第11話 スランプには、新しい素材を
こむぎ亭での穏やかな日々。
エリアの膝の上は、私の定位置になりつつあった。
ぽかぽかと温かく、優しいパンの香りに包まれてうたた寝をするのは、まさに至福のひとときである。
そんなある日の午後、エリアがお使いを頼まれた。
鍛冶屋のガルムさんのところに、お昼のパンを届けるという。
もちろん、私も一緒についていくことにした。
鍛冶屋「頑固一徹」の前に着くと、いつも聞こえてくるはずの、リズミカルな槌の音が聞こえてこない。
不思議に思いながら中を覗くと、ガルムさんは巨大な金床の前に座り込み、うんうんと唸りながら頭を抱えていた。
「どうしたんですか、ガルムさん?」
エリアが心配そうに声をかけると、ガルムさんは大きなため息をついた。
「おお、エリアか……。いや、ちょっとな。新しい武器のアイデアが、どうにもこうにも浮かんでこねえんだ」
彼は、いわゆるスランプというやつに陥っているらしかった。
職人とは、常に自分との戦いなのだ。
その苦しみは、前世で企画書と格闘していた私にも、少しだけ分かる気がした。
ガルムさんにパンを届けた後、私はエリアに「少し散歩してくる」とジェスチャーで伝えた。
エリアは「迷子にならないでね」と笑って、私を送り出してくれる。
私は、村の裏手にある小さな山へと向かった。
特に目的があったわけではない。
ただ、ガルムさんの苦しそうな顔を見ていたら、なんだか一人で考え事をしたくなったのだ。
(職人さんも、大変なんだなあ……)
そんなことを考えながら、山の小道をぴょんぴょんと進んでいく。
木漏れ日が気持ちよく、鳥のさえずりが聞こえる。
最高の癒しスポットだ。
しばらく歩いていると、ふと、地面の一部がきらりと光ったのに気がついた。
(ん?)
なんだろう、と思って近づいてみる。
それは、地面から少しだけ顔を覗かせた、小さな石ころだった。
でも、ただの石ころではない。
内側から淡い光を放ち、まるで呼吸しているかのように、きらきらと輝いている。
その瞬間、私の頭の中に、またあの声が響いた。
《スキル【鉱物探知】が発動しました。高純度の魔鉱石を発見》
(魔鉱石? なんだかすごそうな名前だな)
私は、特に深く考えることもなく、その石を掘り出してみることにした。
前足で地面をかりかりと引っ掻くと、意外と簡単に、石は姿を現す。
それは、私の手にちょうど収まるくらいの、美しい虹色の鉱石だった。
光に透かすと、中の模様が万華鏡のようにくるくると変わる。
見ていて飽きない、とても綺麗な石だ。
(そうだ、これをガルムさんにあげよう)
私は、ひらめいた。
こんなに綺麗な石なら、もしかしたら、彼の創作意欲を刺激するかもしれない。
お世話になっている、ほんのささやかなお礼のつもりだった。
私は、その虹色の鉱石を、えいっと口にくわえる。
見た目よりは軽く、運ぶのに苦労はしない。
私は、その石をくわえたまま、急いで村へと戻った。
鍛冶屋に着くと、ガルムさんはまだ頭を抱えて唸っている。
私は、彼に気づかれないように、そーっと仕事場に忍び込んだ。
そして、作業台の隅に、私が持ってきた鉱石を、ことりと置く。
(よし、ミッションコンプリート)
私は、何食わぬ顔で、その場を立ち去ろうとした。
しかし、私が置いた鉱石が、作業場の熱気に反応したのか、ふわりと一際強い光を放ったのだ。
「……ん?」
その光に、ガルムさんが気づいた。
「なんだ、この石は……?」
ガルムさんは、作業台の上に置かれた虹色の鉱石を、驚きの表情で見つめている。
彼は、その石をそっと手に取ると、食い入るように観察し始めた。
「この輝き……この魔力の密度……馬鹿な、こんな鉱石、この地方で採れるはずがねえ……」
彼は、長年鍛冶師として生きてきた。
その鑑定眼は、そこらの学者よりも確かだ。
彼には、この鉱石がどれほど希少で、どれほどの可能性を秘めているのかが、一目で分かったのだ。
彼の目は、先ほどまでのスランプが嘘のように、きらきらと輝いていた。
それは、新しいおもちゃを見つけた子供のようでもあり、最高の素材に出会った職人の歓喜の光でもあった。
「こいつを……こいつを使えば……最高の逸品が打てる……!」
彼は、鉱石を握りしめ、ぶるぶると体を震わせている。
そして、ふと、部屋の隅でこっそり様子を窺っていた私に気がついた。
「……おい、毛玉」
ガルムさんの、低い声が響く。
「この石、お前が持ってきたのか?」
私は、こくこくと頷いた。
すると、彼は、ふ、と息を漏らすように笑う。
「……ただの毛玉じゃねえとは思っていたが、まさかここまでとはな」
彼は、私の前にやってくると、ごつい指で、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
その手つきは、不器用だけど、とても優しかった。
「礼を言うぜ、ルナ。お前のおかげで、目が覚めた」
ガルムさんは、そう言うと、すぐに炉に火を入れる。
彼の背中からは、再び、燃えるような創作意欲が立ち上っていた。
すぐに、あの心地よい槌の音が、村に響き渡るだろう。
私は、なんだかとても誇らしい気持ちになって、鍛冶屋を後にした。
私の力が、また誰かの役に立った。
その事実が、私の心を温かく満たしていく。
スローライフも、たまにはこういう刺激があっていいかもしれないな、と少しだけ思うのであった。
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