孤狼よ孤狼、例えその剣が月光であれど

 キィ……と、背筋が震えるような音が静かに鳴って、サビ塗れの刃が赤茶けた鞘から引き抜かれる。

 剣。小ぶりな、されど子供の身幅には身に余る大きさの短剣。


 彼は静かに息を整えると、ヒタリとその剣を携えて進み出す。

 路地裏の影から影を縫い、決して気取られぬように。

 灰色の衣に身を包んだ彼の姿はその矮軀も手伝って誰にも見咎められることは無い。


 砂埃に塗れたスラムのただ中。光指さぬ影の街並み。酷く乾いた風に乗って肉が腐る匂いが鼻を刺した。


 「ねぇそこの旦那ぁ!」


 彼は偶然見つけたある男に呼びかける。少年期特有のよく通る、高い声だった。

 それに反応してなんだ坊主?などと呟きながら振り返るその男の無防備な背に向けて、彼は、剣を、ねじ込んだ。


 「ァ……ガ……ッ!」


 筋繊維を断ち切るブチブチというような音が、柄を伝って手首に伝わる。お世辞にも切れ味は良いとは言えぬ剣と子供の貧弱な体重と腕力、致命的な部位に刺さり切る前にその切っ先が止まる。

 まだ殺しきれていない。とても安心はできぬ。


 そのまま体重をかけて男を押し倒し、マウントポジションを取る。

 藻掻く筋肉質な体躯を押さえつけるのに難儀しながら剣を引き抜き、再度突き刺す。半ば半狂乱で。その繰り返し。

 厚い胸板を抉り、腰のホルスターに手を伸ばさんとする右手を穿ち、眼球に突き立て、喉を切り裂く。


 10分も経ち、最早男の生前の顔立ちが想像も出来なくなった頃、少年は思い出したかのように剣を突き込むのを辞めた。

 返り血塗れの汚らしい風体にも構わず、男の服のポケットやバッグを一心不乱に漁る。


 「財布は……それなりに厚いな、ラッキ」

 

 しばらくもすれば、この死体が誰かに見つかり騒ぎになるだろう。速やかにこの場を離れなければならない。


 その街にはある噂があった。

 曰く、鬼が住まうと。金銀財宝に目が無く、惨たらしい死体を作り上げては、その山の頂上で呵呵大笑する。


 ――夜叉。


 「三日は食うものに困らねえかなぁ……」


 ヴォルフガング、11歳の夏である。


    ◆


 10年前。

 世界中の企業が提携、九企業連合ハイロゥ・ナインズを結成し、国家機能の買収に踏み切った。

 理由は弱体化した国家では最早、「民の生活を保証し、文化と文明を後世に紡いでいく」というその任を全う出来ぬと判断したため。当然建前であり、本当の理由は奪えそうだから奪った、ただそれに尽きる。純粋に利益の追求を行えば、必然そうした言動になるのは自明である。


 企業はその実態を隠しながら国家買収劇を朗々と謳い上げる。新時代の支配者たる企業に相応しい極めて単純でスマートな方法だと、イングランド名誉革命に並び立つ人類の叡智と理性の結実であると、『経済に基づく平和ピースメイク・エコノミカ』なのだと。


