第3話 旅立ち
王都を離れる日、アリア・フォン・ヴァレンシュタインの屋敷の門前には、早朝にもかかわらず多くの人々が集まっていた。
騎士団の仲間たち、特にフィンとエルナは寂しさを隠せない様子で、別れを惜しんでいた。ヴァレリウス騎士団長も、元部下の門出を静かに見守っている。その表情には、労いと一抹の寂寥感が浮かんでいた。
「アリア、道中気をつけて。領地に着いたら、たまには手紙をくれよ。お前のいない騎士団には、しばらく慣れないだろうからな」
フィンの言葉に、アリアは杖をついたまま、穏やかに微笑む。
その笑顔は、どこか吹っ切れたような清々しささえ感じさせた。
「ありがとう、フィン。エルナも、団長も、皆も、達者でな。私のことはもう心配いらない。これからしばらくは静かに療養するだけだ。皆の活躍を、遠くから応援しているよ」
(心配いらないどころか、むしろこれからが本番だっつーの! ああ、緊張する。まだまだ油断できないぞ…)
アリアは頭の中でこれからの計画を反芻しながらも、集まった人々に深々と頭を下げ、用意された馬車に乗り込んだ。数名の護衛騎士と、侍女のマーサが付き従う、小規模な旅の一行だ。マーサは長年アリアに仕え、主の「負傷」を誰よりも心配している忠実な侍女である。
馬車がゆっくりと王都の門を抜け、緑豊かな街道へと進んでいく。途中で休憩をはさみながら、何事もなく平和な旅が数日続いたのち、一行はヴァレンシュタイン領へと続く森深き道へと差し掛かっていた。
ここは昼なお暗い木々が鬱蒼と茂る、まさに計画実行にうってつけの場所だった。アリアは馬車の窓から外の景色を眺めつつ、内心でカウントダウンを始めていた。
《ご主人様、そろそろよろしいでしょうか? 襲撃ポイントはこの先の開けた場所が最適かと。分身からの報告では、周囲に人影もございません》
ルクスのテレパシーに、アリアは緊張と興奮が入り混じった声で応える。
「ああ、頼む。護衛たちは手早く、かつ安全に気絶させてくれよ。ああ、マーサもだ。彼女には一番ショックが少ないように頼むぞ。あくまで目的は私の『誘拐』と『死の偽装』だからな。あいつらには必要事情のダメージを与えたくないし、無用な戦闘も避けたい」
《お任せを。では、始めましょうか。「魔法武装勢力ヴォイドの残党」による、悲劇の襲撃の始まりです。最高の舞台をご用意いたしますとも》
アリアの指示は、流れはあるものの大雑把だった。
「私が乗った馬車が、ヴォイドの残党に襲われる。私は怪我でまともに戦えないながらも、必死に抵抗する。だが、多勢に無勢、最後は壮絶な最期を遂げる……って感じの痕跡を、頼む。誰が見ても『アリア・フォン・ヴァレンシュタインはここで死んだ』と確信するレベルでね」
(まあ、あとはルクスがうまいことやってくれるだろ。あいつ、ああ見えて結構ノリノリだし、こういう芝居がかった演出は得意中の得意だからな)
指示を受けて、計画は迅速に動き出す。
突如、森の奥から数人の人影が飛び出し、アリアの馬車を取り囲んだ。黒ずくめの装束に身を包み、禍々しい仮面をつけたその者たちは、紛れもなく「ヴォイドの残党」を名乗るにふさわしい威圧感を放っていた。
もちろん、全てルクスが変身し、分身した姿だ。
「アリア・フォン・ヴァレンシュタインだな! 貴様の命、ここで貰い受ける! 我らが首魁ザルガス様の無念、晴らさせてもらうぞ!」
残党の一人(ルクスA)が、芝居がかった声で叫ぶ。 護衛の騎士たちは果敢に応戦しようとするが、ルクスの分身たちは手慣れた様子で彼らを気絶させ、縛り上げる。馬車の中にいた侍女のマーサも、悲鳴を上げる間もなく、首筋に手刀を打ち込まれ気を失った。
そして、いよいよアリアの番だ。
「くっ……! 貴様ら、ヴォイドの残党か……! この私を倒せるとでも思っているのか!」
アリアは馬車から引きずり出されると、杖を投げ捨て、片膝をつきながらも腰に据えていた護身用の短剣を構える。
「手負いの身だからと、嘗めるなよ! ヴァレンシュタインの名にかけて、タダでは死なぬ!」
そこからは、アリアとルクスによる楽しい茶番劇だった。アリアは必死に抵抗する「元」英雄を演じ、ルクスはそれを圧倒する残虐非道な悪党を演じる。周囲の木々はなぎ倒され、地面は抉れ、アリアの騎士服は見るも無残に引き裂かれる。
その時だった。馬車の残骸の陰で、気を失っていたはずのマーサが、うめき声を上げてゆっくりと目を開けた。どうやらルクスの手加減が甘すぎたらしい。
《ご、ご主人様! 大変です! マーサが目を覚ましました!》
ルクスの焦ったようなテレパシーが飛ぶ。 アリアは内心で舌打ちする。
(まずい! このタイミングで!?)
しかし、芝居は止めるわけにはいかない。
それを茶番と知らない マーサは目の前で繰り広げられる光景に、声も出せずに息を呑んだ。アリア様が、血まみれになりながら、恐ろしい仮面の男たちと戦っている! ひどいけがを負い、明らかに不利な状況で、それでも必死に剣を振るうアリアの姿が、彼女の目に焼き付いた。
「ア、アリア様……!」
か細い声が漏れる。
《ご主人様、どうしますか!? もう一度気絶させますか!?》
(いや、待て! これは……使える!)
アリアの脳裏に閃きが走った。
(ルクス、マーサには気づかないフリを続けろ! そして、予定通り、私を「誘拐」するんだ! マーサに「倒されたアリア・フォン・ヴァレンシュタインが連れ去られた」と証言させる!)
《な、なるほど! さすがご主人様、この状況すら利用するとは! 承知いたしました!》
マーサは、アリアが多勢に無勢、徐々に追い詰められていく様子を、ただ恐怖に震えながら見ていることしかできなかった。アリアが苦しそうに漏らす声、仮面の男たちの嘲笑、剣戟の音、それら全てが悪夢のように感じられた。
そしてついに、アリアは力尽きたかのように地面に倒れ伏した。
「ぐふっ……ここまで、か……無念……」
マーサは恐怖で声が出ず、震えながら物陰に隠れることしかできなかった。
すると、残党の一人が力なく倒れていたアリア(を乱暴に担ぎ上げ、森の奥へと消えていった。
「これで我らの悲願は達成された! アハハハハ!」という捨て台詞を残して。他の残党たちもそれに続く。
マーサは、犯人たちが完全に去った後も、しばらくその場から動けなかった。恐怖と、とっさにアリアのために動けなかったことへの無力感に打ち震えていた。
「アリア…様っ」
現場には、見るも無残な襲撃の跡だけが残された。
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