ラストエピソード 小春の窓。③

営業も終盤に差し掛かり、坂元もカウンターの外に出てきた。


「よし、お前らも今日は飲めー! 最後だしな!」


湊が少しだけ驚いた顔をして、愛子は「やったー!」と両手をあげた。

小春も嬉しそうに頷いて、常連たちとグラスを合わせる。


ひとしきり乾杯が終わったあと、愛子が手元のグラスを持ち上げながら、ぽつりと言った。


「……バイトって、こんなに続くと思ってなかったんですけど。店長が店長じゃなかったら、たぶん、すぐ辞めてたかもしれません」


「俺も、最初、何度もやめようと思ってました。でも……この人は裏切れないなって。」

湊も続く。


「……おい」


かすれた声でそう言ったあと、坂本はグラスを置いて、腕で目をこすった。


「お、おい……お前ら……泣かせにきてんのかよ……」


「えっ、ええー!? ち、ちがっ……そんなつもりじゃ!」


愛子が慌てて弁解する横で——


「ちょっと! いいとこなのに! 動かないで!」


麗子がスマホを構え、パシャパシャとシャッターを切りまくっていた。


「はい、泣き顔いただきましたー!」


「うっせー!」

坂本が手で顔を覆いながら吠える。


「拓巳、顔かせ」


パチーン。


「え、ちょ、店長?——わっ、いたーい!」


坂元が思いきりひっぱたいて、また大笑い。

その輪の中で、小春はじっとグラスの中を見つめていた。

そして、ふっと思った。


(……ほんとに、いい人たち)


頬がほんのり熱くて、目の奥がちょっとだけしょっぱいのは、きっと、気のせいじゃなかった。



宴会は、結局2時過ぎまで続いた。


他のお客達もすでに帰っていた。愛子も、湊も、小春も、飲みながらほとんどの片付けを終わらせていた。


麗子も手伝ってくれていたし、坂本は……カウンターに突っ伏すようにして、もう寝ていた。今日のお酒は随分効いたようだ。


田村は名残惜しそうだったけれど、「明日も仕事なんだよ、たまには飲みに来いよ」と声をかけて、先に帰っていった。


そして、拓巳は——死んでいた。



……いや、正確には、麗子と坂本に飲まされすぎて、半目の放心状態で椅子にもたれかかっているだけなのだが。


麗子が、ふと空いたグラスを見ながらぽつりと言った。


「……店長、よっぽど寂しいんだね。寝ちゃうなんて珍しいもん」


「本当に……店長にも、麗子さんにも、お客さんみんなにも……感謝しかないっす」

湊が静かに言うと、愛子も小春も、目を潤ませながら頷いた。


鼻をすする音がして、麗子はにっこり笑いながら言った。


「良かったね、この店に来て。……私も、今だにこの人に感謝してる。大事にしてあげようね」


「はい」

と3人が声を揃える。


「はーい」

と拓巳。


「オメーはうるせー!」

パチン。

麗子に軽くひっぱたかれて、拓巳が椅子の上で揺れる。


「よし! あたし達は帰るよ」

麗子が手をパンと叩いて立ち上がる。


「現役同士、積もる話もあるでしょ? この人はね、帰りたい時に叩き起こせばちゃんと起きるから。

案外、今の会話も全部聞いてたりするからね……ふふっ」


そのとき、坂本の肩がピクリと動いた。


(……あっ)

4人は顔を見合わせ、クスクスと笑い合った。


「はいっ、今日は本当にありがとうございました!」

愛子が頭を下げる。


「また、すぐ飲みに来ます! そのとき、麗子さん呼んじゃっていいですか?」


「もちろん!」

麗子が笑顔で答える。

「また飲もうね!」


「よし! タク! 帰るぞ!」

麗子が肩をつかんで、拓巳をぐいっと引き起こす。


「オメーは、もうちょっと付き合え!」


「はい〜……」

と拓巳がふらふら立ち上がる。


「じゃねー! 社会人がんばれよ!」


麗子が拓巳を引っ張りながら、夜の街へ消えていった。


残された店内には、静かな秋の夜の空気が、じんわりと残っていた。


麗子が帰ったあとも、三人はそのまま店に残っていた。


洗い物はすっかり終わっていて、カウンターには飲みかけのグラスだけが残っている。


誰からともなく、思い出話がはじまった。

最初に失敗した注文のこと、坂本の「すべるとこまでが流れだから」っていう謎の名言、

田村が串を口に刺して「新しい呼吸法」とか言ってたこと——

——少しの間が空いた。


そのしんみりした空気を変えるように、ふいに湊が口を開いた。


「小春ちゃん、まだお話し書いてるの? 『窓の中』の物語。」


「もちろん! 書いてますよ! 特にとびのや帰りはすっごい沸いてくるんです」

そう言ってから、小春は少しだけ間をおいて、カウンターの向こう側を見ながら、ポツリと続けた。


「……ここのお店のこと、みんなのこと……お話にしようかな」

「なんだか、今なら書けそうな気がして……。あったかいお話し、いい物語が。」


愛子がぱっと顔を上げて、にっこり笑った。


「いいんじゃない! 書いてよ、絶対! 楽しみ〜!」


湊も小さく頷いて言った。


「うん。いいと思う。……『小春の窓』とか、どう?」


「えー、なにそれ、ちょっといいかも!」


そんな話で、しばらく盛り上がっていた。



——一方、その頃。


(おばあちゃん、とりあえずコイツ連れてく)


麗子は、水晶をきゅっと握りしめながら、心の中でアガタに話しかけた。


(あら、やだわ。連れてくるの? ほんとうに嫌だわ……でも……仕方ないわね……)


アガタの声は、少しだけ諦めと呆れが混ざっていた。


「……麗子さ〜ん、どこ行くんですか〜? もう飲めませんよ〜」

後ろから拓巳が、ふらふらしながらついてくる。


「もう酒はいい! ウチだ。ちょっと付き合え!」

「え! 麗子さんち!? え、でも、僕——」


ピシャリ。

おでこに小気味よい音が鳴る。


「勘違いすんな、宇宙人が!」


「え? え〜? うそ? え? なんでバレたんですか〜?」


拓巳は目をぱちくりさせながら、おでこを押さえる。麗子は深いため息をついた。



——拓巳がその後どうなったかは、また別のお話。

それは、また別の機会に。


小春は——

あの夜話していた、お店のこと、みんなのことを、本当に書いたのかどうか。


それもまたいつか——


ラストエピソード 『小春の窓。』               完。 

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