 そしてこれもまた、欺瞞であった。

 風土故か、信念故か、一定数の地域は企業による買収を拒み徹底抗戦を主張した。

 企業は、そうしたまつろわぬ地域国家に対して何の躊躇いもなく武力を振るった。


 血は、流れたのだ。


 地を、空を埋め尽くすACの群れ。

 兵を、民を問わず絶え間なく浴びせられ続ける砲火。


 この地獄の酸鼻は企業によって隠蔽され、ごく一部の者しか知りえない。

 だが、地獄は確かにそこにあったのだ。


 ヴォルフガングの両親も、その地獄の中で遺体も残さず死んだ。もう、顔も覚えていないが。

 孤児となったヴォルフガングは、いつしか人を殺して金品を奪って暮らすその日暮らしに馴染んでしまった。


 きっかけは些細な事だった。飢えの余り見知らぬ他人が口に運んでいたパンか何かを力づくで奪い取ったか何かだ。そこで今も使う短剣を手に入れた。

 それ以来ヴォルフガングは、ずっと誰かを殺す事で生き永らえてきた。それしか、生きる術を知らなかったのだ。


 そんな、毎日。


 星のやけに眩しい夜だったと記憶している。

 ヴォルフガングは、一人の女を見つけた。その肢体は華奢であり、その身なりはここでは滅多にお目にかかれない程整っていた。


 「こんなにオイシイ話もねえな……」


 ヴォルフガングはノソリと寝ぐらから這い出すと、その背を刃の切っ先でピタリと指した。

 貧弱な女一人殺せば大儲け、そんな事を思いながらいつものように音もなく背後に着いた所で――


 「――君が『夜叉』かい?名前の割にカワイイじゃないか」


 ――気づかれている!?バカな、いやしかし今更この距離で――

 その思考が完結するより早く、ヴォルフガングは刺突を繰り出していた。

 が、それよりなお早く、女の後ろ回し蹴りがヴォルフガングの胴を叩く。


 「ゴ……!?」


 予期せぬ一撃の重たさにくぐもった声が漏れる。胃液が逆流する。

 そのまま受け身を取ることも出来ずに、ヴォルフガングは仰向けに倒れ付した。


 ――殺される。自らに襲い掛かった匪賊を生かしておく道理などない。なんとかして目の前の女の隙、を……


 「……あぁ」


 夜空を見上げる姿勢のまま、目の前の女を睨み据えたヴォルフガングは、そこで思考を止める事になる。


 ――きれい、だと思った。そんなことを考えている場合では、ないというのに。


 揺るぐことのない北極星を逆光に背負う女の姿。長衣の裾の端は星の光を浴びて透ける様に輝き、赤い髪が夜風に吹かれて静かにたなびいていた。


 女がその長身を屈め、こちらに手を伸ばしてくる。

 意図が分からない。逃げなければならない。だがそうと知ってなお、ヴォルフガングの体は金縛りにでもあったかの様に動かない。 


 「立てるかい、少年?あぁ、少年ってのもどうも決まりが悪い、君の名前は――」


 「……っ、名乗るのはそっちが先だろ」


 どうにか振り絞った声が、それだった。


 「あぁそれもそうか――私はシュテルン・ベーアー――」


 シュテルンと名乗った女は、長衣の切れ目から覗く直剣の柄を見つめるこちらの目線に気づいたかの様に一息挟むと、


 「――お察しの通り、女騎士ってヤツさ」


 そう言って、皮肉げに笑った。


    ◆


 戦場を疾駆する。ただひたすらに。

 西洋甲冑の意匠を施されたガンメタル色の装甲は泥に塗れ、硝煙に煤け、薄汚れていた。シュテルンはそれを気に止めることはない。

 機体脚部を通じてコックピットにまで伝わる振動は今日も不快で、そろそろ尻が痛くなってきそうな頃合いだった。


 「敵影!あのACは……シュテルン・ベーアーの『アイゼン・ファーベ』!?『星の騎士』……!」

 

 モニター越しに敵の声が聞こえる。

 間髪入れずに叫び返す。


 「応とも!我こそが『星の騎士』シュテルン・ベーアーだ!皆、私の後に続け!」


 「舐めるなァ!迎撃始め!」


 最早耳馴染んだ轟音と共に、弾雨の数々が降り注いでくる。

 作戦目標は企業拠点の制圧。この弾雨を潜り抜けるのは必須事項……


 立て続けにペダルを踏み、SBの連発で回避に専念しつつ、どうしても避けきれない物は左腕部に懸架されたAC用実体盾で弾く。


 シュテルンはそれで何とかなる。だが、周囲の武装車両たちはその限りではない。

 弾丸を躱す機動力も、弾丸を受ける装甲も無い。この飽和射撃に対しての対抗策もろくにないままに次々と擱座していく。


 「グアアアアアッ!」


 「嫌だッ!嫌だぁぁぁぁぁ……」 


 断末魔や末期の絶望の声、装甲が砕け散る金属音、或いは機体が爆散する轟音が戦場に響き渡る。


 「怯むな!進め、進み続けろ!」


 弾雨が止んだ頃、死の匂いが蔓延する空気を切り裂いて敵勢力のACが戦場に降り立つ。

 拠点備えの機銃掃射だけでは不足と見て直接仕留めに来たか。数が多い。


 「足りるものかァッ!」


 シュテルンが左手のスロットルを上げるのに呼応して、アイゼン・ファーベが背に背負うメインスラスターが唸りを上げる。圧倒的な加速で以て敵陣に乱入し、数の利、銃火器の利を生かさせない戦況……即ち乱戦に持ち込む。


 右マニュピレーターで騎士剣を抜剣する。なんの飾りもない、ただACの規格に合っているというだけの、金属製の剣。


 「この位置取り……ッ!」


 同士討ちを恐れた敵の動きが一瞬強張る。

 その刹那をシュテルンは見逃さない。


 「遅いッ!」


 照準から引き金を引くまでの一瞬で敵の胴を薙ぎ払う。

 装甲と装甲の継ぎ目を正確に狙いすました一閃。金属の巨兵が真っ二つに分かたれ爆散する。

 機体を回しながら敵に突っ込み、盾で押さえつける事によって機関銃をあらぬ方向に発砲させ、そのまま柄頭ポメルの打突でコクピットを潰す。

 

