現実なんてさ」




「その、その中に、愛花はいるのか?」

「……はぁあ?」

「皆の幸せって中に、愛花は、いるの……?」


 愛花は、一瞬、ゾッとするくらい、無表情になった。

 その後、目を見開いて、笑った。



「あははははははははははははははっ! あはっ! あー、おかしいの!」



 愛花は腹を抱えて、笑う。

 でも、泣いていた。



「愛花は、愛花さんの亡霊だよ! 数になんて、入れてもらえる訳ないじゃん! 愛花の姿なんて、誰にも見えてないんだからさっ!」



 愛花は僕の両肩に腕を回す。



「幽霊なんて、気持ち悪いでしょ?」

「気持ち悪くない。愛花は綺麗だ」

「この見た目は真聡さんのだよ」

「顔も好きだ。でも、僕が好きになったのは、愛花の、なんか、凄くて、強くて、滅茶苦茶なくせに、なんだかんだ、皆、愛花に会いたくなって」

「優越感?」

「だけじゃないっ! ぼ、僕が言いたいのは! 愛花が僕にない強さを持ってて、憧れちゃって!」

「ごめんね。こんなのが正体で」

「正体ってなんだよ! 僕にとってはその愛花も愛花の正体の一部だ!」


 その言葉に、愛花は手を離した。

 僕はすかさず手を繋いだ。


「一緒にいようよ! 僕も頑張るから! 僕ほど、利用価値がある人間はいないはずだ! 必ず、僕が愛花を幸せにする! 愛花が思う幸せを僕が作る! そのためなら、僕は、僕はなんだってしてやる! あんな機関も! クソな上席の奴らも! 必要なら、僕の実家に死ぬほど嫌だけど、マトモになった振りをして協力を仰いでもいい! なんでもするから!」


 僕の膝は床についていた。


「捨てないで、愛花」




 愛花は、そんな僕を憐れんで、事実婚をしてくれた。形だけの指輪も受け取ってくれた。

 幸せだった。


 でも、ずっと不安だった。

 僕だけが舞い上がってるだけなんじゃないかって。


 家に事実婚をしたことを伝えた。元々、勘当されてるようなもんだったし、何を言われても、もう気にならなかった。


 笑える話だが、僕があの機関に入った時に、何やら偉い人間がわざわざ挨拶しに行ったらしい。虚栄心だけは一丁前な両親のことだ。それはそれは、いい気になったのだろう。


 自慢の息子だなんて言いやがった。僕を否定しかしなかった、あの口で。僕を褒めやがった。


 だけど、僕は、我慢した。愛花の前で怒る訳にはいかなかった。愛花は穏やかな僕が好きだから。


それからは、穏やかな日々が少しだけ続いた。

 俺は公私共に、愛花を支えた。

 愛花は次第に、僕に前みたいに接してくれるようになった。



 やはり、愛花は憎まれ口を叩いてる姿のが良かった。哀しそうな愛花を見ると、いてもたってもいられない気持ちになる。



 でも、心底楽しんでいたのは、僕だけだった。



 その日はやってきた。



 僕は、そのことをニュースで初めて見た。

 同性婚が、日本でも認められたんだ。クローンの法律と共に。

 僕は喜んだ。これで、愛花と結婚できる。事実婚じゃなくて、本物の家族になれる。この時の僕は、『本物』とか『普通』に、まだ縛られていた。


 愛花は2回目のプロポーズも快諾してくれた。

 役所には、人がごった返していた。

 今日は、同性婚が認められた日だった。

 周りの人たちは、皆、幸せそうだった。でも、僕は、この中の誰よりも幸せな自信があった。


 同日、原因不明であの男―イヴァンが死んだことも、どうでも良かった。



 きっと、天罰だ。本気でそう思っていた。

 そもそも、あの羊が生まれたのは1996 年だ。愛花より、年下なんだ。


 でも、そんなことさえ、どうでも良かった。

 愛花の存在が、違法とか、合法とか、心底どうでも良かった。

 生み出された愛花に、罪なんかないんだから。

 

