3話 はじめての街

部屋のドアを開けると、まっすぐに伸びた長い廊下が続いていた。壁には洒落た絵画や燭台が並び、床には上等な絨毯が敷かれている。その廊下を抜け、ようやく玄関扉を開けて外に出る。


そこには、言葉を失うほどの光景が広がっていた。


「……すごいな。ミリスって、もしかして……お嬢様なのか?」


振り返れば、背後には堂々たる邸宅が建っていた。高い屋根に、白亜の外壁。細部に至るまで洗練された意匠が施されており、一目見ただけで高貴な出自を感じさせる。


広大な敷地には手入れの行き届いた庭が広がり、美しく刈り込まれた植木や花壇が整然と並んでいる。さらに敷地の入口には、鋳鉄製の立派な門扉が設置されていた。


──明らかに、貴族か王族といった上流階級の住まい。


よりによって、そんな家の主のベッドを占領していたとは。今さらながら、申し訳なさで胸が締め付けられる。


その後、ミリスは街のあちこちを案内してくれた。


石畳の道の両側には活気ある商店が立ち並び、武器屋、魔道具店といった異世界ならではの店に目を奪われる。一方で、レストランや居酒屋のような、前の世界にもあるような馴染みのある店舗も並んでいた。


通りを行き交う人々の大半は人間だったが、耳や尻尾を持つ獣人の姿もちらほらと見える。種族の壁を越えて共存しているようで、会話や取引がごく自然に行われていた。


「ほんとに、にぎやかな街なんだな」


「でしょ? フェリゼア王国って、実はこの都市しかないの。だからこの城壁の中に、いろんな種族や文化が集まってるんだよ」


言われて改めて見渡すと、街を取り囲む巨大な城壁が目に入った。その高さは優に十メートルを超え、まるで都市そのものを守護するかのようにそびえ立っている。


遠くには、荘厳な造りの城も見えた。


「あれが、この国の中心──王の居城よ」


やがて、ミリスが足を止めた場所は一際大きな建物の前だった。


「ここが、冒険者ギルドよ」


「……冒険者ギルド?」


「うん。ここでは、魔術適正値の計測と、冒険者の登録ができるの」


俺がポカンとしていると、ミリスはくすりと笑って言った。


「もしかして……検査の結果も覚えてない感じ?」


「……ああ、全然わからない」


「じゃあ今から測定と登録を済ませちゃお! 他人の測定を見るなんて、そうそうないことだからワクワクする!」


ミリスの勢いに押されるまま、俺はギルドの中へと足を踏み入れた。


内部は意外にも広く、受付カウンターの奥には大広間が広がり、冒険者らしき人物たちが談笑したり、クエストの掲示板を眺めたりしている。


「この歳で検査って、珍しいわね」


受付に並ぶと、女性職員が書類に目を通しながらぼそりと呟いた。


「この世界の人は、もっと若いうちに検査するのが普通なの?」


「そう。魔術の適正検査は生まれた時にするのが普通だし、冒険者の登録も幼少期に済ませるのが普通なの」


16歳の俺が今さら検査して登録するというのは、確かに奇妙に映るのだろう。


ほどなくして、水晶玉と一枚の紙が用意され、受付の女性が促す。


「それじゃあ、水晶に手を置いて。魔術適正の測定を行うわね」


俺が水晶に手を当てると、淡い光がふわりと浮かび、その輝きが紙に移っていく。数秒の沈黙ののち、結果が現れた瞬間──


「……えっ!? な、なにこれ!」


受付の女性が目を見開き、驚きの声を上げる。ミリスもすぐに紙を覗き込んできた。


──────────


登録名 レイ


魔力適正値

【水】1

【火】1

【氷】1

【風】1

【雷】1


冒険者ランク──E


──────────


「レイ、すごいよ……いや、すごいんだけど……」


ミリスの声が、興奮から困惑へと変わっていく。


「この世界の魔術には五つの属性があって、全部に適正がある人なんて、まずいないのよ! 初めて見た!」


「私もよ。長年ここで測定してきたけど、全属性持ちはあなたが初めてね」


──おお、これが俺の才能! と、思ったのも束の間。


「でも……全部“1”って……」


「えっ?」


「適正値は1から10まであって、1っていうのは……初級魔術すら十分に使えるか怪しいレベルなの」


がくっ、とその場で肩を落とした。


“異世界”、“魔術”、“全属性適正”──憧れていたワードに少し胸が高鳴っていたが、現実はあまりにも非情だった。


ギルドを出た俺は、気落ちしたままミリスと再び街を歩く。


「そういえば、俺の冒険者ランクってEだったけど……これって?」


「冒険者にもランクがあるの。Eは一番下。でも、塔に挑戦したこともない新人ならそれで妥当よ」


「塔……?」


ミリスが指差した先に視線を向けると、遠くの森の上に、大きな塔がそびえていた。高さはざっと見ても200メートルはある。

俺はすぐに、さっきまで迷い込んでいたリズナの森だと分かった。


「あれって……俺がいたときは、なかったよな……」


「気絶したあとに、空の裂け目から落ちてきたの。あそこが“E塔”」


「あの裂け目から……塔が?」


信じられない話を、ミリスはまるで当然のように語る。


「塔の中には魔物が棲んでいて、階級ごとに難易度が違うの。E塔はE級の魔物がいる塔。ギルドが結界を張って、魔物が外に出られないようにはしてるけど、魔力が飽和すると塔は崩壊するの」


「崩壊って……」


「そうなると、魔物が街を襲ってくるわ。だから、それを防ぐために冒険者が必要なの」


塔の攻略と、魔力が濃くなった土地で発生する魔物の討伐。それが冒険者の主な仕事だとミリスは言う。


聞けば聞くほど、この世界で生きる難しさが突きつけられる。


「……どうしてミリスはそんなに強いの?」


「剣術学校の試験が、1ヶ月後にあるの。合格すれば王国の剣士隊に入れるかもしれない。それが私の夢なの」


ほんの一瞬だけ、ミリスの表情が曇ったように見えた。


「そうだ、レイって何歳?」


「16」


「えっ、年上!? 私は15」

「ねえ、レイも一緒に剣術学校の試験、受けてみない?」


「いや……俺、適正値1だし、冒険者も危険そうだし……」


危険を察知してそれっぽい理由をつけて断ろうとする俺に、ミリスは容赦なく詰め寄った。


「じゃあ、家は? 生活は? 冒険者も無理で他の仕事もできないのに、どうやって生きていくつもりなの?」


ぐうの音も出なかった。


この世界の常識も知らず、金も家もない俺に、まともな生き方ができるはずもない。


「一緒に受験してくれるなら、お父様に頼んで…私の家に住めるようになるかも…」


──あの屋敷にまた住めるのか。


一瞬、魅力に心が揺れる。

が、それ以上に、今はミリスしか頼れる存在がいない。


「……わかった。やってみる」


「やった! 決まりね! じゃあ、明日から訓練と勉強ね! もう暗くなってきたし、家に帰るよ!」


満面の笑みでそう言うミリスと一緒に俺は再びミリスの家へと向かった。


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