第6幕 お姉さんに相談する話

「う~~~」


 佳那子かなこは自宅である、お好み焼き屋の座敷席で溶けるように、上半身をテーブルに投げうって、何とも言えない声で唸る。


「佳那子! そんな所で変な声を出してないで、暇ならお店手伝いなさい!」


 佳那子は、母親の麻木あさぎ佳那かなにぐちぐちと言われても動こうとはせず、先ほどからずっと同じ姿勢で呻き声を漏らしていた。


「佳那さん、いいじゃないですか、中学生になったんですから色々悩みもありますよ」

「もう! 権田ごんださん、うちの子を甘やかさないで下さいよぉ。 はい、生ね」


 そう言って佳那は、常連の40代後半の男性の机に、生ビールを並々に注がれたジョッキをドンと置く。


「ありがとう! あ、つまみにもつ煮お願い!」


 権田はそう言うと、ジョッキを傾けて喉をごくごくと鳴らす。


「はいはい! てかうちは飲み屋じゃないんだから、お好み焼きを頼んでくださいよ!」


 ぶつぶつと文句を言いながら、カウンターに戻ると、大きな鍋から中身を小鉢に移して小葱を散らす。

 盛り付けが出来上がったその小鉢を、権田のテーブルに出した。


「あ! 佳那ちゃん! こっちももつ煮追加で!」

「こっちもお願い! 二つね!」


 別の席で、同じように飲んでいる常連客達も、つられてもつ煮を頼む声を上げる。


「もー! 同じの頼むなら同時に言ってくださいよぉ!」


 そう、文句を言いながらも嬉しそうに笑って、佳那はもつ煮の小鉢を用意していく。


「佳那子ちゃーん! 久しぶりにこっちでお酌してくんない?」

「う~~、やだぁ~~」


 テーブル席の60代男性が徳利を片手に、佳那子に声をかける。

 彼もまた、古くから通う常連客がだ。

 そんな常連客のお願いを、佳那子はテーブルの上で溶けたままに断る。


「佳那子、暇なんでしょ? 昔みたいにやってあげればいいじゃない」

「小さい頃の話なんておぼえてませ~~ん」

「覚えてるじゃない」


 だらけている佳那子を横目に佳那は、その常連客の徳利を取って、佳那子の代わりにカウンターを挟んだ所からお酌をする。


「あら? 空? おかわりしますか?」

「おお、じゃぁ、一本追加で!」

「まいどどーも!」


 佳那は元気よくそう答えると、空になった徳利に日本酒を注いで、お湯ぐつぐつと沸いている熱燗器に入れる。


「それにしても佳那子ちゃん、いつにもまして暗いけど、学校で何かあったのかい?」


 権田が、心配そうに佳那子にそう声をかけるが、佳那子は権田の視線から逃れるように顔をうつ伏せにして、腕の中に隠れる。


「別になにもないですよぉ」

「ほんとに? なにか心配事があれば相談にのるよ?」

「おじさんにはわからない話で~す」


 心配そうに佳那子の方を見ている権田に、佳那子は顔を上げもせずに、めんどくさそうにそう答える。


「佳那子! お客さんにその口の利き方はだめでしょ!」

「ああ、いいよいいよ! 無理に話しかけたこっちが悪いんだしね! 佳那子ちゃんもいいお年頃なんだから、おじさんとは話したくないよな? ごめんね」

「別にそんなんじゃないから気にしなくていいよぉ~~今日はそんな気分じゃないだけぇ~~」

「もう! 本当に、いい加減にしなさいよ!」


 それでもだらけたままで答える佳那子に、佳那が叱責しようとした時、お店の入り口が開いた。


「こんばんは……」


 開いた扉先には制服姿の女子高生がいた。


「まぁ! 雫利しずりちゃん!」

「おー! しずちゃん! 元気してた?」

「雫利ちゃん! 久しぶりだね! なになに? バイトに戻ってくるの?」


 入ってきた女子高生に店内の視線が集まり、みな満面の笑みを浮かべて、口々に歓迎の言葉を投げかける。


「皆さんお久しぶりです。 あ、権田さん別にバイトにきたわけじゃないので、ごめんなさい」


 谷津樋やつひ雫利しずりは、そう言いながら常連客に挨拶をして、お店の中に入いると佳那の前に立った。


「店長お久しぶりです」