 愛花さんの亡霊に祟り殺された、哀れな男。

 愛花を不幸にしたクソ野郎。

 愛花の世間体のため、一応葬式はしてやったが、出来ることなら、そこらの犬にでも食わせてやりたかった。

でも、邪魔者は消えたんだ。

 これで、愛花と幸せになれる。

 愛花が許してくれるなら、僕が殺してやりたかったのが、心残りなくらいだった。



 そして、愛花は、俊を創った。

 僕は唖然とした。

 愛花は、僕に、なんの確認も取らなかった。


 いや、それ自体は珍しくなかった。

 でも、いつものと次元が違かった。



「愛花! 何してるんだッ!」

「え? なんで怒ってるの?」


 愛花に呼ばれて、ラボに行った先だった。俺ですら入れない、あの機関の最下層。死者の国は地下と相場が決まってるのに、そこで、こんな悍ましい事が起きてるなんて思ってなかった。


「愛花さ、クローンじゃん?」

「知ってる」

「で、ドリーちゃんより年上じゃん?」

「知ってるよ」

「あ、気付いてたんだ」

「俺をバカにしてるのか?」

「賢吾、周りが見えなくなることあるから」


 愛花はいつも通りだった。

 怖いくらい、いつも通りだった。


「だからさ、テロメア仮説? ま、なんでもいいんだけど、とにかく、そんなに長生きできないと思うんだよね」

「そんなのっ」

「分かるよ。だって、愛花もケンキューシャだからね」


 愛花は自分を嘲笑うように言い放った。


「だからさ、愛花を創ろうと思って」

「………ぁえ?」

「賢吾、愛花が死んだら、死んじゃいそうだからさ。でも、愛花以外は、賢吾、嫌みたいだし? 愛花、天才じゃない? 第一号の子、女優さんの子なんだって! あの立野杏香! いいよね、愛花もよくテレビ見てたし。あ、話が逸れたね? ええと、その子―立野杏香さんの子、凪咲ちゃんって言うんだって。ははっ! クローンに海と関係ある名前つけるなんて、すんごい皮肉だよね! あ、それで」


「聞いてないッ!」

「何が?」

「愛花、愛花、あ、あのな、え、ええと、何から言えばいいんだ? まず、クローン人間はまだ実用段階じゃないんだ! 今、産出したとしても、生存率は少なく見積もって20%くらいだ! まだ、その、第一号とか、そんな段階では……。それに、愛花を創る? 何を、何を言ってるんだ……?」

