ラストエピソード 小春の窓。②

驚きはなかった。むしろ納得に近い感覚。

ヘビの呪いが外れた今は、そういう“気配”がはっきりとわかる。


麗子は首元に手をやり、胸元の水晶のネックレスをそっと指でなぞった。

ひんやりとしたその感触に意識を合わせながら、心のなかで語りかける。


(おばあちゃん……いた、マジでいたよ。魔女。やっぱ突然変異?)


この水晶は、とびのやに来る前にアガタから渡されたものだった。


『麗ちゃんが前に行ったお店。コレをつけて、もう一度行ってみて?

そうすれば私も、感じられるから』


そう言われていた。


水晶がかすかに脈打つ。


次の瞬間、アガタの声が、頭の奥にふっと響いた。


(そうみたいね……でも、まだこの子、自分の力に気づいてないみたいだわ。

それに……やっぱり、もうひとつ、違和感が残ってる。でも、まだ“そこ”には居ないみたい)


(他にもまだなんか居るってこと?)


麗子は水晶を指先で軽く押さえながら、小春の横顔をじっと見つめた。


小柄で、明るくて、まったく普通に見えるのに——

なぜか、視界の端が、ほんの少しだけ滲んで見えた。


(へえ……突然変異ね。おもしろ)


グラスの底を見つめながら、麗子はひとり、声に出さずに笑った。


「お、麗子。そこ、ひとつ席空けておいてくれ。後からタクが来るってよ」


坂元が焼き台の奥から声をかける。


「わかったー。じゃ、タムさんの横、開けとくね」

麗子は椅子に手をかけながら、ちらっと田村を見て口元をゆがめる。


「……てか、タムさんの隣にいると、頭、ひっぱたきたくなっちゃうんだよね」


「お、ひっぱたいてくれていいんだぞ! 麗子ちゃんなら大歓迎だ!」


「ふふっ。あのねー、『ただ』じゃやらないの。いぢめて欲しけりゃ、お店来て!」


「そりゃ勘弁!」


田村が両手をあげると、周囲からもくすくすと笑いが起きる。


小春は奥からグラスを運びながら、そのやりとりを少し不思議そうに聞いていた。

けれど、すぐに笑顔で会話に追いつくように、静かに輪のなかへ戻っていく。


小春は、ふと麗子の横顔に目を奪われていた。

もちろん美人だというのもある。けど、それだけじゃない。

声の出し方、笑い方、目の奥にあるなにか——


(……素敵な人)


気づいたときには、それを小さく口にしていた。


「ふふ、だよね」

愛子が笑う。

「前にここで働いてた人だよ。すっごくいい人。お仕事も、すごいんだから」


「そうなんですか? 社長さんとか?」


「ううん、違う。」

「……女王様。」


愛子が、いたずらっぽく目を細めて笑った。


「じょ、女王様……!?」


言葉の意味が掴めず、小春は思わず聞き返す。

愛子は何も言わずに、くすっと笑っただけだった。


小春にはまだわからない世界——そして、愛子も知らない本当の麗子。

「おーい、小春! オーダー取ってこーい」


坂元の声に、小春は肩をびくっとさせて立ち上がる。


「はーいっ!」


オーダー表を手に、テーブルへと駆け出しながらも、

頭の片隅では、まだ「女王様」の意味が、ぐるぐると渦を巻いていた。


坂本も、麗子も、楽しんでいた。愛子や田村のツッコミもほどよく入り、店内はちょうどいい熱気で包まれていた。


水晶のネックレスをいじりながら、麗子が田村をからかったその瞬間——


(麗ちゃん。品のない言葉に気をつけなさい)


アガタの声が、どこからともなく脳内に届く。


(はい、はい)

返事をしながらも、心の中では別のことを考えていた。


(でも、その、『人じゃないもの』って……そもそも今日、来るのかな?)

(ま、でも小春ちゃんって子が魔女って分かっただけでも収穫か)


ビールをグラスに注ぎかけた、そのとき——


ガラガラ。


入口の扉が開いた。


「あ、タクさーん! いらっしゃいませ!」


小春がぱっと声を上げる。


麗子の身体に、走るような感覚が走った。水晶がかすかに熱を持つ。


(……こいつだ! こいつ!)


目の前に現れた男は、ごく普通の服装で、表情も穏やかだった。

けれど、明らかに違う。


(しかも……マジで、宇宙人だ!)


(来たわね。その人ね。ほら、やっぱり宇宙人だったじゃない)


(……まじか……まじで宇宙人……)


その“気配”は人間のものではなかった。なのに、なぜか——


(……でも、なんか……やっぱり……1ミリも恐怖感が無い……)


麗子はじっとその男を見つめた。

(……なんで、こんなやつが……もっとこう……ミステリアスでちょっとイケメンで……)

どこか、少し期待を裏切られたような感覚だった。


拓巳は、小春と愛子に出迎えられてニコニコ顔で店内に入ってきた。


「あ、タクさーん! いらっしゃいませ!」


軽く手を振って応じると、すぐにカウンター奥の麗子を見つけて、あからさまな苦笑い。


「おせーよ、タク!」

麗子がビールを注ぎながら、片眉を上げる。


「ほら、特等席空けといたぞ。女王様とツルピカさんの間だ! ありがたく思いなさい」


田村が「ツルピカ呼ばわりかよ〜」と肩をすくめながら、ニヤニヤしている。


(……全然、怖くない。むしろ……やっぱり、こいつナヨっててイラつく……)


(麗ちゃん、言葉遣い)


(はいはい……)


拓巳は、明らかにし絶望した様子で、引きつった笑顔を浮かべる。


「は、はい……ありがとうございます……」


ぺこぺこと頭を下げながら、麗子と田村の間に腰を下ろす。

拓巳が注文を決めようとメニューを広げているのを横目に、麗子は水晶を親指でなぞりながら、心の内で問いかけた。


(おばあちゃん……この宇宙人、どうする?)


