第3章 冬野の呼び声
風は、白いものを運んでくる。
それは雪であり、思い出であり、かつて交わした言葉の断片でもあった。
季節がめぐり、冬が野を覆う頃。
わたしは都市を離れ、北東へ続く細い街道をひとり歩いていた。
ふるさとへ――
ただ、その言葉だけを頼りに、風に押されるように歩いていた。
けれど、その道は思ったよりも遠く、ただただ寒かった。
道は、時おり消えていた。
吹きすさぶ雪が轍を隠し、標を奪っていく。
野営の夜、薪は湿って燃えづらく、冷えた干し肉は歯に沁みた。
それでも、歩いた。
帰ればきっと、懐かしいあの道がある。
けやき並木の向こうに、いつかの笑い声がある。
そう信じていた。
けれど、夜の焚き火の前に座ると、その信じる力はとたんに小さくなる。
火は暖かかったが、風がすべてをさらっていった。
その夜も、そうだった。
雪原の外れ、小さな岩陰に身を寄せて、火を囲んでいた。
薪がじゅっ、と音を立てる。
炎がぱちぱちとはぜるたびに、心の奥で何かが応えるように疼いた。
気づけば、目を閉じていた。
夢のなかで、誰かが呼んでいた。
――マーレ。
その声は、やわらかく、遠かった。
年老いた人の声のようでもあり、幼なじみの声のようでもあり、
あるいは、自分自身の声にも聞こえた。
「……誰?」
夢の中で声を出したのか、口の中が乾いていた。
目を覚ますと、火はもう燃え尽きかけていた。
冷気が背中から這い寄り、夜がまたひとつ終わろうとしていた。
わたしは、確かめるように空を見上げた。
星は雲に隠れて見えなかった。
でもその雲の向こうで、あの声の主はまだこちらを見ている気がした。
それが“ふるさと”なのか、“誰か”なのかは、まだわからなかった。
ただ、あの声がある限り、わたしは歩き続けられる気がした。
翌朝、雪は止んでいた。
冷たい風が、どこかで春の気配を含んでいた。
わたしは荷を背に立ち上がる。
地面に残された足跡の上に、新しい一歩を重ねた。
“帰る”という言葉は、まだ形にならなかった。
けれど、あの声は、わたしの中に確かに残っていた。
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