7.

「わたし、チャグムとバルサの境遇が、重ねて描かれてるのがいいなって思いました」


 月上の緊張したような声が部室に響き渡る。


「ふたりの境遇には時間差があります。すでに自身の過酷な運命を受け入れつつあるバルサに対して、チャグムはいままさに試練にさらされている最中です。そんなふたりの立場が並行して描かれているところに、わたしは人の成長というか、人生の流れが表現されているように感じました」


 テーブルを囲む面々の真剣な視線が月上に注がれている。少女の指先が机上でレジュメの端を握っているのを、おれは目の端で捉える。


 連休を翌日以降に控えた金曜日の放課後。月上が文芸部の部室に見学に訪れた日から、ちょうど二週間が経っていた。


 新学期最初の読書会の課題本は、上橋菜穂子の『精霊の守り人』。まず、担当者の物集女部長が作製したレジュメをもとに作品について解説し、そのあと参加者がひとりずつ感想を述べていく。新入部員の月上が最後である。


「――それと、物集女部長のハイファンタジー? における世界観の作り方の考察が面白くてすごいと思いました。部長の書いたファンタジーもまた、読んでみたいです。以上です、おつかれさまでした」


 月上が部長に向かって一礼し、温かい拍手の音が室内を包む。


 奥の席で物集女部長が居住まいを正して、


「ありがとう、月上さん。おれの作品なんてまだまだだけど、ぜひ読んでみて、ちょっとでも楽しんでもらえたらと思うよ。ちなみに去年『報久ロア』に載せたやつは、ケルトの妖精伝承をもとに、現代の情報社会の功罪を」

「部長、締めは手短にね。時間も長引いてることだし」

「……はい」


 斧谷先輩から素敵な笑顔を向けられて、物集女部長は一転、要領よくまとめた締めの文句を述べ始める。


「――というわけで、月上さんも初の読書会、おつかれさま。感想など、なかなか筋がよかったと思うよ。今後の活躍に期待だ。それじゃ、前に話したとおり、次の読書会は五月の中頃で、担当は片霧。また課題本の選定、よろしく頼むぞ」

「うす!」

「ではこれで、本日の読書会を終了します。みんな、おつかれさまでした」

「おつかれさまでした!」


 いま一度、大きな拍手の音が鳴り響いてから、一同はいそいそ片づけに入る。


「ふう、これでおれも肩の荷が下りたよ。じゃあこのあとはみんな、恒例の」

「はい、部長!」


 言うまでもない。


 文芸部名物、ボドゲ大会である。


 あらかじめ決めてあったウボンゴ3Dの箱を抱えてきながら、勇晴がうきうきと言う。


「ったく、これが楽しみで出てる読書会だぜ」

「ほう……おれの読書会より、ボドゲをしてるほうが楽しいと?」

「あ、その」

「当ッたり前だろうが!」


 物集女部長は箱をひったくると机上に置き、勇晴以上にうきうきした様子で中身を手際よく並べ始めた。


 例によって月上は、言葉もなく呆れた表情。先ほどまで披露されていた端正な文芸考察との落差に、戸惑っているのかもしれなかった。


 ウボンゴ3Dは、L字型やT字型などさまざまな形のブロックを組み合わせ、指定の立体を作る速さを競うゲームである。プレイ人数は最大四人で、初回は勇晴が見学することになった。


 プレイヤー各々の前にパズルボードとピースがそろい、砂時計がひっくり返される。


「――そういえば、昼にウチの担任の木島先生から聞いたんだが」


 さっそくトップでパズルを完成させて「ウボンゴ」と宣言した物集女部長が、報酬の宝石を袋から取り出しながら言った。


「最近この学校の周囲で、不審者の目撃が頻発しているらしい」

「へぇー、そうなんすか。不審者って、いったいどんな奴なんです?」


 スマホ片手に尋ねる勇晴に、部長は軽く肩をすくめてみせる。


「それがよく分からんのだ。なんでも三十代くらいの男で、とりわけ見た目が不審ってわけではなさそうなんだが、敷地の周りをこそこそうろついてるのを近隣の住民が何人も見かけてるんだと」