(麗ちゃん、その宇宙人は任せるわ。なんか、“そいつ”は……どうでもいいわ。特に直接の害はなさそうね)


(……“そいつ”?)


(それより……魔女の子が気になるわね……)


(おばあちゃん、言葉……。いま“そいつ”って……おばあちゃんから初めて聞いたかも)


(あら、ごめんなさい。なんだか、“そいつ”、ナヨナヨしててイライラしちゃって。ふふっ)


ほんの少しの間をおいて、


(おばあちゃんが……)

と、麗子は内心でつぶやく。


(タク、お前っていったい……なんなんだ……逆にすごいかも)


拓巳はそれとはまるで無関係な顔で、

「えっと……じゃあ、ハイボールで」

と、のんきに小春に注文していた。


麗子は、グラスに手を伸ばしながらアガタに尋ねた。


(それより……あの子がどうしたの?)


(そうね……多分、その子、自分じゃわかってないけど……何人も、すでに殺してるわ)


水晶がすうっと冷たくなる。


(知らず知らずのうちに呪いをかけちゃってるわね。まあ、それで救われてる人間も多少はいるみたいだし、それは別にいいんだけれども)


(殺しちゃっても……いいんだ)


(あら、それが魔女の性分だもの。しかたがないわ)

少し間を置いて、アガタは声の調子を変えた。


(でも……“無意識に”っていうのが、ちょっと問題ね)


(……問題?)


(それに……もう1人の女の子?おそらく影響を受けているみたいね。しかも、悪い呪いよ。可哀想に……)


(えっ……愛子? 愛子、どうなっちゃうの?)


(……死ぬわね)


麗子はビールを飲み込むのを忘れたまま、口元で止まっていた。


(ちょ、ちょっとおばあちゃん!助けてあげてよ!愛子は!)


(そうね……あまり干渉したくはないけど、考えておくわ)


(“考えておく”って……おばあちゃん! 愛子はダメ!呪いなんかで死なせちゃダメだよ!)


(そんなに簡単じゃないのよ。その子を助けたら、その輪廻が誰かに向いてしまうんだから。呪いって、そういうものよ)


(だけど……)


麗子が、珍しく言葉を詰まらせる。


(……おそらく、原因は“そいつ”ね。多分、その宇宙人の思考が、愛子さんと小春さんのあいだを行ったり来たりしてるうちに、呪いを電波させてしまったのかもしれないわね)


(こ……こいつ……)


麗子の視線が、ゆっくりと拓巳を捉える。


「で、タクちゃんは結局、愛子ちゃんと小春ちゃん、どっちが好きなんだい?」

と田村が聞いていた。


「えぇ~。どっちも好きなんだよなぁ~、選べないですよ~」

と拓巳が答える。


(マジで許せねー……)


ちょうどそのときだった。


「んー……麗子さん、今日、あんまり進んでないですね?」


調子に乗った拓巳が、にへらっと笑いながら麗子のグラスを指さした。


麗子のグラスが、わずかに波打つ。


(おばあちゃん……こいつ、呪い殺していい?)


(お好きにどうぞ)


「てめぇ……殺すぞ! 大体、宇ちゅ……、タクのくせに人間の女に惚れるなざ百万光年はえーんだよ! 」

と言って、おでこをペチンとひっぱたく。

「いたー! き、今日の麗子さん……いつもよりあたり、きついっす〜……」

情けない声で拓巳がつぶやく。


「うるせー! 飲め! テメェは! チビチビ飲んでんじゃねーよ!」


グラスをガン、とカウンターに置いて、麗子はイライラを隠そうともしなかった。


そのとき。


(麗ちゃん、コレ)

アガタの声とともに、水晶がふっと淡く光る。


麗子がそっと指をあてると、表面に小さなゴマ粒のようなものが、ぽつんと浮き上がった。


(なにこれ?)


(あなたにかけた呪いと同じよ。その小春ちゃんに施してあげて。ちょっとつけるだけでいいわ)


(え? あたしと同じって……力を抑えるやつ? え、え? ヘビじゃないの!?)


(そうよ。別にヘビなんか刻印しなくても、それで充分よ)

(麗ちゃんはヘビ好きかと思って、凝ったデザインにしてあげたのよ。ふふ)


(……勘弁してよ……おばあちゃん……こんなホクロみたいなのでよかったの? あたしも、コレがよかった……)


ブツブツ言いながら、さらに拓巳に当たりが強くなる麗子だった。


(やっぱ殺そう……マジで……)


その“ホクロ”は、驚くほど簡単に施せた。

忙しない店内の隙をついて、小春の肘のあたりを指でちょこんと触れただけ。


それだけで、麗子にはわかった。あ、小春の力が、ちゃんと抑えられた。


(……とりあえず、これで様子を見ましょう)

(その子がどう成長するか、どうなりたいかは、麗ちゃんが見極めてあげて)


(……わかった)


(あとは……その宇宙人。カエルにしようが、虫ケラにしようが、火あぶりにしようが、麗ちゃんにまかせるわ。ほんとに、気色が悪いわ、“そいつ”)


(了解! コイツ……どうしてやるか……)


グラスを一気に飲み干す麗子の視線は、隣の拓巳に向けられていた。


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