 そう言って佳那に軽く頭を下げた。


「雫利ちゃん、元気だった?」

「まぁ、それなりにですかね……」

「まぁ取り敢えず、座って座って」

「雫利ちゃん、隣においでよ!」

「権田さん! それはセクハラですよ!」


 ドッと、お店に笑いが起きる中、雫利は苦笑いを浮かべつつカウンター席の一番端っこに座る。


「あう~~~しずねぇだぁ~~~」


 座敷席にいた佳那子が、雫利の存在に気づいてがばっと顔を上げる。

 そして、雫利の後ろに回り込んで来ると、肩に手を回すように抱きついてきた。


「佳那子ちゃん、お久しぶり。 何? どうかしたの?」


 佳那子は、抱きついただけじゃなくて、そのまま体重を預けようとするので、彼女がずり落ちないようにと、雫利は腕をつかんで支える。


「佳那子! なにやってんの! ほんと、今日はおかしいわよ?」


 佳那はそう言って佳那子に怒りながら、雫利の前にオレンジジュースが入ったコップを置いた。


「あ、店長、気を使っていただいて……ありがとうございます」

「学生が気にしなさんなって」


 雫利が、申し訳無さそうに頭を軽く下げると、その姿を見ながら佳那は心配そうな顔をして尋ねる。


「それにしても本当に珍しいわね? 部活で忙しいんじゃないの? 隣の隆志君が『しずりねぇが凄い』って騒いでたわよ?」


「あー……部活は……今日はお休みなので……」


 雫利は佳那に尋ねられて、ばつが悪そうな顔をしながら視線を逸らす。


「そう……お休みね……まぁいいわ、それじゃゆっくりしていきなね?」

「はい、そうさせて頂きます」


 雫利は、佳那の目を見つめると、申し訳無さそうに笑う。

 そんな雫利の横から、佳那子がジュースのコップを奪って、雫利の手を引っ張る。


「しずねぇ、こっちで飲もうよぉ。 ジュースだけど」

「佳那子! いい加減にしなさい!」

「店長、大丈夫ですよ、私も佳那子ちゃんとお話したいので。 佳那子ちゃん一緒に飲もうか?」


 雫利は、怒る佳那に片手を上げて、佳那子と共に座敷席へ移動する。

 そして対面に座ろうとしたら、佳那子が自分の横の席をポンポンと叩く。


「こっちに! 隣がいい!」


 雫利が仕方ないなと横に座ると、佳那子にもたれかかるように抱きつかれた。


「もう! ほんとにこの子は! ごめんなさいね? ……なんか相談したい事があるんじゃないの?」


 そう言いながら佳那は、佳那子の前に雫利と同じようにオレンジジュースを置いて、雫利に申し訳なさそうに謝りながら聞く。


「いえ、久しぶりに店長の焼いたお好み焼きが、食べたいなぁって思って来ただけなので」

「そう? じゃぁ今日は佳那子のおもり代としてご馳走するわ、何にする?」

「ありがとうございます! それじゃ明太子餅をお願いします!」

「あいよ! じゃぁこっちで美味しく仕上げて持ってくね!」

「お願いします」


 雫利は、佳那がカウンターに戻るのを見送ると佳那子に視線を移した。


「それで? お母さんに聞かれたくない相談でも?」

「さすが、しずねぇ! 勘が鋭い!」

「ははは、そうかもね」


 雫利が店内を見渡すと、店内の誰もがちらちらとこちらを気にするように見ている。


「あのね……友達の話なんだけどね」


 佳那子が口にしたのは、いつの時代も変わらない、この年頃の子が使う”合図”だった。

 雫利は、それを聞いて何となく理解して微笑むと、そっと佳那子に耳を寄せる。


「最近ね、彼氏ができた子がいるんだけど……その彼氏が凄く人気者で、周囲の反感が凄くて困ってるんだけど、どうしたらいいと思う?」


 雫利は顎に手をやって、暫し考えてから疑問を口にした。


「隆志君て、確かにモテるけど今更ちょっかい出してくるような子いるの?」

「え?」

「ん?」


 雫利と佳那子は、お互いに何を言ってるのかわからないといった顔を浮かべて見つめ合う。


「なんで隆志がでてくるの?」

「え? 隆志君の話じゃないの?」

「隆志に彼女ができたなんて聞いた事ないよ?」

