第11話 なんて優しい色

 体当たりするように裏口の扉を飛び出すと、くすんだ空気が全身を包み込んだ。

 直後、ルチアは足を止め、光が宿らない瞳で銀糸の行方を追いかける。肺に流れ込んだ煤に咳き込みそうになったが、モタモタしていられない──背後から迫る足音はまだ響いているのだから。


「こっち!」


 震える膝を叱咤しながら石畳を蹴り上げた。

 視線の先には不信感と絶望がへばりつく路面や壁──灰色がかった茶色と濃藍が揺れている。その間をかき分けるようにルチアは光の筋を追いかけていく。


(大丈夫……! 見えてる、見えてるから……!)


 焦るあまり、滑りかける。それでも銀糸を見失わぬように瞳を凝らした。

 糸はまるで生き物のようにうねっていたが、突然大きく跳ねる。かと思えば、糸の先端がスルリと自分たちを横切ろうとした──ジゼルを操るのを止めた!?


「待って……!」


 声が裏返る。とっさに糸に指先を伸ばし、掴み取るように触れた。

 瞬間、ルチアの視界が極彩色に爆ぜる。黄色、灰白色、錆色、深緑──火花のような色彩の奔流が頭蓋を突き抜け、意識を押し流す。足元すら崩れるような感覚も襲ってきた。


「──ッ!」


 頭が割れるように痛む。

 だが悲鳴を飲み込み、意識を必死につなぎとめる。そして──


「な、めるな……!」


 糸をたぐり寄せ、ありったけの感情を糸に叩きつけた。

 とんでもない衝撃のおかげで恐怖も困惑も吹き飛んでいる。だからこそ大胆になれる、そう──


(繋がっているなら、逆流もできるはず……!)


 相手の魔法の仕組みは分からない。

 けれど手がかりはある。感情を失くしたはずのジゼルに宿った色、糸を通して自分に流れ込む誰かの感情──それらを踏まえると、この魔法の操り糸は対象と使用者を同調させているとしか思えない。


(これは直感でしかないけど──)


 だったら逆流させれば、同じ現象を相手に与えられるはずだ。

 現に掴んだ銀糸は嫌がるように暴れ回っている。だがルチアは手を放さず、感情を次々とぶつけ続けた。脳がきしみ、眼球に激痛が走っても──


「ッ……ぅあああああッ!」


 叫びとともに銀糸が声なき悲鳴を上げる。

 たちまち空気が震え、ルチアの意識は糸を伝ってありえない速度で駆け抜けていく。次の瞬間、視界に流れ込んできたのは見たこともない光景だった。

 見知らぬ街並み、灰色の空、そして眼下に広がる路上を駆ける少女とそれを追う二人の男女──。


(あれは)


 その光景を理解する間もなく、ルチアの視界が元に戻る。

 同時に鼻の奥からぬるりとした感触があふれ、膝がガクリと崩れた。転ばないように石畳に手をついたものの、頭痛が酷く、滴る鼻血を拭うことすらできない。


「ルチア!」


 背後から焦った声が駆け寄る。シーだ。

 かたわらにしゃがみ込み、鉄の腕で体を支えてきた。大丈夫。そう言いたかったが、かすれたうめき声しか出ない。

 おまけに視界もぼやけているが、それでも銀糸が消えたことには気づいていた。


「だ、大丈夫……つながった、だけ……それよりも、屋根の、上を……」


 指をさそうとした視界に屋根の上でふらつく影が映る。黄色、灰白色、錆色、深緑──ジゼルに宿った色と同じだ。


「あそこか……!」


 瞬間、よろめく影が明滅する。


「……え!?」


 痛みも忘れてルチアは唖然とした。

 轟音。耳を裂くような金属音と風圧とともに影は宙へ射出される。まるで見えない巨人に殴り飛ばされていくように影は跳躍を繰り返し、あっという間に建物の向こう側に消えてしまった。


「今のは……」

「【シジル・ドライブ】ね。イイ足を持っているじゃないの」


 息を切らせながらエリザが呟く。

 少し遅れて追いついた女医にシーは「なんだそりゃ?」と尋ねた。


「あいつ、金属の筒を背負っていたでしょ? アレが【シジル・ドライブ】、難しい説明を省くと短い跳躍飛行を可能にしてくれる推進装置よ。あの金属の筒に魔方陣が刻まれていて、それが回転炉になってるのよ」