「ああ、ここの表上の責任者は愛花だしね。賢吾に相談しなかったのはごめんだけどさ。言ったら、止めるでしょ?」

「あ、当たり前だろっ! 20%なんて、殺すために産むみたいなこと!」

「不妊治療って、確か50%くらいじゃなかったっけ? 人工授精も、確かそんくらいじゃなかったっけ?」

「な、何が言いたいんだ? 愛花?」


「何が違うって言うの?」


「は?」

「今、大丈夫ってされてる、そういうの技術と、クローン技術。何が違うって言うの?」

「そんなっ、そんな、違うに決まって」

「だから、何が?」

「いや、だって、クローンは遺伝子が同じで! 生まれた子は絶対に苦労するだろ!」

「そうだよ?」

「そ、そうって!」

「知ってるよ、愛花、クローンだもん」

「……っそれ、それは。なら! 気持ちが分かるなら、尚更!」

「……賢吾さぁ」


 愛花は僕の顔を見上げた。どろり、とした瞳が俺を捉えていた。


「なんで、愛花の一人称が、愛花なのか、知ってる?」

「え? なんで今そんなこと?」

「いいから、考えて」

「え、ええと。……愛花さんに、な、る、ため……とか?」


 愛花は笑った。

「さすが賢吾! それもあるよ。愛花はそういう風に創られたからね」

「もう、もう、いないじゃないか! あの、あの犯罪書は死んだんだ! 愛花は」

「うん。あ。で、愛花、クローンじゃん? だからさァ」


 愛花は近くの椅子を蹴り上げた。


「俺? 僕? 私? うち? あたし? 全部! 全部さぁ! 人間のためのものなの! 愛花のための一人称なんて存在しないの!」


 愛花は自分で蹴った椅子を「いけない、いけない」と直して、座った。


「ないの。愛花のために存在してくれるモノなんて、何もないんだよ」

「ぼ、僕がいるだろ! 僕が、僕が愛花のために存在する! だから、こんな、こんな事、止めよう! な? 愛花は間違えたかもしれないけど、俺も一緒に」

「……賢吾の、そういうところ、さぁ」


 愛花は、僕を手招きした。

 そして、俺の白衣の襟を強引に掴んで、引き寄せた。


「大好きだけど、心底嫌いだよ」

「ま、愛花……」

「……低く見積もって、20%じゃん?」

「あ、ああ」

「あれ、希望的観測だと、30%くらいじゃん?」

「こういう時は最低値で計算するべきだ」

「あはっ! 賢吾らしいね!」

「……! ま、まさか」


 俺は培養ポッドに駆け寄る。

 赤ん坊は5人。そのうち、顔が。


「そう! 2人は愛花のクローンだよ!」


 俺は膝から崩れ落ちてしまっていた。

 ぷかぷか浮かぶ、もう、人間だと分かる存在。


「安定期? には入ったんだよね。賢吾はさ、倫理観が強い? けどさ。もう、生まれた命を殺すことは、できないでしょ?」

「そ、そんな、そん、あたり、前……だろ?」

「そうだね。賢吾にとっては、当たり前だね」

愛花は優しく、聖母みたいに笑う。


「だからさ、育てるしか、ないんだよ」

「愛花、わかった、分かったから! 愛花、この子は愛花の代わりなんかじゃない! 僕たちの子だ! 男の子でも、女の子でも! 4人で幸せになろう!」

「あはははっ! 愛花のクローンなんだから、男の子に決まってんじゃん!」

「そ、だな。ええと、大丈夫、大丈夫だ。……大丈夫にする。今の僕なら」


 愛花は目を細めた。


「因みにさ、もう、片方の子は、息をしてないよ」

「……あ、ああ。20%だもんな。そういうことも」

「違うよ」

「……ぇ?」

「なんとね。二人とも、生き残っちゃったんだよね。さすが、愛花のクローンだよね。しぶとくてさ」

「な、なら、なんで、いき、息、してないの?」

「クローンで双子なんて、絶対に苦労するから」

「でも! でも! それは違うだろッ!」

「何が?」

「いや、それは、それはしてはいけないことなんだ! 愛花。愛花! あ、あんな、そんな、愛花!」


 頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 僕は、何を言いたいんだ?


「人間だって、一番強い精子が子供になるじゃん。それと何が違うって言うの?」

「違う! 違うよ! え、ええと、そのっ!」

「愛花は、ずっと愛花さんの代わりしてたから、分かるの。もう一人いたら、多分、ここまで生きられなかった。……共食い? 名前、なんだったっけ? ほら、虫を集めて、壺で一番強いのを決めるやつ。そんな感じ」

「ま、愛花」


 僕は吐き気をなんとか抑えていた。床が、嫌に、近い。


「賢吾、あの時、逃げれば良かったね?」


 愛花は僕の顎を上げる。微かな生気がある瞳があった。


「でもね。選んだのは、賢吾だからさ。あははっ! あいつら! あいつらさァ! こうなる事が分かってて、愛花を責任者にしたんだっ! 愛花は絶対に、賢吾に愛花の代わりを創る! クローンのクローンなんて! 知りたくない訳ないもんね! 立野杏香のクローンだって! 死んだら、皆、愛花のせい! ドリーは羊! 羊はスケープゴート! あれ? それは山羊だっけ? ま、なんでもいっか。人間様は偉くて凄いですねぇ! あははっ!」


