第16話
数で優るマルセランは胸を張って、ジェロム達を見下ろした。
「ここからは、我々が調査を引き継ぐ。貴様らはもう帰って良いぞ」
その台詞が終わらないうちに、マルセラン配下の武装隊が次々と斜面を下ってきて、広大な河畔の岩場に散っていった。ジェロムの意向など、まるで無視した行動であった。
「いやしかし、マルセラン殿。僕はラヴァンセン公の命令を受けている身です」
「ならば、邪魔にならんところに居ろ。モンディナーロ卿の隊を襲った不埒な輩は、必ずやこの私が成敗してくれる」
一方的な通告に、ジェロムは腹を立てた。
しかし彼の隣では、デュガンが明後日の方向を眺めて、手近な岩塊に腰かけている。すっかりやる気のなさそうな面であった。
「まぁ、本人がやりたいというておるのだから、やらせておけば良かろう」
デュガンにしてみれば、欲しいのは結果だけであり、誰が真相を究明したのかまでは興味の対象外なのであろう。
もちろんジェロムにしても、ラヴァンセン公の望みが達成されるのであれば、それに越したことはないと思っている。
だが、あのマルセランに仕事を横取りされたという気分も少なからず抱いており、複雑な心境にならざるを得ない。
「あの人、嫌い」
ミネットがぽつりと呟いた。
かたやジェロムは、その陰鬱なトーンに息を呑んだ。
この時ミネットがマルセランに向けていた嫌悪の眼差しは、彼女が討伐隊の件を知って以降、たびたびジェロムに向けていた視線と同じ色合いを含んでいたのである。
居心地の悪さを覚えたジェロムだったが、彼は極力平静を保とうと努め、より一層、その面から表情を消し去った。
と、そこへ調査隊員達が集まってきた。
マルセランが人数を恃んで調査活動の主導権を握った以上、彼らとしてもジェロムの指示を仰がないうちは、下手に動けなかったのである。
ジェロムは川べりに視線を流した。
「仕方がない。僕らは、水辺付近を捜索して、何か手がかりがないか探してみよう」
結局、ジェロム率いる調査隊はマルセランの武装隊に追いやられる格好で、濃緑の水面がすぐ際にまで迫る岸辺に散開した。
岩の上から覗き込むと、結構な深さになっているのが分かる。透明度の高い水質ながら、底が全く見えない。革鎧を装備している状態で落ちてしまうと、二度と浮き上がってこれないだろう。
この時ジェロムはある事実に気づき、はっと面を上げて周囲を見渡した。すぐ近くでは、ミネットが怪訝そうな表情でジェロムの異様な変化を眺めている。
(まさか、ここは!)
あり得ないと思ったが、同時に、それ以外はないとも考えた。
ジェロムは改めて、川べりから河畔の岩場全体を眺めた。背後には深い川底。陸地はといえば、断崖に囲まれた足場の悪い岩畳。そして、下り口は左右を岩壁に挟まれている、たった一本の長い斜面。
矢張り、間違いない――ジェロムの背筋に冷たいものが走った。
(完璧な袋小路だ……あの下り口を押さえられたら、逃げ場はない!)
ジェロムは戦慄した。自分達は犯人を追跡していたつもりだったが、むしろ逆に、最も不利な地点に誘い込まれていたのではないか。
そうやって、ジェロムが愕然と立ちすくんだまさにその時。
岩場のどこかで、絶叫がほとばしった。それは間違いなく、断末魔の響きを含んでいた。
◆ ◇ ◆
ほとんど全員が、驚きと不安の入り混じった表情で、その場に凍りついた。
例外は、全身を嫌な汗で濡らしながらも腰だめに長剣を抜き放ったジェロムと、顔色ひとつ変えずにのっそりと立ち上がったデュガンのふたりだけであった。
「な、何!? 今のは、一体何なの!?」
ミネットが半ばパニックに陥りながら、激しく左右を見まわす。
その呼吸は、随分と乱れているようであった。
断崖が曲がり角となって、その奥へと広がる岩場の向こう側。絶叫は、ジェロム達から見て丁度死角となる、曲がり角の陰から聞こえてきた。
「ど、どうした!? 何があった!?」
マルセランの動揺した声。彼の武装隊や、ジェロム率いる調査隊員達は皆、狼狽して立ちすくむばかりであった。誰ひとりとして、能動的な行動を取ろうとする者は居ない。
続いて、ずしり、と巨大な質量の何かが岩畳を圧した。
ジェロムは依然として、断崖の角を凝視している。そして――。
「な、んだ、あれは……」
呆然と呟いた。そのジェロムの視線の先に、絶望の二文字が肉体を擁して姿を現した。
軍用馬の頭頂高よりも僅かに高い位置に、後ろに向かって反り返る牙の列が、互いに噛み合わさる形でずらりと並んでいた。
牙の主は、巨大な蜥蜴の頭とでもいおうか。その頭の大きさだけで、仔牛の胴体ほどのサイズはあるように思われた。
蜥蜴型の頭に続いて現れたのは、強靭な後肢に支えられた巨躯であった。その全身は、一戸の小屋並みの容積と質量を誇っているかに見えた。
頭から尾の先まで乾いた鱗に覆われており、直立する蜥蜴といっても良いかも知れない。
巨獣、と呼ぶべきであろう。
或いはその外観から、伝説に登場するドラゴンの類であると考えられなくもない。
一切の理性を伴わない無機質な眼球がぎょろりとうごめいた瞬間、巨獣の牙だらけの顎が上下に開いた。
次の瞬間、轟、と大気が炸裂した。
耳をつんざく雷鳴の如き咆哮が、天を、大地を、川面を揺らす。誰もが聞いた経験のない、悪魔の雄叫びであった。
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