第5幕 孤立する話

 つい先日迄は、いつでも何処でも聞こえていた蝉の声が、時折聞こえる程度になって来た頃、佳那子かなこの周囲は夏休み前とは明らかに変化が起きていた。

 その変化は徐々に佳那子を追い詰めるように進行していた。


「あれ? 麻木あさぎ、ひとり? 木谷きのたにと一緒じゃねぇの?」


 昼休みの時間帯に、羽田はただわたるがいつも通りのお気に入りの場所である、特別教室がかたまってる棟の非常階段の途中に座って、購買購入の焼きそばパンを齧っていると、佳那子が一人お弁当袋を持って登って来た。


「羽田君っていつもここにいたんだ……」


 そう、少し驚いたような表情で佳那子は呟くと、ばつが悪そうに視線を泳がせる。


「そだよぉ、ここ人来ないから静かに読書出来て良いんだよ」


 そう言って羽田は脇に置いていた文庫本も持ち上げて佳那子に見せる。


「……うん、そう思ったから来てみたんだけど、先住民がいたんだね……」

「おう! 先住民だぜ! うほうほ!」


 羽田はこうやってノリがいいから目立つ方なのに、お昼休みは姿を消すのでクラスの中の七不思議に数えられている。

 その真相は、拍子抜けするほど単純な理由だったんだなと思いながら、羽田のボケをスルーして、踊り場を挟んだ反対側の一段に、佳那子は腰を下ろした。


「麻木が先にボケたくせに冷たいなぁ」


 羽田は、座る佳那子を横目で見つつ、そう文句を垂らしてから、食べかけの焼きそばパンを全て口の中に押し込んだ。


「本好きなの?」


 牛乳パックを吸い込もうとしている羽田を、見上げるように見つめて佳那子が問う。


「ん? うん、好きだよ?」


 ずずずと、牛乳パックの中身を全て吸い込んだ後、文庫本を手に持ってページを開きながら羽田は答える。


「教室でいつも騒いでるから、本とかよりみんなと遊んでる方が好きかと思ってた」


 佳那子は自分のお弁当を開きながら、羽田の印象を小さくそう呟くように言う。


「そうだなぁ……みんなと騒ぐのも好きだけどさ、ずっとは疲れるからお昼休みはゆっくりやってる」


 羽田をちらちらと見ながら、佳那子はお弁当に箸をつける。

 そんな佳那子を気にするでも無く、羽田は本のページをめくる。

 暫くの間、羽田がページをめくる紙の擦れる音と、風で擦れる木葉の音だけが、その場を満たしていた。

 その静かな時間のなかで、佳那子は久しぶりに落ち着いて昼食が取れた気がした。

 佳那子は、食べ終わった弁当箱を袋にしまいながら、もう一度羽田に声をかける。


「ここって誰か来た事ある?」

「ん~、一人来たかな?」


 羽田は佳那子を見ずに本のページをめくりながら答える。


「一人? ……いつ頃?」

「今」


 佳那子がそんな風にさらに尋ねても、本から視線を外さない羽田は素っ気なくそう答えた。


「っぷ、それって私って事? ……じゃぁ本当にここって誰も来ないんだね」

「こないねぇ」


 羽田があまりにもこっちを見ないので、佳那子は独り言を言ってるような気分になったけれど、不思議と怒りは湧いて来なかった。

 むしろちょっとそれが心地よくて笑顔になる。


「……ねぇ? 私もお昼……ここに来ていいかな?」

「いいんじゃない? 別に俺の家ってわけじゃないし」

「そう……じゃぁそうする」


 佳那子はここにいていいと言われた事に、胸の奥がじんわりと暖かくなって、涙がこぼれそうになる。

 涙を見られないようにと、膝を抱えてその間に顔を埋めた。

 久しぶりに感じる安心感に、閉じようとするまぶたを、佳那子は素直に受け入れた。


 どれくらい時間が経ったのだろうか?

