第14話 午睡

 私はジルベール陛下に近づきながら告げる。


「ちょっと! 『侍姫じきは会っちゃいけない』ってルールはどうなってるの?!」


 ジルベール陛下が困ったような微笑みで私に答える。


「『侍姫じきからは会ってはならない』が、俺が会いに行ってはいけないルールはない。

 ――それより、お前に花を贈りに来た。受け取ってほしい」


 そういってジルベール陛下が花束を私に渡してくる。


 花弁が大きな、紫色の花と白い花。見たことないな、なんて花だろう?


 上品でさわやかな落ち着く香り。香料にしてもいいかも?


「ジルベール陛下、これは何かしら」


「アイリスだ。スメット領が産出国でな。

 献上品として受け取り、宮廷で栽培している」


 私は小さく息をついて答える。


「そっちじゃないわ。『この贈り物は何の意味があるのか』と聞いてるの」


 ジルベール陛下が私から目を逸らして答える。


「……夫が妻に花を贈ってはいけないのか」


「私は侍姫じきなのでしょう? 妻なんて形だけよ。

 それとも、皇帝陛下は八歳も年下の女子を妻として見られるの?」


 ジルベール陛下が眉をひそめて答える。


「自分でも不思議なんだが……カミーユならば、とそう思っている」


 うげ、それって私を女として見てるって意味?!


 私は白目を向けながらジルベール陛下に告げる。


「貴方に少女趣味があったとは思わなかったわ。

 立派に父親の血を受け継いでるのね。見事な女好きじゃない?」


 ジルベール陛下が慌てて私に視線を戻した。


「それは断じて違う! 信じてくれ!」


 なんだか必死だなぁ。そんなすがるような目をされても、困っちゃうんだけど。


 私はため息で花を揺らしながら答える。


「分かったわ。今は信じてあげる。

 それで、この花の意味はなんなの?」


 ジルベール陛下がわずかに頬を赤く染めながら答える。


「それは……ラシェルにでも聞いてほしい。彼女の国の名産品だからな」


 私は呆れて再びため息をついた。


「そんな態度で皇帝をやっていけると思ってるの?!

 思っていることがあるなら、まっすぐに相手にぶつけなさい!

 自分に自信がないから怖気おじけ付くのよ。それ、貴方の悪いところよ?」


 クレルフロー王国を攻め落とした時は冷徹皇帝だったのに、なんで今は違うんだろ。


 ジルベール陛下が私の目を見つめて告げる。


「……心に刻む。では、また会いに来る」


 私は舌を出しながら答える。


「来なくて結構です! ジルベール陛下は忙しいのでしょう? 仕事に専念しなさい!」


 叱られた子犬のような顔をしたジルベール陛下が、身を翻して離宮を去っていく。


 アイリスの香りだけがその場に残り――ん? わずかに柑橘系の香り。


 ああそうか、ジルベール陛下も香水をつけてるのか。


 私はどこか記憶にひっかかる香水の香りが気になりながらも、アイリスを抱えて部屋に向かった。





****


 ジルベールはカミーユの離宮からの帰り道、内心で落ち込みながら歩いていた。


 『そんな態度で皇帝が務まるのか』など、母親以外に言われたことはない。


 八歳も年下の少女に喝破かっぱされ、己の不甲斐なさを噛み締めていた。


 ――このままでは、本当にカミーユに会わす顔がない。


 両手で両頬を叩き、気合を入れて顔を引き締める。


 皇帝の気概、それを胸にジルベールは執務室へ戻っていった。



 その姿を遠くで見つめていた影が居た――第二寵姫ちょうきロザーラの側近、宮廷騎士のロバンソンだ。


 ロバンソンはジルベールが宮廷に戻ったのを確認してから、ロザーラへと報告に戻った。


 皇帝が侍姫じきに会いに行くなど、侍姫じき制度が制定されて以来初めてだ。


 偶然、遠くからジルベールを見つけただけだが、あちらの区画には侍姫じきの離宮しかない。


 誰に会いに行ったかはわからない。何をしに行ったのかもわからない。


 だが可能性として最も高いのは、やはり新顔のカミーユだろう。


 ――あの娘、危険すぎる。


 ロバンソンはカミーユの始末すら考慮に入れながら、急ぎ第五離宮の中に駆け込んだ。





****


 私は昼食を食べ終わると、ハリエットに告げる。


「ちょっとラシェルに会いに行ってくるわ」


 ハリエットがきょとんとした顔で私を見つめた。


「ラシェル殿下ですか?」


 私は頷いてから、部屋に飾られたアイリスを見つめた。


「そうよ。あの花の意味を聞いてこようと思って。

 ――ヴァンサン、付いてきてもらえる?」


「むろん、お供しますとも」


 笑顔のヴァンサンを連れ、私はラシェルが住む第十一離宮へと向かった。



 隣の離宮の前の衛兵たちに、私は告げる。


「こんにちは。ラシェルはいるかしら」


 衛兵が敬礼をしながら答える。


「今の時間はお眠りになっているかと思いますが」


 私は驚いて衛兵に尋ねる。


「寝てるの? 今は昼間よ?」


「なんでも、スメット王国には午睡の習慣があると伺いました」


 おや、お昼寝タイムなのか。昼食を食べてすぐに寝てたら、太っちゃうぞ?