「だからあんな爆音か」

「そう。だけど見ての通り、空へ無理やり飛ぶ代物でもあるのよね。熟練者でなければ地面に叩きつけられるわ」


 短い沈黙ののち、シーは重い息を吐き出した。


「結局、逃げられたってことか」

「脅威は去ったって考えましょう。少なくともジゼルはもう動いてないわ」


 と言いながらエリザは踵を返す。


「私はジゼルを診てくるわ。あなたはルチアを看てちょうだい。その子、いざという時のためにとっておきのポーションを持ち歩いているはずだから」


 いや、それはちょっと待ってほしい。

 ルチアはそう喋りたかったが、肝心の舌が回らなかった。その間にもエリザは立ち去り、シーが無言でルチアの肩を抱き寄せる。

 そしてぎこちない指先が腰のポーチにおさまっていた小瓶を取り出した。


「これか」


 小瓶の硝子が鳴る。

 とたん、鼻血でふさがれてもただよってきた薬草の匂いにルチアは顔を背けた。


「飲め」

「だ、だめ……それは、シーのために……」

「どう見ても必要なのはお前のほうだろ」


 シーは短く言い放つと、強引に瓶の口を唇に押し当てた。


「ング──」


 小さな隙間から甘ったるい液体が舌を通って喉へと流れ込む。

 すると痛みが和らぎ、視界が澄んでいく。瓶が離れる頃には鼻血も止まっていた。


(まさか一年モノを自分で使うなんて)


 ポーションは熟成すればするほど力を増す特性を持っている。

 たとえば飲用型の治癒ポーション。作成した直後なら体力を回復する程度の力しかないが、一週間もすれば小さな傷を治せるようになるのが分かりやすいだろう。


(といっても依存や中毒の危険もあるけど)


 だからこそ、いい加減シーの治療をポーション頼りにしたくないのだが。

 そんなことを思いながらルチアは鼻血を雑にぬぐいつつ、シーを見上げた。


「……ごめん、心配かけた」

「……別に」


 素っ気ない声色に反して翡翠色が波打つ。

 その穏やかさに目を細めた刹那──ルチアは気づいた。

 シーの下腹部を中心に鈍い桃色と濁った黄褐色、そして暗い紫色がにじんでいることに。


「シー?」


 思わず問いかけた瞬間、鉄の腕が震えた。

 シーの呼吸が荒くなり、歯ぎしりが漏れる。


「い、やだ──」


 押し殺せない熱い吐息がこぼれていく。

 その間にもシーの下腹部に血管のような模様が浮かび上がった。ふと密着した体に不自然な膨らみを感じる。

 薄い皮膚の下で脈打つように何かが蠢いているのが、服越しでも伝わってきた。


(これってまるで)


 妊婦さんみたい、と思った直後、衝撃とともに体が宙に浮く。

 シーに突き飛ばされた。それに気づいたのは石畳に転がり、すりむいた痛みでうめいた後だった。


「なにが──」


 声を上げながら起き上がろうとするよりも早く、シーは路面に両膝を突き、腹をおさえてうずくまる。その口の端からは泡立つ唾液があふれていた。


「ッ、あ゛ああああッ!」


 咆哮。シーの腹部の上に青白い円環が輝く。

 その輝きとともに幾何学模様の中心が裂け、粘液をまとった塊がズルリと這い出してきた。ケロロ、と奇妙な声を上げて飛び跳ねるソレは煤の匂いに混じって湿った獣臭を立ち上らせていく。


「はぁー、はぁー……!」


 吐き出された怪物が路上に叩きつけられると同時に、シーの腹部は嘘のように平らに戻った。今は肩を上下させながら、喉をひゅーひゅーと鳴らしている。


「シーから、生まれた?」


 ルチアは息を呑み、小さな怪物とシーを交互に見た。

 やがて無邪気に跳ねる怪物を──不気味な蛙をじっと見つめながらこう呟く。


「……なんて優しい色」


(続く)

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