 二機潰したところで、ようやくAC群の砲火がこちらに向き始める。

 

 それを回避しながら突っ込み、縦薙ぎで銃を握る左手を斬り飛ばす。


 「やってみろ!」


 左腕を落とされた敵がバックダッシュし、右腕部に格納されていた格闘戦用ダガーを展開、三連突きが繰り出される。それを全てシュテルンは躱し、受け、反らす。

 

 切っ先と切っ先がぶつかり合い、鍔迫り合いの刹那、シュテルンが動く。

 刀身同士を絡ませるように腕を回して、敵の切っ先を下に流し、がら空きの胸元に一閃。

 鳴り響く金属質の断末魔、血風めいて舞い散るオイル。


 ――剣同士が打ち合い鍔迫り合いになった時、刀身同士が噛みあうことで剣が固定されることがある。西洋剣術の術理に於いてはこれを「バインド」と呼び、優れた剣士はこのバインドの状態を利用して鍔迫り合いからの次手の組み立てを行うのである。


 「ヤツだけ……ッ!ヤツだけ動きが違いすぎる……うわァ!?」


 ブーストの勢いを乗せた鉄色の閃きが幾度となく戦場を駆け、また一機、また一機と敵が崩れ落ちていく。


 突破口は開けた。ならば、内部施設を……


 戦況を整理し作戦を次に進めんと思案していたせいで、刹那、反応が遅れた。

 

 「シュテルン・ベーアァァァァ!」


 「――ッ、それぐらいでぇぇッ!」


 背後から対AC用物理バズーカを構える敵影一、機体を旋回、飛翔させて反撃を狙うが、僅かに間に合わない。

 

 「シュテルン殿ッ!」


 衝撃に備えた次の瞬間、敵とアイゼン・ファーべの間に、一機の第二世代AC――即ち、旧型のジャンクが躍り出た。誤たず放たれた弾頭がジャンク機体の目前で爆ぜる。


 「シュテルン殿、お慕いしております。どうかこの地をお救いッ――」


 穏やかさすら感じさせるその声も爆音とノイズに掻き消されて、絶えた。

 長い間、シュテルンの戦いに随伴していたベテランだった。

 旧式の第二世代ACをガタが来る度に重機のパーツで修繕してまで前線を貼り続けた、老兵だった。

 その命が、今、尽きた。


 加速を乗せて剣を叩き込む。彗星にも似た銀色の刺突。

 今度こそ敵勢力を撃滅した。そう確信したと同時に、シュテルンはアイゼン・ファーベを上昇させる。

 真上から見下ろした敵の拠点は、なんともちっぽけに見えた。

 後は内部で適当に暴れるだけで、作戦は完了だ。何なら機体出力を全開にして剣を投げつけるだけでも制圧できるだろう。


 知らず、乾いた笑いと、自嘲めいた言葉が口からまろび出ていた。


 「……本ッ当、何やってんだろうな、私。」

 

 作戦終了。

 生存者一名、シュテルン・ベーアー。


   ◆


 そうして、ヴォルフガングは、シュテルン・ベーアーの元に引き取られた。

 女騎士であるという自称に嘘偽りはなかったようで、彼女は企業に対して未だ抵抗を続ける武装集団のリーダー格だった。武装騎兵アーマメント・キャバリアー……通称ACと呼ばれる兵器を乗りこなし、この地を脅かす企業勢力と戦っている、らしい。

 

 正直ヴォルフガングには実感が湧かない。日々日々生き延びることで精一杯で、ここがどうなるか、とか、世界がこれからどうなるか、なんて考える余裕なぞどこにもなかったのだ。


 そして、その女騎士サマであるが……


 「う゛へへ……あ゛ー気分い゛い……」


 端的に言えば、酒癖が悪かった。

 弱い癖に大酒喰らい、挙句の果てには絡み酒の笑い上戸なのだから質が悪い。そして最後には気分が悪くなって汚物を撒き散らしながら泥の様に眠るのが常だった。

 

 というか、生活能力というものが根本的に欠如していた。

 始めて彼女の住処に案内された際、冷乾庫の中に酒瓶以外なんもないと気づいた時には目をむいたものだ。他にも服は脱ぎ散らかされ、ゴミは散乱しており……となかなかひどい部屋……というかシンプルにゴミ屋敷であった。略奪が唯一の生きる糧であった孤児がドン引いて顔が引きつったという時点でどの程度の悲惨さであったか想像してほしい。一時はコイツ飯炊き係として俺を拾ったんじゃないだろうな……と邪推したほどである。


