置いてけぼりのマーレ

さわこ

プロローグ

――この道の先に、本当に私の帰る場所はあるのだろうか。

枯れた草を踏みしめるたびに、旅の重さが靴の裏に滲む。

背には小さな荷と、幾度か縫い直したマント。

どこから来たのか。どこへ向かうのか。自分でも答えられない問いが、胸にまとわりついて離れない。

けれど、ただひとつ、たどり着きたいと願っている。

わたしのふるさと、リリエの村へ。

十四の年、わたしは村を出た。

いつも風が穏やかに吹き、季節の巡りに素直な土地。

その静けさを、退屈と感じたのはわたしだった。

知らない土地へ行きたかった。新しい音を聞きたかった。

だから、誰にも告げずに、旅へ出た。

目指したのは、どこか遠くの世界。

だが、そこで待っていたのは、わたしの想像した「自由」とは違った。

人が多く、仕組みが複雑で、言葉は通じても心が通らなかった。

日々は早く、空気は重かった。

どれだけ時が過ぎても、安心は訪れなかった。

帰りたい――そう思ったときには、自分がどこから来たのか、もうはっきりとは思い出せなくなっていた。

名前は、思い出せた。

けれど、それが呼ばれていた場所や、顔や声のぬくもりにつながるまでに、あまりにも遠い。

それでも、ある冬の夜。

火を囲む人々の中で、ひとりの歌い手に出会った。

男は言葉少なに、素朴な旋律を奏でていた。

それは、この世界のどこにも属さないような、けれど胸の奥で響く歌だった。

草木のそよぎや、石の下に眠る虫の声のように。

そのとき、確かに思った。

――帰ろう。

道が続く限り、わたしには帰る権利がある。

誰も奪うことはできない。忘れかけていたとしても。

そうして、わたしは再び歩き出した。

やがて見えてきた村の輪郭。

けやきのような枝ぶりを持つ、大きな木。

記憶にある家並み。水の音。空の匂い。

ここだ、と確かに思った。

でも――誰も、いなかった。

人の声はなく、門は開いたまま、庭の草は伸び放題だった。

いくつかの家は崩れ、誰かがいた気配は、時間の中で風化していた。

わたしが帰りたかったのは、場所ではなかった。

あの声と、ぬくもりと、言葉をかけてくれた人たちだったのだと、気づいた。

その人たちは今、どこにいるのだろう。

わたしはまた、歩き始める。

あの人たちの元へ戻るために。

ふるさととは、ひとではないか――と、そう思いながら。

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