私たちは運命の恋に落ちたのですわ -4

 ロアーナの言葉の意味は、食事の席についてすぐに理解できた。


 中年の男性使用人に案内され到着したホテルの一室は、ワンフロア貸し切りのスイートルームだった。

 磨き抜かれた暗い色合いの大理石の床、白い壁と白い柱にはところどころ金色の装飾。その柱と巨大なシャンデリアの向こう側には広い窓があり、青い海をたたえた港町を一望できる。通路の両サイドには水が流れていて、ちろちろと静かな音が聞こえる。

 中央にある円卓についていた、壮年の紳士が笑顔で立ち上がる。

「やぁロアちゃん、よく来たね。さぁ、座りなさい。まったく、うちの従者が偶然見かけなければ、私に挨拶もしないつもりだったのかい。おじさんは悲しみのあまり、お腹のお肉が揺れてしまうよ」

 孫に会う老人の勢いだが、年齢は40代半ばと言ったところか。濃い金髪と薄い空色の瞳、紳士的な髭を蓄えた貴族然とした人物だ。本人の言葉のとおり、やや腹部の肉付きがよい。

 ロアーナは淑女の礼を取り、立ったまま答えた。

「旅の途中にて、ご挨拶をためらったことをお詫びいたします。最後にお会いしたのはわずか半年前でございますので、そこからお腹のお肉が増えたのであれば、ぜひ公爵夫人にご報告ください。厳しいお仕置きが待っていることでしょう。ところで、同行者に興味を示すふりくらいはしていただけませんでしょうか」

 トルバニウス公爵の視線が自分を捉えたので、ヴィサルティスも恭しく頭を下げた。

「ヴィサルティス・シャンレーゲン・トルエノと申します。公爵閣下とお話しする機会をいただき、光栄でございます」

 ヴィサルティスとて貴族の次男坊、それらしく話すことぐらいは可能だ。あまり深い社交の話になると、ボロが出そうな気はするが。

 トルバニウス公爵は、不満げにふんっと息を吐いた。

「ふん、貴様か。うちのロアにまとわりつく悪い虫は」

「……美しい花を蝶が愛することは、自然の摂理です。むしろ花のほうにこそ罪があるでしょう」

「黙れ。うちのロアが高貴な薔薇なら、貴様など便所の壁にくっついとる羽虫でしかないわ」

(お嬢さんの周辺って、俺の地位が低すぎて泣けるんだが)


 使用人がひいた椅子に、ロアーナ、ヴィサルティスが腰かける。シェナはつんと澄ました様子で後ろに立つ。どうやら侍女の役割を果たすつもりのようだ。


 それから、次々に豪華な料理が運ばれてきた。

 海の幸はヴィサルティスの目も舌も楽しませてくれる。公爵はロアーナにばかり構っているので、ヴィサルティスは食事に集中できた。

 デザートが運ばれてきたとき、それまで相槌を打つばかりだったロアーナが公爵に話しかける。

「ところで閣下。ひとつお願いがあるのですけれど」

「あぁ、そうだろう。用事がなければ、素直に招待に応じてくれるはずがないものな」

 それでいいのか、とツッコミたい気持ちを押さえてヴィサルティスが白ワインを飲んでいると、ロアーナがバルザス海輸団の話を持ち出した。海運業に出資しようと思い、団体の設立を手伝っているのだが、彼らが外国人であるため手続きが難航しそうだと。

「公爵閣下よりお口添えいただけませんでしょうか。私もトルエノ辺境伯閣下も、彼らの船でこの地に戻ってまいりましたの。見た目に怪しいことはそうですが、悪い人たちでないことは保証しますわ」

「ふむ。それで、ロアちゃんは私に何をくれるのかな?」

 ワインが香るソースのかかったムースを切り分けながら、公爵は慣れた口調で取引を進める。

 ロアーナも落ち着いた様子で答える。

「海路が使えるようになれば、日持ちしないため諦めていた、あるお酒の輸入が可能になります。海におけるヴィッターリス王国の玄関口はグーンバルですから、珍しい品々は、まず閣下の御前に並ぶことになるでしょう」

「さすが、ロアちゃんは私の興味をくすぐるものを知っている。さぁ、もったいぶらずに、その酒というのは?」

「蜂蜜の醸造酒です」

 南部では古くから製造されている酒で、名前のような甘さはなくビールに近い味わいである……というロアーナの説明に、公爵は何度も頷く。あとで聞いたところによると、公爵は酒豪として有名な人で、ロアーナが持ち込んだ南部産エールの大ファンなのだという。

 公爵は満足げに腹をさすった。

「よろしい。ではその団体に私も出資する意志があると情報を流そう。他に問題なく手続きが通れば、実際にいくらか出すよ。

 それで、ロアーナ。君の商才についてはよく承知しているが、恋愛のほうは心配だな。よりにもよって、トルエノ辺境伯というのは……戦場での武勇と、家庭でよき夫であることは別物だ」

 それはその通りだなと思ったヴィサルティスだが、あくまでロアーナへの問いかけなので無言に徹する。

「先日の航海でトラブルに見舞われたところ、トルエノ辺境伯閣下にお助けいただき、私たちは運命の恋に落ちたのですわ」

 ロアーナがそう答えると、公爵は深いため息をついた。

「ロアちゃん、それは説得力がなさすぎる。恋する乙女が、そんな冷たい目で運命の相手を見たりするもんかね」

「そうだぞ。もっと愛しいものを見る感じで、愛の言葉を囁いたりしてもいいんだぞ」

 思わず口を挟んでしまったヴィサルティスを「ちょっと、クマは人間の話に混ざらないでください」と言って黙らせたロアーナは、政略結婚であると打ち明けた。トルエノ辺境伯爵夫人となって、やりたいことがあると。そのためにヴィサルティスが必要で、彼にまつわる噂を払拭するために、熱愛を強調する必要があると説明する。

 渋い表情をしていた公爵だが、ロアーナの頑固さは承知しているのだろう、「分かったよ。じゃあ婚約祝いをしなくてはな」と、使用人男性を呼び何事かを命じた。



 その約二時間後。

「えーと、俺はどこで道を踏み外して、こんなことになってしまったんだろう」

 ヴィサルティスは困惑してロアーナの細い肩を押し返そうとするのだが。

「いいえ、誤ったのではありません。これは、私たちが選択した結果です」

 ロアーナが、さらに体を密着させてくる。


 ここは、スイートルームの寝室。

 ヴィサルティスは、ごつい騎士が3人くらい一緒に眠れるような広いベッドに背を預けている。暖色の薄暗い照明、そして腕の中には女性のぬくもり。彼女からは、湯上がりの石鹸とワインの香りがほんのり立ち昇っている。

 ロアーナは小さな体で懸命に、ヴィサルティスの巨体をベッドに縫い付けていた。

「さぁ、ヴィサルティスさま。ふぉーりんらぶの時間ですわ」

「はぁ。神よ、戦場以外で、俺の忍耐を試すのはやめてくれないか」

 ヴィサルティスは、腕を伸ばして、しっかりとロアーナの華奢な背中を抱き締めた。

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