第三章 ピコピコ鳴るで、黒船インベーダー!

 五月に入り、風が汗ばむ陽気になってくると、まぼろし堂に新しい時代の波が、本格的に押し寄せてきた。それは、フミにとって、うまい棒の比やない、とんでもない厄介者やった。


 きっかけは、月に一度、様子を見に来る一人息子の良雄が持ってきた話やった。良雄は、生真面目なサラリーマンで、いつだって母であるフミの体を心配していたのだ。


「おかん、まだこんな店、続けてるんか。ええ加減、俺らの家でゆっくりしたらええのに」


 店に入るなり、良雄はため息混じりに言う。それが、彼のあいさつ代わりやった。


「やかましいわ。うちは、この店があるからピンピンしとんねん。あんた、いっつも同じことしか言わんな」


 フミも、いつものように言い返す。そんな親子喧嘩の途中で、良雄がふと思い出したように言った。


「そうや、おかん。今、世間では『スペースインベーダー』いうゲームが、えらいことになってんで。喫茶店に置いてある機械やねんけど、百円玉がぎょうさん吸い込まれていくらしいわ。社会現象やて」


「すぺえす……なんやて?」


 フミには、何のことかさっぱりわからんかった。ゲームいうたら、メンコかベーゴマか、せいぜい店先にあるコリントゲームくらいのもんや。


「せやから、この店にも一台、置いてみたらどうや? リースやったら、最初の金もいらんらしいし。子どもらがようけ集まって、ええ儲けになるかもしれんで」


「あほなこと言いなさんな」


 フミは、ピシャリと撥ねつけた。


「そんなピコピコ鳴る鉄の箱なんか置いたら、子どもらがアホになるわ。それに、うちは儲けのために店やってるわけやないで!」


 フミの頑固な態度に、良雄は呆れたように肩をすくめて、早々に帰っていった。


 だが、良雄が残していった「インベーダー」という奇妙な言葉は、まるで伝染病のように、子どもたちの間にも広まっていった。


「なあなあ、聞いたか? 駅前の喫茶店『クロン』に、インベーダー入ったらしいで!」


 ある日の午後、タイショウが目を輝かせて店に駆け込んできた。


「インベーダーって、あの?」

「そうや! 一回百円もするらしいけど、めちゃくちゃオモロイんやて!」


 百円。それは、うまい棒が十本買える大金や。だが、その響きには、大人の世界を覗き見るような、甘い誘惑があった。


「でも、喫茶店て、うちらみたいな子ども、入ったらあかんのちゃう?」


 ミウが不安そうに言う。


「せやな。なんか、ヤンキーの兄ちゃんとか、いっぱいおるイメージやわ」


 レンも、怖気づいている。


「大丈夫やって! 今度、みんなで偵察に行ってみようや!」


 タイショウの提案に、子どもたちの好奇心は、恐怖心を上回ったようやった。


 フミは、そのやり取りを、複雑な気持ちで聞いていた。子どもたちの心が、自分の知らん世界へと向かっている。それが、少しだけ寂しかった。


 そんな折、近所の鉄工所の前を通りかかったフミは、タイショウの親父、天童源五郎が、一人でタバコをふかしているのを見かけた。その背中は、いつもよりずっと小さく見えた。


「源五郎さん、どないしたん。元気ないやないか」

「……ああ、フミさんか。いや、なんでもあらへん」


 無理に笑うが、その顔には深い疲れの色が浮かんでいる。


「第二次オイルショックとかいうやつで、仕事がサッパリですわ。このままやと、工場、畳まなあかんかもしれん」


 源五郎は、地面にタバコを押し付けながら、吐き捨てるように言った。


「タイショウには、まだこんな苦労、させとうないんですけどね……」


 父親の顔で呟く源五郎に、フミはかける言葉が見つからんかった。この下町で、必死に生きる人々の苦労。それを思うと、自分の店の経営のことなど、些細なことに思えた。


 店に戻ると、子どもたちがまだインベーダーの話で盛り上がっていた。


「名古屋撃ちっちゅう、裏ワザがあるらしいで!」

「UFOを撃ったら、300点も貰えるんやて!」


 彼らの目は、新しい遊びへの憧れでキラキラしていた。

 フミは、良雄の言葉を思い出していた。


『時代やで、おかん』。


 そうかもしれん。自分は、ただ古い考えにこだわっているだけなんかもしれん。源五郎さんのような親たちが、安心して働けるように。その子どもたちが、放課後、安心して過ごせる場所を守るためには……。


 ピコピコ、という電子音。それは、まぼろし堂の、あの独特の匂いには、全く似合わん音や。あやかしたちも、きっと嫌がるやろう。


 だが、その音が、この店に子どもたちを繋ぎとめてくれるんやとしたら……。


「フミはん、顔色が悪いな。どないしたんや」


 いつの間にか番台に戻っていた源さんが、心配そうにフミの顔を覗き込んだ。


「……源さん。うち、大きな賭けに出ようかと思うてるんや」

「賭け?」

「ああ。この店に、百円玉を食う、を置こう思うてな」


 フミの言葉に、源さんは少しだけ目を見開いた。そして、何かを察したように、ふん、と鼻を鳴らした。


「……好きにしたらええ。フミはんが決めたことなら、わいは何も言わん。その代わり、どんな騒動になっても、わいは知らんで」


 その言葉は、突き放しているようで、フミの決意を後押ししてくれているようにも聞こえた。


 路地裏の小さな駄菓子屋に、新しい時代の侵略者いんべえだあが、すぐそこまで迫っていた。


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