 佳那子は寒気に襲われ、ぶるりと身体を震わせて、肩にかかる布を引っ張る。

 その布の温かみにはっとして見ると、男子用のブレザーなのに気が付いた。


「あ。 これ……」

「寒そうだったから、俺の上着をかけたんだけど……迷惑だった?」


 そう言う羽田を見上げると、ワイシャツ姿で相変わらず本を読んでいる羽田を見て、佳那子は首を振ってお礼を言う。


「そんな事ないよ……ありがとう」

「うん、じゃあ良かった」


 静かな時間が過ぎるのに身を任せていた佳那子は、少し考えてから自分にかけてもらってた上着を羽田に手渡して、一つ上の段に腰を下ろした。


「ん? 寒いなら着ていいけど?」

「うん、大丈夫」

「そう?」


 羽田は返された自分の上着の袖に手を通しながら、佳那子を気遣うようにそう言った。


「……羽田君は何も聞いて来ないんだね?」


 佳那子のその言葉に、一瞬逡巡するような表情を浮かべた羽田は、佳那子の目を見る様に視線を向けて返事をする。


「……聞いて欲しいのなら聞くけど?」


 そう言いながら、読んでいた本をブレザーの内ポケットに仕舞い込んでから、佳那子の方を見た。

 佳那子は、その視線に気が付きながら、唇を少し噛んで、その場所から見える木立に視線を向けて話を続ける。


「私って悪い事したのかなぁ?」

「……さぁ? 知らんけど、なんかあったん?」

「日花里と喧嘩した……」

「ああ、そういやここんところ、二人が話してるとこ見てないな」

「クラス女子の中で孤立してる……」

「木谷との喧嘩で?」


 木立を見ていた佳那子は、ここまで話したところで落ち込むように自分の膝の間に顔を埋める。


「……それだけじゃ無いんだけどね」


 冷たい風が二人の頬を撫でて、暫しの沈黙が流れる。


「今日は、妙に寒いね……昨日まであんなに暑かったのに」


 羽田は返す言葉が見当たらなかったのか、そんな当たり障りのない言葉を返す。


「ごめん……やっぱいいや」


 少し悩んだ佳那子は、そう言って立ち上がると羽田にぎこちない笑顔を向けて階段を降りだした。


「昼休みはいつもここにいるからさ……」


 羽田は、少し大きめの声で佳那子の背中に声をかける。

 その声に反応して佳那子が振り返ると、優しく笑いかけて言葉をつづけた。


「寂しくなったら来なよ!」


 羽田の不器用なやさしさに、少しだけ心が軽くなった佳那子は、今度は本心からの笑顔を向けて返事を返す。


「うん! ありがと! そうするよ!」


 それだけ言うと、軽くなった足取りで階段を駆け下りて行った。

 それを見送る羽田はポケットから学生手帳を取り出してページをめくる。

 そこには、少し皴のついた小学生っぽい少女の写真があった。

 羽田はその写真を、寂しそうな笑顔で撫でる。


「はぁ……神大って、そんなにいい男かね?」



「神大君!」


 神大が一人、休み時間を利用して制服のままシュート練習をしている所に、佳那子にボールを投げつけた三人組の一人藤堂藤堂初美はつみが声をかける。


「なに?」


 神大は、そんな藤堂の方を見る事無く、転がるボールを拾い上げてシュートをしながら冷たく返す。

 藤堂は、自分の手をギュッと握ってから、深呼吸の後に神大の正面に割って入ると、大きく頭を下げた。


「……どういうつもり? 練習の邪魔なんだけど」


 神大は、そんな藤堂の下げた頭を冷たい目線で見下ろしながら、醜い物を見るような顔をする。

 そんな風に邪険にされても、藤堂は頭を下げたままそこから動こうとしない。

 その事に苛立ちを覚えて、神大は壁際まで歩いて行き、床に置いていたタオルを取って顔の汗を拭く。


「神大君、練習の邪魔をしてごめんなさい。 でもどうしても謝りたくて」


 神大の背中を見ながら藤堂は、謝罪の言葉を振るえる声で口にする。

 その手は胸の前で組まれて、小刻みに震えていた。


「……もういいよ。 もう教室に戻るから」


 そう言って、神大は振り返る事なくボールをボールカゴに投げ入れてから、歩き出そうとするので、藤堂は慌ててもう一度声をかける。


「ちがう! その……練習の邪魔をした事を謝ったんじゃなくて……」


 藤堂の声は、語尾は消え去りそうな程、小さくかすれてよく聞き取れない。

 それでも、神大はそんな藤堂の様子に興味は無いとばかりに、素っ気ない言葉をかえした。


「それじゃ何?」


 冷たい神大の声に、ビクリと身体を震わせると藤堂は涙を浮かべた。


「この前、保坂さんがボールを投げつけるのを止められなかったから……彼女って、ほら、私が何言っても聞かないから……」


 泣きそうな顔でそう言う藤堂に、神大は振り返ると、刺すような冷たい視線を向けた。

 藤堂は、ひっと喉奥で悲鳴を上げて顔面が蒼白になり、その場に立ち尽くす。


「笑ってたくせに……あのさ、止められなかったんじゃなくて、止めなかった。 だよね?」


 普段、誰にでも笑顔で温厚と言われる神大とは思えない顔と声で、藤堂の顔近くまで睨みながら詰め寄って行く。

 藤堂は、声も出せずに恐怖で一歩下がるが、神大はそれを許さないように、下がった歩数だけ詰め寄ってくる。


「そ、その……ごめんなさい!」


 藤堂は、それを口にするのが精一杯のようで、そのまま頭を下げて固まって震え続けた。


「……それにさ……謝る相手間違ってるよね?」

「そ、それは……」

「そもそも何? 自分は関係ないです。 一緒にいただけなんですって。 ってそう言いたいんだ?」

「ちが!」


 藤堂は慌ててそれを否定しようと声を上げるが、すぐに喉の奥で詰まったようになって言葉を失う。

 ただ、汗か涙か分からない物で頬を濡らしながら後ろへ後ずさるだけだった。


「……謝るなら、三人で一緒に佳那子に謝りなよ……いや、違う。 もう僕や佳那子の周りでうろちょろしないでくれればそれでいいよ」


 そう言って、興味を無くしたように、体育館を出ようとする神大を、藤堂は泣きながら追い抜いて出て行った。

 その背中を見て、神大は呆れたように大きな溜息をもらした。


「まぁ、藤堂はまだ、僕にだけど謝りに来ただけましか……保坂の奴……小学生の時のような事しないよな……流石にもうガキじゃねぇんだし……」


 そう呟きながら、自分のスマートフォンをポケットから取り出して、待ち受け写真の佳那子を見て微笑む。

 学校内では佳那子と必要以上に連絡を取り合わない事にしている事がもどかしく感じる神大ではあったが、また小学生の時のような事は嫌だと思って、我慢するように開いた佳那子の連絡先を閉じて、スマートフォンをポケットに仕舞った。


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