第6話 戦勝祝賀会

 戦勝祝賀会の会場は、大勢の貴族たちで賑わっていた。


 ホールの入り口でヴァンサンが私に告げる。


「私はここで分かれます。どうか、お気をつけて」


 私は微笑んでヴァンサンに頷いた。


「大丈夫よ、心配しないで」


 ヴァンサンがホールの隅に向かうのを確認してから、私はホールを進んで行く。


 とはいえ、どこに向かえばいいのやら?


 辺りを見回しても、大人の男性貴族ばかり。


 彼らは私を気にも留めず、楽し気に会話に興じていた。


 んーと、女性がいる所はどこかな? ――あった!


 赤く長い髪、豪奢な赤いドレスはドレープたっぷりで、金色のアクセサリーで身を固めている。


 あのドレス、ベルベットかなー。それなのにあんなにアクセサリーまみれとか、重たくないの?


 私は暢気にその赤い髪の女性に向かって歩いていく。


 女性が私に気付くと、あからさまに顔をしかめて来た。


「あらやだ、なんだか匂うわ。土臭くてたまらない。

 誰かしら、使用人風情をこの場に呼んだのは」


 土臭い? 朝の庭いじりのことかな?


 私は自分の体の臭いをかいでから、赤い髪の女性に答える。


「気のせいじゃないかしら。別に土の臭いは付いてないわよ?」


 赤い髪の女性が不機嫌そうに私を睨みつける。


「貴女、言葉遣いがなってないわね。

 侍姫じき風情が皇后こうごうたる私に、対等な口を聞けると思ってるの?」


 皇后こうごう――あー、庭仕事をさせて来た、レアンドラ様か。


 私はニコリと微笑んでレアンドラ様に告げる。


「初めまして、レアンドラ様。私はカミーユよ。

 同じ妃同士、仲良くしましょうね」


 周囲に居た貴族たちから、ざわついた声が聞こえてくる。


 レアンドラ様も厳しい眼差しで私を睨みつけていた。


「……貴女、自分の身も弁えられない愚か者なのかしら」


「敗戦国の王女、そしてジルベール陛下の妻よ?

 侍姫じきとはいえ、妃であることは変わらないのでしょう?

 まさか皇后こうごう様ともあろう方が、自国の制度もご存じないのかしら?」


 レアンドラ様が扇子で顔を隠して顔を背けた。


「誰か! この身の程知らずをつまみ出しなさい!」


 傍にいた騎士が、困惑した顔でレアンドラ様に告げる。


「レアンドラ殿下、それは出来かねます。

 今夜の祝勝会は、カミーユ殿下をお披露目する意味もあります。

 どうかここは耐えてください」


「四の五の言わず、この小娘を放り出しなさい!」


 レアンドラ様が金切り声を上げると、騎士が肩をすくめた。


 騎士たちが困ってるみたいだなー。


 つまみ出したくても、私は侍姫じきで、ジルベール陛下の妃だ。


 無理やり力づくで、とはいかないんだろう。


 ――よし、騎士たちを助けるためにも、私がレアンドラ様を論破してあげよう!


 私が口を開きかけると、目の前を風がよぎっていった。


『頼むから、大人しくしていてくれ』


 ……なんなんだろう? この文字が書かれた風は。


 私は小さく息をつくと、レアンドラ様に向かってひざまずいた。


「失礼いたしました、レアンドラ様。

 敗戦国クレルフロー王国から連れてこられた侍姫じき、カミーユでございます。

 以後、お見知りおき下さると幸いです」


 レアンドラ様が私に視線を戻し、上から睨みつけてくる。


「今さら、その程度で取り繕えると思っているのかしら」


 レアンドラ様の手が近くの給仕からワイングラスを取り、私に向かってお酒を浴びせかけた。


 大人しく頭からワインを浴びた私は、静かな声で答える。


「レアンドラ様からの祝杯、確かにお受けしました。

 これで私も帝国の一員として認めて頂けますか」


 頬を上気させたレアンドラ様がワイングラスを私に向かって振りかぶり――その手が、ジルベール陛下の手で捕まえられた。


「レアンドラ、祝賀会の空気を壊すんじゃない。

 皇后こうごうの役目を忘れるな」


 ジルベール陛下の冷たい眼差しを受け、レアンドラ様が目を逸らした。


「……失礼しました、ジルベール陛下」


 ジルベール陛下が私に告げる。


「カミーユ、立て。

 ――皆の者! ここに居るのがクレルフロー王国から嫁いできた我が妃カミーユだ!

 勝利の乾杯を、このカミーユに捧げよ!」


 うげ、敗戦国の姫に向かって『勝利の乾杯』を捧げるの? 厭味ったらしい……。


 私はワインで汚れたドレスのまま、立ち上がって貴族たちに振り返る。


 貴族たちは笑顔で私にグラスを向け、「乾杯!」と斉唱してワインを飲み干していた。


 そっか、私は『祖国の敗北を祝われる生贄』ってわけね。そういう役どころか。


 どんだけ冷たい男なんだろうか、ジルベール陛下って。


 私に向かってジルベール陛下が告げる。


「その恰好のまま、祝賀会が終わるまで立っていろ」


 私はジルベール陛下に振り向き、ニコリと微笑んで答える。


「ええ、構わないわ。その程度で私の誇りを傷つけられると思うなら、思う存分にどうぞ?」


 ジルベール陛下の目がわずかに細められる。


 私は胸を張り、汚れたドレス姿を貴族たちに見せつけた。


 戦勝祝賀会は、一時間ほどでお開きになった。





****


 ホールから立ち去ろうとする私の背後から、ジルベール陛下が声をかけてくる。


「カミーユ、少し聞きたいことがある」


 私は小さく息をついて振り返った。


「何かしら? 夫であるジルベール陛下が、侍姫じきである私になんのご用?

