我慢出来ない。

 自分と彼奴は一緒に産まれた。


同じ場所で、同じ刻、抱き合うように溶け合うようにして産まれた。産まれてすぐは何も分からなかったが、ただただその手に触れる自分以外の何かは大切なものであるのだけは理解した。自分とは違うキラキラ光る彼奴に一瞬で囚われて、感情も言葉も何もなかったが飽きることなく見つめて過ごした。


10億年かけて 大好きだと伝えて、守ると誓って、何よりも大切だと教えた。

彼奴はそれを全て『わかった』と笑って受け止めてくれた。


撫でてほしい、触ってほしい、笑いかけて、口づけてほしい。たくさんの感情が生まれるにしかたがって、とめどなく欲望が自分を埋め尽くす。

愛しくて愛しくてどうにかなってしまいそうだった。


だがそんな二人だけの世界が終わる。しばらくして彼奴が太陽アルフを造った時、全てが変わってしまった。

昼と夜が出来、俺達は触れ合うことが出来なくなったのだ。


どうして


手を伸ばしても届かない。俺から彼奴を奪うなんて、まさかそんな事があるなんて!

一筋の光もない夜の世界で俺は絶望した。

このままずっと暁の一瞬を、黄昏の一瞬を待ち焦がれて生きるのか。そんなの耐えられない。

何日も何日も、殆ど狂っていたのかもしれない俺はぼんやりと太陽アルフが消えようとする瞬間を見つめていた。


俺の世界が始まる。何もない深闇アビスの世界。


耐えられない、と縋るように伸ばした手のひらに一筋の光が残ったのだ。

恋しい彼奴が造った光、夜に閉じ込めてしまいたい。俺だけの光。


そして俺は愛しい彼奴と俺の娘、セリスを造った。




「どうにかなっちまいそうだ…」

「怒られますよ」

「わかってんだよ、俺が何をしたら悲しんで、怒って、絶望した後に喜ぶのか…、彼奴は全部理解していてやってる事は」

「今はシエル様がいらっしゃるようですから少し慎まれないと」


ホントに怒られますよ、と傍に控えていた執事姿の男が無感動に釘を刺す。漆黒の長い前髪にモノクルをかけたムーンライトブルーの瞳は彼の魔力の高さをあらわしてオパールのような輝きを煌めかせた。


「何でこのタイミングなんだあいつは。こないだまで風の国サリエラのあたりをぶらついてなかったか」

「クロード様のお誕生日ですし、間違いなく招待されてたでしょうし、全部あの方の計画どおりかと。シエル様は、人のありのままを愛おしんでいらっしゃいますから。下手に人間に手を出すと知りませんよ」


あぁ、貴方の半年後の生誕祭にもお呼びしましょうね、と紅茶の準備を始める。


「…我慢できない」

わたくし、シエル様はともかくあの犬に噛まれるの嫌なんですけど。物理に術乗せてくるから防ぎきれないし痛いし、何よりわたくしへの敵意が半端ないんですよねぇ。クロード様の挑発にまんまと引っかかって遊ばれた貴方が悪いんですからね」

「犬…、あいつは俺の加護持ちのくせになんであんなに言う事聞かねぇんだ」

「シエル様に手を出すからでしょう」

「そもそもあれは俺のモンだろ」

「違いますけど?」

「ステラ、お前くらいはもうちっと俺に優しくすべきじゃねぇ…?」

「…めんどくさ」


どうみても主人である方が突っ伏した。

彼奴が触れた人間など全部消してしまいたい。愛してほしくない。心を動かされないでくれ、視線を向けないでくれ、俺だけを見てほしい。

この心は神からの写しだ。俺のものじゃない。なのに産まれた時から俺の中にある狂気だ。


あの時確かに衝動的に女を殺そうとした。彼奴が優しく笑いかけたのを見て、口付けようとしたのを見て、頭が沸騰して何が何だかわからなくなって…、悲しいのだか悔しいのだか憎いのだか分からなくなった。


「…だって、苦しいんだ…」

「そうですね」


他の何も望まない主人が唯一焦がれて望むもの。わたくしアインだけから生まれたアイン様だけの執事である。主の為ならば何を犠牲にしても叶えてやりたい。小さな水音と共にカップにゴールデンドロップが落ちた。そっとティカップを差し出しながら考える。



神様は残酷なのだ。





❀❀❀





「で、特別に貴女も前夜祭の舞踏会に出られるよう手配させて頂きました」

「…へ」


なんとも間抜けな声が出たなと他人事のように聞いた。お使いの途中カフェに誘われて、あたし達はまたテラス席にいて、ちょうど美味しそうなベリーパイと紅茶が届いたところだった。


「状況を聞いたらまさか全面的な僕の知り合いの落ち度で、あそこまで貴女に非がないと思いませんでした…、それがわかれば当然でしょう」

「で、でもあたしただの平民だし…衣装も何ももってない」

「平民だなんて…、些末な事ですよ。大丈夫、ドレスもエスコートも最高の物をご用意します。すでにドレスは男爵家へ贈らせていただきました、アッシュが見ましたからサイズは大丈夫なはずです。さすがに時間もなく仕立ては無理でしたが既製品にしては良いものですよ。明日は馬車をやりますのでそれに乗ってください」

「何でサイズ大丈夫なのよ…、それにあたし作法も何もわかんないよ…」

「不要ですよ、不要で大丈夫な様に手配します。そもそもその加護の花は永続加護ではなく一時的なものですからそろそろ枯れてしまう、おそらくは明日の宵の口には。彼の傍にいたほうがいい」


