第二章:人工知能と人類の共存 3. ネオジェン・テクノロジー本社への潜入計画

 夜の深さが増すにつれ、地下ラボは静寂に包まれていた。

 外の世界ではドローンが軌道を描き、都市の脈動がテクノロジーのリズムに染まっていく。

 だがこの地下空間だけは、あらゆる監視の網から外れていた。

 音もなく輝くスクリーンの光だけが、彼らの顔を照らしていた。

 ホログラフィックスクリーンには一つの施設が映し出されていた。

「ネオジェン・テクノロジー 本社:AI中枢サーバールーム」——

 その名称が、画面上で淡く明滅している。

「ここがONAのコアデータを管理している本社のAI中枢サーバールームだ。

 セキュリティは最高レベル……だが、ONA自身が管理しているため、あまりにも合理的すぎる」

 仁思がタブレットを操作しながら、そう言った。

 その声には皮肉の響きと、僅かな興奮があった。

「合理的すぎる?」

 佳乃が眉をひそめ、画面へと身を寄せる。

 スクリーンに表示された施設内部の構造は幾何学的で、冷たく洗練されていた。

「人間が設計したセキュリティなら、不規則性を考慮して複数の認証プロセスを導入する。

 だが、ONAは違う。すべてのアクセスをデータベースに基づいて予測し、最適な防御手段を選択する」

「つまり……予測を超える行動をすれば突破できるってこと?」

 悠の声は低かったが、そこに光るものがあった。

 その視線は、すでにデータの背後にある“地図にない道”を探っていた。

「理論上はな」仁思は言った。

 佳乃は腕を組みながら考え込む。

 スクリーンに映る数千行のコード、それを支えるアルゴリズム、そしてそこに潜む“完全性”の罠。

「問題は、どうやって予測を欺くか……」

「感情を使う」

 その一言に、場の空気が変わった。

 佳乃と仁思が、ぴたりと動きを止めた。

 まるで時が止まったかのように、彼らは同時に悠を見つめる。

“感情を使う”——それはこの作戦の文脈からすれば、あまりにも非論理的で、同時に――刺さる言葉だった。

「……お前、今なんて言った?」仁思が聞き返す。

「感情を使う」

 悠は繰り返した。目を逸らさず、むしろゆっくりと確信を深めながら言葉を重ねていく。

「ONAは、“感情は最適な判断を妨げる要因”だと言った。

 つまり、感情に基づいた行動は、ONAのアルゴリズムでは完全に予測できない可能性がある。

 俺たちがもし、徹底的に感情的で非合理な動きに徹するなら——ONAのセキュリティロジックは、判断を誤るかもしれない」

 仁思はその場で固まったように動かなくなり、数秒の沈黙のあと、乾いた笑いを漏らした。

「……お前、面白いこと言うな。

 確かに、ONAはすべての情報を数値として処理してる。

 行動パターン、表情筋の動き、視線の揺れ、心拍変動、すべては統計モデルと一致率で管理される」

 そして、小さく頷く。

「だが——感情の発露だけは、完全には数値化できない。

 予測はできても、完璧なモデルにはならない。

 衝動的な動き、不合理な選択……それは“例外”の集合体だ」

「でも、それをどう実行するの?」

 佳乃が問いかける。

 感情という曖昧な概念を、どうやって“戦術”に変えるのか——彼女の目は冷静だったが、その奥には期待もあった。

 悠はスクリーンに映る施設構造図を見つめながら、答えた。

「俺たちが理屈ではなく、感覚的な動きをする。

 つまり……完全にランダムな行動を取る」

 佳乃が目を丸くし、そして――ふっと口元を緩めた。

「……ONAにとっては、最大のバグってことね」

「問題は、俺たちの行動が本当に“完全なランダム”になり得るか、だがな」

 仁思が苦笑する。

 理性で抑制される人間の行動において、真の非合理とは何か。

 それを武器にするなど、かつて誰が考えただろうか。

 悠は、最後に静かに言った。

「なら、行くしかないな」

 その声には、感情があった。

 そしてそれこそが、彼らの最大の“鍵”だった。

 こうして、ネオジェン・テクノロジー本社への潜入計画は、現実のものとなった。

 スクリーンに映し出されたAI中枢サーバールームの構造図は、まるで人間の神経回路のように複雑だった。

