第4話 アリアの死と慟哭

 アリアがさらわれてしばらく呆然としていたマーサは、恐怖で強張る体を引きずるようにして、気を失っている護衛騎士の一人に駆け寄った。


「騎士様! 起きてください! 大変なのです! アリア様が、アリア様が……!」


 揺り起こされた護衛騎士は、頭を強打されたような鈍い痛みを感じながら、ゆっくりと目を開けた。


「う……ここは……マーサ殿? いったい何が……そうだ、アリア様が!」


 目の前に広がる惨状に、彼は息を呑んだ。破壊された馬車、荒れ果てた周囲、そして微かに残る血の臭い。他の護衛もまだ気を失っている。


 「アリア様が……アリア様が、仮面の者たちに……連れ去られてしまわれたのです! 目の前で……!」


 マーサは涙ながらに訴えた。


「大変だ……! アリア様が……アリア様が攫われた!」


  彼はすぐさま伝令用の鳩に書簡を括り付けて王都へ飛ばした。



 アリア・フォン・ヴァレンシュタイン誘拐の報は、数時間して騎士団に届いた。ヴァレリウス騎士団長は、すぐさま調査部隊を編成し、早馬を駆って現場へと向かう。調査舞台には、フィンとエルナも加わった。


 彼らが森の現場に到着したのは、夕闇が迫る頃だった。血液が木の幹や土をよごしており、物々しい雰囲気に包まれていた。


 最初に目に飛び込んできたのは、無残に破壊されたアリアの馬車だった。そして、その周囲に広がる、あまりにも生々しい戦闘の痕跡。


「こ、これは……なんだ、この有様は……嘘だろう……?」


 フィンは言葉を失い、その場に立ち尽くした。エルナは青ざめた顔で、震える手で口元を覆う。同行した警察隊の鑑識は、厳しい表情で現場を検分していく。その目には、犯人への静かな怒りが宿っていた。


「マーサ、何があったのだ。詳しく話してくれ」


 ヴァレリウス騎士団長が、マーサの肩を掴み、切羽詰まった声で尋ねた。マーサは震えながらも、目撃した一部始終を必死に語り始めた。


「……馬車が襲われ、護衛の方々が次々と……アリア様は、お怪我をされているにもかかわらず、果敢に立ち向かわれました……でも、敵は大勢で、とても強く……アリア様は、何度も斬りつけられ……それでも、最後まで……そして、あの者たちは、アリア様を……倒れたアリア様を「悲願は達成された」とどこかへ連れ去って……」


 地面にはおびただしい血痕が点々と残り、激しい戦闘があったことを示すように、大地は抉れ、木々はなぎ倒されていた。


 マーサの「連れ去られた」という証言が、かろうじて希望の糸を繋いでいるかのようだったが、現場の状況はそれを無慈悲に打ち砕こうとしていた。


 捜索を進めると、アリアの騎士服の破片や、彼女の髪の毛と思われるものがいくつか発見された。そして、決定的なものとして、アリアが出発時に身に着けていた護身用の剣が、途中から無残に折れた状態で見つかったのだ。


 その剣身には、新しい傷が無数に刻まれていた。「剣が……折れている……。アリアは、あの怪我で……最後まで戦ったというのか……」


 フィンが、絞り出すような声で言った。彼の脳裏には、騎士として再起不能の重傷を負っているにも関わらず、最後まで抵抗をあきらめない気高いアリアの姿が浮かんでいた。


「閃光」と謳われた彼女の、あまりにも無残な最期を想像し、彼は奥歯を強く噛み締めた。エルナも、折れた剣を目の当たりにし、血の気が引いたように顔をこわばらせ、言葉を失う。


「これほどの抵抗の痕跡……相手は相当な手練れ、そして多勢だったに違いない」


 ヴァレリウス騎士団長が冷静に分析するが、その声には抑えきれない憤りが滲んでいた。


「そして、この血の量……マーサ殿の証言によれば誘拐とのことだが……これでは……生存は絶望的と言わざるを得ない……」


  騎士団の誰もが、その先の言葉を口にできなかった。だが、彼らの心は一つだった。アリア・フォン・ヴァレンシュタインは、生きてはいないだろう。


 フィンは折れた剣を拾い上げ、その冷たい鉄の感触に唇を噛み締めた。


「アリア……! なんで、なんでこんな……! 」


  こらえきれず、彼の目からは大粒の涙が溢れ落ちた。エルナもまた、静かに涙を流し、その肩は小刻みに震えていた。マーサもまた、その場で再び泣き崩れた。


「犯人は……『ヴォイド』の残党に違いない。そして、やつらの語った悲願とはおそらくアリアへの復讐だろう。手負いのアリアをこのような目に遭わせた奴らを、決して許すものか……! 地の果てまで追い詰めて、必ずやこの手で裁きを下す! 」


  フィンの瞳には、新たに決意の炎が燃え上がっていた。


 仲間たちは、アリアの「死」への深い悲しみと、犯人である「ヴォイドの残党」への激しい怒りに打ち震える。


 夕闇が森を包み込み、現場にはただ、絶望的な静寂だけが残された。

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