 愛花のメンタルは、多分、一般的な人と、そこまで変わらないか、少し強いくらいなんだと思う。今の、40歳の俺から見れば、の話だけど。


「愛花!」


 僕は、愛花を抱き締めた。愛花は、それを振り払おうとする。


「愛花がどんな罪を犯しても、僕は構わない! 愛してるんだ! どうしようもなく! 僕はっ! 僕は、愛花の夫で、友で! 今から共犯者だッ!」

「……賢吾ってさ、馬鹿でしょ?」

「ああ、俺は馬鹿だよ」

「フツー、逃げるよ。ずっと前に」

「なら、俺もフツーじゃないんだ」

「何それ」

「お似合い、だろ? 俺たち」

「……馬鹿だよ。本当に」

「ああ、知ってる」


「愛花に、未来なんて、ないんだよ?」

「俺が創る。愛花と、俺と、その子が幸せになれるなら、僕はなんだってしてやる。元より社会不適合者だ。今まで、必死に、そうじゃないフリしてただけで」


「あはははっ、あはっ、あ、あああ、うわあああああああああああん」


 愛花は、赤子みたいに泣いた。

 愛花は、僕が守ってみせる。

 例え、何を、犠牲にしたとしても。



 愛花との、奇妙な子育てが始まった。

 成功率20%。立野さんの子―凪咲ちゃんは一人だけ生き残った。死んでしまった二人の凪咲ちゃんになるかもしれなかった子たちは、使えそうな臓器を培養することになった。


 クローンは出産という概念はない。だから、培養ポッドに入れた日が誕生日だ。愛花は第一号のその日を、自分の誕生日―正しくは、愛花さんの誕生日と同じにした。

 俺はデータの改竄をした。凪咲ちゃんの4人は亡くなったことにして、その内、2人は使える臓器もなかったと報告した。


 その後、8月5日を俊の誕生日にした。

 クローン第三号として。

 凪咲ちゃんと同じだと、愛花の罪が露呈するリスクがある。クローンは秘匿性が高いが、人は秘密を暴く悪癖がある。第一号があの立野杏香なら、第二号は? そうなるのが自然だった。第二号の子。強姦事件の被害者の子。やはり、人間はどこまでも醜くて、汚い。


 本当は、俊を凪咲ちゃんと会わせたかった。俊の理解者、そして、一種の双子のような存在として。だが、赤子の約4ヶ月は、恐ろしく成長の違いがある。


 だから、誰にも、俊を見せないようにした。


 凪咲ちゃんはとても良い子だった。大人で、聡い部分も持ち合わせていた。

 次第に、この子を俊に会わせるのは、良くないんじゃないかと思うようにもなった。凪咲ちゃんは、あまり、俊と相性が良いとは思えなかった。この時、僕は、凪咲ちゃんにも、少しの愛情を感じてしまっていた。


 危険だと思った。僕は全てを犠牲にして、3人で幸せになるって決めた筈なのに、罪のない凪咲ちゃんが傷付くのも、嫌になってしまった。


 俺は一人で子育てをするつもりだったが、意外なことに、愛花は教育熱心だった。

 

 愛花はあの引力を、世間一般的に良いことに使い始めた。

 育休を取った愛花は、ご近所付き合いにも注力し始めたんだ。

 愛花は体力もあったし、腕力も一般男性並みだったので、引くて数多だった。


 俺は、愛花がバイなことも知っていたので、心配で仕方なかったが、愛花は自分は奥さんだと公言していたので、そういうのは回避出来たと話してくれた。


 愛花のママ友に招待されたランチ会で笑う愛花は、驚くほど馴染んでいた。元々、女の子と遊んでいたから、女性の扱いを心得ていたというのも、あるとは思う。


 愛花はどんどん親になっていった。

 一人称を、『私』にした。俊が嫌な思いをするかもと考えたようだ。


 俊は小学生から学校に通わせることにした。

誕生日を誤魔化している件もあったし、クローン差別が怖かったのもあった。

 それに、並みの教師より、愛花のが教えるのが上手かったのも、理由の一つだった。

 幼稚園のレベルというより、愛花が基本的になんでも出来たという意味でだ。


 幸せだ。

 これが、予定調和の幸せなことも分かっていた。

 

