第17話 気違い金枝・支配樹ホーライ
リュミエール座・支配人室にて──
(……シー、大丈夫だよね?)
支配人室にひとり残されたルチアはソファの端で体は石のように固くしていた。
背中は丸くなり、足のつま先には力が入り、寒そうに腕をさすっては抱きしめている。
(ユリーシャ、嘘は言っていなかったと思うけど……でも)
どれだけ言い聞かせても不安は薄れない。
先ほど視た舞台上に立った劇団員全員の色──まるで均一に塗りつぶされた異様さが何度も脳裏によみがえる。生きている人間があんな色をしているはずがない。
(それにユリーシャの態度も引っかかる)
色は嘘をついてなかったが、支配人室を出ていく直前のユリーシャはどこかおかしかった。そして気になることが一つ、いや、二つ。
(なんだろう、アレ)
薄っぺらな色が彩る支配人室のなか、黄金の輝きがルチアの瞳をかすめる。
部屋の隅の近く、ユリーシャが教えてくれた書斎机あたりでその輝きは異彩を放っていた。ルチアにとって金色とは優しさだが、いつもは温かく包み込むようなきらめきは輪の形をしている。
(ところどころ角ばっていて変なカタチ)
“今の”ルチアには“理解できていない”。
ゆえに説明できないものの、その黄金はいくつもの小枝が重なって編まれたような冠だった。黄金の枝の冠は五つの宝石──青宝玉、紫宝玉、水晶、真珠、そして紅珊瑚が丸くて可憐な果実のように艶を放っている。
普通であれば黄金と宝玉の美しい瞬きに目を奪われるところだが、
(ちょっと怖い……)
ルチアは肩を縮こませるばかりだった。
それもそのはず。ルチアにとって視認できる世界とは色彩にあふれた地図──そうではない風景は異世界でしかない。診療所が襲われた際、相手の魔法を逆流して垣間見えた世界と似ているが、それはそれ。
何とも言えない恐怖に体をこわばらせるルチアだったが、問題はそれだけではない。
(気のせい、じゃないよね)
外に誰かが立っている。おそらく見張りだろう。二人分の灰色が霞となって、扉の隙間から室内へ忍び込む。警戒。見張り。まるで自分が逃げ出すのをふせぐような圧迫感が胸にのしかかる。
(やっぱり私もシーと一緒に行けばよかった)
そう自分を責めた、その時──
「ん?」
ルチアの顔が上がる。何やら外が妙に騒々しい。
喧噪。悲鳴。何かが壊れる低い衝撃音。遠くから不穏な音が反響してくる。
「なに……?」
立ち上がって用心深く、扉に近づく。かすかな物音は耳を澄ませなくても誰かが誰かと争っているとしか思えない音へと変わっていった。
ルチアは息を吞みながら後ずさる。心臓が痛いほど早鐘を打ち、足が震える。逃げなきゃ。隠れなきゃ。でも──動けない。そして、
「だらっしゃあ! ここかあ!?」
「ひゃあ!?」
少女の怒鳴り声とともに扉が爆ぜた。
目の前で横切った音の衝撃に固まっていた足もろとも、ルチアの体は驚きのあまり飛びのく。そして、
「あん? オマエは……」
部屋に入ってきた声の主を見て、ルチアは絶句する。
現れたのは赤、灰色、そして青みがかかった灰色──怒りと警戒と恐怖が揺らぎ、収縮し、周囲にまき散らす。けれどルチアを黙らせたのは
「え、ええっと」
ふわふわと浮いているボロ外套だった。
一言であらわすなら焼け焦げた布が色を隠すようにうごめている。あまりにも異質すぎてルチアは呑み込めずにいた。
そんなルチアの耳を声の主──キクカは引っ張るように尋ねてくる。
「灰色の髪に盲目……見破り屋のルチアっていうのはオマエか?」
「う、うん、そうだけど」
「──嘘じゃないみたいだな。じゃあ次、オマエの連れはどこにいる?」
「わ、分からない。私はここに置いていかれたから」
「──これも嘘じゃない、ときたか」
とボロ布が腕を組む。
声は相変わらず荒っぽいが、灰色が常にただよっている。緊張、もしくは用心だろうか。意外と慎重な人物かもしれない。
(それに淡い青緑色が灰色の奥でちかちか瞬いている)
たしか青緑色は“家族愛”、情けが厚い人によく見かける色だ。
このボロ布さんは悪い人じゃないかも──そう思いかけたところで、ふと気づく。今の会話、何かおかしくなかったか?
「あの、どうして私が本当のことを喋っているって」
分かったの?
と言いかけようとした瞬間──
「あ……」
「あん? どうした?」
「扉の前に誰かが近づいてくる──」
扉の前にいた見張りはすでにいない。翡翠色が床に広がっていることから気絶もしくは眠ったのだろう。そのかわりに音もなく迫ってくる色は──赤灰色。戦意の色だ。
「チッ、軍部め! こういう時に限って手際がいい!」
キクカは叫ぶや否や、布を激しくしなやかに出入口へと伸ばす。
廊下にあらわれた赤灰色は一瞬たじろぐ。ルチアもまた遅れてぎょっとした。
「な、なんでここが襲われているの?」
戦意の色はスラムで何度も目にしている。
しかし音もなく突入してきた戦意には
(私は──私たちは一体、何に巻き込まれたの?)
