第15話 英気

 朝食を食べ終わり、紅茶を楽しんでいるとドアがノックされた。


「失礼致します。皇帝陛下がお見えになりました」


 私は思わず振り返って声を上げる。


「はぁ?! あの人、今日も来たの?!」


 それも、こんな朝早くに?!


 私は渋々と椅子から立ち上がり、玄関に向かった。



 階段を降りていくと、玄関でジルベール陛下が私を見つめていた。


 私が階段を降りきり、玄関に近づくまで視線を感じる。


 この人、本当に少女趣味がないんでしょうね?


 私は眉をひそめてジルベール陛下に告げる。


「朝っぱらから何の用?」


 ジルベール陛下が微笑んで私に告げる。


「少し、外を歩かないか。話したいことがある」


 私は小さく息をついて答える。


「それを断る権利は?」


「ない。いいから付き合え」


 扉を開けて出ていくジルベール陛下の背中を、私は仕方なく追いかけた。





****


 離宮の周りを歩くジルベール陛下が、私に告げる。


「貧民区画の慰撫をどうするつもりだ」


「私に割り当てられてる予算、それにノリエ伯爵からの融資。

 それだけあれば、簡単な公共事業くらいはできるわ。

 炊き出しも並行して行うから、本当に小さい事業だけどね」


 ジルベール陛下が目を見開いて私を見つめて来た。


「まさか、あの予算で公共事業をするのか?

 それにお前の予算も使ったら、ドレスを新調することもできまい。

 これからの服をどうするつもりだ」


 私は肩をすくめて答える。


「捕虜の妃なのでしょう? 夜会に出る機会もないわ。

 それなら今あるドレスを処分して、資金源にしてもいいくらいよ。

 でも私のサイズのドレスなんて、はした金にもならないでしょうけどね」


 ジルベール陛下が慌てたように私に告げる。


「ドレスの処分はするな!

 だが分かった、お前の公共事業に予算を回そう。

 それでできる限り――」


 私は眉を逆立てて声を張り上げる。


「こら! 皇帝が私情で予算編成を組むんじゃありません!

 貧民より優先することが多いから、予算が乏しいんでしょうが!

 こちらはなんとかするから、貴方は自分の務めを果たしなさい!」


 ジルベール陛下が叱られた子犬のような顔で私を見つめてきた。


「……そうだな、すまない。

 だがその代わり、何か困っていることはないか。

 お前の力になりたいんだ」


 困ってることねぇ……そうだ!


「じゃあ歴史書とか、この国の資料を読めないかしら。

 離宮にある詩集は読み切ってしまって、退屈してるのよ」


 ジルベール陛下が微笑んで頷いた。


「わかった。宮廷図書館への出入りを許可しよう。

 あそこなら望む本が見つかるはずだ。持ち出せるように言い付けておく」


「そう? よろしくね!」


 私が微笑むと、ジルベール陛下も嬉しそうに微笑んだ。


 ふわりと柑橘系の香りが鼻をくすぐる。


 私は朝の空気とジルベール陛下の香りに包まれながら、離宮を一周した。


 離宮の入り口で振り返り、ジルベール陛下に告げる。


「何をしに来たのか知らないけど、これで気は済んだかしら?」


 ジルベール陛下が力強く頷いて答える。


「ああ、カミーユと話していると、力が湧いてくる。

 これが欲しかった……それだけだ」


 私がきょとんとしていると、ジルベール陛下は満足そうな顔で宮廷へ戻っていった。


 思わずぽつりと呟く。


「何が言いたかったのかしら……」


 私は小さく息をつくと、離宮の中へ戻っていった。





****


 ヴァンサンに案内され、私は宮廷内の図書館へ向かった。


 入口の衛兵が私たちに声をかけてくる。


「こら、ここは侍姫じきが来ていいところじゃないぞ」


 おや、敬語じゃないのか。侍姫じきの立場って複雑なんだな。


 私はニコリと微笑んで答える。


「私はカミーユよ。ジルベール陛下から聞いてない?

