第12話 「君が、生きる理由になった」

レンのことが、どうしても頭から離れなかった。

彼の家を出たあとも、あの言葉が胸の奥で何度も響いていた。


「君には、ずっと幸せでいてほしい。

愛されて、決してひとりじゃないって思ってほしい。」


――どうして、彼は私にそこまで優しくしてくれるんだろう?

私はただの私なのに。


大切なものをたくさん失って、

まだ誰かを愛するのが怖い、そんな私なのに。


次の日、私は彼にお昼ごはんを持っていこうかと考えていた。

もしかしたら、彼はまだ体調がよくないのかもしれないと思った。


「……あたたかいものを持っていこう。」

小さくつぶやいた。


でも、本当はわかってた。

私は、ただ彼に会いたかったんだ。


そして、どうしても聞きたかった。


――どうして?

どうして、彼はそこまで私のことを気にかけてくれるの?


その日の夕方、私はまた彼の部屋に立っていた。

小さなスープ鍋を抱えて。



レンがドアを開けたとき、少し驚いたような顔をしていた——でも、どこか嬉しそうだった。


「ひかり……また来たの?」

彼はやわらかく微笑んで言った。


「今日も、何も食べてないでしょ?」

私は箱を差し出しながら言った。

「だから……少しだけ、作ってきた。」


彼は笑った。

「本当……俺、何したらこんなに優しくされるんだろう?」


彼が横に避けてくれて、私は部屋の中に入った。


フタを開けて、お箸を手渡すと、彼は一口食べた。


「……うわ。」


彼はまばたきをして、驚いたように目を見開いた。


「……これ、めっちゃうまい。」


私は黙ったまま、彼を見つめていた。


すると、彼が微笑んだ。

口元だけじゃなくて、目の奥があたたかく笑っていた。


「これからは、君の手料理しか食べないことにするよ。」


私は思わず目をそらして、顔が熱くなるのを感じた。

「…へ、変なこと言わないで。」


彼は小さく笑って、こう続けた。


「でも本気だよ。

誰かが心を込めて作った料理って、ちゃんと味に出る。

そしてこれは……なんか、すごく“帰ってきた”って感じがする。」


その言葉に、胸の奥がきゅっとなった。

あたたかくて、でも少し戸惑う気持ち。


私は少しだけ迷ってから、そっと口を開いた。


「……レンくん。」


彼は微笑んだまま、顔を上げた。


「……ちょっと、聞いてもいい?」


「……なんで、私にこんなことしてくれるの?」


その笑顔が少しだけやわらいで、

もっと優しい表情に変わった。


「どうして“好きだ”なんて言ったの?

どうして、私なんかが大切なの?」


私は視線を落とした。

声が少し震えた。


「私、特別じゃないし……

愛されやすい人間でもない。

なのに、どうして?」


彼はお箸を置いて、壁を見つめてから、私を見た。


「……君が、“根”をくれたから。」


「……根?」私は小さく聞き返した。


彼はうなずいた。


「父さんは画家だった。よくこう言ってた。

“芸術は、感情で息をするべきだ”って。」


「あるとき、父さんが三日月と星を描いたんだ。

すごく綺麗で……でも、当時の僕には意味がわからなかった。」


「でもある夜、父さんはこう言った。」


「三日月は、傷ついた心の象徴なんだ。

それでも、光ろうとする意思。

星たちは、僕らが失った人たち。

遠くにいても、ちゃんと見守ってくれている。」


「心が壊れそうなとき、隠しちゃだめだ。

月みたいに、曲がってもいい。

暗闇の中で、それでも輝いてほしいんだ。」


私はその場にじっと立ち尽くし、耳を傾けていた。



「高校のとき、父さんが亡くなって……俺は壊れたんだ。

未来なんて、ないと思った。

橋の上に立って、終わらせようとしてた。」


私の胸がぎゅっと締めつけられた。


「でもそのとき……

一人のおばあさんが道を聞いてきてさ。

ちょっとドジだけど、やさしい人だった。

俺の顔を見て、こう言ったんだ。」


『観光なら景色を楽しんで。

でも、飛び降りるなら……やめておきなさい。

人生のテストは難しいけど、ちゃんと合格できるのよ。』


「おばあさんに、アパートまで一緒に歩いてほしいと頼まれた。

その住所が、君の店の近くだった。」



「……私の店の近く?」

私は小さくささやいた。


彼は微笑んだ。


「そして、目に入った。

同じデザインのポーチを。

三日月と星の模様……

まるで、父さんが描いたのと同じだった。」


「つい……手に取っちゃった。ごめん。

ただ、近くで見たかったんだ。

感じたかった。父さんの気持ちを。」


「……あの夜の人……あなた、だったの?」

私は息をのんだ。


彼はうなずいた。


「それを見て、そして君を見て……

なにか懐かしいものを感じた。

父さんの絵が、生きているみたいだった。

彼の希望が、君の姿を借りて現れた気がしたんだ。」


レンは私の方に向き直り、声を震わせた。


「ひかり……君が俺を救ってくれたんだ。

気づいていないかもしれないけど、君は希望をくれた。

君のポーチに描かれていた、あの模様を見たとき——

それが父さんの絵と同じで、懐かしくて……

まるで“生きてほしい”って、父さんが言ってくれてる気がしたんだ。

君がいたから、また生きたいと思えた。

君が、俺の生きる理由なんだ。」



私は彼を見つめた。


胸が、痛くて、でもあたたかかった。


どうして、こんなふうに私を愛してくれるの?


どうして、私の中に希望を見てくれるの……

私自身は、ずっと空っぽだったのに。


「……レンくん。」

私はささやいた。

声が震えていた。


でも、言葉は胸の中にとどまった。


まだわからなかった。

私が愛せるのか、信じる強さを持っているのか。


でも今は——


ほんの少しだけ、

「愛せたらいいな」と、思った。


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