 その癖、騎士剣はしっかり手入れされたうえで壁備え付けのラックに飾られている当たり、本当によくわからない。


 「そこで寝るなそこで、せめて寝床で寝てくれ」


 ヴォルフガングは嘆息し、彼女をベッド――俺が使用可能な状態にまで片づけた――に拉致し叩き込む。袋と一頻り吐いたあとに胃に入れるモノでも持ってきてやるか……などと思案していると、背後から生温かいモノが絡みつく。シュテルンの腕。普段からACに乗り込み、剣を振り回しているとは思えないほど柔らかい腕だった。ベッドの中に引き釣りこもうとしてくる。おい離せ。


 「やっぱり私の弟子は出来た弟子だねぇ゛……」


 「離せよ、酔っ払い……後弟子になった覚えはねぇ!」


 「またまた~」


 そう、ヴォルフガングはなぜかこの酔っ払いの弟子という事になっていた。

 本人曰く、「これから先、私の所を離れるにしても一人でまた生きていくにしても、背後からの闇討ちだけでは限界があるでしょ。ここら辺治安悪いんだしさ」という話であったが……その直後にやったー一番弟子だーとかほくほく笑顔で呟いてたのでただ単に師匠になりたかっただけだとしか思えない。

 

 まぁまともな衣食住は確保されているし、剣術教練自体は普通に真面目な内容なので文句があるかと言われると言葉に詰まるのだが……


 剣術を教わりだしてから暫くした日に、聞いたことがある。

 なぜ騎士であることにこだわるのか、と。

 

 「アンタの話を聞いてる限り、騎士道ってのは「型」だ。けど「型」にこだわっておっ死んでたら意味ないだろ。命がかかった戦いだったらなんでもするべきだ。ましてやACってのは銃の使用が前提の兵器だろ?なんでわざわざ剣なんざ……」

 

 渾身の胴打ちをプロテクター越しに浴び、盛大に尻もちをついたヴォルフガングに手を差し出しながら、シュテルンは答える。


 「そうだね……言葉で説明するのはなかなか難しいけれど……「型」であることに意味があると思うんだよ。なんでもありじゃない、「型」の中に嵌っているからこその意味が……

 ま、酒が飲めるくらいの年になるころには君も分かるだろうさ」


 何とも要領を得ない、曖昧な言葉だったが、どうにか真摯に口にしようとしていたのは伝わった。

 そんな空気が何か気まずくて、またいつもの様に適当な軽口で混ぜ返してしまう。


 「……それ呑みのツレが欲しいだけだろ」


 「アレ、バレた?さ、続けようか」


    ◆


 シュテルンの身の回りの世話をしながら、剣を教わる。荒くれて荒んだ、路地裏の毎日とは真逆の日の当たる、暖かな日々。


 あぁ、あの時は、気づけなかったけれど。

 俺は、貴方に、憧れていて。

 そしてその日々は、間違いなく、俺にとって


 ――しあわせだったのです。 


    ◆


 「シッ!」

 

 早朝の澄んだ空気を切り裂いて、木剣の丸く削られた先端がヒュウと音を立てる。

 自らの元に鋭く飛んできたそれをヴォルフガングは難なく剣を絡めて受け、左手の盾を叩き込んでシュテルンを一歩引かせる。


 その機を逃さず前ステップ。

 ヴォルフガングが微妙に押し込みながらの打ち合い。ガツ、ガツ、と木と木同士がぶつかり合う音が響き、それが数えて十五合目になった時、双方共の仕切り直しの斬り払いが重なった。

 お互いに半回転しつつ半歩距離を取り、双方ほぼ同時に渾身の振り降ろしを見舞う。鍔迫り合い、バインドの形。

 

 「力、強くなったね……!」


 「そりゃあ、な!」


 その瞬間、あえてヴォルフガングは力を抜く。予期せぬ挙動に僅かに、しかし確かに体勢を崩したシュテルンを見逃さず、手首を返して剣同士のバインドを解き、刀身を滑らせ身を屈めつつ懐に入っての横薙ぎ一斬。

 