「目的や正体がはっきりしないってのは不気味よね。気をつけないと。ウボンゴ!」


 斧谷先輩が上がり、残るはおれと月上だけになった。


「木島先生に、おまえも危ないことや変なマネはするなよって、やけに念を押された。そんなにおれって素行不良に見えるか」

「まあまあ。物集女くんひとりがっていうより、わたしたち文芸部を気にかけてるのよ」


 おれと月上が相次いで「ウボンゴ!」と宣言し、第一ラウンドは終了、次のパズルボードが配られる。


「確かに。特に去年は百城部長が暴れ回ったからな、いろんな意味で。ウボンゴ」


 第二ラウンドが始まるや、部長がさらりと宣言する。相変わらず強い。


「否定できないわね。ほら、去年の夏休みの肝試し、あの話もだいぶ校内で広まってるわよ」

「まじか。どこから漏れたんだ」

「ウボンゴ! あの、肝試しってなんですか?」


 月上の質問に、部長は返答に詰まった様子で苦笑を浮かべた。


「……肝試しっていうか、空き家探検だよ。幽霊が出るって都内で噂になってた屋敷に、夏休みの夜にみんなで忍び込んだわけさ」

「そんなことしてたんですか」

「前の部長の発案だよ。正直おれは気が進まなかったけど」

「嘘はよくないっすよ、部長。屋敷の中で史也とはぐれたとき、チェンジリングだってノリノリだったのはどこのどなたでしたっけ。なあ、史也」

「……あ、ああ」


 勇晴に話しかけられて、おれはとっさに返事が遅れた。


 心臓の鼓動が早い。直前まで頭の中で描いていた「ウボンゴ」宣言のための道筋もすっかり霧散してしまい、指先はピースをつまんだまま、ぼんやりと宙を漂っている。


「肝試しはちょっとアレだけど、今年もなにか夏っぽいイベントはやりたいわね。ウボンゴ!」

「そうだな。定番だが花火とかどうだ?」

「おォ! 火遊びっすか」

「わざわざ危ない言い方をするな」

「フフ、月上さんにも、文芸部流花火ってやつを教えてやんよ」

「もう嫌な予感しかしないですね」


 流れるように話題は移り変わっていき、肝試しの話を蒸し返すことももはやできなくなった。藤沢という屋敷の元住人の名前を出して、月上の反応を窺いたい気もしたが、そのチャンスを逸してどこかほっとしているおれもいる。


 ボードゲームに熱中しているうちに時間は過ぎていった。


「――部長。そろそろ〈たこよし〉が開くころじゃないですか」


 六時の間近を指す壁かけ時計を見やり、勇晴が進言する。


 物集女部長も彼の視線をたどって、


「おっ、そうだな。名残惜しいが、後片づけに入るとしよう」


 今日は月上の歓迎会も兼ねて、部の行きつけのたこ焼き屋で夕食をとることになっていた。


 部員たちが机上の片づけを始めるなか、おれはそっとテーブルを離れる。


「すみません。おれまだ上履きのままだったんで、昇降口に履き替えにいってきます」


 目的の店は学校の裏門近くなので、昇降口から出ると回り道になるのだ。


「おう、行ってこい」

「……あ、わたしも上履きのままだ」


 自分の足を見て声を上げる月上に、おれは呼びかける。


「じゃあ、月上も一緒に行こうぜ」


 部室棟から校舎に移ると、途端にひと気が消え失せた。


 ひっそりとした廊下に、ふたり分の足音だけが響く。窓の外に広がる空は、オレンジと紺が入り混じった複雑なグラデーションを描いている。


 時刻は少し早めだが、こうしているとふたりで校内を歩いたいつぞやの夜を思い出す。


「いやあ、予想した以上に月上が馴染めてそうでよかったよ」

「子供っぽいノリには、ちょっとついていけないとこもありますけどね。まあ、優しい先輩方だとわたしも思いますし」


 月上は苦笑を見せながらも、まんざらでもなさそうな様子だった。


「あの、牧野先輩。どうして、わたしをこの部に勧誘したんですか?」

「んー? だから、何度も言ってるだろ。月上に文芸部員として資質を感じたからだよ」

「そういうてきとうな理由はいいですから。そろそろ教えてもらってもかまわないでしょう。わたしを誘った、牧野先輩の真意を」

「…………」


 白を切り通すことは可能だった。が、いずれは立ち入らなければならない話だ。とはいえ、正直に打ち明けたところで到底、信じてもらえる話でもない。


 果たして、どう説明したものか。考えあぐねた結果、


「……月上は、幽霊って信じるか?」


 出てきたのは、これはこれで迂遠な問いかけだった。


「はあ? 幽霊? なんですか、それ。もしかして、さっきの肝試しの話と関係あるんですか」

「いや……そういうわけでも、ないことはないというか……なに言ってんだろうな、おれ」


 いっそはっきりと撤回しようと思ったとき、ぽつりと月上が聞いてきた。


「幽霊っていうのは、要するに、死んだ人と会えるか、ということですか」

「……まあ」

「それなら、信じるかどうかとは違いますが、幽霊になって会いにきてほしい人はいます」


 遠いまなざしを浮かべる月上の横顔を、おれは見つめる。


「……月上はどうして、幽霊になったその人と会いたいんだ?」

「会って、伝えたいことがあるんです。いえ、いまはまだ無理ですけど。自分でもうまく言葉がまとまってなくて。わたしはあのひとに謝りたいのか、あるいは、その……」


 懊悩するように、月上はわずかに眉をひそめる。


「……悪い、言いづらいことを聞いたな」

「いえ……」


 それっきりふたりとも言葉はない。


 窓の外の夕闇が少し濃くなったようだ。


 やがておれたちは昇降口にたどり着き、それぞれの学年の靴箱へと別れる。


 ようやく開け慣れてきた二年生の靴箱の戸に手をかけたとき、背後の一年生の列から「あっ」という月上の声が聞こえてきた。


「どうした、月上」


 おれが隣の列をのぞくと、彼女は開きっ放しの靴箱の前で身を屈め、一枚の折りたたまれた紙片を拾い上げるところだった。どうやら戸を開けた拍子に、靴箱の中から落ちたらしい。


 最初、古典的なラブレターの受け渡しかと思って身を引こうとした。しかし、すぐに紙切れだけむき出しは少し不自然だと考え直す。


 月上は何気ない調子で紙片を開き、表面に視線を落として――その表情が凍りついた。


「おい、月上」


 呼びかけるが、返事はない。


 かっと見開かれた双眸のなかで、激しい怯えの色が揺れている。


 予感に衝き動かされ、おれは彼女のもとに歩み寄った。そして、A4ほどのサイズの紙面を横手からのぞき込む。


 そこには黒々としたゴシック体の文字で、縦書きの短い文章が記されていた。


  月の船は再び出航した

  海洋を統べる姫君よ

  真なる裁きのときに備えよ

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