 あの犯罪者の遺産を受け継いだ愛花は、本当は働かなくても生活ができる。

 愛花にとって、仕事は暇を紛らわすためのモノだった。


 そこには、もしかしたら、自分が、愛花さんではなく、『愛花』として、何か成し遂げたいという渇望もあったのかもしれない。



 愛花と俺の愛情を一身に受けた俊は、負けん気の強さはあるものの、優しい子ではあった。

 ただ、かなり衝動的な部分もあったので、それをどうにか発散させるために、絵画教室に通わせてみた。クローンのクローンで、まだ身体的に不安があったので、スポーツはあまりさせたくなかった。


 絵は好きだったのか、楽しそうに通っていた。いつも、上手すぎる子がいる! と話す俊は悔しそうだったが、嬉しそうだった。

 俊は基本的になんでも出来るので、張り合いがなかったんだろう。同世代で対等な人間が欲しかったんだと思う。


 愛花は嬉しそうに、俊が描いてくれた家族写真を額縁に飾った。


 俊が少し大きくなって、4ヶ月の差がそこまで気にならなくなったタイミングで公園デビューをした。


 ママ友やお子さんとも、接する期間が増えた。

 俊も楽しそうに遊んでいた。

俊より生意気な子も、粗暴な子も、色んな子がいた。

その経験で、愛花は『人間』になってしまった。

愛花は、罪悪感を知ってしまった。



「ねぇ、賢吾。私、子供って、大嫌いだったの。だって、泣いてるだけじゃん? うるさいし、生まれたてとか、可愛くないし。でもさ、なんか、なんか、関わったら、皆、可愛くないところも、可愛いところもあってさ。……愛花、愛花、とんでもないことしちゃった」


 違う! 愛花は利用されただけなんだ!


「賢吾は知らないんだっ! 凪咲ちゃんが第一号なんて嘘! 嘘っぱち! 何体目なんか数えくれないくらい! 愛花、愛花は、それが、それがイイコトだと思って? 思ってた、んだっけ? 愛花、愛花は違う。違うの! そんな気じゃなかったの! ううん? いや! そうだよ! 愛花は好き勝手されたのにっ! 今のクローンは、愛花が頑張ったから法律もスムーズにいったのにっ! 出来るだけ幸せになれるように! なのに! 愛花はこんなにメチャクチャな気持ちなのにっ! ずるいずるいずるいひどい! ちょっと後に創られただけなのに幸せになりやがって! 皆! 皆っ! 不幸になっちゃえばいいんだァッ!」


 愛花、愛花! 落ち着いてくれ。俺がいるから。


「……嘘。嘘だよぉ。わ、私、私は、凪咲ちゃんも、もちろん俊にも、幸せになってほしいよ! ほしい筈なのッ! ねぇ! 分かるでしょ! ねぇ、賢吾!」


 分かってるよ。愛花が優しい人だって、俺は知ってるよ。


「殺したッ! 愛花が殺したのッ! たくさん! たくさんの子供を殺したのッ!」


 違う! 違う! あんなのは子供じゃない! 愛花言ってただろ?! 人間の妊娠だって、たくさんの精子の中で!


「全然違ったッ! 同じ筈ないッ! ごめんなさいごめんなさい! 愛花が、愛花が人間じゃないから! だから、あんな酷いことが出来ちゃったんだ! あんな、あんな!」


 愛花は人間だ! 愛花は知らなかっただけなんだ! 愛花はたくさんの不妊に苦しむ人を救うし、同性婚の人も救うっ! 愛花はいい事をしたんだ! 間違いなく、人類史に新たな可能性を出したんだっ! 



「でも、殺したの」


 人類史は殺し合いの歴史だ! 愛花なんて大した事ない!