 剣技の冴えを浴びたシュテルンが呻くように、或いは少し喜ばし気に呟く。


 「……ッ、負けたねェ……」


 ――ヴォルフガングがシュテルン・ベーアーの元に引き取られてから、既に8年が過ぎていた。

 あの時、小汚い野盗に過ぎなかった少年はみるみる成長し、今では見る人の目を引く美青年になった。

 不意打ちしか取り柄のない稚拙だった剣の腕も、美技と呼んでも遜色ない程のレベルに、否、それ以上、言うなれば剣聖と称せられるような腕前になっていた。


 「こりゃあもう私もお役御免かもな……師匠より強いもんねぇ……」


 「勝手に師匠になっておいて勝手にお役御免とは」


 「減らず口だけは治らんねぇ」


 緩く振り下ろされる右拳をサッと躱す。


 「あっこら避けんな」


   ◆


 九企業連合ハイロゥ・ナインズによる国家買収劇、シュテルン・ベーアーによるヴォルフガングの引き取りから8年を超えたという事は、前後に若干の誤差はあれど企業と『暁たるネルガル』の交戦も8年を超えたという事を意味する。

 

 交戦最初期の敵味方共に死傷者を甚大に出した混沌からすれば状況は遥かにマシになっていると言えるが、依然として企業による周期的な襲撃は続き、逆に『暁たるネルガル』による企業実効支配領域奪回作戦も続いていた。


 だが、紛争の長期化と小康化という現状は、現地ゲリラでしかない『暁たるネルガル』と世界を全てを支配する利権の象徴たる企業との組織体力の差を浮き彫りにする結果となっており、長期的な視点で見れば状況はマシになっている所か、追い詰められているとすら言えた。

 『暁たるネルガル』と反企業組織の双璧を成していたはずの『グリモ学派』の完全殲滅宣言もなされて久しい。

 戦線が閉塞し、不利を覆す手立ても徐々に失われていく。戦は長く続けど、何もかわらない。


 それでも、シュテルン・ベーアーは、戦場を駆け続けた。


 無垢な稚児の様に母親を求める敵兵を斬り捨て。


 ――Ehre騎士 den Ritter称えよ


 自らを信じ、爆炎に呑まれていく同胞を置き去りにし。


 ――dieその Schärfe dieses Schwertes鋭さを

 

 自らの現身たる鉄の巨体で屍の山を築き上げ。


 ――Den邪悪 bösenなる Feind敵を vernichten砕く, solcheその Tapferkeit勇猛さを


 それでも、駆けて、駆けて、駆けて、駆けて、斬って、斬って、斬って、斬って、斬り続けた。


 輝ける騎士甲冑には煤と敵機から血液めいて溢れ出たオイルで出来た染みがこびり付き、銀のカラーリングも褪せた灰色に成り果てていた。


 それでも。


    ◆


 カタリカタリと、音を立てて食器を戸棚に戻していく。初めは面倒としか思えなかった仕事も、8年も経てば慣れたモノ。日常のささやかな楽しみでさえあった。


 「ん、そろそろ寝ようぜ、電気消すぞ〜」


 洗い物を終え、床で寝っ転がったままのシュテルンに呼びかける。

 

 「あいよー」


 珍しく今夜は、酒を飲んでいなかった。

 受け答えもしっかりしたものだ。


 彼女が床に着いたのを確認し、自分も己の寝床に向かおうとした瞬間、ヴォルフガングの首元に柔らかい物が巻き付く。


 「一緒に寝ようぜぇ〜あの頃みたいにさぁ〜」


 「別にあの頃も一緒に寝たことはねえだろ……」


 「いいからいいから」


 普段だったら無理やり振り払う所だが、何故かその日はそういう気分になれず、あれよあれよといううちにベッドに引きづり込まれた。


 「せめぇんだけど」「我慢してよ」などと呟きつつ、一人用のベッドの中で二人横になる。睦言を囁き合う恋人同士とは程遠いな、などと、こっ恥ずかしくなりそうなことを考えながら、夜の闇と二人の間を満たす静寂に意識を澄ます。


 「あの、さ。」


 シュテルンが唐突に口を開いた。


 「私がなんで、君を拾ったか、教えてあげよっか」

 

 「そういや昔聞いたことがあったな、いきなりどうしたよ」


 「私は、さ。」


 シュテルン・べーアーは静かに語る。


 「ずっと、ず〜っと戦場の中にいたのよ。敵を殺して、その倍の味方が殺される、そんな戦場。人の命でやる賽の河原。なんで戦い始めたのかも、ぶっちゃけ覚えてない。

 周りより少し剣の腕が立って、少しACの操縦が上手かっただけ。


 ――生き残るのも、いつも私だけ。」


 ぶっちゃけもう、食傷気味だったんだよね、敵を殺すのも、味方を死なせるのも。

 そう語る彼女の顔は、背中合わせになっているヴォルフガングからは見えないが、普段のにへらとしか笑顔でないことだけは容易に想像出来た。


 「それで、何時しか『星の騎士』だなんだと称えられるようになった。

 ――そうやってる内は、自らに制約と規律を課して、民の為に戦う騎士として誰かを守る為に戦ってる内は、いくらか気が楽だった。要は騎士って称号と行動に縋りついてたんだよ、私は。