ひゅ、っと息が止まった。そうだ、だから覚悟を決めていたのだ。花が枯れたらあたしは死ぬ。何となく感じていた。

…ただ、この子のおかげでまだ希望はあるのだろうか…?と少しだけ期待を持ち始めてるのだけれど。


「…あたしは、死ぬのかな」

「死にませんよ」

「本当に…?だってなんか神様が怒ってるんでしょ。ここに飛ばされた時に声が聞こえたから…」

「ただの八つ当たりですよ。僕が介入するからには悪さはさせませんから」

「シエルくんて、何者なの」

「…お祖父様ってのは大体孫には弱いものですよ」


少年が綺麗に笑う。

…いやでも絶対違うよね。


「エスコートに明日は一日王の最側近、キース・フェルディナンド・リーフ侯爵が付き添います。この国の若き宰相で、上位精霊達の守護も持つ信頼のおける方ですので御安心ください」


彼は樹木や花、植物の精霊達の守護を持つリーフ侯爵家の当主。クロードの右腕で、魔法に長けた魔法師でもある。

えぇぇぇぇぇえぇえぇ!?

どう考えてもめちゃくちゃすごい人では!?


「さ、最側近て…大事なパーティで王様の傍にいなくていいの」


あわあわとしながら恐る恐る聞けばすみませんと謝られた。


「まぁ、今は僕もいますし主人の非は償いますと聞きませんでしたので。あとアッシュを護衛につけた方が安全かとも思ったのですが、この子の方がむしろ聞き分けがなくて…」

「あ、はい」


スン、と我に返る。そう、彼は誰が見てもシエルくん限定の残念な美形なのだ。あたしの為なんかで傍を離れるなんてわけが無い。


「お前をバカの傍に二人きりでおけるか」

「まぁ、僕もそれは嫌なんですよね」


ずっと気になってるけど、バカさんの正体は明確にしないほうがいいんだよね…、多分。取り敢えず敬称はつけてみたけどなんの慰めにもなってないのはわかる。


送りますと言われてお使いもすませ、男爵家への並木道を3人で歩いていた。ずっとこの国へ来てから胸を押さえつける不安に耐えながら暮らしていたから、一条の希望をもらって初めて美しい街並みに気づいたような気がする。


「ふぁぁ…この道、こんなに綺麗だったんだね…」

「今の季節は咲いていませんが、蜜花の月の頃になると並木に淡桃の花が咲いて圧巻ですよ」


そういえば随分見れていないと呟くのを見て、あれ?君いくつなの?と考えていたらふいに腕を引っ張られて身体が後ろへと傾く。と同時にアッシュの広い背中に庇われていた。


「ひゃ…、な、なに」


一瞬ときめいたがすぐにざわりと並木が揺れる気配に固まる。風が通り過ぎた後にゆっくりと目を開けるとそこには居なかったはずの人影が立っていた。


き、れい…


闇色の髪に漆黒の瞳。長い前髪に見え隠れする透き通るような真っ白な肌がゾクゾクするほど艶めかしい。男性…、だとは思うが違うと言われたらそうかもしれない、と言ってしまうくらい中性的だ。

ことり、と首を傾げて髪をかきあげる白い指も恐ろしくしなやかで、仕草の全てに艶めかしい性を感じた。


「…、それ、まだ枯れねぇの」

「明日には枯れるでしょう、…我慢出来ない?」

「出来ないし苦しい。目ざわりで仕方ない」

「明日には綺麗に消えて、彼女は記憶にも残らない野花に戻ります」

「なぁ、ほんの一瞬でも彼奴の慈愛を貰ったのに、なんでその女は幸せそうじゃねぇんだ」

「野花に過剰な水は毒だからですよ」

「ふーん…」


つまらなさそうに見つめてくる。

シエルくん達は知っているのか驚く様子もない。

ゾクゾクするような美貌は、やはり神様のものだからなのだろうか…。だとしたらこの人は、やっぱり…。


「………いっそ、彼奴を殺せたらなぁ」


ぶわりと何かの質量が膨らみ自分に向かって走るのが分かった。なんの予備動作もなく闇色の人からの殺意にのみ込まれ…、たと思った瞬間 見えない何かを傍にいたアッシュが帯刀した剣で無造作に一閃する、何も見えないのに何かを切り裂いたのがわかった。

美しい黒髪に銀が交じる。


「犬、俺はシエルだけを守ればいいと言いつけたろ」

「だからシエルだけを守っている」

「…はぁ、やっぱ俺は、お前が大嫌いだよ」

「お互い様だろうが」


ただの八つ当たりだ。この国にいて光の加護持ちに何をすることも出来ない事は彼にも分かっているはずなのに。


「はぁ、彼奴はどうせこんな俺が見たかったんだろ」


ふいに闇色の人が悲しげに目を薄めた。


その白い顔を歪めて苦しげに笑うと、ぐるりと闇が全身を飲み込んでその美しい人の姿を隠した。あとには静かな並木道だけが何もなかったかのようにさわさわと揺れる。

あの人が、闇の王様なのだろうか…。


「…ッたく、世話を焼かす」

「本当に、こんなたった一輪の花が、神様を殺すんですね」


ちらりとあたしの胸元を見てゆっくりと天使のような少年が振り返った。


「…ごめんね、マルル。本来ならば、僕は貴女を見捨てていると思います。彼が嫌だと望むなら、貴女の命など取るに足らないものだから」

「………ぇ…?」

「君ひとりが散って彼の気が済むなら、些細な事と気にもとめなかった」


目の前の天使は悲しそうな顔で、神様のような事を言った。



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