第4話 治らないもの


 治癒ポーション、それは対象の魔力と連動し、自己治癒力を高めることで傷口を塞ぎ、出血も止める。


 調合次第では骨折の回復はもちろん、毒の中和も可能。

 そのため突然起こった魔法の暴走──【大災厄】によって魔法に関する代物が疎まれるようになった現在でも、医療品の代替え品として重宝されている。


 けれどその治癒ポーションには大きく三種類に分けられるのはあまり知られていない。

 一つはルチアが渡してきた飲用型で、最も一般的だ。もう一つは注射型で、これは肉体を機械に変える時に役立っている。そして最後のひとつが──


「失礼するよ」


 少女の手のひらに赤い瓶の中身が垂れていく。

 指をきっちり閉じた手の中にある程度赤い液体が広がると、少女は空いている手の指先にその液体をつけた。

 そしてそのまま露出した義手と生身の接続部に触れる。赤く変色したつなぎ目にそっと冷たい感触が撫でた瞬間──


「……っ」


 息を呑む。直後、体が意思に反して跳ねそうになった。

 そこからジワリと広がりそうになる熱を振り払いながら、シーは目を細める。


「……下手くそ。拷問でもしているのか?」

「違うよ。これは看病って言うんだよ」


 少女は淡々と言いながら治癒ポーションを傷口の輪郭に沿って丁寧に塗る。

 さすがに注射型はないらしいが、それでも火傷や切り傷などに効く塗布型の治癒ポーションまで手元にあるのは驚かされた。


 肌に直接塗りこむ塗布型は最も繊細な調合が必要とされる。それでも飲用型より再生効果が高く、注射型の代用になりうるほどだ。


(もっとも俺には無意味だがな)


 シーはかすかに息をもらす。

 どれだけ治癒ポーションが痛みの芯にまで沁みても、シーの体には受け付けない。

 遠い昔に──旧王国が滅んだ夜に変わり果てていたのだから。


(こいつもさっさと飽きて捨てればいいのに)


 あの路地に捨てられたやつらは皆、死ぬ。

 いや、死なせてもらえればマシだった。


 だからあの時の俺もそうなるはずで、それで全てが終わるはずだったのに——


「……なんで、俺だったんだよ」


 少女は何も言わない。

 ただ濡らした布を首筋に置き、シャツを脱いであらわになった肌を拭いていく——ああ、イライラする。

 その澄ました態度も、見えずとも感じ取れるだろう傷だらけでデコボコした醜い肌を優しく触れる指先も!