 図書館に入る許可は貰ってるわ」


 たちまち衛兵が畏まり、直立して答える。


「失礼しました! どうぞ中へ!」


 急に態度を変えた衛兵に小首を傾げながら、私は彼に告げる。


「お仕事ご苦労様、でも言葉遣いには気を付けた方がいいわよ?」


「はい! これからは気を付けます!」


 私は笑顔で手を振りながら、図書館の中へ入って行く。


 居並ぶ本棚を眺めながら、ヴァンサンに尋ねる。


「ああして侍姫じきを見下す兵士は、どれくらい居るのかしら」


 ヴァンサンが苦笑をしながら答える。


「半数近い兵士が、侍姫じきを捕虜だと認識しています。

 後宮に居る兵士たちは弁えていますが、宮廷内では覚悟された方がよろしいかと」


 そっか、それだけ侍姫じきが宮廷に近寄らないってことでもあるんだな。


 私はヴァンサンに教えられながら、歴史書や地域の本を選んでいく。


 五冊ほどをヴァンサンに持ってもらい、自分でも一冊を抱え込んだ。


「それじゃあ、離宮に戻りましょうか」


「その前に、貸出記録に記帳をしてください。

 紛失すると、予算から引かれます」


 おっと、そういうルールなのか。


 私はカウンターに案内してもらい、貸出記録に名前を書いていく。


 司書の男性は私を珍し気に眺めていたけど、何も言ってこない。


 私は微笑んで司書の男性に告げる。


「じゃあ、本を借りていくわね」


 彼が頷くのを見届けてから、私は離宮へと戻っていった。





****


 執務室でペンを走らせるジルベールに、騎士のジョアンが尋ねる。


「今日は気合が入ってますね。どうされたんですか」


 ジルベールはフッと笑みを浮かべながらペンを走らせていく。


「カミーユから英気を受け取った。

 彼女の傍に居ると、身が引き締まる思いだ」


 呆れた顔のジョアンが、ジルベールに告げる。


「十六歳の少女に感化されたんですか。

 まぁ皇帝の自覚が芽生えるなら、私も文句はありませんが」


「彼女に恥じぬ皇帝にならねばならん。

 帝国民を一人でも多く救い、幸福に導いてみせる。

 収穫期までまだ二か月以上ある。なんとしても持たせて見せよう」


 戦争に次ぐ戦争で、食料の供給は逼迫ひっぱくしている。


 クレルフロー王国からの戦後賠償金も、即座に支払われるわけではない。


 食料品不足による値上がりは頭が痛いが、今が正念場だ。


 ジョアンが見守る中、ジルベールは新しい政策を紙にしたためていった。





****


 午後になり、帝国の歴史書を読んでる私にハリエットが告げる。


「姫様、お客様がお見えです。文官のレイモン様と伺っていますが」


 ……誰それ?


 私が小首を傾げていると、ヴァンサンが両手を打ち鳴らした。


「私の知人です。どうやら仲間が集まったようですね」


「ああ、貧民区画の慰撫に参加してくれる役人ね?」


 私は本を閉じ、ソファから立ち上がる。


 ヴァンサンを連れ、階段を降りて応接間に向かった。



 応接間に入ると、三人の男性がソファに腰掛けていた。


 一人が立ち上がり、私に微笑んで告げる。


「文官のレイモン・マセ男爵です。

 カミーユ殿下とは、お初にお目にかかります」


 私は微笑んでレイモンさんに答える。


「カミーユ・クレルフロー・ルシオンよ。

 今日は来てくれてありがとう。そちらの人たちが協力者かしら?」


 レイモンさんが頷いて答える。


「二名のみですが、共に力を合わせてくれると言ってくれました。

 それで恐縮ですが、何をするのかお聞かせ願えますか」


 私はソファに座ってレイモンさんに答える。


「簡単な話よ? 炊き出しと公共事業をするわ。

 事業と言っても、予算が許す範囲で貧民区画の家屋修繕をするだけ。

 人員はその場で住民から募って、日当を払うの。

 食事は炊き出しで賄いつつ、仕事をしてもらう事業ね」


 レイモンさんがソファに腰を下ろしながら尋ねてくる。


「それで、我々は何をすれば?」


「貴方たちは、炊き出しのサポートをしてあげて。

 炊き出しをする人員も、民衆から募るわ。

 女性たちなら、炊き出しくらいはできるでしょう?

 彼女たちが困らないよう、要望に応えてあげてほしいの」


 レイモンさんがきょとんとした顔で私を見つめた。


「カミーユ殿下は炊き出しをおやりにならないので?

 通例では、食事を配給する役割を担うものですが」


 私は明るく笑いながら答える。


「そんなこと、誰でもできるじゃない!

 私は家屋修繕の方に回るわ。男手と一緒に、指示を出していくの。

 そちらの方が資材の調達も必要だし、権限がある人間が傍にいた方が話が早いわ」


 唖然とするレイモンさんが、私に尋ねる。


「それでは、民衆の心証を良くできないのでは?

 殿下が施していると印象付けられませんよ?」


「そんな下らない印象、私はいらないわ。

 貧しくとも自分の足で立てる民になってほしいのよ。

 その手助けができるなら、私は満足ね」


 レイモンさんが隣の男性たちと目配せをし、三人で頷いていた。


「わかりました。我々も力が及ぶ限り、お手伝いさせて頂きます」


「ええ、お願いするわね」


 レイモンさんたちが立ち上がり、私に深く頭を下げた。


 呆気にとられる私を置いて、三人は部屋を辞去していった。


 残された私は思わず呟く。


「……なんで態度が急変したのかしら」


 ヴァンサンが背後から楽し気に答える。


「殿下の実物を見て、確信を得たのでしょう」


 どういう意味?


 私は小首を傾げながら、私室に戻っていった。

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