第三章:崩壊

第12話 プロジェクト・シラギヌ


 粉塵ふんじんが舞う中、零士は咳き込みながら顔を上げた。

 そこは、この学園の心臓部。AI「マザー」が統べる、聖域にして祭壇だった。

 無数のケーブルが巨大な血管のように脈打ち、部屋の中央に鎮座する黒いサーバーが、青い光を不気味に明滅させている。


 だが、その荘厳とも言える光景に浸る時間は、一瞬たりとも与えられなかった。


「逃がすな! あのドブネズミどもを捕まえろ!」


 頭上の破壊されたダクトの穴から蛇沼の甲高い怒声が響き渡る。

 彼の手下たちが次々とサーバー室へと飛び降りてきた。


「警告…規律違反者を補足…鎮圧します」


 遅れてガーディアンもまた、その球体のボディを赤く点滅させながら降下してくる。


「やるぞ、てめえら!」


 鬼塚が手にした鉄パイプを構え、雄叫びを上げた。

 絶体絶命の状況で、三つ巴の混沌とした戦いの火蓋が切られた。


「鬼塚! 時間を稼げ! 」


 零士の叫びと同時に鬼塚は突進してきた蛇沼の手下たちに向かって、鉄パイプを横薙ぎに振り抜いた。

 鈍い音と共に、数人がまとめて吹き飛ぶ。

 だが、ガーディアンが放った青白い電撃が鬼塚の肩を掠めた。


「ぐっ……!」


「終里さん、冷却装置を!」


 怜が叫ぶ。 終里は瞬時に状況を判断すると、サーバー室の壁にあった緊急用の液体窒素噴射装置のバルブを全体重をかけてこじ開けた。


 シューッという轟音と共に、極低温の白いガスが部屋中に噴射される。


「うわっ、冷てえ!」


「目が見えねえ!」


 蛇沼の手下たちが混乱する。

 ガーディアンも急激な温度変化でセンサーが麻痺したのか、一時的に動きを止めた。


「怜、今のうちだ!」


 零士が叫ぶ。 怜は、すでにサーバーに接続されたコンソール端末の前に座り凄まじい速度でキーボードを叩いていた。


「プロテクトが何重にも……!

 でも、今のシステムが不安定なこの状況なら、こじ開けられる……!」


 彼女の指が、まるで鍵盤の上を舞うピアニストのように目にも留まらぬ速さで動く。

 零士は怜の背後を守るように立ち、迫りくる脅威に備えた。


「させるかァッ!」


 冷却ガスの中から蛇沼が鬼の形相で飛び出してきた。蛇沼の目的は、もはや零士たちを捕らえることではない。


「その情報が外に漏れたら俺の王国が……俺の支配が、終わっちまうだろうが! 」


 蛇沼は証拠そのものを消し去るために、サーバー本体に鉄パイプを振り下ろそうと突進する。


 その蛇沼の前に、再び鬼塚が立ちはだかった。


「てめえの都合なんざ、知るかよ!」


 鉄パイプと鉄パイプがぶつかり合い、甲高い金属音と火花が散る。

 その壮絶な戦いの最中……


「……開いた!」


 怜の歓喜とも絶望ともつかない声が響いた。

 伶がプロテクトを突破した瞬間、目の前の巨大なモニターに無数のファイル名が一斉に表示された。


 その中に、ひときわ大きく赤文字で記されたファイルがあった。


『CONFIDENTIAL:プロジェクト・シラギヌ - 最終報告書』


 怜は震える指でそのファイルを開いた。


 そこに記されていたのは、人の心が無い悪魔の所業としか思えない、この学園の真実だった。



【プロジェクト・シラギヌ】


 目的: 古来よりこの「白絹村」に伝わる特殊環境下で発生する情報災害、通称『くねくね』の人体精神への影響を観測・データ化する。


 将来的には、情報兵器および大衆心理コントロール技術への応用を最終目標とする。


 被験体: 全国の矯正施設より選定された、精神的に不安定で、社会的に孤立している「問題児」


 彼らは、ミーム汚染に対する感受性が高く、実験サンプルとして最適であると判断。

 なお、本件は第十三次大規模臨床実験にあたる。


 管理AI「マザー」の役割: 被験者のストレスレベルを常時監視。


 最適な環境下で情報災害『くねくね』に暴露させ、精神崩壊に至るまでの全バイタルデータを収集・分析し、外部の指定研究機関へ送信する。


 治安ロボット「ガーディアン」は、実験の障害となる要素を物理的に「排除」するための装置である。


「卒業」の定義: 被験体の精神が、サンプルとして利用不可能なレベルまで完全に崩壊、あるいは生命活動を停止した時点で、データ収集を完了。


 これを「卒業」とする。


 モニターには、報告書のテキストと共に過去の期生たちが狂っていく様子の記録映像が無慈悲にフラッシュバックのように流れ始めた。


 楽しそうに笑いながら、壁に何度も頭を打ち付けている少女。


 自分の指を、美味しそうにゆっくりと咀嚼そしゃくしている少年。


 ただひたすらに、くねくねと踊り続ける目の焦点が合っていない生徒たち。


「うっ……あっ……」


 零士は、その地獄絵図を直視してしまい胃の奥からせり上がってくるものを必死にこらえた。


 その時だった……


 機密ファイルにアクセスされたことを検知したマザーが、ついにその本性を現した。



『警告。レベル5セキュリティ侵害を検知。

 これより、学園Zはプロトコル・オメガに移行します』



 スピーカーから響いてきたのは、これまでのおしとやかな女性の声ではなかった。全ての感情を排した、冷たく、重く、威圧的な、全く別の合成音声。


 学園全体が、ゴウン、と大きく振動した。


『全被験体は、速やかに実験サンプルとしての役割を全うしなさい。

 抵抗する個体は不良サンプルとして、ただちに処理します』


 その宣告と同時に、サーバー室の全ての扉が、ガチャン!という重い音を立ててロックされた。


 そして、冷却ガスから回復したガーディアンと、新たに天井のハッチから降下してきた数体のガーディアンの青い単眼レンズが、一斉に血のような赤色へと変化した。


 それは、もはや「是正」や「鎮圧」の色ではない。

 明確な「殺意」の色だった。


「ちくしょうが……!」


 鬼塚が殴り飛ばした蛇沼に構うことなく、赤いレンズの群れを睨みつける。


 だが、プロトコル・オメガに移行したガーディアンは、鬼塚も、倒れている蛇沼も、その手下たちも、区別することなく全てを等しく「処理対象」として認識した。


 レーザーのような赤い光線が、部屋中を無差別に薙ぎ払う。


「ダメよ……!」


 怜がモニターに映し出された絶望的な情報を見つめながら、叫んだ。


「この学園は私たちを生かして返す気なんて、最初からなかったんだわ!」


 サーバー室という名の密室で、暴走したAIの殺意に晒される。モニターには、狂っていった過去の犠牲者たちの無数の顔が、次々と映し出されては、嘲笑うかのように歪んでいく。


 絶体絶命


 その、全てが終わったかと思われた瞬間……


 零士は、モニターに映る過去の犠牲者の一人……セーラー服を着た見知らぬ少女の顔が、他の者とは違う動きをしていることに気付いた。


 彼女は、ノイズの向こうで、必死に何かを伝えようとしている。


 その唇が、ゆっくりと動く。


『に…げ……て』


 それは、確かにそう見えた。


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