喜んで。心美しい私のお嬢さん -4
失敗したか――ロアーナは失意したが、聖獣に出会えたのは偶然とムーンファールの力添えによるもの。協力が得られないなら、今持つ力でコツコツと目標の実現に向けて努力するのみだ。
だが、ここに至って初めて悪い可能性に思い当たる。
(聖獣さまの怒りが、人間に不利益をもたらすことはないのかしら。私は自分の行動の結果に責任を持たなければならないけれど、ヴィサルティスさまに影響が及ぶとしたら……)
ロアーナが慌てて言葉を探していると、「だが、よい意見だな」と聖獣が言った。
聖獣は大きく息を吐き出し、鼻先に生えていた植物が幾本か飛ばされる。
「聖獣たちはみな傷つき、体を休めている。戦おう、と呼びかけても、応える者はおそらくいないであろう。だが、対話を望むというなら、ほんの少し力を貸してやろう……娘よ、両手を差し出してごらん」
ロアーナは、言われた通り手のひらを上にして聖獣に差し出した。
聖獣が目をつむると、眦になみなみと水が盛り上がって、滴り落ちる。それは淡い光を反射しながら、ロアーナの手の平の中で、真珠になった。両手で支えるほどの大粒の真珠だ。
「それを、五光湖に投げ入れるといい。あそこには四獣のひとつが眠っている。あれは、私とは少し縁のある存在でな。まぁ悪いようにはならんだろう」
「ありがとう、ございます……」
洞窟の光を映して薄緑色に輝く真珠を胸に抱き、ロアーナは深く頭を下げた。
そんなロアーナに、聖獣が「代わりに、我の頼みも聞いてほしい」と語りかける。
「傷ついた我の仲間たちを癒してやってほしい。特別なことをする必要はない。お前の中にある存在が、正しい形で生まれてくることが、すべての聖獣にとっての希望となる」
ロアーナは困惑を隠さず微笑んだ。
「私に可能なことでしたら、どんなお望みでも叶えて差し上げたいのですけど……『正しさ』とは、人間同士の間でも定義が異なるのです。まして、神々や聖獣さまのおっしゃる『正しさ』とはなにか、私には途方もないものに思えるのです」
聖獣は、明らかに笑った。
「ならば、お前にとっての『正しさ』を見つければよいのだよ。それを、ともに探す仲間を、お前はもう見つけたのではないのかな」
ロアーナは振り返る。
光の中に、ヴィサルティスが立っていた。何も言わず、何も訊かず、でも必要とあらば剣を差し伸べられる距離で、彼はただ見守ってくれていた。
その金色の瞳の中に、ロアーナが見出したのは、希望。
トクントクンと、体の内側から湧き上がる衝動のままに、ロアーナは微笑んだ。
「ヴィサルティスさま、今一度プロポーズいたします。私たち、結婚しませんか?」
ヴィサルティスはゆっくり歩み寄ると、ロアーナの前髪をかきわけ、土埃によごれた額に優しいキスを落とした。
「喜んで。心美しい私のお嬢さん」
浜辺に戻ると、もう船は到着しており、みんなが心配して待っていた。
シェナの心配の方向が少しおかしいが。
「お嬢様、たしかにフォーリンラブ作戦なんですけど、ご無理は禁物です」
「あなたが心配しているようなことは、一切ありませんでしたので大丈夫です」
不安そうなシェナの肩にぽんと大きな手を置くと、ヴィサルティスが自慢気に顎をさすりながら言う。
「うんまぁ、細い腰にくらくらきたことは確かだが、無理はさせていないつもりだぞ?」
シェナのための冗談なのだろうと分かってはいるが、反撃せずにはいられないロアーナ。
「ヴィサルティス様は、見た目よりお肉がついていますね」
筋肉だって肉体の一部なのだから、嘘ではないだろう。
「そ、そんなことはないと思うが!」
そわそわとお腹周りを気にし始めるヴィサルティスの姿に、溜飲が下がる。
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船に乗る女性たちの後ろ姿を見ながら、アースクレイルがちくりと言葉の棘を刺してきた。
「腰を抱いただけで終わったんですか、情けない」
「どれだけ急展開を予想してたんだよ。でも、決めた。彼女を妻として迎える」
ヴィサルティスが言うと、アースクレイルはこくりと頷いた。
「主君のお望みのままに。フェリオスさまが、受け入れてくれるとよいですね」
幼いフェリオスは、母クレスティラの管理下にある。
今はまだ、フェリオスの身は安全だろう。ヴィサルティスが子どもを作らないと宣言している以上、母が考える「後継者にふさわしい血を継ぐ者」は彼しかいないのだから。
領地に帰りたい焦燥感と、時間をかけてロアーナを知りたい欲求を、深呼吸ひとつで心の奥にしまって、ヴィサルティスも船に乗り込んだ。
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