「なんで俺なんだって訊いてるんだよ」


 つい声が荒くなる。

 感情を押し殺すことに慣れたはずの喉が、勝手に動いた。


「……」


 そこでようやくルチアは手を止め、こちらを向く。

 その顔には驚きも恐れもない。ただ静かに凪いでいた。


「シーの色に見惚れた。それだけだよ」

「ハッ——」


 感傷でも、憐れみでもない。ただの事実。それが、かえって頬を引きつらせた。


「……面白い目だな。気に入らん」

「何とでも。本当のことだもの」

「……バカだろ、お前」

「よく言われる。でもそれで生きてきたから」


 なんだ、こいつは。苛立っている自分が馬鹿みたいじゃないか。

 シーは口を閉ざし、背もたれにしている枕に体をあずけ、少女の——ルチアの好きにさせる。


 ルチアはそれを合図として受け取ったかのように、再び布を動かし始めた。

 首筋から肩へ。ゆっくりと丁寧に。

 濡れた布の冷たさが気持ちいい。けれど同時に——少女の慎重な手つきがくすぐったかった。


「……お前は」

「うん?」

「お前は、お前が言う色が綺麗なら誰にでも触れるのか?」

「んー……それはないと思う」

「何故、断言できる」

「だってシーの色は、消えなかったから」


 その言葉に一瞬だけ呼吸が止まった。


「みんな、すっかり消えてしまうの……恐怖も、怒りも」


 淡々とした口調が続く。


「でも、あの時のシーは違った。きっと今も、何かが残ってる」


 ルチアの声は相変わらず平坦としている。

 だからこそ言葉に重みがあり、くすぶってよどんだ胸の底をかすかに引っかいた。


「だから放っておけなかったんだ。たぶんそれだけ」


 変わり者め。

 そんなあざけりの言葉は喉まで上がったが、結局、吐き出すことはできなかった。

 かわりに長い沈黙がおとずれる。ただ布と皮膚がこすれる音だけが小さく室内に満ち、やがてルチアは布を桶に戻した。


 そしてスープの皿などを両腕に抱えて、部屋を出ようとしたところで——


「ねえ、シー」

「……なんだよ」

「感情が見えるって便利に思えるかもしれない。でも、ほんとは——」


 一瞬、言い淀むようにルチアは唇を噛んだ。

 それでも口を開き、ゆっくりと続ける。


「……ほんとは、見たくなかったのかもしれない。この目のおかげで生きてはこられたけど……でもみんなの色って、あまりにも……」


 そこでルチアは首を横に振った。


「ごめん、変なことを言った——おやすみ」


 と言ってルチアは器用に体ごと使いながら扉を開け、部屋をあとにした。 


「……バカなやつだ」


 何となく部屋を見渡す。

 拾われてから一週間、そのほとんどを眠って過ごした部屋は奇妙だ。

 家具は同じ壁に並べられ、床には別々のカーペットが敷き詰められている。

 いっそ病的とも思える妙な間取り。それが目が見えないための工夫であるのは、ルチアと接するうちに分かったことだった。


 家具を同じ壁に並べるのはなるべく体をぶつけないため。

 別々のカーペットを敷き詰めているのは足を踏みしめた感触でその場を確かめるため。


 まったく、ゴミ相手にここまで尽くすなんて——


「……どうかしてるぜ」


 静かに目を閉じる。

 癒やされたわけじゃない。

 痛みが消えたわけでもない。


 それでも、ほんの少しだけ。

 沈んでいたものが、わずかに浮かび上がるような気がした。


 その感情がどういう名前を持つものか、思い出そうとしたその時だった。


「おーす、邪魔するぜ。いや、もう邪魔してるか」


 軽薄な声とともに扉が開く。

 瞬時にシーは身構え、軽い口調とは裏腹に全く目が笑っていない来訪者を油断なく見据えた。


「カイ、だったか」

「おー、覚えていたか。会ったのはだいたい一回、二回だっつーのに」

「……何の用だ」

「そうカリカリすんなよ。ルチアのかわりにここまでお前を運んだのはオレなのよ?」


 警戒を強めるシーに対し、カイはヘラヘラ笑いながら歩み寄る。

 そして持っていた包みをベッドに放り出した。


「……これは?」

「お前の服。マダムからで、ルチアと一緒に仕事してこいってさ」


 シーは黙って包みを手に取る。服の入った包みは重たかった。

 重さからして中身は厚手のコートだろう。軍用の払い下げだろうか——無骨で、戦いを思い出させる感触だった。


「……仕事って、なんのだ」

「知らねーよ。詳しくはルチアに聞きな」

「チッ……」


 カイは肩をすくめた後、ふと何かを思い出したように付け加える。


「あー、そういやマダムが言ってたな。感情がどうのこうの……女優が壊れたとかでよ」

「女優?」

「なんかよく知らねーけどエリザの診療所も口にしてたな……まっ、お前は拾い主に尽くしてりゃいーんだよ」


 意味ありげな言葉を残し、カイは部屋を出て行く。

 後に残ったのは、包みとまだ温かい空気だ。


(……拾い主、か)


 ふと、ルチアの手のひらが脳裏に浮かぶ。

 あの、柔らかくて、温かな何か。


 何を考えているんだ、自分は。

 頭の中に浮かんだ残影を振り払うようにシーは包みを開けた。


(続く)

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