「人気の彼氏って隆志君の事じゃないの?」


 雫利の言葉の意味を探すように沈黙した佳那子は、眉を寄せて一瞬だけ目を泳がせた。

 そして、はっとして目を見開くと、雫利に抗議するように叫んだ。


「隆志じゃないから!」

「佳那子! うるさい! 静かにしなさい!」


 すかさず佳那の叱責が飛んできて、佳那子は慌てて口を押えた。


「しずねぇ! ほんとに違うからね!」


 本当に嫌そうな顔で抗議する佳那子を見て、雫利はびっくりした表情を浮かべた。


「え? 隆志以外となの?」

「もう! 私の話じゃないって言ってるじゃん!」

「ああ、そうか、ごめんごめん。 わかったから続き話して?」


 雫利をジト目で見ながら、佳那子は口をとがらせる。


「ほんとにわかってくれてる?」

「大丈夫だって、ほら! 話してごらん」


 そう言って佳那子の頭を撫でながら、雫利は微笑んだ。


「ほんとだからね? ……問題はさ、その子って親友とも喧嘩しちゃって大変なの」

「そうなんだ……それじゃその子は今、学校で一人きりなの?」

「うーん、少なくとも女子の間ではそんな感じかなぁ」


 自分の胸に顔を埋めながら、悲しそうにそう言う佳那子の背中をぽんぽんと叩きながら、雫利はお店のカウンターを見る。

 まだ、佳那がこちらに来る様子が無さそうなのを確認して、小さな声で雫利は話を続ける。


「それじゃその子、今はとても辛いだろうね。 その親友とは仲直りできないの?」

「……多分、今は難しいと思う……」

「そうかぁ……」


 言葉が見つからないのか、雫利はおでこに手をあてて困ったように天井を見上げた。

 ふと人の気配に、雫利は振り返った。


「ほんとにこの子は甘えっちゃって……小学生に後戻りね。 はい、お待たせ!」


 佳那が出来上がったお好み焼きをもって、テーブルの上に置く。

 佳那子は、佳那の言葉に口をとがらせて抗議の意思を示すが、何も言葉は発しない。


「お箸でいいよね?」

「はい、大丈夫です。 ごちそうになります」


 雫利は軽く会釈をしてカウンターに戻る佳那を見送ってから、再び佳那子の顔を見る。


「……だめ?」


 雫利の胸の中から見上げるように、佳那子は甘えた声を出した。

 雫利は笑顔で「いいよ」と答える。


「えへへへへ」


 嬉しそうに笑う佳那子の頭を撫でながら、雫利は会話を戻した。


「それで、結局その子はどうしたいの?」

「……わかんない」

「わからないのかぁ……」


 雫利から視線を外した佳那子は、少し目に涙を溜めたように潤む。


「その子って、避けられてる以外に何かされてるのかな?」

「……特に何もされてないよ……と思う」

「そうかぁ……その子は彼氏に相談しないのかな?」


 佳那子は目を閉じて考えるように眉を寄せる。


「……多分しないと思う」

「そうかぁ……それでも彼氏には相談した方がいいと思うけど」

「うん……そうだね」


 納得してないような声で、そう返事する佳那子に雫利は苦笑いを浮かべる。


「今はきっと何もできない状況なんだね、その子」

「そうですね……そうだと思います」

「それじゃさ、私の連絡先教えておくから、その子が困った事あったら、いつでも連絡してきて?」


 そう言って、雫利は少し照れたように笑って、ポケットからスマートフォンを取り出した。

 佳那子も雫利に抱きついてた手を離して、テーブルの上に置いていたスマートフォンを取る。


「しずねぇ……ありがとう」

「いいよ」


 連絡先を交換した後、雫利はテーブルの上のお好み焼きを箸で分けて、ひと欠けを佳那子の口に入れる。

 雫利自身も、もうひと欠けを取って口に入れた。

 二人は微妙な顔で口をモゴモゴさせると、それを飲み込んでから殆ど同時に口を開く。


「「冷めちゃってる」」


 完全に声が揃った二人は、肩を抱き合って楽しそうに笑った。

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