 アルコールに逃げたのもそう。何かに酔ってなきゃ、やっていけなかったんだよ」


 普段のちゃらんぽらんなそれと違う、疲れと罪悪感が強く滲む声だった。


 「結局、君を拾ったのもそう。私は壊すだけじゃないんだと、そう思いたかっただけ。滑稽だろ、誰かを救う側の人間が、実の所救われたがってた、なんて。ミイラ取りが聞いて笑わせる――いや、それとも、救うなんて考えがそもそもただの傲岸だったのかもな……本当に、どうしようもない」


 「そうか。だとしても俺は――俺は、あんたに拾われて、良かったと思ってる。」


 偽ることの無い、素直な感情だった、おべっかでも、慰めのつもりでもない。

 目を閉じれば、北極星を逆光に浴び、こちらに手を差し伸べる彼女の姿が今も鮮明に思い浮かぶ。きっと、幾年経とうと、地獄の底であろうとも、あの日の光景を忘れることは無いのだろう。


 それに何より、彼女と過ごした日々は退屈しなかった、腹の立つことに。


 だから、許せなかった。彼女が己を否定することが。なまじ、日々を過ごしただけに、尚更。


 「騎士を名乗ってるのは自己満足?何の為に剣を握ったか覚えていない?なら俺が思い出させてやる。。あんたの善性はあんたの内から発したものだ。じゃなきゃ、誰かから騎士なんて、称えられる筈がない」


 そうだ、偽りになど、偽りになど、断じて。


 「それに、アンタに救われたヤツが確かにここにいるんだ。だからさ、折れるなよ、俺の騎士」


 「ハハ、なんだ、そうか、それだけのことで、それだけで――」


 身を寄せ合う訳でも、ましてや抱き合う訳でもない。

 ただ、微かに触れる肌から、熱だけが伝わっている。

 

    ◆


 今でも、思い出しては眠れぬことがある。


 あの時、何か違っていれば、と。

 例えば、二人だけで逃げよう、などと言っていれば、何か変わっていたのだろうか、と。


 成就しなかった現実を語ることに意味は無い。それに何より――俺の信じた騎士は、それをきっと承諾しないだろう。


    ◆


 翌日、中天。

 『暁たるネルガル』居住区域の一つに企業連AC一個中隊、総勢50余機が集結しつつあるのが確認される。

 当然、『暁たるネルガル』側も投入できる総戦力での防衛を余儀なくされる。シュテルン・ベーアーも、その中にいた。


 八年強に渡る対九企業連合ハイロゥ・ナインズ反抗活動の一つの転機となった、世に言う「メソポタミア防衛戦」である。


 「さぁて……おいできなすったな……とうとう真正面からの雑な力押しに来たか……嫌な事ばっかりしてくるねぇ……行くしかない、か!」


 騎士剣を肩に担いで、ブーストを駆けて敵陣の只中に突っ込んでいく。

 

 「所詮ロートル、性能と数で押しつぶせェ!」

 

 「悔いるなよ!」

 

 機体の周囲を掠めるレーザーライフルの弾幕を掻い潜りながら敵に迫り、すれ違いざまの剣撃で叩き斬っていく。

 盾の打突でコクピットを押しつぶし、ポメルの一打で関節を破壊しながら突き進む、切り開く。


 続けざまに七機叩き斬り、八機目の足元を切り崩した瞬間、背後からグレネードが直撃した。


 「ガアッ、ツ!」


 衝撃で激しく機体が揺れ、叩きつけられた頭から血の端が零れ落ちる。

 ひび割れた計器に素早く目を通す、背部スラスター一機破損、バランサーコンディションレッド、関節駆動系損傷軽微……


 「まだあッ!」


 振り向きざまの盾で殴りつけた勢いで首元に剣腹を突きつけ、一気に引き斬る。


 「ハア……ッ!」


 だがその瞬間にも飽和射撃。

 蒼い光の弾雨に晒され、装甲が罅割れ欠けていく。頭部の半分が吹き飛び、モニターに映る景色が半分吹き飛ぶ。

 それらに構うことなく敵陣のど真ん中に飛び込み、敵を叩き斬る、突き抉る、斬り刻む――


 数えて三十七機目を叩き斬った瞬間、レーザーバズーカーの一撃がこちらに向けて飛来する。それを咄嗟に構えた盾で凌ぐものの、その熱で電装系がイカれ、連鎖爆発を起こす様に左腕が吹き飛ぶ。咄嗟にパージが間に合ったから良かったものの、一秒遅れていれば機体ごと木っ端微塵だった。