考えも気持ちも錯綜し、まとまらない。それでも本能が生き延びようと状況を分析する。が、逃げようにもここは地下、窓から外へ飛び出す真似はできない。くわえて、
「クソが、よりにもよってテメェかよゲイル!」
「それはこちらの台詞だ。女子供が鉄火場に立つな」
空気がくすぶっている先──おそらく粉塵のせいだろう──、支配人室の出入り口とその周辺の廊下では激闘が繰り広げられている。
ボロ布が火のように荒れ狂い、人影を拘束したかと思えば、武器を奪って手加減なしに投げつけていた。上下左右の縦横無尽な暴力、けれど──
「何なら得意の火で燃やしてきてもいいぞ」
「煽んじゃねェよ、できるかっ!」
そのなかで一人の錆茶色(後悔)の影がボロ布の動きに合わせて──いいや、ボロ布よりも自在な軌道で壁や天井を駆け巡っている。
ジャラリ、ドン。パシュ、ジャラリ。どこか規則正しい金属音とぶつかり合うような打撃音、そして影の動きからルチアはパッと閃いた。
「鎖で調度品を引っかけながら義足の跳躍でとにかく動いている……?」
あるいは壁や天井に鎖の先端を打ち込んでいるのかもしれない。
いずれにせよ人間離れした応戦だ。反射的にルチアの足は一歩二歩と下がっていく。
(そういえば、えっと……ボロ布さんは『軍部』とか言っていたっけ)
軍部。その言葉にようやく血の気が引いた。
最悪だ。かといって外へ逃げる道はない。
(わ、私、どうすれば……!)
怒号。衝撃音。眼前で炸裂する戦闘音が耳を麻痺させていく。
理解できない出来事が重なり、思考もかき乱される。どうする、どうすればいい──そう思った時だった。
「えっ──」
見覚えのある金色が視界を横切る。
金色はまるで誰にも気づかれていないかのように混戦の隙間をすり抜け、支配人室へあっさりと滑り込んできた。
空気が揺れる。湿った獣のにおいがただよう。けれどルチア以外、誰も気にしない。
「……あの」
ルチアはおずおずと声をかけるが、金色はひらひらと手を振り、部屋の奥──黄金の冠へ向かう。
そして持っていたらしい荷物から小さなものを取り出す。それを冠に向ければ、ジュッと肉を焼くような音とともに嫌な金属臭があふれ出した。
(溶かしている?)
なにを、と考えたところで、
(もしかして……金庫?)
とルチアは思い至った。
考えてみればあの位置はユリーシャが教えてくれた書斎机と被っている。
(本当に何が起きているんだろう)
まるで屋根の上にさらわれて、そのまま置き去りにされた気分だ。
理解が追いつかず、半ば思考が停止しかかったルチアは見ているしかできなくなっていた。だから、
「ごめんね。ほんの一瞬だけでいいから、じっとしてて?」
「え……?」
いつの間にか金色が近づいており、黄金の冠を被せようとする行為にも目を瞬かせるしかない。しかもその声が思いもよらぬ人物──エリザの声なら尚更だ。
「気違い金枝・支配樹ホーライ……大丈夫。あなたほどこの【遺産】に合う人間はいないから」
透明な指先が、黄金の輝きが、ルチアの頭にそっと触れる。
とたん、
「ッ……!」
ルチアの視界が白に弾けた。
同時に何かがカチリと噛み合う──そんな感覚だけが鮮明に残る。
「なんだと!?」
ようやく異変に気づいたキクカの張り上げた声がどこか遠い。
意識がかすむなか、ルチアの頭上で冠がゆっくりと持ち上がり、ひとりでに回転し始めた。五つの宝玉がそれぞれ脈動し、清らかな光を輝かせて一つの光輪をつくる。
「あ──」
その光輪に導かれるようにルチアの体がふわり、と浮遊した。
言葉にならない。世界が純白に呑まれて広がっていく。こんなにも白い世界をルチアは知らない。せいぜい希望や無感情といった白に近しい色は見たことがあるものの、こんなにも圧倒的な世界があることさえ想像すらしていなかった。
(なんだろ、今ならもう少しだけ深く──深く──)
視れそう。
刹那、ルチアの眼差しが出入口へと向けられる。
視線を注がれたキクカとゲイルは同時に凄まじい怖気に襲われ、叫ぶ。理解はできない、ただ本能が警鐘を鳴らす──アレはヤバい!
「くそったれ!」
「全員、撤退!」
次の瞬間、キクカは火衣ヒネズミを燃え上がらせてルチアへ突っ込ませる。
一方のゲイルは義足の出力を最大にし、壁と天井を跳びながら部下へ退避を命じた。
だが、
「──」
ルチアからあふれた光が速かった。
負けないという意思よりも、危険を察知した逃走よりも、ずっとずっと。
(続く)
スチームハートは譲らない 辰巳しずく @kaorun09
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