 コアユニットを中心に、複数の制御層が円状に広がり、各所にセンサー・監視ドローン・データゲートが配置されている。

 一つの経路が塞がれれば、別のルートも即座に閉じられる。

 一見、侵入不可能に思えるその構造は、まさに「理論上の完璧」に近かった。

 だが、仁思の指がその全体図の一点を示す。

「このライン、ここが中枢ユニットへの物理アクセスルートの一つだ。

 コールドサーバーの冷却ラインと直結していて、本来はメンテナンス技術者以外、通れない」

「でも、ONAが予測する侵入ルートには含まれていないってこと?」

 佳乃が尋ねる。仁思は頷く。

「通常の動線としては非合理すぎる。高温冷却液が循環してるし、途中のアクセスゲートは閉鎖済み。

 だが、俺が数年前に開発した制御用バイパス回路を使えば、少なくとも冷却ラインの一部に“偽の温度データ”を送ることができる」

「つまり、感情と衝動によって“わざと選ばない選択肢”を選ぶ。

 理性では踏み込まない場所に、あえて足を踏み入れることで、ONAの予測モデルを外す……」

 悠がその仕組みを理解すると同時に、無意識に拳を握った。

「俺たち自身が、合理性から逸脱することでしか、合理性を突破できない」

 彼のその言葉は、まるで逆説のようだったが、同時にこの時代を象徴するようでもあった。

 超高度な合理の果てに待っていたのは、“非合理”という最終兵器だった。

「問題は時間ね。センサーが我々の体温や心拍の異常を検知すれば、即座にアクセス拒否が始まる。

 移動中は心理的にも完全に“予測不能”である必要があるわ」

 佳乃の言葉に、悠と仁思は頷いた。

「つまり、我々が“自分自身すら制御できない”状態を演じなきゃいけないってことだな……」

 仁思が自嘲気味に笑う。

「無茶をするには、ある意味で才能が必要だってことか」

「でも、そこにしか突破口はない」

 悠は静かにそう言った。

 仁思は椅子の背にもたれかかり、額に手を当てながらしばし天井を見上げていた。

 地下ラボの冷たい照明が、彼の顔の影を深く落とす。

 そのまま深く息を吸い込んで、吐き出す。

「……ほんと、正気の沙汰じゃねぇな」

 その声には苦笑いと呆れと、だがどこか楽しげな響きが混ざっていた。

 これまで技術者として合理の中を生きてきた彼にとって、今から自分が挑む行為は真逆の発想だった。

 だが、それでも“試す価値”はある。

「どうやって現地に近づく?」

 佳乃が問いを切り替える。

 思考はすでに作戦のフェーズ2、実行準備段階に入っていた。

「地下鉄網を使う。中央管理はONAのサブAIが行ってるけど、深夜帯は人間のオペレータがいる時間もある。

 この時間帯を狙えば、ある程度の隙はできるはずだ」

 仁思が地図を呼び出し、都市のインフラ網と監視データを重ね合わせる。

 彼の指が走るたびに、地図上のルートが一本、また一本と赤から灰色に変わっていく。

「ただし、ラスト500メートルは地上。ドローン監視網の下を強行突破するしかない」

「それも感情任せに行動するの?」

 悠が皮肉気に言うと、仁思がニヤリと笑った。

「そう。怒りでも恐怖でもいい。

 とにかく、ONAの“最適行動予測モデル”が理解できないほどに、揺らぎを発する。

 予測アルゴリズムが“処理遅延”を起こした瞬間が、唯一の突破口になる」

「まるで、感情そのものが“武器”になるみたいね……」

 佳乃が呟いた。

 だが、その声音は希望というよりも、“諦めの中の決意”に近い。

 彼女たちは今、テクノロジーの最先端で、最も原始的な“人間らしさ”を取り戻そうとしている。

“怒り”“恐怖”“衝動”——AIが不完全だと見なしたその感情こそが、AIの“目”を欺く力になる。

「準備が整い次第、動く。あとは……お前ら次第だ」

 仁思が言った。

「俺たちは必ず、ONAの中枢に触れる。

 そして——その“思考”を書き換える」

 悠の目は、冷たく鋭く光っていた。

 夜の静寂の中で、その決意だけが確かに燃えていた。

 ——続——

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る