 土煙が晴れたその後の光景に映るのは、一面の敵。


 「ぐ、ッツア……結局、私一人かよ、変わんないな……」

 

 「まだ、まだ死なねえのかよ……」


 「ハ――騎士が、折れるわけ、ないだろ……」


 ブースターは9割がまともに動かず、あちこちの装甲は罅割れその役を為さず、関節部の駆動系は限界まで熱を孕み、左腕は盾ごと吹き飛び、残されたのは右腕と剣一本。


 ――十分だ。高々十と余機、剣、一つで……!

 

 ファルルルン。


 戦場で聞いたことがない異質な音が鳴り響いた。シュテルン・ベーアーは、それがブースター音である事を知らない。


 戦場で見たことの無い形状のACが舞い降りてくる。シュテルン・ベーアーは、それが第三世代ACを遥かに超克する機体性能の怪物であることを知らない。

 

 第四世代AC、NEXT。

 つい先日ロールアウトされたばかりの新世代の異物が、満身創痍の騎士の眼の前に降り立っていた。


 「た、かが一機の、増援ぐらいでェッ!」


 剣を振りかぶり、叩きつけんとしたアイゼン・ファーベの右腕がすり抜ける。NEXTの基礎性能の一つ、転移じみた運動性能。


 ――まだ、だ。


 捉えられないほどの神速で敵が動くのならば、敵の回避地点に剣を置くだけの話。

 なけなしの推進剤をボロボロのブースターに注ぎ込み、機体を現状の最大稼働まで引き上げる。


 「そこォ!」


 果たして、未来予知じみた精度で放たれた横薙ぎの一斬は敵機体の装甲の継ぎ目、関節部に過たず吸い込まれんとし――


 ――途中で、止まった。


 NEXTの基礎性能の一つ、仮想非収束型無限級数防護領域による絶対防御。

 反撃で振るわれたレーザーブレードの一斬が、アイゼン・ファーベの右腕を吹き飛ばす。


 ――あ。そういえば、忘れてた。


 武装完全喪失、打つ手無し。最後の一撃が構えられる。


 ――ヴォルフガングと、一回も呑めてないや。


   ◆


 その知らせが届いたのは、突然だった。

 いつもの出撃に比べて帰りが遅い、まぁ大仕事と言っていたことだし、手間がかかっているのだろうなどと思いつつ、夕餉の用意をしていた所、見覚えのない厳つい男が家の門を叩いた。


 「……シュテルン殿のアイゼン・ファーベが、撃墜された」


 「は」


 撃墜されたということは、負けたという事だ。負けた?あの騎士が?

 理解が追いつかない。この男は何を一体何を言っているのだ、そんな趣味の悪いありえない冗談を語るなんてこの男にデリカシーはないのか?冗談、なら、ば。なんでそんなにくるし、そうに――


 「現場付近に遺体が発見されていないことから、恐らく彼女は捕虜として拿捕されたと考えられる、我々は戦力を結集し、必ず彼女の奪還を――」


 その後も男は何事かしゃべっていたが、全て、脳味噌をすり抜け、よく覚えていない。

 

 彼女が、負けた。


    ◆


 「私を、殺さなかったんだね」

 

 メソポタミア防衛戦から数日後。

 シュテルンの両腕と両足には椅子の足に鎖が絡んだ合金製の枷が掛けられ、彼女の一切の身動きを封じていた。その体には生傷が深く刻まれており、マトモな治療が施されていないのが見て取れた。


 彼女の眼の前にいたのは数人の男、それもいいとこ一等兵の下っ端。仮にも敵勢力の現場総司令でもあった人間に対する対応とは思えなかった。

 一人の男が下卑た口を開く。


 「お前一人に俺達がどれだけ苦渋を舐めさせられたと思っている。八年だぞ、八年。八年もの間、散々にやられたのだ。ただ殺すだけで、苛立ちが収まる訳もあるまい」


 「拷問かい?勝手にすればいいさ、知ったこっちゃない」


 「ああ、存分にそうさせてもらうとも。だが、その傷での限界までの戦闘、お前は自分の痛みには頗る強い、或いは無視できてしまうタイプだろう、それでは、面白くない。そこでだ――あれを」

 

 男の合図と共に連れられたのは、一人の女だった。シュテルンと同じく、拘束されている。

 シュテルンは、彼女に見覚えがあった。『暁たるネルガル』に匿われていた、非戦闘員の女性。何かと、ヴォルフガングの事を気にかけてくれていたので覚えている。 


 「シュテルン、様――」


 その、酷く、怯えた顔――


 「――貴様らァッ!!!!!」


 「察したか、これから

 

