第19話 二柱と采女の朝餉


 猛雄と涙月は、神域に差し込む朝陽に照らされながら、朝餉の膳を前に、厳しい表情で向き合っていた。

 朱塗りの膳には、同じく朱塗りの椀に温かい白飯が盛られていて、白く輝いている。付け合わせてはかぶとたくあんのお漬物だ。奥の長皿には、身の赤い焼き魚と、白だしの卵焼きが乗っていた。鉢に入った刻み昆布とかぼちゃの煮物は丁寧に角が取られて、柔らかそうだ。


 二柱は箸と椀には手を出さない。猛雄は腕組みをして、思案していた。


「奴は何者だ……感じたこともない邪気だった」

「神域で生まれたものは、全て僕たちと何処かで繋がっている。だから、少なくとも何かしら見知ったところがあるはずなのに……」


 涙月が、顎に手を当てて考える仕草をした。猛雄が低い唸り声をあげる。


「あいつが女を狙っているのは明らかだ」


 猛雄の声は、先ほど采女が奪われかけた怒りと、未知の存在への警戒が滲んでいた。

 二柱の視線が、采女に集まる。

 采女は、ホカホカの朝餉を前にして、お味噌汁を啜っている。二柱の表情は、彼女を案じる色が濃い。


「このまま、他の神の元へ向かわせていいものか……」


 采女の顔を見つめながら、猛雄が苦渋に満ちた声で呟いた。采女を守りたいという強い思いが、声音から感じられる。采女は黙ってたくあんに箸を伸ばし、それを金色のそれを摘まんだ。


「そうだね……」


 涙月が深くうなずく。彼ら神にとって、采女は、神と神域を救う唯一の希望で、心を癒して、失われた力を取り戻させた大切な存在だった。

 その彼女が狙われているとあれば、おいそれと危険な場所へ送り出すことはできなかった。

 采女は、黙ってたくあんを齧っている。やがてごくりとそれを飲み下すと、彼女は、箸を置いて二柱の視線をまっすぐ見返した。

 じっと二柱の目を見比べる。


(確かに怖くはあったな……)


 先ほど腕を舐められた感触が思い出されて、ちょっと鳥肌が立つ。

 冷酷なまなざし、歪んだ笑顔、「腕を切って飼う」という言葉。背筋が冷えてくる。お父さんだと思って抱き着いたのに別人だったのも不気味だった。


(でも)


 采女の顔が、朝日に照らされる。


「でも。怖がって立ち止まってちゃ、何の意味もないと思う」


 涙月が目をしばたたかせる。猛雄が目を見開いた。采女の瞳が、ぎらりと輝いた。


「残りの神様の髷を結って、この神域を救うことが、滅茶苦茶になりかけたこの国を救うことになるんだよね?私、忘れ去られたって、大切だった人たちがいるこの国を、ほっとけない。だって……」


 采女は深呼吸し、瞼を閉じて、またぱっちりと開いた。


「だって、この国にいる大切な人たちが大好きだから。その人たちを、大好きな髷を結うことで助けられるなら、こんなにうれしいことはないよ」


 采女の言葉は、強い熱を帯びていた。


「だから私、立ち止まれない。私が髷を結わなきゃ、助けなきゃいけないって思う」


 猛雄と涙月は、采女の瞳に宿る、揺るぎない決意を見た。その瞳の色は、あの荒れ狂う怒りの嵐の中でも、涙の淵の水中でも、決して消えることはなかったのではなかったか。

 二柱は、しばらく沈黙していた。ややあって、猛雄がゆっくりと口元に笑みを浮かべる。


「は、ハハハッ」


 白いギザギザの歯が見えて、彼は声を上げて笑い出した。


「……そうだな、女。お前の言う通りかもしれない。恐れていてばかりでは、何も変わらない」


 彼の顔に、きりりとした決意の色が浮かぶ。涙月が、納得した様子でうなずく。


「采女がそこまで言うなら、僕たちも後には退かない」

「うん!」

「そうと決まれば、俺たちも朝餉を頂こうではないか!」


 猛雄が箸を手に取る。涙月も、箸を掲げて食べ始めた。


 采女も、飯椀を持って米を口に運ぶ。少し固めの米粒は、つやつやしていて、噛むほどに甘かった。

 髷を結えるのは、采女だけだ。


(でも、私は独りじゃない)


 毛羽毛現がいて、涙月がいて、猛雄がいる。共に歩んでくれるのだ。

 きっと、それは、すごいことだ。

 その想いが、采女の心を強く支えていた。


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