 まさか『愛の語らいをしたい』なんて言いませんよね?」


 きょとんとした顔のジルベール陛下が、フッと笑みをこぼす。


「――悪くない案だな。少し付き合え、テラスに出よう」


 えー、もう帰りたいんだけど。


 私は先を歩くヴァンサンに告げる。


「ごめんなさい、ヴァンサン。少し待っていてもらえる?」


 ヴァンサンが微笑んで頷いた。


「ええ、構いませんとも。ここでお待ちしております」


「悪いわね――さぁ、ジルベール陛下。参りましょうか」


 私はジルベール陛下に肩を抱かれ――うげぇ! 触るな!


 私たちは、ホールから出ていく貴族たちの流れに逆らいながら、テラスへと向かった。





****


 テラスに出ると、窓辺の衛兵にジルベール陛下が告げる。


「誰も近づけるな。それがたとえレアンドラだろうとな」


 衛兵が目を見開いて答える。


「ええっ?! 本気ですか、陛下?!」


 ジルベール陛下が冷たい眼差しで衛兵を睨み付けた。


「二度、同じ言葉を俺に言わせる気か?」


 衛兵が真顔になり、最敬礼をして答える。


「ハッ! 畏まりました!」


 ……人を遠ざけて、何をする気だ? この人は。


 ジルベール陛下は私をテラスの手すりまで連れていき、肩を抱きながら告げる。


「カミーユ、お前はなぜレアンドラに逆らった?」


「逆らってなど居ません。きちんとお話ししただけですが」


 ジルベール陛下がクスリと笑みをこぼした。


「あれで『逆らってなどいない』と、本気で言っているのか」


 私は小首を傾げてジルベール陛下を見上げた。


「私がいつ、レアンドラ様に逆らったんですか?」


 『逆らった』と言われる言葉は、口にしたつもりはないけどな?


 ジルベール陛下が私をまじまじと見つめていた。


「……言われてみれば、確かに逆らってなどは居なかったな。

 だが敗戦国の王女とは思えない、毅然とした立ち居振る舞いだった。

 ひざまずいてさえ、その姿が気高く感じられた。それがレアンドラの気に障ったんだろう」


 私は小さく息をついて答える。


「私は魂まで売り渡した覚えはありません。

 クレルフローの王女として、民に情けない姿を晒すわけには参りません。

 捕虜だろうと、それを忘れることはありませんよ」


 ジルベール陛下が私の目を見つめて告げる。


「カミーユ、お前は強いな。

 窮地に立っていた自覚はあるか?

 あれ以上レアンドラが激高すれば、命もなかったかもしれん」


 私はニコリと微笑んで答える。


「戦勝祝賀会で、私の命を? せっかくの捕虜を殺せば、勝利の価値が毀損します。

 それに、そうなればクレルフローで反乱がおき、再び戦争になるでしょう?

 それを見過ごすような人が皇帝なら、帝国も長くは持たないでしょう」


 ジルベール陛下が大きくため息をついた。


「そこまで読んでの行動だったのか。見た目に反してしたたかだな」


「その程度も考えられないで、クレルフロー王国の王女は務まりませんよ?」


「だが、今日からはお前は我が妻、帝国の侍姫じきだ」


「その身分は甘んじて受けますが、陛下に体を許す気もありません。

 子供が欲しければ、他の妃とお作り下さいね?」


 ジルベール陛下が楽し気な笑い声を上げた。


「ハハハ! 侍姫じきが俺と子作りなど、周囲が許さんよ!

 だが、なぜそうまで俺を嫌う?」


「まさか、祖国を攻め落した男が好かれるとでも?」


 ジルベール陛下が寂し気な笑みで私を見つめた。


「それもそうだ。どうだ? そんな男に肩を抱かれている気分は」


 私は笑顔で答える。


「最悪ですわね。早く帰って、ベッドで忘れたいと思います」


「そうか……カミーユ、お前は『折れる自分』を想像できるか?」


 私は小首を傾げて考えた。


「……全く想像できませんわね。そんな自分、どうやったらなれるのかしら?」


 ジルベール陛下が私の肩から手を放して告げる。


「楽しかった。またお前と話したいな」


侍姫じきがそれを許されるなら、いつでも構いませんよ?」


 ジルベール陛下は私をしばらく見つめたあと、真顔になって答える。


「……そうだな。侍姫じきには許されん。

 今夜は祝賀会だから見逃される――それだけの話だ。

 だが、寵姫ちょうきになれば話は別だ。お前は寵姫ちょうきになれ」


 私はしなやかに淑女の礼を取って答える。


「謹んでお断りいたします」


 きょとんとしたジルベール陛下が、また楽し気な笑い声を上げた。


 彼はそのまま、身を翻してホールへと戻っていった。


 ……何がしたかったんだ? あの人。


 私もジルベール陛下から距離を取りつつ、ホールを抜けてヴァンサンと合流した。

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