 「やめろッ!!!ダメだ!!!」


 「この女だけじゃない、


 「やめてくれッ!!!頼む!!!私ならいくら痛めつけても構わない!!!なんだってする、だから」


 「誰がお前を痛めつけないって言ったよ、そら、まずは右腕ェッ!」


 「――やめろオオオオオォォォォォッッッ!!!」


 喉も裂けんばかりの絶叫は、高笑いの中にかき消されて、消えた。


 『暁たるネルガル』がメソポタミア防衛戦で負った甚大な被害を立て直すまで、約二カ月。

 旗頭、象徴が拿捕されたままでは今後の士気に関わるとして二カ月後に実行された壊滅必至の奪還作戦にて彼女は救助されることになる。

 だが、自らの縁、自らの信念、自らの誇りを、眼の前で絶えず破壊され続けた彼女に、二カ月という時間は余りにも長すぎ、拷問役の兵士の血の海から抱き起こされた時には、彼女は既に、酷く衰弱していた。


   ◆


 彼女は、帰ってきた。敵の魔の手から、命を保って、確かに戻ってきた。

 だが、以前のような明朗さ、快活さは最早言動のどこにも見られず、何かに常に酷く怯える様に「ごめんなさい」の言葉を繰り返すばかりだった。

 あれだけ浴びる様に飲んでいた酒も一滴も飲まず、旨い旨いと平らげていた飯も、食う量は明らかに減っていた。


 あそこで、あの時、なにがあったのか。彼女が詫びる必要がどこにあったのか。彼女は一言たりとも語ろうとしない。当然、俺も聞くことなどできない。それでも、いいと、想っていた。二人での生活を続けていれば、治らぬ傷も、背負った瑕疵もいずれ埋めていけるだろうと、そう。


 そして、ある日。


 「……そうかよ」


 少し目を離した隙に、。自ら愛用の騎士剣で自らの胸を貫き、死んでいた。

 すぐ傍には、「きしなんかじゃなかった ごめん ごめんね」とガタガタの筆致で綴られた書置きが一枚あるのみ。その書置きも風に巻かれてどこかに飛んで行った。


 俺の思い上がりだったのだろうか。

 あの時間が、二人でいるだけのあの時間が、双方共に救いだったあろうなんて、俺の勘違いだったのだろうか。

 或いは、俺が、俺がもっとちゃんと、彼女に応えられていれば、こんな、こんな結末は……


 後悔は止まない。悔恨はとめどがない。どれだけ恨もうが、呪おうが、最も望んだあの時間はもう二度と、還ってこない。


 彼女の遺体は、星のよく見える丘に葬る事にした。あの時と同じ、星が良く映える夜だった。

 棺を土の下に埋め、その上に墓標として、綺麗に手入れした騎士剣と盾を突き立ててやる。その上から、彼女が好きだった銘柄の酒を掛け、自らもそれを手酌で注いで飲み干す。


 不思議と涙は流れなかった。だが、酷く乾いた旋毛風つむじかぜが胸を撫でた時、俺は、またひとりになったのだと、実感した。


 「――Ehre騎士 den Ritter称えよ

 ――dieその Schärfe dieses Schwertes鋭さを

 ――Den邪悪 bösenなる Feind敵を vernichten砕く, solcheその Tapferkeit勇猛さを。」


 彼女が良く歌っていた歌を口ずさむ。始めの頃は適当に聞き流していたはずの歌は、不思議と自然に口から滑り出た。


 ――せめて、。民を護り、衆生を救い、誰かに光を齎せる騎士に。

 自らを救ってくれた彼女の想いが偽物などではなかったのだと証明するために。彼女の善性が偽りのはずはない。俺が偽りにはさせない。


 その為には、名前が必要だ。

 自らを知ろしめすための、二つ目の名前が。


 ふと再び夜空を見上げれば、新月だったあの夜と違い、三日月も茫漠として夜空に浮かんでいた。漂う煙のような雲に覆われ、微かにか弱く地照らすのみの朧月夜。


 笑わせる。偽物というのであれば、俺の方こそが偽物だ。所詮は彼女の信念の受け売り、自らの善性ではまるでない、見かけだけ綺麗にコラージュしただけの張りぼて。丁度、他の恒星の光を照り返さねば輝けないあの三日月と同じだ。


 「……"月光"。」


 月光の騎士。

 自らを皮肉る言葉を、最も厭うべき輝きを、ヴォルフガングは自らの二つ名とした。

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