「でも、殺したの」


 愛花、愛花っ! 僕は人類もクローンもどうでもいいんだ! 愛花を肯定する理由がそうなら、そうだと云うなら! あってもいいって思っただけなんだ! 俊と愛花が幸せな世界を俺が創るから!


 愛花は、日々、弱っていった。

 俺は恵と一緒に愛花を診察した。出来ることは、なんでもした。


 ある日、愛花が倒れた。

 そして、起きなくなった。

 恐らく、精神的なものだと思う。

 

 俺は、クローン研究を恵に託した。

 愛花はいつ起きても可笑しくない。

 愛花が起きた時のために、愛花の研究の記憶を消すために。


 クローンはもう産まれた。

 あとは、継続すればいい。

 それは、僕じゃなくても、愛花でなくても出来る。


 もう、人類はクローンという禁忌を犯した。

 なら、もう、怖いものはない筈だ。

 愛花の記憶を消して、3人で幸せになる。


 もう、僕は誰も信用なんかしない。

 立野さんも、凪咲ちゃんも、恵でさえ、利用し尽くしてやる。


 記憶が消せるようになったら、あの上席のクソ共の記憶から消してやる。二度と愛花に近付かないように。そして、愛花が子供を殺したと思っている記憶を消す。僕が勝手に俊を産出したことにしても良い。必要なら、愛花がクローンだって記憶も消してやる。辻褄合わせでもなんでもしてやる。


 僕は大嫌いだった会合にも積極的に参加するようになった。吐き気がする両親にも、積極的に会いに行った。コネなんてクソ喰らえだと、今でも思ってる部分はある。


でも、俺の心情なんか、どうでも良い。


 愛花と俊を幸せに出来るなら、なんでもしてやる。


 愛花が自分は人間じゃないと云うなら、僕も人間なんか辞めてやる。


 そしたら、愛花は独りじゃなくなる筈だ。


 僕は、きっと、愛着障害とかそういう風に言われるモノで、愛花で欠けた部分を埋めようとしていて、純粋に愛花を愛してる訳じゃないと思う。


 でも、もう、そんなことはどうでも良い。


 僕は、僕の罪悪感とか、渇望とか、嫉妬とか、業とか、そう云うのを、全て肥やしにしてやるって決めたんだ。


 あの日から、愛花だけが輝いてるんだ。脳裏から、離れないんだ。

 なら、運命にしてやればいい。

 愛花は、きっと僕じゃなくて良かった。

 たまたま、側にいたのが、僕だっただけだ。


 でも、それでも、救われて、手を取られたのは、僕なんだ。


 なら、俺は、どんな手でも使ってやる。

 汚れきったとしても、綺麗に隠して、取り繕ってやる。







「……かぁ、りな」



 俊の言葉に現実に戻った。

 時計を見ると、結構な時間が経っていた。

 

 俺は椅子を元の位置に戻す。

 良かった。やはり、香里奈ちゃんの夢を見ていたんだ。


「賢吾、逃げ……香里奈に、脱がされ、る。ま、なか、不倫、じゃない、から」



 俊の夢は凄いことになってることは理解出来た。



 俺は俊の短くなった前髪を上げる。

 額の汗を拭った。


 その姿は、恐ろしいほど、愛花に似ていた。


 愛花、早く起きてくれ。

 俊はどんどん、君に似てくる。

 そんな日は来ないと思いたいが、僕は、自分自身も信じれない。

 もし、もし、俺が、俊を傷付ける日が来てしまったら。


 あの、あの犯罪者があの日、言い放った言葉が、脳裏に焼き付いて、仕方がない。


『これが、未来のお前の姿だ』


 そんな筈ない。あんな異常犯罪者と、僕が同じな筈がないんだ。

 同じで、あって、たまるか。


 でも、怖い。怖くて堪らない。

 俺は、抗男性ホルモン剤を一応打っている。


 その日が、絶対に来ないように。

 身体の火照りなど、瑣末な問題だった。


 俺は、俊の額にキスをする。


「おやすみ。俊。ごめんな。……こんな最悪な親で」






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