 でも寝てるところを起こすのも悪いか。


「じゃあ起きたら伝えてくれるかしら。アイリスについて聞きたいことがあるって。

 何時ごろになったら起きるか、知ってる?」


「我々にはそこまでは……ですが、確かにお伝えいたします」


「よろしくね! お仕事頑張って!」


 私は衛兵たちに手を振りながら、自分の離宮へと足を向けた。


 道すがら、ヴァンサンに尋ねてみる。


「ヴァンサンはラシェルの国の文化をどれくらい知ってるの?」


 ヴァンサンが苦笑しながら答える。


「何分にも小国でしたから、私にも細かいことは分かりません。

 アイリスが珍重されている国だったとは聞き及んでますが」


 ふーん、まぁジルベール陛下が宮廷で栽培するぐらいだしな。


 私は入口の衛兵に挨拶を交わしてから、自分の離宮へと戻った。





****


 ロバンソンの報告を受けたロザーラが、顔を険しくしかめた。


「まさか、あんな小娘に皇帝陛下が会いに行ったっていうの?!」


「断言はできませんが、その可能性が高いと思われます」


 ロザーラの夜の誘いを断るのが常のジルベールが、年下の少女に興味を出す。


 侍姫じきの最年少はラシェルだが、彼女にジルベールが目をかけたという話は聞かない。


 ――ならば年齢ではなく、カミーユという少女そのものに興味を抱いた?


 ロザーラが厳しい声でロバンソンに告げる。


「お父様を宮廷に呼んで頂戴。すぐに計画を詰めるわ!」


 返事をしたロバンソンが、ロザーラの部屋から辞去していく。


 ロザーラは立ったまま爪を噛みつつ、対抗手段を練り上げていった。


 ――格の違いを見せてやろうじゃないの!





****


 部屋に戻って紅茶を飲んでいると、入り口のドアがノックされて召し使いの女性が告げる。


「失礼致します。ラシェル殿下がお見えです」


 おや? もう起きたのか。午睡っていっても短いんだな。


 私は微笑んでソファから立ち上がった。


「分かったわ、今行きます」


 一人で階段を降り、玄関に立つラシェルに声をかける。


「ラシェル! どうしたの?」


 私が近づいていくと、ラシェルが笑顔で答える。


「私にアイリスのことで聞きたいんですって?

 何を聞きたいのかしら」


「花の意味を教えてもらいたいんだけど――私の部屋に来てくれる?」


 頷くラシェルを伴い、階段を上って私室に入る。


 入室したラシェルが足を止め、すぐにアイリスが飾ってある花瓶に駆け寄っていった。


「わー! これ、誰が贈ってきたの?!」


「ジルベール陛下だけど……どんな意味があるの?」


 アイリスの香りをかいだラシェルが、私に振り返ってニタリと微笑んだ。


「カミーユったら、隅に置けないわね。

 ――白いアイリスは、たぶん『誠実』とか『純潔』って意味ね。

 紫のアイリスは、『理想』じゃないかな」


 私は眉をひそめてラシェルに尋ねる。


「つまり、どういうこと?」


「つーまーりー! 『誠実なカミーユのことを理想だと思ってます』って意味!

 しかも、これだと『貴女と心から分かりあいたい』という意味にもなるわね!

 カミーユったら、いつの間に皇帝陛下をたらしこんだの?」


 私は顔をしかめながらラシェルに答える。


「私は八歳も年上の夫と分かりあえるとは思えないんだけど。

 しかも十六歳の女子を『理想』とか、やっぱり少女趣味でもあるんじゃないの?」


 ラシェルが楽し気に私に告げる。


「そんなことないわ。皇帝陛下は私に興味を示すことはなかったもの。

 それにカミーユになら、憧れても仕方ないなって思える。

 もう少し夫のことを考えてあげてもいいんじゃない?」


 ラシェルが微笑みながら「またね!」と告げて部屋から出ていった。


 私は茫然とアイリスを眺めながら、ラシェルに言われたことを思い出す。


 理想ねぇ……ジルベール陛下がだらしないだけじゃないの?


 でも『純潔』が含まれるなら、手を出す気もなさそうだ。


 花に罪はないし、仕方ないから受け取ってあげるか!


 私は胸いっぱいにアイリスの香りを吸い込み、その香りを堪能した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る